prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

2019年11月20日 | 映画
冒頭、田舎道を羊を連れて歩く女性にいきなりモデルになってくれと頼むところがゴッホの一人称カメラで描かれる、そこのセリフはフランス語で、それに続く弟テオとの会話まではフランス語なのだが、その後のセリフは英語になる。

「夢」でマーティン・スコセッシが扮したゴッホ登場シーンもフランス語から英語にするっと代わっていたけれど、本当はフランス語を喋っているのだけれど演じるのが英語圏の人だから、あるいは一番マーケットが広い言語だからというので英語にしますといった映画の裏がほの見えて毎度のことながらどうも鼻白む。

構成的にいうと冒頭のシーンがずっと後で再登場して、その後が結構長いのが物理的に時間以上に長く感じてしまう。

「潜水服は蝶の夢を見る」の監督らしく、全編、手持ちカメラで意識的に視角を狭くして撮っている。
ストーリー映画あるいはドラマ仕立てにすることを外した作りで、画面の下をぼやかしたりして、一種デフォルメした映像で通しているのだが、それがゴッホの主観に接近したかというと、どうも疑問。

いきなりマッツ・ミケルセンが神父役で出てきたのにびっくり。ワンシーンだけの出演だが、ここでのキリストが生前はまったく無名だったというゴッホの元神学生としての真情も併せて自分とその作品が死後どう評価されるかを吐露するやりとりは見応えあり。

作中のゴッホの画は監督のジュリアン・シュナーベルとゴッホ役のデフォー自身、あともう一人で担当している。




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11月19日のつぶやき

2019年11月20日 | Weblog
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「アイリッシュマン」

2019年11月19日 | 映画
Netfrix製作でネット配信前に限定劇場公開されたのに行ってきました。シネリーブル池袋で一週間限定公開。

もう少し余裕をもって上映できないものかと思うが、3時間半というスコセッシ作品でも最長で、劇場としてみると最大でも一日二回しか回らないのだから敬遠されたのもわからないではない。

「ROMA」もだけれど、画と音のクオリティーでは劇場向けではあるけれど、家庭用再生装置も最近ではずいぶん向上していて、実際「ROMA」をホームシアターで相対した時、特に音が耳元で聞こえるような近しさは劇場とは別の美質を持っていた。
なかなかどちらが良いか、内容にふさわしいといえるかは一概には言えないが、ともかく劇場で見られる時に見ておくことにした。

アル・パチーノ扮するジミー・ホッファはこれまで仮名にしてシルベスター・スタローン主演、ノーマン・ジュイソン監督の「F・I・S・T」、ジャック・ニコルソン主演、ダニー・デヴィート監督助演の「ホッファ」といった映画に取り上げられていたが、それらではマフィアとのいざこざで消された(文字通り完全に姿を消して死体も出ていない)という解釈だったが、今回はかなり違う。

ホッファのとんでもないワガママ、押しとアクの強さをパチーノがまた脂っこく演じ、それに辟易しながら離れられない部下フランク(デニーロ)との関係は、スコセッシ初期の「ミーン・ストリート」から連綿と続いている。

スコセッシとすると得意の激しい移動撮影やめぐるましい編集といった技は前作「沈黙 SILENCE」に続いて抑えぎみで、一体どの時点の姿が俳優たちの今の姿に一番近いのかわからない物理的なメイクアップとデジタルメイクの併用を駆使して、しかし全体としては老いた目から若い時を振り返る格好になっていて、暴力描写も簡潔になっている。全体にずいぶん淡白になった印象は否めない。

時制の交錯ぶりと全体としての老いからの回顧的な肌触りは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」風でもあり(そういえばこれのトリート・ウィリアムスもホッファをモデルにしていた)、長い時間にわたる人物の変化を描き出すのはデニーロの十八番ともいえる。

実際、「1900年」から「ワンス…」「告白」など何度も老け役をやっていてその度に老け方が違うので、本当に老けたらどういう風になるのだうと思っていたのだが、現在75歳になってもよくわからない。

ホッファを描くと、敵であるロバート・ケネディ司法長官とその兄JFK、献金していたその政敵ニクソンといった60年代アメリカの現代史を裏から描くことにもなる。
ホッファがしきりとイタリア系を侮辱する発言を繰り返すので何系なのかと思ったらドイツ系らしい。

