prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ワールド・トレード・センター」

2006年10月31日 | 映画
仮にこれを9.11のことを全然知らない人(十分ありうることだ)が見たら、どういう風に見えるだろう。
地味なタッチのデザスター・フィルムにしか見えないのではないか。

テロそのものの持つ意味に関しては、表面的にすら触れていない。どう扱っていいかわからないので避けたとも見えるし、アメリカ人にとってはわかりきったこととして済ませている感じでもある。

日本人であるこちらの意識は9.11以降大きく変わったとは思うが、しかし全世界的・歴史的な観点からしたら、歴史の転回点みたいに特別視するのには疑問がある。
「9.11は確かに悲惨な出来事でしたが、しかしアフリカではあそこで亡くなった以上の数の子供が、毎日エイズで死んでいるのですよ」とは、元国連高等弁務官・緒方貞子氏の言葉だ。

9.11が特別に見えるのは、それがテレビに映ったからだ、と言ったら言いすぎだろうか。

ここで省略されている部分を、所与のものとして受け取ることはできない。
「見えない人間」、無視されている人間(テロリストを生み出した土壌はそれが確実にある)の方こそ見たい。
(☆☆☆)


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「DEATH NOTE デスノート 前編」

2006年10月30日 | 映画
原作マンガもアニメ版もまったく知らないのだが、初め名前を書けば死ぬというだけだった「デス・ノート」の設定が進化していく過程がゲームみたいで、面白いというよりとにかく引っ張る。

荒唐無稽もいいところの話なのだが、金子修介はもともとマンガチックなタッチのロマンポルノで売り出した監督で、いかにもマンガ的なデュークのキャラを3DCG化したのと実写の人間とを共演させて、リアリティがないと言いたくなるのを先回りして塞いでいる。
予告編で見るとなんじゃいあれはと思うが、流れで見るとあまりおかしくない。
CGキャラと実写で光の当たり方がつながっている。実体があるキャラではないので、本当は映画のウソなのだが。

名のある役者が割りとあっさり死ぬのが予定調和を破っている。
ムリに短くまとめるより長くして前後編にしたのはコンセプト勝ち。

後編の公開に合わせるとはいえ、まさか劇場公開四ヶ月でテレビ放映するとは思わなかった。
オンタイムではなく録画してCMを全部飛ばし、ところどころ早送りして見る。

劇場では見逃したもので後編はパスするとつもりだったけれど、多分見に行く。作り手に乗せられてる感じだが。


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「カポーティ」

2006年10月29日 | 映画
初めてクリフトン・コリンズjr演じるペリー・スミスがカポーティの訪問を受ける場面、女囚用の監獄に閉じ込められていて、く、く、と首を伸ばして姿が見えない鳥の姿を眺めている。
「サイコ」のアンソニー・パーキンスが扮するノーマン・ベイツが探偵の尋問を受けるシーンのようだ、と思うと後の法廷場面で、スミスは多分その時記憶した鳥のスケッチを描いている。(ベイツは母親を鳥のように剥製にしていた)

スミスもカポーティも母親あるいは母親的なものとの関係が歪んでいるが、ここでも「サイコ」(これも元は実話ネタ)のように鳥は母親的なものとの関連が深いみたい。

カポーティの取材は、今のニュー・ジャーナリズム式にとにかく大量の人と会ってデータをかき集めるというのとはまったく違う。
実際にまず人に会って取材するのはリーの方で、カポーティは母親の後ろに隠れる小さな子供のように控えてじっと話を聞いて覚える。
それから後から出て行ってから、表面的なジョークを言って受けを取って「人気者」になる、というのが彼の生き方だったよう。

カポーティの仲間(護衛係などと呼ばれたりする)の女性作家ハーバー・リーが書いて映画化される「アラバマ物語」の原題はTo Kill A Mockinbird、「ものまねを殺すには」だ。

それが自分が共鳴できてしかも生殺与奪権を持つことになるスミスとの関係では、最終的に相手と、というより自分のエゴと直面しなくてはいけなくなる。
それが結局カポーティ自身も作家としての自分を殺したのだろう。ウィスキーをベビーフードに混ぜて食べるというのは異様。

これでオスカーを得たフィリップ・シーモア・ホフマンは、妙にソフトでぬるっとした喋り方やしなを作るような歩き方、女教師のようにメガネをしきりと直す癖、そしておしゃれ自慢など至る所に女性的な記号をふりまく。

余談だが、カポーティと組む編集者のウィリアム・ショーン(ボブ・バラバン)の名前を聞いてウディ・アレン作に顔を出したりするウォーレス・ショーンと似ているなと思って調べてみると、果たせるかな親子。ニューヨークのスノッブの世界も狭いみたい。
ウィリアムはエレベータに乗るのも怖がる閉所恐怖症だったらしい。カポーテイとお似合いという感じ。
(☆☆☆★★★)


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「無人の野」

2006年10月28日 | 映画
ベトナム側からベトナム戦争を描いた、日本で公開されたものとしてはおそらく唯一の映画。

夫婦と赤ちゃん一人のベトナム人家族が、一面の水びたしの草原で生活しながらしょっちゅう飛来する米軍のヘリコプターの追跡と盲撃ちと無差別爆撃を撒き続ける姿を追う。

直接銃をとってドンパチしたり、米兵をひっかけるブービートラップを作ったりといった手はほとんど使わず、とにかくしぶとく赤ちゃんをビニール袋でくるんで水に潜り、藁をかぶって姿をくらまし、道にシートを敷いて足跡を消し、といった忍者みたいな調子で生活を続けること自体が、空振りを繰り返す米軍を一番疲弊させた、とありありと理解させる。

