prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「私は、マリア・カラス」

2020年03月31日 | 映画
全編にわたって本物のマリア・カラスの映像を使っているのが絶大な魅力。

しかし、なんでもマリア・カラスの3Dホログラフに生前の歌声をかぶせ、伴奏はオーケストラの生演奏というイベントをやるとのこと(コロナ禍次第だが)。
AI美空ひばりに準ずる試みだが、見てみたいと思うと共に気色悪いとも思う。
普通のフィルムやビデオによる記録までが感覚的に許容できる限度か。

セレブの生活を密着して見られるのも興味。しかしああ隙なくセレブらしく振る舞わなくてはいけないとなると大変だなと思う。




「パラサイト 半地下の家族」(二度目)

2020年03月30日 | 映画
二度見て気づいたこと。

〇 家政婦が大食いというセリフの伏線。

〇 家政婦が戻ってきた時に監視カメラのケーブルを切っておいたというセリフがクライマックスで効いている。

〇 金持ち一家の男の子が描いた絵を見て、美術学生になりすました貧乏娘がネット情報から半ばでまかせで画の右下あたりをスキゾ(統合失調症)領域だとか言うのだが、絵の感じからも男の子の振る舞いからも意外と当たっている感じ。

〇 男の子は特に前半ほとんど口をきかない。話すのは母親よりもっぱら父親というのは珍しい。アメリカインディアン(あえてこう書く)の真似をしたり、かなりの変わり者。一種、ボーダー上にいる感あり。

〇 カブスカウト(ボーイスカウトの日本では小学3年から5年にあたる、韓国ではどうなのか)に参加している設定だからアウトドア活動はしているわけだが、韓国ではボーイスカウトは日本を介して伝わった、金持ちのエリートのものらしい。モールス信号はスカウトで覚えたわけだが、それを知っている貧乏一家の父子は一時期羽振りが良かったわけだろう。

〇 スカウトは被差別民であるインディアン発祥らしいが、スカウトを介してエリート階層のものになったねじれ。





「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」

2020年03月29日 | 映画
女たちが男たちをバタバタなぎ倒すアクションもの、というのは物理的にムリになりがちなのを、容赦ない金的攻撃や武器の使用、振付の巧さなどでかなり説得力のある画にしてみせた。、フェミニズムが入っているのか、女の「強さ」を見世物的に扱うのとはやや違っている。
CG使えばいくらも荒唐無稽な誇張にもっていけただろうに、それは避けた感じ。
エンドタイトルで100人以上のスタントの名前がずらりと並ぶのは久しぶり。

ユアン・マクレガーの悪役ぶりが堂に入っている。
メアリー・エリザベス・ウィンステッドが相変わらず背が高くて恰好いい。背の小さいロージー・ペレスとのコントラストが面白い。




3月28日のつぶやき

2020年03月29日 | Weblog


「レ・ミゼラブル」

2020年03月28日 | 映画
軸になっているのが、新人の白人とベテランの白人と黒人の三人組の警官という設定が巧い。
通常のアメリカ映画などで見慣れているチームは白人+黒人パターンが多いが、これにあまり色のついていない白人の新人が加わり、殺伐とした地域に相対するのに差別する側とされる側からと、さらにもうひとつ引いた視点から見ることになる。
この三人の役と役者のアンサンブルが見事。

ドローンによる盗撮が重要な役割を果たし、しかもそれを操るのが少年(こういうとなんだが、黒人でもオタク風の子供はいるのだな)というのがいかにも今の映画。

暴動に至るプロセスの偶然と必然との混ざり具合が説得力がある。
負傷した少年の顔がだんだん腫れ上がっていくところに内側で膨れ上がっていく怒りが目に見えるよう。

舞台になる公営住宅はスラムというわけではなく、それなりに小綺麗で大がかりな建物なのだが、なんともいえず荒廃した感じに覆われている。

狭い地域にさまざまな人種・文化がひしめきあってしかも水と油のように分離している緊張感。

ラストの宙吊り感にユーゴーの引用字幕がぴしっと決まる。





「大反撃」

2020年03月27日 | 映画
原題はCatsle Keep 城の要塞。
伯爵が住む格式高いお城を第二次大戦中ダンケルク後あたり米軍の小隊が占拠する。

伯爵は不能で若く美しい妻がバート・ランカスターの隊長と関係するのを黙認し、跡継ぎの子供が出来るのを期待しその通りになる。
隊には若い作家志望の兵隊もいて、彼が構想している小説のタイトル自体がCastle Keepとメタ的な作りになっている。

