prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ボーン・アルティメイタム」

2007年11月30日 | 映画
世界各地のロケ効果が見事、タンジールの街の狭い路地を駆けずり回るカメラワークと通行人たちの数と自然な立ち居振る舞いなど、アメリカ映画の機動力と最新撮影技術の威力を見せつける。
エイドタイトルにずらっと100人以上のスタントマンの名前が並ぶ、というのも「生」の迫力を重視している現われのよう。ボーンの格闘術も動きの目が詰まっている感じで、あまりショーアップされていない(実際はしていると思うが)。

原作は上中下の三巻本という長さで、脚色にあたってどうまとめているのか知らないが、大筋だけ取り出してみるとごくシンプルなので、なんでもない会話の中に暗号が隠されていたりといった細かい部分に十分注意を払える。

もったいをつけて紹介される重要な役をやっている人、アルバート・フィニーに似ているなあ、と思ったらご当人。スコット・グレンもだけれどちょっと見ないうちにかなり老けた感じ。
(☆☆☆★★)


2007年11月に読んだ本

2007年11月30日 | 
prisoner's books2007年11月アイテム数:45
不良のための読書術永江 朗11月05日{book['  rank'  ]
反省 私たちはなぜ失敗したのか?鈴木 宗男/佐藤 優11月05日{book['  rank'  ]
マリア・カラス エヴァー! ロマンティック・カラスカラス(マリア),ミラノ・スカラ座管弦楽団,プッチーニ,カラヤン(ヘルベルト・フォン),フランス国立放送局管弦楽団,シャンパルティエ,プレートル(ジョルジュ),ステファノ(ジュゼッペ・ディ),ヴェルディ,セラフィン(トゥリオ)11月10日{book['  rank'  ]
復活〈下〉 (新潮文庫)トルストイ11月19日{book['  rank'  ]
ピアソラ―その生涯と音楽 (叢書・20世紀の芸術と文学)マリア・スサーナ アッシ; サイモン コリアー11月21日{book['  rank'  ]
あたしンち 13けら えいこ11月22日{book['  rank'  ]
黒澤明 封印された十年西村 雄一郎11月23日{book['  rank'  ]
炎の幻声吉村七重11月23日{book['  rank'  ]
黒人霊歌集ノーマン(ジェシー),ジ・アンブロジアン・シンガーズ11月23日{book['  rank'  ]
累犯障害者山本 譲司11月24日{book['  rank'  ]
ユーモア革命 (文春新書)阿刀田 高11月25日{book['  rank'  ]
存在と時間 下  岩波文庫 青 651-3マルティン・ハイデッガー,Martin Heidegger11月25日{book['  rank'  ]
自壊する帝国佐藤 優11月25日{book['  rank'  ]
女たちよ! (新潮文庫)伊丹 十三11月25日{book['  rank'  ]
伊丹十三の本新潮社11月25日{book['  rank'  ]
「大病人」日記伊丹 十三11月25日{book['  rank'  ]
伊丹十三の映画新潮社11月25日{book['  rank'  ]
仏教と資本主義 (新潮新書)長部 日出雄11月27日{book['  rank'  ]
善悪の彼岸 (岩波文庫)ニーチェ11月27日{book['  rank'  ]
道徳の系譜 (岩波文庫)ニーチェ11月27日{book['  rank'  ]
武器よさらば (新潮文庫)アーネスト ヘミングウェイ11月27日{book['  rank'  ]
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「ランボー 怒りの脱出」

2007年11月29日 | 映画

「ランボー」一作目のデヴィッド・マレルによる原作小説「一人だけの軍隊」ではラストでランボーは死ぬのだが、映画ではかなりみっともなく生き残ってしっかり続編が四本まで作られることになった。
映画の続編を三作目まで原作者のデヴィッド・マレルがノヴェライズしているというのも珍しい。読んでないけど、どう見てもラスト死んでるのをどうしたんだろ。

first bloodを「ランボー」とつけた映画の邦題(小説の邦訳表記は“ラムボー”)が、二作目から英語題名に取り入れられたのも有名。なんだか、何が先なんだか後なんだか良くわかりませんね。

