prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「街の野獣」

2007年02月27日 | 映画
ジュールス・ダッシン監督 リチャード・ウィドマーク主演 1950年作品

舌先三寸で人をまるめこんで小金にしている男が大きく儲けようと勝負に出て見事に裏切られて破滅するわけだが、他の登場人物もほとんどが悪党で、しかも勧善懲悪ではなく互いに食いものにしあって結局誰もいい思いはしない。まことにカラい見事な悪党映画。
ウィドマークの調子がよく舌がまわり、今風の軽薄男になりそうで生きる厳しさを裏に貼り付けてみせた演技が素晴らしい。

半世紀以上前のロンドンで催されていたプロレス興行のあり方を見ることができ、本物の往年の名レスラー、スタニスラウス・ズビスコ(詳しくはこちら)がショー的プロレスを嫌う老レスラー役で出演、体型も今風の逆三角形ではなく小山のような三角体型で、地味な腕の取り合い、首の固め合いの古式ゆかしい戦いぶりを見せるのが興味深く、それを丹念にカットを割って見せる演出も冴えて、重量感あふれる大格闘シーンになった。
格闘シーンだけでなく、出演者としての柄も堂々として悲しげで実にいい。

そこに至るまでのドラマの組み方もがっちりしたもので、陰影を生かした撮影も好調、サンドバッグやバンドのシンバルを叩くのを芝居の細かいアクセントにしたりするセンスもワサビが利いていて嬉しい。
ダッシンのテクニシャンぶりが必要以上に浮かず最高に発揮された。

ロバート・デニーロ主演、アーウィン・ウィンクラー監督によるリメイク(原題は同じ「ナイト・アンド・ザ・シティ」)は、舞台をニューヨークにしてプロレスをボクシングに変えているが、ストーリーも演出もずいぶんヌルくなっていた。
(☆☆☆★★★)


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街の野獣(1950) - goo 映画

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アカデミー賞予測&結果

2007年02月26日 | 映画
あと30分ちょっとで授賞式が始まる時点で予想を書いておきます。見ていないのも多いので、これはあくまでヤマ勘で、個人的な評価というわけではありませんし、期待とも違います。

作品賞「ディパーテッド」
監督賞 マーティン・スコセッシ
主演男優賞 フォレスト・ウィテカー
主演女優賞 ヘレン・ミレン
助演男優賞 エディ・マーフィ
助演女優賞 ジェニファー・ハドソン
脚本賞 「リトル・ミス・サンシャイン」
脚色賞 「ディパーテッド」
撮影賞 「トゥモロー・ワールド」
編集賞 「ユナイテッド93」
美術・録音・音響効果・特殊効果「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」
衣装デザイン「マリー・アントワネット」
長編アニメ「カーズ」
長編ドキュメンタリー「不都合な真実」


で、結果はくだんの如し。

主要部門に関しては外したのは助演男優だけだから的中率高かったな、と思う。賭けてたら儲かってたかも。
もっとも、全般に今年のオッズはあまり高くはなかっただろう。
スコセッシの監督賞は今まで取らないのが不思議とはいえ、「ハスラー2」のポール・ニューマンを思わせもする証文の出し遅れ的受賞。

日本人がらみの話題が多かったのはめでたいことだけど、マスコミの騒ぎ方は要するに外国=他人の物差しに乗っかってのものだからいい感じではない。49年日本人の助演女優賞候補がなかったというのは、それだけハリウッドでは東洋人と女性に対する差別があるということで、希少価値というわけではないだろう。
映画の評価とは別に「硫黄島…」が外国語映画部門ではなく作品賞部門になったのは、どんな解釈、政治があったのか、といったことの方が知りたいね。
北京オリンピックではまたこの類のバカ騒ぎを何十倍かのケタで聞かされるかと思うと、ユウウツ。

技術部門は大ヒットのゴ褒美で「パイレーツ…」が取るかと予想したが「パンズ・ラビリンス」が主に受賞。予告編で見るとずいぶん独創的なヴィジュアル。



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「ローレライ」

2007年02月25日 | 映画
潜水艦=メカと超能力美少女というアニメの黄金の二本柱を実写+CGに移植した作り。過去を舞台にしたSFみたいで、ただし考証上のリアリティ以上のレトロ趣味はあまりなく(メカや昔の風俗考証にうるさい人はそれぞれ意見があるだろうが)、SF式思考実験といったニュアンスがけっこう濃い。

日本で戦争ものを作ると、何しろ負けているものだから戦前までの日本はすべて間違っていたと決め付けるか、戦後民主主義が行き詰って問題が噴出しているのは戦前を否定したせいだとむきになって名誉回復あるいは美化を図るかで、実は同じコインの裏表。
「現在」から「過去」を振り返って「敗戦」「占領」という動かせない事実から逆算するから、解釈の押し付け合いになり、あとは情報の物量戦が待っているだけで、論理的な発展はそういう二項対立からは生まれようがない。
敗戦と占領は絶対的な結論でもくびきでもなく、悲劇的であっても歴史上の通過点にすぎない、といった自由なセンスが、ここでのおおもとに感じられる。