伯爵が受け継いで来た、理性主義やキリスト教文化といった西洋世界が、連合国側も独軍側もなく、両者手をとりあった戦争そのものによって破壊されていく。
撮影アンリ・ドカエ(ドカが正しい?)によるヨーロッパの城の内部の調度と庭園の美しさの魅力が大きい。

ブルース・ダーン演じる狂信的な兵士の前に、ランカスターが聖書の青ざめた馬そのままの白馬に跨がって歩く、つまりランカスターは死神のメタファーとなる。
ピーター・フォークの元パン屋が城で戦争そっちのけでパンを焼き続けるのが、小麦粉で顔が白塗りの仮面のようになっているのが寓話的。

終盤の独軍の戦車が大暴れする戦闘で教会も美しい庭も城も破壊されていくのが、セットとは思えないくらい見事な出来だっただけになんともパセティックな世界の崩壊感を出す。

小説家志望の若い兵が伯爵の妊娠した若い妻の手を引いて脱出するのが、城に象徴される古い世界の崩壊の物語を受け継ぐと共に新しい物語を作っていくのを示すしっかりした世界観を持った、シドニー・ポラック監督の異色戦争映画。




「星屑の町」

2020年03月26日 | 映画
丸の内TOEIで爺さまの客が窓口の女性係員につまらない無駄口を叩いて一向にチケットを買わない。
どの席にするのかそちらで決めてくれとか、こんなジジイで迷惑だろうとか、係員をからかっているのか絡んでいるのか、後ろに人がいるのに長々とおしゃべりして遊んでいる。歳いくつか知らないが、会社に勤めている時どんな過ごし方したのか疑いたくなる非常識ぶり。
爺さまたちのシンガーグループにのんさん演じる若い女性歌手が入ってくるという内容の映画を見る前段階としては、最悪。

のんさんの歌やあまちゃんを当然彷彿とさせるおっとりした雰囲気は魅力的。あまちゃん関係の組織が応援しているらしいのがエンドタイトルに出る。
ともにプロの歌手として売れないまま中途半端にだらだら過ごしてきた男たちをドラマだから肯定的に描いているけれど、古めかしさに魅力を覚えるかどうかというと、微妙。

元はお芝居なのを映画にする際の撮り方.カメラワークがあまりにふわふわ不安定で落ち着かない。




3月25日のつぶやき

2020年03月26日 | Weblog


「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」

2020年03月25日 | 映画

テレビスターと11歳の少年の「文通」というのを、2006年というスマートフォンは出てなくても携帯電話は登場してメールが使われるようになった時期に設定したのが巧妙なところ。

直接会ったことはないというチャイコフスキーに対するフォン・メック夫人ばりの異様なプラトニック?ぶりがかえって危ない感じがする。

ナタリー・ポートマンが母親役で男が絡まないというのも珍しいのではないか。
息子に手を焼いている感じがドノヴァンの母親スーザン・サランドンと共通する。

文通した子供が成長して女性ジャーナリストのインタビューを受けて話す内容が主な本筋になるわけで、「市民ケーン」みたいな構成になるのかと思うと、彼が知らないドノヴァンの親や男娼との関係などは特に誰かの視点を経ないでくっつけられてしまい、なんだか座りが良くない。