監督のジョージ・P・コスマトスは「ザ・ターゲット」('97)以降、監督作なし。まあ引退したんでしょ(1941年生まれ)。

1986年のラジー賞でサイテー作品、主演男優、主題歌、脚本賞受賞。ちなみに同年のサイテー監督賞は「ロッキー4」のスタローン(当時のスタローン夫人のブリジット・ニールセンがサイテー助演女優賞)。

1985年となると、ハイテクといいながらカメラがフィルム式。

「バイオハザードIII」

2007年11月28日 | 映画
アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)のクローンがぞろぞろ出てくる、っていうのが見せ場からしてもストーリーからしても眼目なのだけれど、培養されただけで記憶や後天的に身につけた能力や体質まで再現されることはないでしょ。ンなこと言うのはヤボか知れませんけど。

ミラ姐さん、日本での封切直後に出産したというから体型が気になったけれど(すごいドスコイ体型の写真が出回ってましたね)、だいぶ前の撮影と見えて全然関係なし。カットによって荒涼とした世界に合わせたリアルっぽいメイクと、プラスチック製みたいなお肌つるつるのメイク(デジタル修正も入ってるかな?)が混ざっている。
今回は両手に刃物を持っての立ち回りですが、アンデッドって喉を切られると死ぬ(?)んでしたっけ。ゾンビはもともと湿気の強い作りだから、砂漠に置くと割と気持ち悪くなくなる。

砂漠のボロい一軒家の中にエレベーターがあって、降りていくと最新式のバイオ研究所が広がっているというのはマイケル・クライトン原作の「アンドロメダ…」みたい。
中国語表記だけの「東京メトロ」なんてのが出てくるのが、また間違えているのか予想を入れているのか知らないが気色悪い。
(☆☆☆)



「アイアン・ジャイアント」

2007年11月27日 | 映画
冒頭、スプートニクが飛ぶところから始まるのだが、ソ連の人工衛星に感心するより核爆発が近くであったら机の下に潜ればいい(!)という恐るべき教育(!)映画が再現されるなど(爆発して地面に巨大な穴があいても机の下だけは残っていたりする)、核兵器を打ち込まれるのを恐れた冷戦時代のディテールがきっちり描かれているのが、のちに「Mr.インクレディブル」で弁護士と保険会社がスーパーヒーローを潰してしまったという設定を作ったブラッド・バードらしい批判精神とガッツを見せる。

50年代を舞台しているのにもかかわらず、けばけばしさのない落ち着いた色彩なのがいい。
スクラップから「芸術」を作っているアーティスト(?)が中国風の紋様をデザインしたガウンを着ているのが、60年代を先取りしているよう。

メイキングによるとロボットだけCGを使っているそうだけれど、機械らしいスムースな動きをする一方でキャラクターとしてまことに生き生きとしている。「天空の城らラピュタ」のラムダに似てるとも思うが、「やぶにらみの暴君」のロボットにも遡れるわけで、まだ機械らしい分親しみの持てるデザイン。
ストーリーは「E.T.」で、父親がいないというのも一緒。
(☆☆☆★★)


「ブレイブ ワン」

2007年11月26日 | 映画
ジョディ・フォスター、リメイク路線にでもシフトしたかな、前作「フライトプラン」はヒッチコックの「バルカン超特急」の実質的なリメイク、今回はどう見ても「狼よさらば」のリメイク。

字幕では処刑人と訳していたと思うが、でかでかと新聞の見出しにVIGILANTEと出ている。アメリカの伝統といっていい自警主義、といっても自分で自分の身を守るというところから簡単に一歩踏み出して、まだるっこい法の裁きなど待っておれず悪者は自分の手で始末する、というアブない体質で、映画の中でラジオのリスナーからの電話で「イラク戦争で懲りてないのか」なんて言うのがあったが、こういうのはB級映画的に悪者はとにかく悪者なのだとあらかじめ割り切れないと、話自体が成り立たない。
人権派が偽善的で、まだるっこく屁理屈をこねているのは確かだけれど、だからといってタガを外すのを肯定するわけにはいかない。

