prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「エリザベスタウン」

2005年11月30日 | 映画
素朴な疑問なのですが、スーザン・サランドンの母親はなんで夫と別れて暮していたのでしょう。どこに住んでいて、子供たちとどの程度接触しているのか。そういった基本的な設定がされているとは思えないので、夫の葬儀(半分お祭り)で結婚するまでの二人のつきあいに関する長台詞と踊りがなんだか浮いて見えた。書き込まない理由ってないと思うのだが。

オープニングのやたら会社内の長い廊下をカートで走っていくと左右対称に秘書や絵画が配置されているあたり、キューブリック作品、特に「シャイニング」を思わせる。
ここでノーマン・ロックウェルの絵が出てくるが、彼が描いたようなスモール・タウンの連中がちょっとオフビート気味に騒々しくアレンジされてぞろぞろ出てくる。

葬儀のバンド演奏でなぜかいきなり鳥の模型が燃え出して火災報知器が作動して会場が水びたしになったり、火葬に切り替えたはずがなぜか土葬式の葬儀をやっていて、しかも棺がうまく下りずにがたんがたん落ちそうになったり、オフビートを狙っているらしいと思う一方、単にリアリティがないだけかと首をひねりたくなるシーンがかなりある。
予告編で予想していたようなロードムービー風の感動ドラマとはずいぶん違う。

音楽の選曲のセンスはいい。ラストの巡礼風のシーンも、なんであんなことしなくてはならんのだ、すでに死ぬ気はなくなっているとしか見えないのに、とひっかかるが独立した音楽クリップとしてはアメリカ文化論風に出来ている。

最初の方では「失敗」に対する「大失敗」をfailとfiascoに使い分けていたが、ラスト近くキルスティン・ダンストはたしかbig failと言ってた。訳すと同じ「大失敗」にしかならないのを、「大」に濁点をつけてた。うーむ、苦しい。
(☆☆☆)



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「さゆり」を見る前の余計な知識

2005年11月27日 | 映画
「さゆり」の予告編を見て、日本の芸者を中国人のチャン・ツィイーが演じるって大丈夫か、それも英語版で、と思っていたのだが、中国本国では「彼女が中国人の尊厳を損ない、国家の威厳を失わせている」呼ばわりされているらしい。
章子怡(チャン・ツィイー)をめぐる、日中の「上下関係」論争

--引用始め--
この女性の映画は全くいいと思わない。彼女の映画は張藝謀が監督していたが、どの映画でも、この女性の演技は平凡だと思うし、張藝謀の下を離れて私は見なくなった。
 しかし最近、彼女が『Sayuri:Memoirs of a Geisha』という映画を撮影したらしい。はじめはあるブログを読んでいて多くの人が憤然としており、みんな彼女の言動に心を痛めている。原因は彼女が中国人の尊厳を損ない、国家の威厳を失わせているからだ。
 私はあまり信用していないが、恐らく言い間違えたのだろう。百度(掲示板やウェブサイトのポータルサイト)で検索してみて、すぐにブログが嘘を言っていないと分かった。検索したサイトで映画のスチール写真を多く見つけたものの、一糸まどわぬ姿で横たわる日本人の格好で、日本人に踏みにじられている彼女のものばかりだった。
 報道によれば、一番良いシーンは日本で撮影されたらしい。撮影が終了し、みんな声を上げて泣いていたという。何を泣くのか?自身のいわゆる芸術にか、祖国の尊厳を捨てた事をか?自身の演技がまだ真に迫っていないからか?スチール写真を見よう。あれが迫真の演技でなければ、何をそう呼ぶのか?
 日本人の中国における集団売春を言うならば、我々はあれら中国の売春婦達が金が無くてやむを得ずやった事だと言う。では彼女は?彼女は芸術を強いられたのか?いわゆる芸術のために、日本人の格好をして中国人を踏みにじり、しかも日本で公開され、全ての日本人に思う存分見せているのだ。
 彼女は一人の日本人ではなく、全ての日本人に蹂躙されたのだ。彼女一人ではなく、全ての中国人が日本人に蹂躙されたのだ。中国人に恥辱を与えておいて、この女性はまだ中国人といえるのか。
 この女性は、もう私は中国人ではない。日本の国籍を取得する事も考えていると宣言した方がいいと思う。さもなければ、祖国人民に謝罪し、演じている慰安婦の韓国人の女のように、先祖の墓の前で罪を認めよ。
--引用終わり--

