prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ルル・オン・ザ・ブリッジ」

2021年05月31日 | 映画
ポール⋅オースター原作に加えて主演もハーヴェイ⋅カイテルだから当然「スモーク」の続編または姉妹編みたいなものを想像したらずいぶん違っていた。

ああいう市井の人たちのスケッチでななく、光る石とかウィレム⋅デフォーの謎の男とか、フィクショナルな色の濃い仕掛けが強い。

映画としての魅力はミラ⋅ソルヴィーノ、ジーナ⋅ガーション、バネッサ⋅レッドグレーヴといった女優陣が魅力的に撮れていること。




「生きていた男」

2021年05月29日 | 映画
意外な結末ものの古典なのだけれど、一番意外だったのはエンドマークの後に中年の紳士が現れて、この結末は決して話さないで下さいと頼むところ。

誰この人と思って調べたら、プロデューサーで往年の二枚目スターの息子のダグラス⋅フェアバンクス⋅ジュニア。

正直「サイコ」がネタがバレていても面白いというほどの技は不足していると思う。






「海辺の彼女たち」

2021年05月28日 | 映画
技能実習生という名目で日本で働いている外国人労働者の搾取を描く映画だが、社会問題として大上段から描くのではなく、重心を低くしてセミドキュメンタリータッチの周到なリアリズムが先行している。

三人のベトナム人女性がまともに賃金を払わない会社から逃げ出し次の働き場に移るが、パスポートや許可証が前のところに預けっぱなしになっているので医者にかかりたくてもかかれないなど、制度上の欠陥がリアルな描写から自然に見えてくる。

制度から外れた目から見た外国としての日本の姿を見るというあまり例のない体験になった。北国の雪景色の寒々とした映像がそのまま心象風景になっているよう。
出てくる日本人が、ほぼ働きが悪いと怒鳴ってばかりの非人間的なのばかりなのが滅入る。

上映後のトークショーの藤元明緒監督の言によると、シナリオは全体の流れを決めただけで、各シーンのセリフはベトナム人出演者と相談して決めていったとのこと。役名と役者名とが同じになっている。
ラストシーンも初め書いたのとはまるで違ったものになったらしい。
音楽を使わないのは、初めから決めていたとのこと。

今のカメラの性能だと、住み込みの寝所の暗さでもかなり鮮明に写る。
ラストのスープみたいなものを啜り飲み干すまでの長いカットで、湯気がはっきり写っているのが生命感の表現になっていた。

三人の主役のベトナム女性たちがみんな綺麗だと思ったら、全員素人ではなく女優さんだとのこと。でしょうね。
当然ではあるけれど、肉体労働の場面では女性の腕力でやるような仕事でないのも実際にやっていて、キツさがかなり伝わる。

トークショーでベトナムからzoom参加していたが、そういえばベトナムはコロナにかなりよく対応していたのだったなと思った。

ポレポレ東中野は雨の中だったにも関わらず一つおきの席ながらかなり埋まっていた。






終了後のフォトセッションにて。左下のシルエットが監督。右上が
ホアン・フォン Phuong Hoang さん(たぶん)。

「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」

2021年05月27日 | 映画
ヒロインのジョセフィーヌ・ジャピがすこぶる美人で、メガネをかけて地味に見せている姿もピアニスト役でドレスアップして舞台に立つ姿もステキ。

作家志望、ピアニスト志望の男女が学生時代に知り合って結婚し、その後夫の方は作家として成功したが、妻の方は主婦になって表に出ないままでいるうちに夫婦仲も悪くなってきている。
ある朝夫が起きると、世界が一変して夫は無名の中学教師で、妻だったはずの女性はピアニストとしてはなばなしい成功を収めていて夫のことはまったく覚えてないという展開になる。

パートナー同士の片方が成功したらもう片方のキャリアが犠牲になるのではという問題を扱った話かというと、そういうわけでもない。
あと異世界に行くロジックもよくわからない。
ロジックで詰めていく作りではなく、置いてけぼりをくったような男の焦りと、いったん忘れられたところからまた仲を築き直すお話として見れば、いいムードのところはあります。




5月26日のおもしろ画像

2021年05月26日 | Weblog

「僕たちは希望という名の列車に乗った」

2021年05月25日 | 映画
ナチスの支配から解放されたかと思ったらソ連の支配を受ける羽目になった東ドイツの青年たちが、西側の運動に共鳴したらたちまち目をつけられ弾圧を受ける。
解放されたと思ったらまた閉じ込められるのがすごくメンタルに応えるのに実感がある。
生徒の一人の父親がナチスだったことがわかる衝撃など、さらに重い。