銃をとるのがブロンソンみたいなヒーロー然とした男ではなくて、小柄な女性というのが一応新味ではあるけれど、フォスターが慣れない殺しの後、服を着たままシャワーを浴びるといった表現はすごくリアルなくせに、今回もご都合主義的に悪者はとにかく悪い。
ラストもその上に成り立っているので、あまりいい気持ちはしませんね。

この手の自警主義をもう少し知的に突っ込んで扱った映画としては、ピーター・ハイアムズ監督、マイケル・ダグラス主演の「密殺集団」がおススメ。

それにしても、「狼よさらば」の頃に比べるとニューヨークの治安は良くなったことになっているはずだけれど、表向きなのかな。

すぐ殺されてしまうフォスターの婚約者役は、テレビの「LOST」のサイードことナビーン・アンドリュースですね。「トランスフォーマー」に「プリズン・ブレイク」のスクレことアマウリー・ノラスコが出ていたけれどちょい役だったし、アメリカだとまだ映画の方が格上なのかなあ。
(☆☆☆)


「モーテル」

2007年11月25日 | 映画
夫婦が泊まったモーテルの部屋にあったビデオをつけたらスナッフ(本物の殺人)ビデオで、よく見たらそのモーテルの部屋で撮ったものであることがわかる、という予告編に惹かれて見に行ったようなものだが、結局そこが一番面白かった。

ほとんどモーテル一つと田舎道だけのロケで大がかりな見せ場もほとんどない、テレビムービー並のスケール。ケイト・ベッキンセール(せっかく美人出すのなら、もうちょっと綺麗に撮ったら?)が出ているのでなんとか劇場用映画の体裁がついている感じ。
設定がシンプルな分、色々と細かいところにチエを絞るのが作り手の腕の見せ所なのだけれど、まあ一通りやっていますという程度。再生中のVHSビデオの電源が切れてまたつくと続きが再生されるとか(テレビ番組じゃないんだよ)、故障した車を乗り捨ててモーテルに戻るのにキーをつけっぱなしにするなど、ディテールが雑。

ビデオを他に持っていって売りさばいているらしいのだから、悪役たちのキャラクターがもっといろいろ膨らんでもよさそうなものだが、中途半端なところで止まってしまっている。
(☆☆★★★)



「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」

2007年11月24日 | 映画

現代のロデオを扱った現代版西部劇なのだが、初期にペキンパーが作っていた西部劇同様、西部劇の「伝説」とか「ロマン」がウソであることをしきりと指摘するのは、ほとんど死語に近いがニューシネマの時代に出てきた人なのだなあと思わせる。

父親のエース・ボナーがいい歳こいていつまでも「夢を追う」男っていうのが、相当に傍迷惑であることがありありと描かれ、同じような道を歩んでいるジュニア(父子で馬の二人乗りなんてする場面あり)が父から離れていく一方で、まるっきり突き放すわけでない甘さを残しているのが微妙な味わいなのだけれど、ドラマとするとちょっとめりはり不足。

ロデオの場面でペキンパーのトレードマークだったスローモーションが多用されているけれど、ここではややスポーツもののルーティンに流れているよう。
(☆☆☆★)


「ソウ4」

2007年11月23日 | 映画
相変わらずラストでびっくりさせてやろうとしているのだけれど、これまでのシリーズの断片が割り込んできたり、残虐な描写をガチャガチャした編集で入れたりした分気が散って、目をひきつけて注意をそらさせておくべきメインストーリーの引っ張り方が弱いので、意外には違いないがとってつけたようであまり効かない。

なじみのない役者ばかりなので、この役なんでしたっけと考えてしまうところが多いせいもある。恐ろしいもので、どんな残虐描写も繰り返されると慣れますね。
(☆☆☆)



「キシタコウシ」

2007年11月22日 | 映画
盲目の18歳のミュージシャン、木下航志のドキュメンタリー。
もともと決まっていた枠とはいえ30分でまとめるのはもったいなく、もっと歌もきっちり聴きたいし、ニューヨークやネパールに行った先の情景などももっと見たい。
とはいえ、ゴスペルを聞きなれているであろうニューヨークの黒人教会の信徒たちが立ち上がって聞いている様子など興奮させられる。

