prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2008年9月に読んだ本

2009年09月30日 | 
prisoner's books2008年09月アイテム数:19
うらなり小林 信彦09月01日{book['rank']
日本橋バビロン小林 信彦09月01日{book['rank']
東京暮らし川本 三郎09月01日{book['rank']
天皇の戦争責任・再考 (新書y)池田 清彦,小浜 逸郎,橋爪 大三郎,吉田 司,井崎 正敏,小谷野 敦,八木 秀次09月21日{book['rank']
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「カムイ外伝」

2009年09月30日 | 映画
長い原作をまとめるときにありがちなのだけれど、展開が飛躍したり、ムリにナレーションで話を運んだり、人物の出入りが妙にぎくしゃくしている。
木から木をぴょんぴょん飛び移ったりするアクションが原作よりマンガチックに見えてしまう。重力があるのかないのかよくわからない感じ。
動物を殺すところが多い(CG製だけれど)のは、海外に出すときマズくないか。

ハリウッド映画をありがたがることもないけれど、CGを作る時にキャラクターの骨格から筋肉から分析したり実際の動物の動きを観察したりといった徹底ぶりというのは日本は及んでいないのではないか。なんか違和感があるのです。平面アニメはうまいのにね。

松山ケンイチの体技をストレートに生かしたアクションが結局一番ポイント高し。
(☆☆★★★)


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カムイ外伝 - goo 映画

「28日後…」

2009年09月24日 | 映画

ゾンビが走ったりするのは今ではあまり珍しくなくなっているし、映像と音響のセンスも続編の「28週後…」の方が勝っている(少なくともエスカレートしている)ので驚きは薄い。
ロンドンの荒涼とした風景が、ちょっとゴミをばらまいてみましたという程度をあまり出ないのは物足りない。
(☆☆☆)


「アイアンマン」

2009年09月23日 | 映画
兵器会社の社長がテロリストに拉致監禁されて作り出した戦闘用スーツを自ら身につけて「平和」のために戦うという妙によじれたユーモアと同時に、立場を 180度転換させたようでよく考えてみると他を圧倒する強力な武力があって初めて平和がもたらされるという論理では一貫しているのだね。
だから悪いというのではなくて、身も蓋もなく本当のことを言ってしまっている。

ロバート・ダウニー.jr自身のドラッグで服役したりといったイカれたイメージをうまく生かした。

もっともそうなると敵役の設定が難しくなるわけで、今回は会社内の身内を一番の悪者にしたわけだが(ジェフ・ブリッジスがスキン・ヘッドにして珍演)、三部作にして製作するとなると煮詰まりそう。
脇のキャラクターが設定段階で止まっていて、十分生かされるまでに至っていないのもシリーズ化を優先させた弊害みたい。
(☆☆☆★)



「ビッグ・ウェンズデー」

2009年09月22日 | 映画

約30年前の劇場公開時、エンドタイトルに宣伝用の日本語の歌をつけたのが大不評で、一日に何人かの客が映画館の事務室に抗議に訪れたというが、今では外国映画でも宣伝用の日本の歌つけるのかなり当たり前になっている。
ジャン・マイケル・ヴィンセントはこの映画の後アルコール依存症、ゲイリー・ビジーは薬物中毒。ウィリアム・カットも含めていま何をしているのか、時間が経ったなあと思わせる。

クライマックスのサーフィンの撮影は、今見てもすごい。波の中に入ってしまうようなカメラワークは後年どんどん発達したけれど、波そのものの巨大感の捕らえ方と重い音響効果が光る。
必ずとも主役三人が波を乗りこなすのが主眼ではなくて、大勢のサーファーの中の数人という扱い。

パーティの殴り合いや、三人がずらっと横並び一線になって海に歩いていくあたりは西部劇調。
メキシコのシーンでビジーがライフルを弄んでいるけれど、監督のジョン・ミリアスは現在全米ライフル協会の理事。出来すぎ。

エンドタイトルを見ていたらOLD MAN役でStacy Keach.srとある。ステイシー・キーチというと70年代かなり人気あった役者で、最近では「プリズン・ブレイク」の刑務所長役をやっていたが、その人の父親ということか。


「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」

2009年09月20日 | 映画

リメーク「Ballad 名もなき恋のうた」に合わせての放映だったのだが、原作者の臼井儀人が行方不明になっている最中になってしまった。
だもので定番のおバカギャグもなんだか見ていて落ち着かない。

同じ原恵一監督の「オトナ帝国の逆襲」がむしろオトナを感動させたように、「しんちゃん」の枠を守った上で戦国時代の身分の違いを生かした正統派ラブロマンスを展開している。マジメになりすぎそうになるところでしんのすけがお下品なツッコミを入れるのが、照れ隠しのようでもある。
戦闘シーンや武士の誓いの描写など、本格的時代劇のもの。鉄砲の銃声一発で描かれるあっけない死の描写など、黒澤明の「乱」のよう。

タイムスリップの描写がよくあるギンギラの光に包まれてといった具合ではなく、いつのまにか時間を越えてしまっているのが慎ましい。

後註・やはり遭難したのは残念ながら臼井儀人氏でした。ご冥福をお祈りします。


「ザ・フォール/落下の王国」

2009年09月19日 | 映画

アート・フィルムかと思ったら、「プリンセス・ブライド・ストーリー」ばりの割とわかりやすいメタフィクション。
現実の人物とお話の中の人物を同じ役者が二役で演じるのは「オズの魔法使い」いらいの定石。
ただし、お話に現実が介入し、現実にお話が介入する構造の組み立てはごく通りいっぺん、ウィリアム・ゴールドマンみたいな手だれのようなわけにいかない。二時間もあるとおしまいの方はダレる。

