prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2008年7月に読んだ本

2008年07月31日 | 
prisoner's books
2008年07月
アイテム数:10
アル・パチーノ
アル パチーノ,ローレンス グローベル
07月30日{book['rank']
越境者 松田優作
松田 美智子
07月30日{book['rank']
映画が目にしみる
小林 信彦
07月30日{book['rank']
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「ワン・ミス・コール」

2008年07月30日 | 映画
「着信アリ」のリメークなんだけど、見せ場の演出の押しについてアメリカ映画の方が淡白っていうのも珍しい。爆発の特殊効果だけはうまいものだが。
心霊写真みたいにぼうっと霊が人物の背後に写っているだけで怖いという演出に関してはあまり(わかってない)感じで、襲ってこないと格好がつかないみたい。

主演のシャニン・ソサモンに泣きぼくろがあるのが妙な感じ。調べてみると1978年10月2日生まれの29歳。それで学生役なのだから、10年以上留年しとるのか。
(☆☆★★★)

ワン・ミス・コール - goo 映画

「ぷりてぃ・ウーマン」

2008年07月24日 | 映画

お婆ちゃんたちでも何もできないわけじゃないと劇団を作って公演して成功するという実話ネタだが、では本当に何もできなくなったらどうするんですか、ピンピンコロリとはそうそういかないよ、と言いたくなる。
爺さんたちがまるで出てこないところを含めて、商業映画だから甘くするのは仕方ないけれど、仕方がないではすまないところがある。
(☆☆☆)


「東京オリンピック」

2008年07月22日 | 映画

今、オリンピック「映画」って作られなくなりましたね。「時よとまれ、君は美しい」(ミュンヘン)、「札幌オリンピック」(1972)あたりまでで。バルセロナ五輪もカルロス・サウラ監督で公式記録映画が作られたと聞いているが、日本公開はされていない。
オリンピックと映像技術は「民族の祭典」以来、手を携えて進歩してきたのだが、完全にテレビにシフトしたということだろう。

それにしてもスポーツというのはリアルタイムで見る、どういう展開になるかわからないのが一番スリリングなわけで、背景を知らないで表面的記録だけ見ても正直、割と退屈。
今見ると、望遠レンズの多用やスローモーションなど、監督の狙いもだが当時の「流行り」が目立つ。なんでも日本中の望遠レンズの大半が集められたという。

オリンピックの国威発揚の面と、ロス五輪以来目に余る商業主義の両方を避けて通っているのは確かだが、では何が残るかというと、案外何も残っていない。スポーツ(マン)というのは消耗品か、という疑問すらわく。特にテレビ用コンテンツとして重要になったから。

オリンピックが「平和の祭典」というのに一応もっともふさわしかったオリンピックだったような気がする。戦争によって中断されて、戦後復興して開催にこぎつけたのだから。もっとも、また東京でやるなど、論外。石原都知事は、老害以外の何ものでもないね。


「太陽がいっぱい」

2008年07月21日 | 映画

アラン・ドロンがレストランで後ろに密偵がいるのを知っていてわざとぺらぺら情報をもらす場面、スパゲッティを注文しているところといい、「ルパン三世・カリオストロの城」に似たような場面があったな、と思う。

吹き替えは新版のはずだが、ドロンはやはり野沢那智。最近珍しいフィックスですね。

淀川長治がこれを「ホモ映画」と喝破したことは有名だけれど、フィリップの死体の包みから手だけ出ていて、それと対応するように勝利に酔いしれたドロンがワイングラスを傾ける手がメインになったカットがつなげられるところ、殺人場面に別の帆船が目撃者のようにインサートされ、ラストシーンでもやはり帆船が停泊している対応などの指摘に、なるほど死んだ男がおいでおいでしているのだなと納得させられる。

盲人の杖を金にあかせて買い取り、目が見えないふりをするシーンは、テレビでは当然カット。二人の性格のいやらしさが実によく出てるのだが。
魚市場のシーンも例によってカットされていたみたい。二度目の殺人の死体処理で、手すりを死体の手が滑っていくのを下から撮ったところもカット。
感覚的に鮮烈な(しかしストーリー上は必ずしも要らない)ところが優先的に切られている。


「無宿(やどなし)」

2008年07月20日 | 映画

高倉健・勝新太郎・梶芽衣子の組み合わせで、日本版「冒険者たち」とも言われているけれど、意外と陰にこもった印象で、人物設定やストーリーはともかく何よりロマンチズムがあまり感じられないのが困りもの。
高倉健の三白眼がバカに目立って、なんだかコワイ。
緑の野や白い道などの風景がきれい。今だとこうは撮れないでしょう(1974年製作)。
(☆☆☆)


