prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「さよなら、将軍」

2003年10月31日 | 映画
フランコ将軍が晩年ボケて老害をふりまきまくるのをブラックなノリで描く。荒れ果てた無人の街で自分に歓呼の声を浴びせる人民の幻想を見たり、演説の最中に斜めにかしいでいったり、危篤になって運ぶのにタンカ代わりにゴヤの絵でくるまれたり、独裁者の生前に密かに交わされたであろう悪趣味なジョークのような味。ひとりの役者がいくつも違う役(特権階級と人民にまたがってたりする)を演じているのが、エンドタイトルで明かされてびっくりするのがお楽しみ。
(☆☆★★★)


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「ロッカーズ」

2003年10月30日 | 映画

ロック映画なのだが、なんと「アメージング・グレース」から始まる。村松剛「教養としてのキリスト教」によると、アメリカ映画「シルクウッド」でヒロインの死を暗示するのに使われた曲(本来、そういう意味が歌詞にあるという)だが、実はこの映画でもずっと後になって似た発想だったことがわかる。一般的な賛美歌でもあるから、意識したのかどうかわからないが、舞台が九州なのでキリスト教が染み込んでいるのかもと思わせる。

そこから一転、主役のバカバンドの奮闘が始まる。初め台詞が聞き取りにくく、演技メイク衣装その他、あまりにどぎつい誇張に鼻白んで白ける寸前までいって大丈夫かと思うが、主人公の一人・谷が出てくるあたりから調子が上がってくる。

福岡のテイストを入れたのが成功で、初めから格好つけてダサくなるより、照れず悪びれずにバカをやって時々キメる方向。主人公たちが人気が出てくるにつれ、カメラがぐるっと回転して客席を写すたびにどんどん客が増えてくるのを割らずにワンカットで通すところなど、どうやって撮ったかと思わせるし、映画演出を楽しんでいる感じ。

その客がまたエキストラを集めましたという感じでなくスタイルも決めているし本気でノッている。クライマックスのライブで、なぜ誰が優勝したか見てはっきりわかるように構成されており、恋人をあまり出さずライブに集中しきった処理もいい。

谷の目の病気とバイク好きの伏線をはってあるので、日本映画にありがちなぶち壊しものの突然な暗い展開になるのを救っている。そして教会で「アメージング・グレース」が流れる中を子供がギターを持って走り出す姿が主人公たちの走る姿にだぶるオープニングが、実は主人公の過去の出来事のように見えていたのを未来につながるものだったのがわかるラスト。「ひとりぼっちの青春」のに似て、その効果は逆で救いに向かう高度な技。

この監督・脚本コンビはつんくタウン短編集「東京ざんす☆」でピカ一だったが、俳優の長篇監督第一作でそう思われがちな、業界ノリと情熱で安手で未熟なのを乗り切るタイプとははっきり違う、作中の台詞でも強調していた“プロ”にこだわり成功した作り。

ラストの献辞で捧げられた人(原案・陣内孝則というから実際バンドで一緒だった故人か?)がどんな人なのか知りたくて公式HPを見るがわからず。flashにばかり凝っていて不親切。

突然「王様」が出てきてびっくり。いま何やってんだ?
(☆☆☆★★)


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「マッチスティック・メン」

2003年10月25日 | 映画
ごく最初の方で話のからくりは読めるので、変形の父娘ものと思って見ていた。エピローグの芝居でもそれははっきりしている。サプライズ・エンディングというのは、あまり長篇向けではないな。

あまり宣伝で騙し映画だとうたってはいけないのが本当なのだが、この情報化社会でまったく情報を隠す方が難しいし、何が出てこないか注意していれば、たいてい読める。特に一人の視点から物語が描かれる場合は。
エンド・タイトルでも、わざわざマッチ棒で描いたような字体を通している。
(☆☆★★)


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「陰陽師2」

2003年10月18日 | 映画
なんか、諸星大二郎の古代もののような話。野村萬斎が女装して踊るシーンはもうちょっとフルショットできちんと見えるように撮ってほしかった。 不思議なもので、画面の感じが東宝のゴジラものに近くなっている気がした。