「スパルタカス」「いまを生きる」「マルコムX」などに共通する連帯して自由を求めるシーンのバリエーションが見られるのだが、その後がひねっていて、自由の大切さをナイーヴに称えるという具合にはならない。
ラストも苦みが強い。




 

「くれなずめ」

2021年05月24日 | 映画
「街の上で」とかなりかぶる。
成田凌に若葉竜也と出演者もかぶるが、もうひとつ演劇が日常になっている街、あるいは世界というところ。

原作は松井大悟監督自身の作演出による舞台劇だったそうだが、終盤の相当に奇抜というか飛躍した展開はもともと舞台でないと考えられない。
それを映画にアレンジしたというより、芝居が持つちょっと慣れてないと気恥ずかしいわざとらしさをそのまんま映画に持ち込むというアプローチをしていて、それが仲間同士でわちゃわちゃしていること自体の気恥ずかしさともクロスするようなところがある。

偏見か知らないが、日本の芝居あるいは映画はリアリズムを完全にはものにしないまま(新劇が赤毛布=赤げっと芝居から離陸しきれなかったように)曖昧にリアリティの破れ目が剥き出しになるようなところがあるが、その未完成さをまんま映画にしたような作り。




「ジェントルメン」

2021年05月23日 | 映画
「仁義なき戦い」的な複雑な人物図の中の勢力争い、広い意味の跡目争いの中で細かいツイストに腹の探り合いとどう転ぶかわからないように運んでおいて、全体としてみるとすっきりした結末に着地する。
いともお洒落で金がかかった身なりをしていて、やっていることが酷いというイギリス的なひねりとブラックユーモア。

ほとんど男ばかりのキャストの中でミシェール⋅「ダウントン⋅アビー」⋅ドッカリーの厚みのある美女ぶりが目立つ。

元はハーヴェイ⋅ワインスティーンの会社だったミラマックス(ハーヴェイの両親の名前がミランダとマックスなところからつけられた社名)に持ち込まれたシナリオとその内容が画になるメタ構造にもなっているが、芸術映画的なものものしさとは無縁で、ガイ⋅リッチーらしい細かく複雑にカットを割って再構成するフラッシュ的なアトラクション演出のうちと考えていいだろう。





「ステップ」

2021年05月22日 | 映画
何度も鉄道のレールの上を通っている橋を父娘が並んで渡っていく姿が写る。
歳月を刻む図とも、落ちたら危険なのを乗り越えてきた図とも取れる。
母親が死んでいても、「いない」わけではない、という理屈は説得力がある。

家族は大事だが、大事な家族の「かたち」を守るのが優先ではなく、かたちを変えながらステップを踏んで歳月を歩んでいく話。
しみじみしているけれど、家族(特に核家族)至上主義ではないということだろう。

娘が小学校高学年になって自我が芽生えると自然に父親と距離か齟齬が生まれてくる感じがうまく出た。
保育所や会社は割と理解がある方だが、それで解決するわけではないのを押さえている。
山田孝之のお父さんぶりが普通な分、独特な緊張感が出た。






「台北ストーリー」

2021年05月21日 | 映画
侯孝賢が製作脚本に加えて主演もしている、というか最初のうちよく似た人が出てるなあと思ったら当人だった。
楊徳昌(エドワード⋅ヤン)監督の1985年の第二作。

富士フイルムのネオンの看板や.日本のプロ野球やナスターシャ⋅キンスキーが出ていた日本のCMなど日本のアイテムや、アメリカ映画「フットルース」のサントラなどすでに台北にグローバリゼーションが入ってきている。

静かなようで、ところどころ唐突に暴力が噴出するのが候監督作と共通するところ。
野球が台湾でどのような社会的位置にあるのか、気になった。




「TIME タイム」

2021年05月20日 | 映画
時は金なりではないが、寿命もカネで買える近未来世界を描いたアンドリュー・ニコル監督脚本作。
寓意がわかりやすくて、というかわかりやすすぎるくらいで、アクションシーンや追っかけといった娯楽要素と混ざっている。

アマンダ・セイフライドが上流階級出身なのだけれど、下層階級のと一緒に逃げ回っているうちに強盗仲間になるちょっとパトリシア・ハーストがかった役。

未来のヴィジュアル、特に男性用のが格好いいのも、「ガタカ」以来の美男美女好みも一貫している。





 