「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0」

2008年07月19日 | 映画
全面的に作画も音響も作り直している。オープニングの草薙素子の立像が3D-CGになって、そうすると絵よりもずっと人造物くさく見える。もともと人の姿をしていても中身はどうなのかわからない、人間はどこまで人間か、といったテーマが、人間離れの方向に向かったよう。

初公開時のパンフによると痙攣する女の身体というイメージはタルコフスキーの「惑星ソラリス」からとったそうだが、その他、クライマックスで降ってくる白い羽は同じく「ノスタルジア」だろう。

映像より音響効果の向上の方が魅力あり。


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GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0

「マーサの幸せレシピ」

2008年07月17日 | 映画

料理という人間が生きていく上で一番基本的なものを作る才能には恵まれながら、自分の食事には無頓着というヒロインのキャラクターの設定がうまい。食に限らず、どこが悪いわけでもないのに人とうまくいかない人の性格をよくつかんでいる。
ヒロインの前にまず子供と男が現れて、形だけ家族みたいになってから、実質がついてくるのが面白い。
かなり豪華な料理が出てくるのはずなのだれど、それ自体が見せ物になることはない。

ハリウッド版リメークは見ていないが、ここでさりげなく織り込まれたドイツとイタリアとの気候や気質の違いといった要素は入れにくいのではないか。
(☆☆☆★★)


「タンスと二人の男」

2008年07月15日 | 映画


ポランスキーの習作短編集より。
海の中からタンスを担いだ二人の男が上がってきて、街のあちこちに担いで歩くが、電車に乗るにもレストランに入るにも邪魔がられて、しばしば暴力を振るわれる。時には二人とは関係なしに暴力沙汰が繰り広げられているそばを通ったりもするが、結局またタンスを担いだまま海に帰っていく、という短編。

タンスに貼られた鏡の使い方が工夫に富んでいて、割れるのを含めて文字通り世界を映し出しているようなシュールとも詩的とも言えるセンスが伺える。

ポランスキー自身も出演していて、大男に主人公を押さえつけさせておいて殴るというチビの役。後の「チャイナタウン」の時の特別出演そのまんま。

クシシュトフ・コメダのジャズ音楽がすばらしく、この頃はジャズは自由とか反抗とかのイメージが強かったように思う。

「イースタン・プロミス」

2008年07月14日 | 映画
クリスマスに生まれた「奴隷の子は奴隷」となるはずの赤ん坊が水に流されそうになるが、しかし、という大詰めのあたりは、キリストとともにモーセのイメージがちらっとだぶる。

全身にタトゥーを施したモーテンセンの生業とその周囲のロシア・マフィア連中の形容のしようもない中世的とも見える陰惨な世界で、不思議と彼だけヒロインに不思議と拒否感を覚えさせない、なぜなのか、という本質がわかってくるラストは、もともと天使であるサタン(脚本は「堕天使のパスポート」のスティーヴ・ライト)が神に逆らって地獄に突き落とされるのと違い、この神のいない世界で自ら地獄に赴くかのよう。

全裸のモーテンセンがナイフで武装した暗殺者に襲われる格闘シーンをはじめ、これほど痛めつけられる肉体を生々しく感じさせる映画もない。

もっぱらエイリアンであるロシア人社会ばかりが描かれ、いわゆるロンドンらしいロンドンがまったく現れない。アーノン・ミューラー・シュタールやヴァンサン・カッセルなど非英語圏出身だがロシア系でない役者で固めたのもかえって観念的民族性が濃密に出た。
(☆☆☆★★★)


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イースタン・プロミス - goo 映画

「カメレオン」

2008年07月13日 | 映画
展開の仕方がまことに独特で、冒頭のコン・ゲームから予測されるような意外性を狙ったプロットが優先するのではなく、女占い師、老いた役者が集まった芸能社、貯金しているチンピラ、有力政治家、後始末のプロといったまるで違う世界を、桂馬の進路みたいに斜め先にずれながら縫っていって、最後にひとつの絵にするような構成。
最初からプロットにさまざまな要素が奉仕するのではなく、それぞれに一応独立した世界を横断していく結果として筋ができて最後にテーマが見えてくる。