「アウトサイダー」

2003年10月17日 | 映画
出演者ほとんど全員が後で単独主演作をもっているのだから、今見るとびっくり。20年くらい前の映画なのだから、みんな若い。トム・クルーズなど、出てきたら笑い声が起きた。コッポラ作品は「ゴッドファーザー」もそうだった。妙に後年有名になる人が集まる映画というのが、不思議とある。

設定だけでなく画調そのものが徹底して50年代の映画風。“不良”が喧嘩をだいたい素手でやったり、「風と共に去りぬ」を読んだりロバート・フロストの詩を諳んじたりといったところも古式ゆたか。
スタッフの中に今監督になっているロマン・コッポラの名が見える。

「バリスティック」

2003年10月16日 | 映画
中国の一人っ子政策で農村で労働力として生んでも届けを出さないですますために戸籍を持っていない黒孩子(ヘイハイツ)=黒い子供を訓練して殺人機械に仕立てたのが、ルーシー・リューの役どころというのは面白い。しかし、それをアメリカのDIAがやるというのは釈然としない。中国政府がやるなんて設定にしたらうるさいのだろうが。

血管を通り抜けるナノテクノロジーを使った暗殺機器なんてのも出てくるが、それを相手に撃ち込むのに銃弾に装填する、というのは無意味な手間のかけ方の上、演出のフォローがないのでわかりにくい。

とにかくどかどか銃撃戦・爆発が多い。CG全盛の現在にはめずらしくエンドタイトルにずらっと何十人ものスタントの名前が並ぶ。映画よりメイキングの方が面白そう。

アントニオ・バンデラスが不思議な位、しどころのない役。話が進むうち、だんだん脇に寄っていってしまっている。

「SWAT」

2003年10月14日 | 映画
2時間のうち1時間10分目と、本格的にストーリーが動き出すのがかなり遅い。それからのプロットの捻り方はまずまずだが、全体とするとちょっと長過ぎる。SWATの格好良さを強調している風だが、終盤の展開は微妙にそれを裏切っている。

主人公が恋人と別れる室内に「ブリット」のポスターが貼ってあるのは、あれも危険な任務を心配する恋人との諍いがサブプロットになっていたのにひっかけているのだろうか。権利関係がうるさいせいか、ちゃんとエンドタイトルに記されている。

ミシェル・ロドリゲスが「ガールファイト」とはずいぶん印象が変わって、図体がでかい男どもに囲まれているせいか可愛く見える。

丸の内ピカデリー1が改装されてシネコンみたいに全席指定席制になる。一番後ろの真ん中あたりと希望したら、本当に一番後ろのど真ん中の席。上映中ロビーを暗くして人が出入りしてもあまり明かりがスクリーンに反映しないようにしているよう。

「座頭市」

2003年10月12日 | 映画
時代劇、とか、座頭市といった枠が決まっているから、いつものたけし映画のように脚本を作らない作り方でもそれほどバラバラにはならないが、敵の黒幕の正体がミエミエで通すのかと思うと無理にひねったり、ラスト市の目が…というのは感心しない。時代劇には(定型)(御存知)の楽しみというのも大きいと思うので。

現代劇でのドンパチと違ってチャンバラだと、タメがなくていきなり斬り合いが始まって終わる、というのだと、どうも気がいかない。血しぶきはCGだろうか、今まで見たことのない効果があがっていた。人体に突き刺さっている刀の合成の出来は今一つだが。刀を抜いた拍子や持ったままおじぎしたりして隣の人間を切りそうになったりするのが、リアルかつ可笑しくていい。

朝日新聞の読者欄の投書で、百姓の鍬の使い方が変、あんなに高く鍬は振り上げないという、およそ見当はずれのが載っていた。鍬を振りおろすリズムが、ラストのタップダンスにつながっているので、それにケチをつけるのはミュージカルをリアルではないというようなものだ。そういうのを載せる方も載せる方。もっとも考証とは別に、店の者を皆殺しにする押し込み強盗(急ぎばたらき)をするのに下調べに七年もかけるのは変とか、気になるところは多々ある。

一説にはタップダンスの縦の動きは狩猟民族の追跡の動きで、農耕民族の日本の踊りは摺り足が基本になるというのがあったが、ハズすというより逆らっているということになるか。