堤真一が現代人を代弁するように戦後日本の醜悪さを論難して、そんな根っこは滅ぼしてしまえと東京に原爆を落とさせようとするわけだが、引用されている「罪と罰」のラスコリニコフのようにそういう「醜悪さ」というのは当人のルサンチマンの投影に過ぎず、まず結論ありきでいくら解釈を重ねても、論理的に必ず行き詰まり破綻する。ラスコリニコフが自分を殺したいと思っていたという堤の解釈には首を傾げたくなるが、堤自身はそうだったということだろう。

「死」を「生」の結論とし、よく生きることはいかに美しく死ぬかだと押し付ける、という考えだと生きることは限りなく矮小化される。戦前の日本、特にここに出てくる人間魚雷回天などその典型だろう。
まずよく生きることが先にあり、死は当然生きている間には体験できない何者で、規定することはできないと物の見方を編み直す、まず結論ありきのニセの論理から脱却するのが必要だと思う。

ここでのローレライとは人間の能力を機械化した兵器で、もとは歌で船を沈めるライン川の妖精からとっているわけだが、見ようによっては「死」を忘れている間の、つまり生きていること自体の魅惑がそこにあるわけで、自身の役割は死ではなく生に転換させている。
結果、戦争物につきまとう不毛な論戦と窮屈さからずいぶん踏み出している。

CGの戦艦にどうも重量感が足りないといった類の批判はできるだろうが、あまりそういうディテールを云々することには興味を持てない。それだけ、意外なくらい全体像に魅力があった。
(☆☆☆★)



「墨攻」

2007年02月16日 | 映画
スペクタクルとしては見応えがあるけれど、シーンやキャラクターのつながりにぎくしゃくしたところがある。軍勢を眺め渡すだけでなく、軍勢越しに鋭く流してパンし疾駆する馬を追うカットなどに魅力あり。

戦闘を描きながら戦争を否定するというのも難しい話で、戦争の悪さを王様とその臣下の悪さに全部押し付けてしまっている観がある。
だけれど「いい」王様だとしても戦争に巻き込まれたら自分の国は自分で守らなくてはならないのだし(この場合、それを放棄しているから始末が悪い)、守るためには戦わなくてはならず、いざ戦いになったら非戦闘員が犠牲になる。それを遡って防げるのは皮肉だけれども墨家のような戦術家ではなく政治家しかないと思う(緒方貞子氏の意見の受け売り)。

「いい城には一つ弱点がある」というのは「七人の侍」にも出てきた箴言だが、元ネタは何だったか、ちょっと思い出せない。
(☆☆☆★)


「マリー・アントワネット」

2007年02月14日 | 映画
昔の少女マンガそのまんまみたいな映画。
ベルサイユの食卓に饗された食事というのは装飾用で味が伴っていたわけではないというが、そんな感じ。
ポップスとクラシックを混ぜた音楽の使い方が思いつきみたいに一貫性に欠けて薄っぺら。
(☆☆★★★)


「スコルピオンの恋まじない」

2007年02月12日 | 映画
保険調査員って「深夜の告白」とか「殺人者」などでも出てきたけれど、一種のハードボイルド探偵的イメージがあるみたい。シャーリーズ・セロンのヘアメイクなどもハードボイルド美女のそれ。
女にモテモテというところも含めてそんな役をウディ・アレンがやるというのが可笑しいはずなのだけれど、ちと歳とりすぎて苦しい。
逆にヒヒ親父的に照れなくなった、という感じもある。
(☆☆☆)


ブルーノ・タウト展

2007年02月11日 | Weblog
タウトがトルコの初代大統領であり、トルコ近代化の父と言われるケマル・アタチュルクのもとで厚遇されトルコの文明開化に一役買っていたとは知らなかった。

タウトがデザインしたアタチュルクの葬儀の写真が展示されていて、棺の上を赤地に三ヶ月と星を組み合わせたデザインのトルコ国旗が縦に波打つように掲げられているのを見て、どこかで見たような絵柄だなと思った。

会場のアタリウム美術館を出てから、黒澤明の「乱」の一文字家の家紋が三ヶ月と太陽を組み合わせたもの(「明」という文字をデザイン化した格好になっている)で、その家紋をあしらった幕が随所に広げられて映画の様式化に効果をあげていたのに似ているのだと気づいた。

黒澤明が監督になる前に書いて伊丹万作に「日本映画を将来しょって立つ人」と評価された(この先見性)シナリオ「達磨寺のドイツ人」が、日本滞在中のブルーノ・タウトを扱ったものなのですね。