白黒画面によるリアリズムと詩情の共存が魅力的。
ホー・チ・ミンの教えを集団で復唱する場面などもあるが、イデオロギー色は表面的にはほとんど感じない。強いて言うなら本職の兵士が煮炊きをするのに煙をたてたのを敵に見つかると主人公に怒られ、割とすぐ反省するあたりは、それほど民族戦線の上層部って<民主的>だったのかいと思わせる。。
アクション・シーンのカットバックで、別撮りしたカットをつなげているのが丸わかりなのはご愛嬌。

一方で、米兵を演じているのがあからさまにベトナム人で、ベトナム語を喋っているのだからびっくりしてしまう。「ブラック・マジック・ウーマン」が流れる中、アメリカ風の格好をしたベトナム人がたむろしているパーティの場面など、画面だけ見ているとアメリカかぶれのベトナム版アプレゲールの宴としか見えない。

まあ、アメリカ映画は平気で有色人種は国籍無視でキャスティングして、どこの国の人間にも英語を話させてますからね。それをそっくりひっくり返して見るといかに本当は不自然かを教えている。
(☆☆☆★★)


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「サンキュー・スモーキング」

2006年10月27日 | 映画
劇中に写ったテレビにジョン・ウェインが出ている戦争映画をやっているので、「硫黄島の砂」ではないかと思ったらエンド・タイトルでやはりそうであることが確認できる。やはり重要な小道具として出てくるチーズバーガーの上に星条旗が立っているのも硫黄島のイメージだろう。
するとタバコ会社のボスがベトナム戦争帰り、大ボスが朝鮮戦争帰りと、揃って戦争がらみであることに気づく。言葉も軍隊調で荒っぽい。

近くイーストウッドの硫黄島二部作が公開されるので妙なタイミングだなと思う。
主人公の役職は「広報部長」と訳されていたが、vice presidentと言っていたと思う。あまり日本でいう副社長という重みがある感じではないが、裏返すとそれだけ広報が重要ということか。
硫黄島の英雄を仕立てて国債を買わせまくったのは、広報の最たるものだったわけだし。

成人と未成年の違いは、法的な位置づけとしては判断力があるなし、その裏返しの責任のあるなしによるわけだが、この映画のタバコの害や“社会正義”の描き方のひねり(それが大いに笑えるのだが)に気づかず、主人公側をヒーローとして見てしまう恐れ、というのはある。
主人公の息子がもし父親のやり方を踏襲して大きくなったら、オウムの上祐史裕みたいになるだろう。
これといった暴力や性描写がなくてもR指定になったのはそのせいか。

仕事は何のためにする、という問いが何度か繰り返されて、字幕だと「ローン」だが、more richと言っていたみたい。ちょっとニュアンスが違う。
(☆☆☆★★)


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「ダブルマックス」

2006年10月25日 | 映画
タイ製のアクション・コメディ。

ペットターイ・ウォンカムラオというぽっちゃり体型のおっさんが監督・主演して、ボディガードのリーダーを演じるのだが、冒頭のジョン・ウーばりの二挺拳銃を駆使するアクション・シーンは割とハードなのに、その後驚くほど泥臭いコメディタッチが木に竹を接いだよう。

酔っ払いが丸裸で街を走ってきた主役に絡んで裸のお尻に向って話しかけ、答えがないと(当たり前だ)怒ってなぜか持っていた水鉄砲でお尻に水をかけるという調子なのだから。

変な面白さがあるともいえるけれど、ちょっとついてけない。
(☆☆★★★)

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「レディ・イン・ザ・ウォーター」

2006年10月21日 | 映画
途中で出た。
シャマランから思わせぶりとハッタリを抜いたら、何も残りませんでしたという話。どんな結末がつくのか知らないが、半分見て話の腰が決まらないのに、後半突然傑作に変貌するなんて、ありえないと判断してのこと。
千人も入ろうかという場内で、客は十人足らず。


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「もしも昨日が選べたら」

2006年10月19日 | 映画
Quicktimeのアメリカ版予告編で見て、昔の「フラバー」とか「春の珍事」といった珍発明コメディみたいなのかと思ったら、だいぶ違ってました。

「万能リモコン」と訳していた原語はuniversal controllerで、文字通り自分以外の世界の時間の進行を止めたり早送りできたりするというもの。そんなものを渡すクリストファー・ウォーケンは神なのかなと思うと自分で天使だと名乗る。

仕事に追われて成功するまではと家族に我慢を強いていたアダム・サンドラーが、邪魔になる時間をスキップしていくうちに自動学習性能があるコントローラーが勝手に動いて、という展開は、便利になればなるほど仕事が忙しくなる皮肉な現状をうまく形にしているが、一方でたとえば家族で楽しく過ごした時間をまた何度も楽しみたくて繰り替えているうちに飽きてしまう、といった展開もありえたのではないか、とないものねだりをしたくなる。
家族が大事、というハリウッド的常識にまとまりすぎているのがちょっと物足りない。

下ネタがずいぶん多い。
リック・ベイカーによる老けメイクや大肥満体(CGも入っているのだろうが)などの効果は見事なものだけれど、特殊メイクは最近売り物にならないね。
ケイト・ベッキンセールだけ老けても体型が変わらない。
(☆☆☆)


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「ガリバーの大冒険」

2006年10月17日 | 映画
レイ・ハリーハウゼンが特殊効果を担当しているが、得意のダイナメーションが見られるのはワニとの戦いなどちょっぴりで、光学合成による小人や巨人の表現が主。デジタル技術の発達で合成がずいぶん簡単になった現在では素朴ですらある。
もっとも、その画面構成のレイアウトは見事なもの。

ガリバーを医者にして割と常識的なヒューマニズムでまとめている。


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Imdb ガリバーの大冒険

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