前に渡辺謙がインタビューで「ラスト・サムライ」の大ヒットでハリウッドも日本のマーケットの大きさを再認識したわけだろうけれど、次に目指しているのは中国市場なのでしょう、と語っていたけれど、それが目的でツィイーをキャスティングしたのかもしれない。だけどどんな結果になることやら。見る前からこんなに熱くなっているようじゃ。

以前「さゆり」のヒロインにキャスティングされていたが、一時製作中止したので外された日系女優リカ・オカモトを、木村佳乃がニューヨークを訪問するテレビ番組で見たことがある。役をなくしたのを「天国から地獄」と語っていたが、めけずに娘を抱えてプロードウェイの傍役に立っていた。父親は姿を見せず、たぶんシングルマザーなのだろう。

そんなこんなで、色々余計なこと考えながら見ることになるでしょう、この映画。



「私の頭の中の消しゴム」

2005年11月26日 | 映画
よくも悪くもキレイごとで通している感じ。
痴呆が出て来てからも目の表情がそれほど変わらないし、男の無精髭がずうっと長さが一緒というのは、ずいぶん手がかかっているだろうなあ。
泣ける映画、というのは本来苦手で前は敬遠気味だったのだが、最近平気。
妻の昔の男をあそこまでボコボコにするのは、どんなものかと思った。少なくとも殴られた時は普通に様子がおかしいから不審に思っただけだと思うのですが。
読売テレビで前にドラマ化した原作だと、エンドタイトルで初めて知る。最近、多いね。前は単純に喜べたが、今ではやや複雑な気分。
(☆☆☆)



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「ALWAYS 三丁目の夕日」

2005年11月25日 | 映画
よくこれだけ昭和33年の風景を再現したもの。
強いて難を言うと、きっちり奥まで写り過ぎていて空気感があまりない感じ。そんなに昔は良い人ばっかだったのかな、とか色々言いたくなるが、別にいいじゃないと気にする気にならず。役者が脇までよく考えてキャスティングされている。小日向文世がああいうイヤな役で出るのが意外。
(☆☆☆★★)



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「シン・シティ」

2005年11月21日 | 映画
滅多にやらないのですが、我慢できなくて途中で出ました。毎度のことながら、ブルース・ウィリスも選んでヒドいの出てるみたい。
割と最近で途中で出たのというと「凶気の桜」「偶然にも最悪の少年」「恋の門」などがあります。
並べてみると、画にムダに凝っているのと、暴力的にスゴんでいたりしてハズしているのと、といったところが共通してますか。
それ以外にも体調とか他に用があったりとかで、最後まで見たから最低ではない、ってわけでもないのだけれど。



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不思議の国のウェイター

2005年11月20日 | Weblog
銀座のLで会食。
鰤のスモークサーモン風、エビのクリームソース煮、ポタージュ、真鯛のポアレ、ステーキ、デザートと、魚介類が多い。健康志向か。ワインの赤はボジョレー。この時期ですからね。
しかし料理よりウェイターが、ティム・バートンの作品に出て来そうな顔と髪型と動きなのが可笑しくてしょうがなかった。いやホント。

帰りに、有楽町のビックカメラに寄り、加湿器を買う。三年前に買ったのと同じ型がまた一番安く(2480円!)て良く売れている。レジの列に並んでいると、一つ前の人が同じものを二つ同じものを抱えて、さらにちょっと前の人が一つ抱えているという調子。売り切れ寸前だったみたい。
まったく同じ型ではなくて、電源を入れるとランプがついて、芳香剤を入れるスペースが追加されたのが違う。



「親切なクムジャさん」

2005年11月19日 | 映画
前半、誰がどういう理由で誰に復讐するのか、なかなかわからないのでかなりダレる。映像的にも凝り過ぎ。やたらカットバックされるけれど、刑務所内の描写ってどこまで本筋の復讐と関係あるのか。ときどき入るナレーションが、視点を散漫にしている観。
いよいよ復讐が開始してからの趣向で、やっと面白くなる。
ただどうせなら、“協力”を要請される連中の視点から“親切な”クムジャさんを描いた方がよくなかったか。誘拐された家族に刑期を終えた誘拐犯から接触してくるのだから、かなり謎めいた展開になったはず。

しかし、こういうの見ると韓国人って肉食人種だなと思う。斧を出すあたりで本国だとげらげら笑うとか。
(☆☆☆)



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「ダーク・ウォーター」

2005年11月18日 | 映画
監督のほか、撮影・美術もラテン系の名前が並ぶが、日本版より湿度の高い画作り。「バットマン」のゴッサム・シティをシンプルにしたようなゴチック調の舞台設定が見もの。
ニューヨークが舞台だが、エンドタイトルを見るとかなりカナダのトロントで撮っているみたい。どうでもいいけど、エンドタイトルを作っている会社、scarlet letter(緋文字)というらしい。