直接の関係があるとは思えないけれど、不思議な暗号だと思う。


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「ユメ十夜」

2007年02月10日 | 映画
唐沢商会の「脳天気教養図鑑」で漱石の「夢十夜」のうち第三夜を枕にして、世の中で四番目か五番目くらいに困るのが、「みた夢の話を聞かせたがる奴」という説が展開されている。
困る理由というのが、論理性がないからスジをつかむのにやたら骨が折れる、細部にこだわっていつ果てるとも知れない、第一、夢というのは極端に個人的なものだから他人にはおよそ関心が持てない、とある。

興味が持てるようにするには、特に個人的なところをいったん濾過して他人にも通じるような表現に翻訳する必要がある、ということだろう。
第一夜でサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」が使われているが、とうぜん漱石の弟子の内田百の「サラサーテの盤」(映画「ツィゴイネルワイゼン」の原作)を意識してのものだろう。
百の「旅順入城式」「冥土」などの作品は、その夢のリアリティを言葉が体言した極地みたいなものだ。

さて、ここでの夢の映像化というのが、ほとんど夢の持つ突拍子もなさ、制限のなさにばかり賭けていて、それが他人に伝わるような組み立てというのがまるでない。全然わからない外国語、というより他人には意味の通じようがない寝言を聞かされているようなもので、しかも「細部にこだわっていつ果てるともしれない」ものだからたまらない。

十夜それぞれの監督にはそれなりの才能はあるわけだろうけれど、おおかたは何事かを表現するための才能ではなくて才能があることを証明するため突飛で奇矯で「個性的」なイメージを見せる工夫ばかり並べられるような自家中毒を見せられるわけだから、見ていて苦痛だった。
多少とも人に伝えるための組み立てが感じられるのは、寺山修司がかっているが思い出されるのではなく作られる過去というモチーフが割とはっきり見える第四夜くらい。
(☆☆★)




第十夜で使われたミニチュアです。

「ショウほど素敵な商売はない」

2007年02月09日 | 映画
マリリン・モンローの主演作みたいな扱いされているけれど実質的にはゲスト出演で、本筋はエセル・マーマンやダン・デイリーなどが扮する旅芸人一家のドナヒュー一座の話。

公開当時、双葉十三郎がモンローについて歌も踊りも頑張っているが味がなく、マーマンらとの違いは「トランクの中で生まれたのと外で生まれたのとの差である」と評していた。
「見せる」芸人と「見られる」人との違い、生の観客の目にさらされてきたのと演出家の目を意識してきたのとの違いとも見える。

つまりものごころつくころから観客の前に立っていたのとそうでないのとの差で、その根っからの芸人たちの旅巡業に使われる「トランクの中」を描いているのがこの映画というわけ。
もっともその扱いは昔のハリウッド映画らしくピューリタン的マジメさが先に立っていて、いかがわしさがまるでないのが物足りない。息子があろうことかコメディでなしに神父になろうとするのですからね。ただ、信仰を文字通り歌い上げるナンバーが白人がやっていてもゴスペルがかって見えるのが面白かったりする。

それと1899年生まれのフレッド・アステアが学校と名前のつくところにはのべ三ヶ月しか通わなかったような生活様式が主に子供の教育に問題があるという点で崩壊していく時代の話でもある。
映画の中で軍人が大きな顔をしていく描写と、国家体制の確立という意味で軌を一にしているのだろう。

ミュージカル・ナンバーとすると前半の「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」があまりに盛大なので後がちょっとひっこんだ感じになるのが残念。
(☆☆☆★)


「グアンタナモ、僕達が見た真実」

2007年02月08日 | 映画
手嶋龍一氏のNHK在職時代のレポートなどで、グアンタナモ基地での著しい人権侵害については一応知ってはいたので、かなり覚悟して見た。
実際見ていて腹が立つことおびただしかったが、冒頭から解放されたとわかっている三人の証言と交錯させながら出来事を綴っていく構成と、芝居がからないでファクト、ファクトを積み重ねていくドキュメンタリー的手法で、見ている方の感情を安易に煽るのは避けているのは助かる。

世界はバカに支配されている、と見ていて何度か思った。
バカとはもちろんテロとの戦いをバカの一つ覚えで繰り返すブッシュだし、ちょっと囚人の身元を調べればいいものを思い込みに囚われてムダな尋問を何度も続ける尋問官だし、またベトナムであれだけ痛い目にあっていながら懲りもせず異国や異文化に対する傲慢で無神経で粗雑な正義感を振りかざす態度を変えないでイラクで泥沼に嵌まっているアメリカという国でもある。

「不都合な真実」で引用されたマーク・トウェインの、物を知らないことより知っているつもりでいる方がタチが悪い、という意味の箴言がここでもぴったり当てはまる。

グアンタナモはどこの国の国内法も、またどんな国際法も適用されない文字通りの無法地帯で、アメリカは建国以前の野蛮な力だけが正義の世界を、再現しているかのよう。ある意味、建国以来その無法を乗り越えるべく積み重ねてきた秩序を自分で裏切っている。

あれだけひどい目にあった青年たちの一人がかえって信仰に真剣になったというのが面白い。
(☆☆☆★★)