デニーロの娘役が誰かと思ったらアンナ・パキン。「Xメン」を飛び越えていきなり「ピアノ・レッスン」の幼い顔と結びついてしまう。徹底的に父親の稼業を嫌うという逆に珍しい役どころ。

80年代のシーンに出てくるテレビはSONY製。そういえばこの時代は日本製家電が世界を席巻していたのだったな。



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11月18日のつぶやき

2019年11月19日 | Weblog
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「空の青さを知る人よ」

2019年11月18日 | 映画
同じ人間で、プロのミュージシャンになる夢を持つ高校生の時と、実際にプロになったが演歌歌手のバックでくすぶっている30歳になった時との両方が同時に存在している、という設定は夢と現実との衝突というハードなテーマに発展しそうだが、直接二人?が顔を合わせるのはほとんど終盤で、ほとんど彼と両想いになりかけたまま宙ぶらりんになっている女性の、そのまた妹の目を通して描かれる。

昔の恋が再燃するのとを直接描くのではなく、いつも平静でいたように見えた姉が実際にはさまざまな葛藤や努力を経てきたこと妹がわかる描写で挟み込むようにして描いているのが考えてみるとまわりくどいのだが、そういうまわりくどいドラマ作りがあるいは日本の、特に地方を舞台にするとふさわしいのかもしれない。

スマホにヒビが入りっぱなしになっているところでヒロインが精神的にささくれだっていること(いつも不機嫌でいる)やおそらく経済的に厳しいのがわかるのが細かい。
急いで靴をつっかけて飛び出してからとんとん地面で叩いて履き直す動きのつけ方などさりげないが凄く緻密。
基本的にリアリズム路線かと思っていたらクライマックスで「天気の子」か「となりのトトロ」かという文字通り飛躍したアクションが爆発する。
こういうエネルギーはなかなか実写の日本映画は獲得できない。

舞台が秩父とはっきり指定され、エンドタイトルでも秩父の様々な機関が協力したことがわかる。

今ではアニメであっても、というかアニメこそロケ地巡礼の観光資源になるのを狙っているらしい。

男やもめの市役所員がストロング系のチューハイを何本も空けている段階で相当に危険、というかあのままだとアル中まっしぐらです。




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11月17日のつぶやき

2019年11月18日 | Weblog
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「IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」

2019年11月17日 | 映画
原作ではITが住むのは下水道でクライマックスでは大洪水が舞台になるデリーの街を襲うという具合にITと水は深い関わりを持つ。
ITは水のようにどんな形にもなることができ、相対する人間の恐れる者の形をとる、ちょっとソラリスの海を思わせる存在なわけだが、この映画化では水という表象は後退した代わりに自由自在にあらゆる恐怖の形象をとってみせて怖いもののてんこ盛り状態になっているのが見ごたえ十分。
ちょこちょこ既成のホラーアイテムが顔を覗かせるのを見つけるのもビデオを見返すお楽しみになるだろう。

大河小説でもないのに主要キャラクターが六人となると一人づつ描きこんでいくと自然と尺をとるらしい。



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11月16日のつぶやき

2019年11月17日 | Weblog
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「グレタ GRETA」

2019年11月16日 | 映画
部分的に現実かと思うと幻想、幻想かと思うと現実といった描き方をしていて、同じことが繰り返される構造になっているので、ラストの後もこれで本当に終わったのだろうかという不安定な気分が残る。

監督のニール・ジョーダンが二作目「狼の血族」で赤ずきんちゃんの世界を悪夢と現実とを交錯させていた手法を思わせ、故郷アイルランドの会社が製作に参加しているから、元の体質が蘇ったかとちょっと思った。

イザベル・ユペールありきの映画には違いないけれど、ちょっとわかりやすすぎる気はした。



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11月15日のつぶやき

2019年11月16日 | Weblog
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「閉鎖病棟 それぞれの朝」

2019年11月15日 | 映画
死刑を執行したが死なないで生き延びたらどうなるか、というのは必ずしも法的に決められているのではないようで、大島渚の「絞死刑」のように死刑囚が記憶をなくしてなぜ死刑になるのか、官吏たちが説得しようとするという観念劇もあった。
ここでは生死や正常と異常の隔たりを跨ぐある種の超越的な存在にさりげなくなっていて、だから鶴瓶の持っている一種の境界に立つ感じを狙ったキャスティングということになるだろう。

