prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

7月28日(木)のつぶやき

2016年07月29日 | Weblog

「アフガン・レポート」

2016年07月28日 | 映画
アフガンで地雷原ではまってしまった小隊が一人づつ爆発で負傷したり死んだりしていくアリジゴク状態になってしまう体感映画。

怖いのは、こういう映像に慣れてしまっていかに迫真でも映像でわかったつもりになってしまうこと。  



7月27日(水)のつぶやき

2016年07月28日 | Weblog

「エレクトラ」

2016年07月27日 | 映画
アマゾネス風のジェニファー・ガーナーだけでなく超能力を持つ13歳の少女を置いてバラエティをもたせたのはまずまず。

日本風ニンジャアクションが荒唐無稽に徹するわけでもなく中途半端。無数の白い布が舞う間で戦うのはヴィジュアルに綺麗ではあるけれど、なんで使う必要があるのかと思うとはっきりしない。

ボブ・サップがちびっと出てくるのだけれど、今見ると誰この人と思う人多いのではないか。

身体に掘られたタトゥーの狼や蛇が抜け出て暴れる発想はちょっと良い。

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エレクトラ〈2005年〉|映画情報のぴあ映画生活

映画『エレクトラ』 - シネマトゥデイ

7月26日(火)のつぶやき

2016年07月27日 | Weblog

「ペレ 伝説の誕生」

2016年07月26日 | 映画
残念なのは英語版であること。ブラジルのアイデンティティを手放さない、というのがペレのサッカーの第一のテーマなので、言葉の方が本来の(というのも何だが)ポルトガル語でないとおかしくはある。

サッカー・シーンで頻繁にワンカットの中でスローモーションになったりノーマルスピードになったりする処理は、チームがばらばらの位置にいても全員が連携しているのを時間を引き延ばして端的に見せるなど、現実の試合では見ることのできないものを見せてくれるには違いないけれど、やや人工的な印象も強める。
ペレその人がカメオ出演しているのだけれど、やはりペレのプレーの実写の方が説得力はある。
裏町で子供たちがボールを追ってとんだりはねたりしているのはサッカーよりパルクールみたい。
(☆☆☆★)

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映画『ペレ 伝説の誕生』 - シネマトゥデイ

7月25日(月)のつぶやき

2016年07月26日 | Weblog

「死霊館 エンフィールド事件」

2016年07月25日 | 映画
数々の怪異現象の趣向や演出がもうすごい多種多彩でヴォリュームたっぷりで、ほとんどホラー・シーンのフルコース状態。

見たことあるようだなと思わせるシーンでも、舞台になる家、それも一般住宅のイギリスらしい古ぶるしい質感や、壁にデヴィッド・ソウル(刑事スタスキー&ハッチが流行っていた頃、1975~79であることがわかる)のポスターが貼ってあったリ、テレビのリモコンがばかでかいといった考証の綿密さで、細かいところで新味が出る。

最初に出てくる悪夢がラストにつながってくるまでのストーリー構成がよく考えられていて、2時間14分という長尺を飽かせない。

中心になるのが11歳の女の子なので、自然と「エクソシスト」調に接近してくる。あれもそうだったが、教会が権威に傷つくのを気にしてかしきりと証拠を求めてしかも思い通りに証拠が集まらなかったり、オカルトを否定するキャラクターが出てきていちゃもんをつけたりすると、逆に応援するみたいに超自然現象を(現実世界では信じていない人間でも映画を見ている間は)信じる方に気持ちがいくのが面白いところ。
(☆☆☆★★)

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映画『死霊館 エンフィールド事件』 - シネマトゥデイ

7月24日(日)のつぶやき

2016年07月25日 | Weblog

「二重生活」

2016年07月24日 | 映画
哲学専攻の大学院生が論文の指導教授のそそのかしで理由のない尾行をして観察の記録をつけることにし、その対象にマンションの向かいの豪壮な家に住む一流企業の若い部長を選ぶ。

尾行と、空間を隔てた向かい側の家と、ともに見るもの見られるものが一方的に固定された関係の上の観察、というモチーフとなると、ヒッチコックの「めまい」と「裏窓」を足したようなものとなる。