「癌との戦い」

2003年10月10日 | 映画
朝日ホールでのドライヤー上映会にて。ある女性が乳癌の検診を受けなかったので命を縮めました、みなさんも早期発見・早期治療をという啓蒙映画。あまりに啓蒙色が強いので笑いが起こるくらい。強いて言うなら画面のバックを白で統一し、初めに弔いの鐘を鳴らして途中でいきなり墓を見せてしまうといった趣味がドライヤーらしいと言えば言える程度。

「二人の人間」

2003年10月10日 | 映画
題名通り登場人物は男女二人だけ、「奇跡」同様、むりやり余計な外景など入れず、全編アパートの一室という室内劇。唯一、回想シーンで殺された男が登場するが、これが影と声だけで表現されている演出が出色。手塚真が来ていた。

「太郎くんの汽車」

2003年10月08日 | 映画
70年前の乗車マナーの啓蒙映画を弁士(個人所蔵している)ライブつきで「鉄道の日」にちなんだ「鉄道映画祭」で珍しくも上映。子供の夢が「漫画映画」だったり(これがよくできている)、汽車のおもちゃがオブジェクトアニメだったり、ずいぶん技術的に凝っている。太郎くんの家がいやに立派。

「少年、機関車に乗る」

2003年10月08日 | 映画
10年くらい前に日本公開されたタジキスタンと旧ソ連の合作。この上映も珍しい。

兄弟が汽車に乗って父親に会いに行き、喧嘩してまた戻るまでを淡々と綴ったロードムービー。なーんにもない荒野がえんえんと続く風景は違う惑星のよう。土を食べる癖のある小さな弟とか、ちゃんと床が張っていない吊り橋とか、ところどころ奇妙な感覚を見せて、眠くなったり、急に面白くなったりする。セピア調のモノクロ画面は、今では見られない不思議な画調。

「サハラに舞う羽根」

2003年10月06日 | 映画
仮死状態になる薬を飲んで脱出するとか、ずいぶん古式ゆかしい。もともと外人部隊ものに通じるエキゾチズムが売りの話(だから何度もリメークされている)だと思うのだが、植民地支配をいったん否定的に描かないと今では通らないから、中途半端な印象は否めない。

反戦思想、というより殺しが嫌だという心情が戦友のためには戦う、という心情にずれていくのは気持ちとしてはわからないではないけれど、結局大きく見ると戦争協力には違いのではないかと思わせる。イギリスの傲慢と野蛮さはよく出ている。

砂漠での戦闘シーンのスケールは大きいが、少しスローモーション使い過ぎ。アクションの強調というより間延びして見える。
(☆☆☆)


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「アララトの聖母」

2003年10月05日 | 映画
トルコによるアルメニア人虐殺、という悲惨な事実を描いているわけだが、その描き方が虐殺を描いた映画中映画と、そのヒントになった画家と、映画に協力してトルコに単身映画の背景用の映像を撮りにいった青年と、そのカナダに入国しようとする時の通関担当の役人のエピソードとが交錯するといった具合に、ひどくまわりくどい。

アラン・レネが「夜と霧」で虐殺の実写映像と廃虚となったアウシュビッツを交錯させて、悲惨な出来事とその忘却とを描いたのとちょっと思わせる技法だが、映画中映画があまり迫力ないせいか虐殺そのものの重みがどうも出なくて、隔靴掻痒という感じ。
(☆☆★★)


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「福耳」

2003年10月04日 | 映画
老人の施設にかなり不純な動機で潜り込んだ青年が、そこで死んだ老人の成仏できない霊にとりつかれて、一人で話したり喚いたりしているのを老人たちに変な目で見られながら働いているうちに、色々な人生に触れてまじめに考えていくという、笑わせてしんみりさせて考えさせる良くも悪くも優等生的な作り。

老人が青年にとりついているのを、二人同じ格好で同じ動作をすることで描いているのは芝居の技法に近い。動きがけっこうズレたりしているのだが、アメリカ映画式に技術的に完璧を期さなくてもあまり関係ない。

老人キャストが豪華。昔の映画を見ていて若すぎて誰だかわからないことがあるが、ここでは逆に年とって誰だかわからなくなることが多い。しかし「福耳」って題名では内容わからんぞ。
(☆☆☆)


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