ディテールもいちいちずらしてあって、たとえばパトカーが乗用車に追われる普通と逆の画のカーチェイス(舞台になるのが、日本のどこにこんな風景があるのかと思わせる「フルメタル・ジャケット」の後半のような広大なコンクリートの廃墟)のあげく、パトカーが転落した現場から逃げるヒーローとヒロイン、というハリウッド映画だったら確実に背後で車が爆発するところを、ついに爆発しないで通す。
宴会騒ぎで本来はトロンボーン奏者の谷啓が演奏しているのがサックスだったりする。

もともと松田優作主演で企画されていた脚本だが、いよいよアクションシーンで黒皮の上下で身を固めた藤原達也が殴りこみにいくのはいやでも優作の「遊戯」シリーズを思わせる、かと思うと、いきなり香港ノワール「狼 男たちの挽歌・最終章」の再現にいってしまう。

藤原達也は強いのかどうかよくわからないイメージでもっていって、アクション・シーンで持ち味の甘さにハードさを混ぜて見せ、いいところを見せる。結果、まぎれもなく藤原主演の作品となった。
終盤、宴会シーンで幻想を混ぜたのはこのためかとも取れる幻想がかった展開になるが、成功とも失敗ともにわかに決めにくい。
(☆☆☆★)


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「告発のとき」

2008年07月12日 | 映画
CBSドキュメントで、サブプライムローンでホームレスになった人たちの集落で逆さまになった星条旗が掲げられているのを見て反米という意味かと思ったが、そうではなくて救援信号だという国際的に決まった意味であることをこの映画で知る。

イラクの状況や家族の苦悩、新兵が集まらないので前科があっても入隊させる弊害、麻薬汚染など個々のモチーフ自体はテレビなどで知らされているが、ミステリ仕立てで捜査が進展するのにつれ同じ人や組織にもいくつもの顔があることを丹念に多層的に重ねて描けているのが、報道による情報とは違うドラマの強み。山田太一の言葉で、「ドラマとは要約を嫌う人のためにあるのかもしれない」というのを思い出した。
ごくまともに受け答えしている兵隊が、ぼそっと「イラクを核兵器で滅ぼせばいい」などと口走る怖さ。
当然ながら、基地問題というのはアメリカ国内にもあるのがわかる。

捜査の管轄が州警察と軍警察とでやりとりされる、適用される範囲に応じて実質的な意味がまるで変わってしまうのが「法と正義」で、アメリカとそれ以外とでは暴力的押し付けに変貌するわけだ。
エロ・バーのストリップのえげつなさや、女刑事に対するセクハラなんてものではない差別に、アメリカのマッチョ体質の不健康さを見せる。

トミー・リー・ジョーンズの父親が元軍警察で、旅先の安ホテルでも常に軍隊でそうやっていたであろうように靴を磨き、ベッドのシーツをきちんと畳んでいる、その折り目の正しさが、軍ひいては国家が正しいものであってほしいという報われない思いを形にしている。

ただこういうリベラリズム的作品は、どうしても仲間内で頷きあっている感じになってしまい、それ以外の人間を取り込むには力弱いだろう。
(☆☆☆★★)


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「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

2008年07月11日 | 映画
意外なくらい一作目・三作目の設定とつながっていて、二作目だけちょっと番外編みたいになった。ハリソン・フォードが年取りすぎていないか心配だったが、年取ったのをうまく生かした。

見せ場・アイデアの豊富さはもう毎度のことながらおなかいっぱいという感じ。
クライマックスは、スピルバーグの宇宙人ものを総ざらえなのに加え、ちらっと「カリオストロの城」の財宝が沈められた時の(設定上の)情景はこんなだったろうなと思わせる。

いくらなんでも、原爆実験からあんな安直な手でインディが生還するオープニングにはいささか引く。「24」シリーズでもやっていたけれど、またかと思わせるアメリカ的無神経。
ラスト近くのアマゾンの原住民たちがナチスにとはいえ白人に皆殺しにされているところも、「政治的に正しく」はないだろう。

おなじみの赤い線で示されるニューヨークから南米に飛ぶ飛行機の航路がキューバのハバナに寄る。
あれっと思って調べてみると、映画の設定は1957年で、カストロがキューバ革命を始めたのが前年56年の12月、政権を取るのが59年1月だから、親米バティスタ政権の末期で当然アメリカと国交はあったわけね。

ソ連が敵役になっているのだけれど、冷戦が終わったもので「安心して」敵役にできる感もあり。

若手シャイア・ラブーフの初登場のバイクの跨り方や帽子など、マーロン・ブランド主演の53年作「乱暴者」そっくり。
(☆☆☆★★)


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