そしてヒッチコックがそうしたように一種の純粋な映画表現を求めるようにセリフに頼らずもっぱら映像の積み重ねによって描いていく緊張感が途切れない。

ときどき監視カメラの無機的な画面が入るのが、見ている側も含めてすべてを上から見ているようでおもしろい。

それもいかにもヒッチコック式に事前にコンテをがっちり固めた、作られた見たいものだけを見る撮り方ではなく、かなりラフに見えるロケ主体の意図しないものが見えてしまう体の撮り方で、レストランから出た愛人を追って素早くパンすると妻子がフレームに思わず入ってしまう無作為に見せたカットなどスリリング。

向かいの家の、自動車を停めているかなり広い、マンションの部屋全部ほどもありそうなスロープを斜め上から見下ろした空間感覚など秀逸。

ただし一方的に見るだけ、という虫のいい立場がいつまでも続くわけがなく、倫理的なしっぺ返しを当然くうことになるわけだが、ヒッチだったら基本的に初めから無倫理な価値観で統一されている世界だからおよそ倫理的な突っ込みはなされなくていいけれど、ここではもともと哲学の論文を書くための尾行なのだから、自分ひいては一般的な倫理についての考察がなされなければいけないわけで、これがどうもわかったようでわからない。端的に言って、ヒロインが書いた論文がそれほど優れたものと思えないのだな。

門脇麦が顔の毛穴やホクロが見えるような超クロースアップで捉えられているのが、尾行という行為とは裏腹に何かに耐えているような風情。
(☆☆☆★★)

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映画『二重生活』 - シネマトゥデイ

7月23日(土)のつぶやき その2

2016年07月24日 | Weblog

7月23日(土)のつぶやき その1

2016年07月24日 | Weblog

「薄氷の殺人」

2016年07月23日 | 映画
雪と氷に閉ざされた街の冷え冷えとした感触、ラストの花火がやたらと炸裂するめでたいはずがひどく不穏な空気、など映像そのものの荒廃感がコトバにしにくい何事かを語る、文体を持った演出。

昔のソ連や東欧の映画で、何かはっきりとは言えないのだが奇妙に不穏な暗示的な表現というのがよくあったが、現代の中国でも当然そういうものはあるのだろう。
描かれる出来事の陰惨さと、隠蔽されること自体の陰惨さが掛け合わされている。

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映画『薄氷の殺人』 - シネマトゥデイ

7月22日(金)のつぶやき

2016年07月23日 | Weblog

「帰ってきたヒトラー」

2016年07月22日 | 映画
ヒトラーが突然現代に現れて、出自がまったくのブランクになったまま周囲が勝手にさまざまな思惑を投影しておもしろがってどんどんイメージが膨れ上がっていくあたり、ちょっとコジンスキー原作、ピーター・セラーズ主演で映画化もされた「チャンス」(原作は「預言者」「庭師 ただそこにいるだけの人」)みたいなところもある。

ここでのヒトラー像というのが有名な俳優を使うわけでなく(わざわざブルーノ・ガンツが「ヒトラー 最後の12日間」で演じたのを引き合いに出したりしている)、外側だけの再現に徹している。
ヒトラーというのは積極的な才能とかカリスマを持っているからというより限りなく空虚であることで人々のルサンチマンを吸収して大きくなったのではないかと思わせる。

独裁というのが権力側の強制であるより、民衆の側の付和雷同と英雄待望の方に多分に根を持つであろうことが、人々のリアクションからはっきり見て取れる。

ヒトラーは映像によるプロパガンダを最も早く使いこなした政治家で、テレビ出演がウケるというのも大いにリアリティがある。特にテレビが最も怖がる沈黙で視聴者を含むテレビ機構全体を掌握してしまうあたり。

あるいはヒトラーというのは生きた人間(つまり死にもする)であるより映像の中のキャラクターとして不死の存在になっているのかもしれない。

それにしても、ドイツのテレビというのも料理番組に痴呆的バラエティにと、結構程度が低い。
ちょっと前だったらブラック・コメディととれたかもしれないが、今や笑えない。
(☆☆☆★★★)

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