オープニングのアウトフォーカスの思いきった使い方に引き付けられ、その後のインタビューシーンなども背景のボケ味の生かし方が印象的。

エンドタイトルを見ていると大作映画というわけでもないのに部分的に65mmフィルムを使っているのに気付く。





ショートショート・シナリオ

2020年03月25日 | ホラーシナリオ
「なんで人を殺しちゃいけないの?」

子供「なんで人を殺しちゃいけないの?」
大人「じゃあ、おまえ殺されていいのかい」
子供「いいよ」
大人、子供の首を絞める。
子供、大人の腕をタップしてギブアップ。
T「今のは、結末1」
子供、絞め殺される。
T「今のは、結末2」
ギブアップしてぜいぜい息をついていた子供、反撃して首を絞め返す。


「写す」

電器量販屋の店先に来た男。
突然、商品のテレビ画面にその姿が写る。
ぎょっとしたようにのけぞる男。
見回すと、全てのテレビに姿が写っている。
落ち着かなくなり、足早に逃げだすが、どこに行っても写っている。
ふっと、その姿がテレビから消える。
と、同時に男も消える。


「釣り」

プールに釣り糸を垂らしている女がいる。
まわりはがらんとして、誰もいない。
離れた所で、不思議そうにそれを見ている男。
近寄ってくる。
男「釣れますか?」
女「釣れますよ」
釣り糸に当りがくる。
女、釣り上げる。
と、釣り糸の先に、男がかかっている。

「ハルマゲドン」

「善」と書かれた紙。
「悪」と書かれた紙。
2枚がくんずほぐれつ交錯する。
銃撃、爆撃の音、怒号。
ぐしゃ、と泥靴が2枚を一度に踏みつぶす。
地面でひしゃげた紙から去って行く足。
その向こうに、街が広がっている。


「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」

2020年03月24日 | 映画
前作はスマホから情報漏れがあったらどんなことが起きるかという日常的な設定から話をつなげていくのかと思ったら、途中から過去のやたら複雑な経緯とかトラウマとかが絡んで、いささか話を作り過ぎではないかと索然となった。
その続編とあってやや恐る恐る気味で見たのだが、初めから作った話であることがはっきりしているので割りと調子を崩さないで見られた。

副題になっている囚われの殺人鬼の描き方が安くしたハンニバル・レクター博士そのまんまで、警察内のセキュリティの甘さは冗談みたい。
それにしても役者さんたちも背景の美術や風景もやたらつるつるピカピカとしていて影も重さもないのは日本映画の常とはいえ、薄いし軽い。

主人公ふたりが連れだって遠ざかっていく普通のラストの後に、ふたりの出会いのシーンの回想がくっつくというおそろしく座りの悪い構成。

今どき貞操の危機が山場に来るとは思わなかった。




2020/03/23のつぶやき

2020年03月24日 | Weblog


「ジュディ 虹の彼方に」

2020年03月23日 | 映画
ジュディ・ガーランドについていうと、「スタア誕生」における歌と演技が復元版を劇場で見たこともあって印象強い。
その役でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、サミー・デイヴィスJrの自伝「ハリウッドをカバンに詰めて」によると、同賞のプレゼンターを務めたサミーは絶対にジュディが受賞すると思って封筒を開けて「喝采」のグレース・ケリーの名を見て絶句してしまった、あそこで受賞していればああゆう死に方はなかったのではないかとある。

歌にしても目の使い方にしても全身をまるごと投げ出すような、いわゆる演技を越えた鬼気迫るものがあってそれは他人は真似できないだろう。

中途半端に強いて似せないで演技臭くやったのがレニー・ゼルヴィガーのオスカーでの勝因ということになるか。今あまり言わないが臭い名演のことをアカデミー賞的演技という言い方もあったし。

子供のことには触れているが、娘のライザ・ミネリに関してはノータッチといった感じ。母親同様にアルコールや男性問題を抱えているからか。





3月22日のつぶやき

2020年03月23日 | Weblog



「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」

2020年03月22日 | 映画
一時間を超す長い長いカットがひとつの売りになっていて、超長回しもデジタル時代では長く回すだけならそれほど難しいことではなくなっているとはいえ、その中で脚本演出と結びつき夢の感覚そのままに時間が前後したり、ワンカットのまま空を飛んだりと大胆な演出技法と結び付いているのが秀逸。
全体とすると技法の新しさの割に内容は過去を向いている感。