ここでの精神病院がどの程度正確に描かれているのか知らないが、危険だから隔離しているのではなく、綾野剛にせよ小松菜奈にせよ自分の意思で入院している、出ていこうと思えば出ていけることになっていて、裏を返すと閉じ籠るに至る原因を向き合い出ていこうという決心をするドラマとなっていて、そのきっかけあるいは触媒を鶴瓶が果たす。

車椅子に乗った人間がどうやって健常者を相手に格闘できるのか、平山秀幸監督とすると、「OUT」で西田尚実が大の男を殺すところで男が力を出せないと納得させる体勢をとらせたのに通じる演出を見せる。

帚木蓬生の原作はかなり前に読んでいたので見ながら内容を思い出すような調子だったが、もっと生々しく凄惨な感じだったと思う。「逃亡」ドラマ化しないかな。憲兵が敗戦とともに追われる側になるドラマ。



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11月14日のつぶやき

2019年11月15日 | Weblog
あのド深刻な「冬の光」のオフショット。
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「ターミネーター ニュー・フェイト」

2019年11月14日 | 映画
予告編ではブロンドのやたら背が高い(178cm)ショートヘアで筋肉質の男と間違えそうな女が暴れているので、3に出てきたような女性型ターミネーターかと思ったら1のカイル・リースにあたる役でした。

演じるはマッケンジー・デイビスという名前も男みたいな女優さん、これまで「オデッセイ」では火星に取り残されたマット・デイモンが生存していることに気づくエンジニア役、「ブレードランナー2049」では娼婦役を演じている。
男みたいといってもよく見ると顔立ちは美形であることがわかってきて、長身と長い手足を生かしたアクションシーンと共に大いに点数を稼ぐ。

そして今回、1のサラ・コナーの二代目というべき守られる役の女性(ナタリア・レイエス)が実は世界を救う男を産むというより自身が救うのであって、つまり「産む性」「守られる性」だった女性ががサラ・コナー同様に戦う、価値のある人間を産む性であるより自身が価値を持つ性であることがわかってくる。
このあたりがやたら強い女性を描くジェームズ・キャメロンが製作に復帰した影響かもしれないし、この数十年のフェミニズムの反映かもしれない。

液体金属が常に一体とは限らず、ときどき二体に分かれる趣向はいざ見せられるとそういう手があったかと思わせる。

シュワルツェネッガーの出番は全部若い時の姿にCG処理することもできただろうが、あえて無理しないでスターとしての年輪を見せる方を選んだみたい。

追う側追われる側ともにメキシコ系というのは、将来メキシコ系が大きな影響力を持つという暗示だろうか。



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11月13日のつぶやき

2019年11月14日 | Weblog
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「残された者 北の極地」

2019年11月13日 | 映画
原題はArctic(北極の,北極地方の,極寒の,厳寒の)。そのまんまの内容で、撮影はアイスランドで行われた。

全編、マッツ・ミケルセンのひとり芝居。
エンドタイトルに出るキャストは三人だけ、ひとりは出てきたらすでに死んでいるヘリコプターパイロット、もうひとりは生き残っている役名「若い女性」でほとんど瀕死の状態でセリフらしいセリフもない。
というか、ミケルセンにも言葉をやりとりできる相手はいないのだからセリフらしいセリフはない。
ほとんどサイレント映画的といっていいくらい徹底して画と音だけで雪原でのサバイバルを描ききる。
この画と音、それからミケルセンの寒さの中でほとんどドキュメントと化した演技が見もの。

ミケルセン演じる雪原に不時着した飛行機の乗員がその場にとどまり救助を待っていたのを、同じように遭難した生き残りの女性を助けるため雪原を女性を乗せた橇で踏破しようとする。

その前に立ちふさがる数々の障害をひとつひとつあるいは克服しあるいは迂回して越えていく、その丹念で克明な描写の中で、百円ライターで火を起こし加熱した食べ物、たとえばカップ麺ひとつを口にするたび、雪原を一足進むたびにに命を実感させていく。

よく見るとメリハリをつけるのに細かい演出をこらしているのだが、全編見も知らぬ女性を乗せた橇を引いて単調な雪原を一歩一歩進んでいく姿に他の人間がいて初めて生き抜く力を得るのではないかというシンプルなテーマをそのまま画にしている。

監督のジョー・ペナはブラジルのサンパウロ生まれ、YouTuber出身で長編劇映画はこれが初めて、大ロケーションといい地味といえば地味な素材と技法といい、製作陣の大胆さに舌を巻く。



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