「トレマーズ ブラッドライン」

2021年05月19日 | 映画
「エイリアン」は最初の一作で成長につれて変態する三種類の姿を設定したわけだが、このシリーズは三作かけて三通りの姿を設定し、さらにそれを前提にして10年ぶりに新シリーズを始めた格好。
一作目ではケッサクな脇役として登場したマイケル⋅グロス扮するバート⋅ガンマーが新シリーズでは完全に主役に座った。

この五作目では舞台をアフリカに設定し、脇にアフリカ系俳優を配するという形でアップデートしている。
「ジュラシック·パーク」「エイリアン2」の要素も抜かりなく取り込み、長期シリーズ化に備えたみたい。ただその分、一作目から四作目まで安い作りのようで全部新しく工夫をこらして面白かったのとは面白さの質がやや変わった。

一作目が実に四半世紀前の製作(ケヴィン⋅ベーコンがまだ若手を抜き出てきた頃)で、特殊効果もずいぶん発達したろうに、粘液が飛び散る感じとかアナログ的な重量感はそれほど強いて変えていない。

ガンマーの銃マニアの設定は変えるわけもないが、銃器の性能を時代のままにアップするのには慎重で、手にするのはライフルにとどめている。


「影の私刑(リンチ)」

2021年05月18日 | 映画

エリート士官学校に巣食うリンチ集団“テン”がアフリカ系初の新入生を追い出すべくリンチするのを、赴任してきた上級生デヴィッド⋅キースが阻止するというストーリー。

1983年製作とあって、主人公がリンチの対象である新入生ではなく、取ってつけたように設定した白人ヒーローでなければいけなかったであろうことが、今見ると何かと建て付けが良くない。

士官学校のリンチ、いじめ、日本の帝国陸軍でいう内務班的暴力の陰険さは「フルメタル⋅ジャケット」を先取りした感じだが、それ以前にまず実在したものなのだろう。

いじめの内容、手口は「フルメタル」と共通するが、描写タッチは普通で(監督は「さらば青春の光」のフランク⋅ロッダム)、キューブリックみたいに渇ききっていない分、見ていて生理的に不快。

テンのトップをやっているのが、マイケル⋅ビーン。
デヴィッド⋅キースはこのちょっと前の「愛と青春の旅立ち」でリチャード·ギアの自殺する友人をやっていた人。
角ばった顔に制服が似合う堂々たる体躯が軍人役に合う。

テンというのは、たとえばブッシュ大統領父子も属していたイェール大学のスカル·アンド·ボーンズのような秘密結社的な匂いがする。

マスコミに流すぞという脅しか成立した時代の話、という印象は強い。




「屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ」

2021年05月17日 | 映画
シリアルキラーというのは逆説的にロマンチックなイメージを付与されることがあって、つまり常識を越えた非日常的な行動に踏みきれた人間という見方がされたりもするのだが、まあこの実在の殺人鬼フリッツ⋅フォンカは冒頭こそ殺人と死体切断という定番のシーンから始まりながら、切断した死体を遺棄するのが途中でやめてしまい、ゴミを出すのが面倒になったとでもいった調子で残りを屋根裏部屋の隅に押し込めてしまう。

それから彼がすることと来たら、酒場で酔っ払ってくだを巻き、女たちに絡んでセクハラを通り越した嫌がらせそのものの暴言を吐きまくる。ミソジニー(女性嫌悪)丸出しだが、そのくせ、やりたがるだけはやりたがる。
やりたがるくせに、いざとなると役に立たないというテイタラク。

ただし女性たちも似たりよったりのルンペン揃い。
醜く不潔で逆説的にでも ロマンチックなところがまるでない。裸になってもおよそエロチックですらない。
何人も人を殺しておいて、このぐだぐだした世界から逸脱することはない。
シリアルキラーもので、逆にこういうアプローチも珍しい。

主演のヨナス・ダスラーの素顔を見ると若くて美男子なのにびっくり。すごいメイクだし、遠慮のない演技。




 

「モーガン夫人の秘密」

2021年05月16日 | 映画
第二次大戦終了後のドイツに赴任したイギリス軍将校の夫人キーラ・ナイトレイと、滞在している屋敷の本来の住人のドイツ人との不倫の話。

シチュエーションとしては戦後のアメリカに占領されていた日本に近いはずなのだが、西洋人同士となると勝者敗者の違いはあれ、反転・交換可能な範囲。
食料をよこさない占領軍にデモを仕掛けるなんて日本でありえただろうか。

ナイトレイの役の納め方は往年の「逢引き」ばりに古典的。不倫描写は今の映画だからあからさまになっているが、古典的な美貌はこういうセミクラシックな舞台に似合う。