prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2月27日(水)のつぶやき

2019年02月28日 | Weblog

2月26日(火)のつぶやき

2019年02月27日 | Weblog

2月25日(月)のつぶやき その2

2019年02月26日 | Weblog

2月25日(月)のつぶやき その1

2019年02月26日 | Weblog

2月24日(日)のつぶやき その1

2019年02月25日 | Weblog

「バーニング 劇場版」

2019年02月24日 | 映画
さまざまなモノが存在しているのかしていないのかわからない。
猫、井戸、燃やされるビニールハウス、主人公が書いているという小説、など。そしてヒロインのヘミまでがどこかに行ってしまう。

アントニオーニの作品、特に副主人公の女が途中で失踪して以後出てこない「情事」を思わせ、車での追跡シーンはヒロインが虚実定かならぬヒッチコックの「めまい」の追跡みたいでもあった。

何をやっているのかわからないがやたらと金のかかった生活をして女性をとっかえひっかえしている男ベン(“ギャツビー”と揶揄される)と主人公ジョンスとの経済格差というのがくっきり出ている。ああいう生活スタイルの描写は村上春樹の、特に初期作品で見られたわけで、パスタをゆでて食べるというあたり、妙にハルキらしい。
ラストは金持ちへの妬み嫉みの噴出でもあるのかもしれないが、はっきりさせてはいない。

ヘムの部屋があまり若い女の子っぽくない。それとも韓国ではあんな具合なのだろうか。
再会して早い段階でジョンスがヘムとセックスしていまい、ジョンスがあとで思い出してはマスターベーションするのが何度か繰り返され、いなくなったヘムへの執着がかなり生な感じになった。

ヘムが住んでいる高級そうでない住宅地のやたらと道が入り組んで高低差の大きい地形と、ジョンスの実家のがらんとしてだだっ広い地形の対比。
見通しの悪い道路が追跡シーンで追う車が見えたり見えなかったりするサスペンスに生かされている。

NHKで先行放映された1時間半版は見ないでいたのだが、画面がスコープサイズなのにちょっと驚いた。
テレビ版ではラスト一時間くらいがついていないわけだが、劇場版のラストがきちんとした締めくくりかというとやや疑問。途中からこれで見事に飛躍した着地をしたらすごいと思ったが、あまり釈然としない。

「バーニング 劇場版」 - 公式ホームページ

「バーニング 劇場版」 - 映画.com

2月23日(土)のつぶやき

2019年02月24日 | Weblog

「ファースト・マン」

2019年02月23日 | 映画
はやぶさ2がリュウグウに着陸というニュースの直後に行ったせいかどうか、バカに混んでいた。

すごく緻密で大がかりな再現フィルムという感じ。
月着陸当時の文献などを見てみると、着陸した宇宙飛行士は本当に「英雄」といえるような存在なのか、到着するまでの技術の大半はそれをバックアップする機構に帰するので、月に行ったといっても宇宙に行ったサルと大して変わらないのではないかといった皮肉な意見や、地上に貧困やベトナム戦争などいくらも解決しなくてはいけない問題を抱えているのにそんなべらぼうな金をかける意義がどこにあるのか、結局国同士のメンツ比べではないかといった批判は結構あって、それをこの映画でも取り込んではいる。

ただ、結局月着陸をクライマックスに置いている以上、なんとなくやり遂げた感、カタルシスはあるけれど、批判的な視点は奥さんが心配するといったのと同列の、あまり突き詰めようのない問題となんとなくごっちゃになってうやむやになっている。

はっきり批判的、皮肉な視点を打ち出し、宇宙飛行士たち自身がかなりはみ出し者的だった初期のマーキュリー計画を扱った「ライトスタッフ」の方が作品としての輪郭がはっきりしていたと思う。
あえて視野を狭く区切っている映画だけに視界がちょっと広がると気になるのだね。

ただ技術的な達成は凄くて、視点の範囲をマクロに限定して体感に迫るという点では成功している。部分的に16mmフィルムを使ったというざらっとした手触りの画調や、無音を含めて音響効果といった技術が人間の感覚に迫っているというより、むしろ肉体外のテクノロジーの性質に人間の感覚が既定されているのではないかと思った。

「ファースト・マン」 - 公式ホームページ

「ファースト・マン」 - 映画.com

2月22日(金)のつぶやき

2019年02月23日 | Weblog

「ベイビー・ドライバー」

2019年02月22日 | 映画
「ザ・コンサルタント」ほどはっきり発達障害と言明しているわけではないが、この主人公も異常なドライビングテクニックとコミュニケーション能力の欠落という点で発達障害がかっている。
というか発達に偏りがある人間が実はさほど珍しくなという常識が広まってきたことが映画の性格=キャラクター描写に幅と許容度を広めたということか。

犯罪ものにありがちな極端に自己流を貫くキャラクターというのを、漢の美学というより稚さと結びつけたのが新鮮。

音楽と映像との一体化のこだわりぶり自体がまた主人公のキャラクターを表現している。

「ベイビー・ドライバー」 - 公式ホームページ

「ベイビー・ドライバー」 - 映画.com

ベイビー・ドライバー (字幕版)
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2月21日(木)のつぶやき

2019年02月22日 | Weblog