水漏れに代表される怪奇現象だけでなく、ヒロインが管理人と不動産屋の間をたらいまわしにされたり、マナーの悪いガキに嫌らしいヤジをとばされたり、別れた夫に邪険にされたり、見つけた仕事がつまらなかったりと、イライラさせられるディテールが充実。ただ、イライラとホラーとは別。幽霊の出し方の演出は日本版よりかなり淡白。
女の子の幽霊と、ヒロインの少女時代を演じているのが同じ人らしい。狙いは面白いけれど、ちょっと図式的な印象。
上の部屋から歌声が聞こえるシーン、字幕も画面の上に出るのにちょっと驚いた。翻訳は戸田奈津子女史だが、関係あるのかいな。DVDだとどうなるのだろう。

ヒロインが幽霊に割とシンパシーを持っているので、クライマックスで成仏しないで襲ってくるのが納得しにくい。
ジェニファー・コネリーは黒木瞳より母親っぽい。ティム・ロスの弁護士が車の中にOA機器を揃えて事務所代わりにしているらしいのが面白い。
(☆☆☆)


本ホームページ

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「メディア」 大竹しのぶ・蜷川幸雄

2005年11月17日 | Weblog
シアターコクーンで上演され、WOWOWで放映した録画を見る。

同じ蜷川幸雄が演出し、花園神社の境内を舞台として平幹二郎が主演した「王女メディア」を見ているが、あれはメディアだけでなくコロスも含めて出てくる役者全部が男優という作りだった。
メディアはあまりに「女」そのものという役だから逆に男がやった方が純粋に女が出るというコンセプトだったが、今回は大竹しのぶが主演とあって正面から「女」そのまんまを出してくる。

本水の上に蓮をあしらったのを基本デザインとして、男のキャラクターは初め輿や馬に乗ってその水に足を浸けないで出てくるという具合に、舞台全体が「女」性を強く打ち出した。

犠牲になる二人の子供は、前は生贄の小羊を思わせるデザインだったが、今回はシンプルな白装束。その分、意味が広がった観。大竹は子供相手の芝居でも上滑りせず「母」の顔を見せる。さすが。



テーブルクロス

2005年11月16日 | Weblog
テーブルクロスを新しく買ってくる。
写真がその柄ですけど、どんなものでしょうか。実際はもう少し明るく見える。
前のはその上にビニールシートをかけていたのだが、新しい布だと溌水性があって、醤油の類でもさっと拭けばとれる。技術の進歩ですなあ。

キューブリックの「シャイニング」を同じフィルム素材を使って編集と音楽でファミリー・ピクチャーに変えてしまった予告編(?)




「TAKESHIS'」

2005年11月15日 | 映画
裏表混ぜたトランプをシャッフルして並べているみたいな構造だな、と思った。

オープニングの明らかに荒唐無稽な戦場のシーン(「戦場のメリークリスマス」を思わせる)の後、場面変わって顔を見せないで寝ているタクシーの運転手の足を見て、実はこの運転手がたけしで、オープニングはその夢ともとれるのではないかと思うと、実際たけしが運転手になるシーンが後になって出てくる。あるいは、わざわざ「夢で会いましょう」のレコードかかったりする、という調子で、モチーフをひねったり裏返したりしてあちこちに散らしてはいるが、一貫しているのはわかるようにしてある。

ただ、それを読み取ってまっすぐに並べ直しても一貫した意味を読み取ろうとしてもはじまらない。ここで描かれるのは夢と現実といった二分法にひっかからない、「映画の中の出来事」にすぎないからだ。
社会的に成功したビートたけしに対してシケた役者志願の北野の前に、やたら威張るラーメン屋、暑苦しいデブ二人組、やたらと理不尽にからむ女、つまらない漫才(?)を続ける男女二人組、花束から出てくる毛虫、など色々なうっとうしい連中が並列して並べられるが、それを鬱憤晴らしに銃でなぎ倒したからといって、別にフラストレーションが解消されるわけではない。映画の中で願望を達成する、あるいは挫折させるといった決着をつけることもないからだ。

原色の使い方や異化効果はゴダール、さまざまな次元を交錯させた自伝的作品という意味では「8 1/2」、同じ役者が違う役であちこちに顔を見せるのは「オー・ラッキーマン」などをそれぞれ思わせたりするが、別に作っている方は意識していないだろう。
観客の見たいものを見せる、願望に従うという意味では、まあこれくらい娯楽になっていない映画もない。その分、逆に見ている側が色々とあてはめたくなるのだろう。
(☆☆☆)