和製スティービー・ワンダーなんて言われ方をされるのは仕方ないけれど、首の振り方などそっくり。スティービーが二十歳を過ぎて法的に自分の意思で音楽を作っていいことになってからの劇的に成長した例が周囲のインタビューで語られるが、あそこまでの大物になるかどうかはともかく、まだ「自分の音楽」を完全に捕まえている感じではない。その分、刮目して待ちたい。

神保町花月「Yoshimoto Director's 100」にて鑑賞。監督・松永大司。


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「ベルリン・フィルと子どもたち」

2007年11月21日 | 映画

意地の悪い言い方すると、ラストで子供たちが踊るバックがベルリン・フィルでなくてはならないのかなあ、と思う。権威づけって以上の意味あるのかな。まあ、人が見に来なかったら教育的な意義もあまりないけれど。
ひどい環境にいても、映画で見る限りずいぶん子供たちは明るい。

まず身体を動かして身体感覚から自分をコントロールしていく本来の意味の「体育」のありかたはよく出ていたと思う。今の日本の「体育」だとまず上からの命令に従うことを覚えさせられるみたいだから。
(☆☆☆)

「ヘアスプレー」

2007年11月20日 | 映画
最近珍しい、明るくて元気が出るミュージカル。
もともとチープでキッチェな映画をミュージカル舞台化したものをさらに先祖返り的に映画化したものとしては、「リトルシッョプ・オブ・ホラーズ」の系統。カウンター・カルチャー前というか、アメリカがいかにもアメリカらしかった時期とノー天気寄りのミュージカルは相性がいいのかも。ただし、ちょっと毒が混ざるのが今風。

オリジナルの監督・脚本のジョン・ウォータースが冒頭、コートの前を開けて見せるヘンタイ役で出てくるのが実にそれらしい。犬のウンコ食べる映画「ピンク・フラミンゴ」の監督だものねえ。
あの映画の主演のディヴァインはものすごく太った女の格好をした男優だったが、同じ趣味が今回もヒロインとその母親のまるまるとした体形と、母親を男優が演じる(舞台からの「伝統」らしい)という形で再現されている。もともとはみ出た連中に対するシンパシーから出発しながら陰にこもらないウォータースの持ち味は転写を重ねても生きているみたい。

黒人差別がベースになっている話だが、1962年のボルチモアだと黒人たちもストレート・ヘアで、人種意識に目覚めた印であるところのアフロヘアにはまだなっていない。ヘアスプレーをやたらびゅうびゅうぶっかけるのはストレート・ヘアでないとあまり意味ないので、まだ夜明け前、といったところか。
(☆☆☆★★★)



「東京原発」

2007年11月19日 | 映画
惜しいなあ、という印象が強い。
原発がそんなに安全だというなら新宿西口に作ればいいとか廃熱を街の施設で利用できるから熱効率がいいとかいうあたり,発想は広瀬隆の「東京に原発を!」からではないかと思われるが、役所広司扮する、性格は石原慎太郎で髪型は小泉純一郎の都知事が、色々ともっともらしい理由を挙げて根拠のない自信たっぷりに喋っているうちに、なんだか本当に東京に原発を作ってもいいのではないかという妙な気分になって、笑いながらときどき頬がひきつってくる。
この映画が作られて(2003)から環境問題がかなり地球温暖化にシフトしていて、原子力が「見直されている」せいもある。

それでいざ本当に原発を作ろうとしだすかと思うと、その前に放射性廃棄物絡みとはいえ別口の騒ぎが起こって、そっちの方でお話が収束してしまうので、発想が発想どまりでストーリーを動かすわけではない。荒唐無稽には違いないけれど、メディアを抱き込んだら(というか、もうかなり抱き込んでいるだろうが)結構イケるのではないかと思ってしまう。オリンピック誘致なんかブチ上げるよりよっぽど面白い。

原発反対派もかなりトンデモが入っている人もいるのだし、今だったらまさかまさかと言いながら本当に世論が部分的にも誘致を認める方向に向うという展開もありうるのではないか。

昼酒でもやらなきゃやってられない放射性廃棄物を処理する末端の労働ぶりを入れたのがいい。
(☆☆☆)


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「4分間のピアニスト」

2007年11月18日 | 映画
刑務所の囚人が老教師にピアノを教わって塀の外のコンクールに出る、というストーリーから善導教育ものかと漠然と思っていたら全然違う。だいたい、しきりと囚人のジェニーの扱いについて体制側が集まっては鳩首会議を開くように、どんな人間になればいいかという確立されたモデルがあるわけではない。

囚人も教師も共に女ということもあって「奇跡の人」を思わせ、また囚人のジェニーがおそろしく反抗的・暴力的なので教育というよりほとんど格闘みたいなやりとりになる。
ジェニーはベートーベンの「ハンマークラヴィア」を練習で弾くのだが、前に石井宏だかの文章でベートーベンからピアノ・ソナタの演奏法が変わり大幅に腕力の要素が入ってきて、レディが家で弾くようなものではなくなった、という記述があったのを思い出し、そりゃ囚人はレディじゃありませんよねえ、と思う。

背負っている過去が生徒も教師もやたらと重くて、戦う相手は刑務所=体制ばかりでなく、過去の体験と自分自身でもある。
フラッシュバックで老教師の過去がちらちらと小出しに出てくるが、ナチスがユダヤ人ばかりでなく同性愛者も収容所送りにしたのは有名だから設定はすぐ見当がつき、それがどの程度教師と生徒の関係に反映してるかという突っ込みはやや弱い。

老教師の部屋の壁にベートーべンと共にフルトヴェングラーの肖像がかかっている。最近「カラヤンとフルトヴェングラー」(中川右介 幻冬舎新書)を読んだせいもあって、ナチスと音楽との関わりというのは単純に国家権力と芸術家の自由を求める意思との葛藤という図式で割り切れるものではなく、リーフェンシュタールが典型だが芸術家のエゴイズムと政治的利用主義の癒着と葛藤みたいなところがあると思うようになった。政治も芸術もすぐれて「人間的」な営為というか。

クラシックの譜面通りの演奏が体制的でフリー演技がそこからの解放、といった発想から組み立てられたクライマックスはやや疑問。譜面通りの演奏だって、それぞれ全部違う一回性のものだと思うので。譜面通りの演奏から完全なインプロヴィゼーションに移り、また譜面に戻ったりと融通無碍に出入りするのは、たとえばアストル・ピアソラの音楽では当たり前のこと。
さあ譜面を無視して弾くぞというところで、それ自体が型にはまってしまうという「前衛化」の罠が顔を覗かせた気かるする。

主演のハンナー・ヘルツシュプルング、モニカ・ブライブトロイともに好演。年齢が40も違うのだが、ハンナーは若い割りに小柄であまり上背が違わない。
(☆☆☆★★)



「インベージョン」

2007年11月17日 | 映画
ジャック・フィニィ「盗まれた街」四度目の映画化。

一番最初のドン・シーゲル監督による映画化('56)はアカ(共産主義者)とレッテルを貼られると誰も口をつぐんで逆らえなくなった製作当時の赤狩り下のアメリカの状況を反映しているというのが定説になっているが、今回ではところどころイラク他の世界情勢が「侵略」の結果、皮肉にも“平和”に向ったというテレビニュースで流し、画一化・全体主義化された「平和」と一応の自由意志による対立とどっちを採るか、といったテーマを立てている。

ただ、小さな街の日常的な情景からじりじりと大きな寓意に突き抜けるのと逆に、こう頭からスケールを広げられるといささか細かいリアリティ不足が目立つことになる。
意思を失った人間と失っていない人間との区別というのがあまりはっきりしていないのも気になるところ。

自家用車にびっしり人間が鈴なりに張り付いて、暴走するたびに振り落とされるスタントはなかなか見せる。マネキンが飾られたショーウィンドーに突っ込む締めくくりもちょっと洒落ている。
(☆☆☆)


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