代わりにヴィジュアルの凝りようが見もの。オリジナリティ優先の衣装(石岡瑛子)と世界各地の風景のコラボは、かつてのパゾリーニ作品のモダンアート版といった観。

「落下」というモチーフからすると、ラストでまとめて引用される本物のサイレント時代のスラップスティック・コメディアンたちの身体を張った転落ぶりが強烈すぎて、他がふっとんでしまう。
(☆☆☆)


「ブレス」

2009年09月18日 | 映画

韓国だと死刑囚が独房でなく集団房に入れられているのかな、と思った。
死刑囚に変に関心、というか恋愛感情を寄せる女の話ということで、小池栄子主演・万田邦敏監督の「接吻」をいやでも連想するわけだが、明らかにモデルがいるのがわかる同作とは違って、キム・ギドク作品はもともと発想や展開に飛躍が多いのだけれど、今回はリアリティよりやや思いつきが先行している印象が強い。作風が知られるにつれ、またびっくりさせないといけないという意識が強いのではないか。
(☆☆☆)


「Crazy Love」

2009年09月17日 | 映画
Crazy Love (Ws Sub Dol) [DVD] [Import]

Magnolia

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妻子持ちの男が女性に一目惚れしてつきまとい、女性が他の男と婚約すると塩酸をかけて失明に追い込み、刑務所を出たあともなおもつきまとうので、どうなることかと思うと、なんと盲目になった女性の奴隷として結婚することを許されるという、楳図かずおそこのけの展開になる経過を追ったドキュメンタリー。

ドラマ化の話がもちかけられているというけれど、無理はない。
MXテレビ「松嶋×町山 未公開映画を見るTV」にて放映、松嶋尚美が若い頃美人だった女性が勘違いしたまま美人意識を引きずる傾向についてやたら鋭い意見を述べる。かと思うと思い切りボケる。


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「HACHI 約束の犬」

2009年09月16日 | 映画
ストーリーからすると秋田犬に限らず犬ならなんでもよさそうだが、あまり愛想を振りまく感じではないけれど忠実におとなしく待っている「画」とするとやはり秋田犬でないと格好がつかない。どうです上手でしょう可愛いでしょうといった芝居ではなく、何か黙々と歩き黙々と待っている感じ。
冒頭の日本の寺とか、ケイリー・ヒロユキ・タガワの日系教授といった日本的なアイテムはご愛嬌。

実際のハチ公が駅前にいたかったのは酔っ払いが餌として与える焼鳥目当てだったからという説があり(実際死後解剖されると消化器に焼鳥の串が刺さっていたという)、邦画の「ハチ公物語」ではこの噂をいったん取り上げておいて否定していた。その噂を怒って否定する役をやっていたのがたしか山城新吾だった。
今回は焼鳥ではなくホットドッグなので、そういう余計な心配はいりません。
また、ハチ公の話が広まったのはかなりの程度戦前の皇国教育で忠義が強調されたためで、元祖「ハチ公」ではそうやって持ち上げていた日本政府が、戦況が厳しくなるとハチの銅像を供出させて鋳潰してしまうという皮肉が最初の構想では入っていたが(脚本・新藤兼人らしい)長くなりすぎるのでカットされていたが、これも当然関係なくなっている。

「子猫物語」「南極物語」当時やたら流行った(今もか)日本の動物映画はみんな捨て犬捨て猫の話ではないか、誰も引き取ろうとしないしそれを映画が指摘もしないと故荻昌弘は指摘していたが、そういう残滓はここにもある。

こちらみたいに犬好きではない人間が見ると泣きはしないが、芝居はがっちり撮れているなとは思う。
音楽がピアノ・ソロ中心なのがラッセ・ハルストレム監督印。
(☆☆☆)


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「決断の3時10分」

2009年09月15日 | 映画

グレン・フォードが悪玉、ヴァン・ジョンソンが善玉というのは見かけからすると逆みたい。
ニュー・ウェスタンあたりの善悪ごっちゃになって泥まみれになったようなのとは違うのせよ、二分法とは明らかに違うニュアンスがあってラストシーンが天気雨というのも意味深。

前半、盗賊団のリーダーと酒場の女のやりとりが、リメーク版のラッセル・クロウだとストーリーと関係ないではないかと思えたのに対し、フォードだとフェミニストぶりが印象づけられて、さらにジョンソンの家族(特に妻)と一緒に食事するシーンも用意されており、ヴァン・ジョンソンというと「シェーン」の一歩間違えたらコキュになる役でもあるので、ストーリーとは違う次元で微妙なニュアンスを出している。

保安官でもない男が金のために極悪ではない犯罪者を護送する羽目になったのにほとんど町の人間は手伝ってくれないあたり、「真昼の決闘」ばり。ドンパチはほとんどなく、ほとんど二人だけの濃密なやりとりで構成されていて、なるほどリメークよりだいぶシンプルかつ古典的。

撮影はチャールズ・ロートンjrで、屋外シーンのバックの空に微妙な陰影が出ているあたりに腕を示す。
(☆☆☆★★)


「今日も僕は殺される」

2009年09月14日 | 映画
今日も僕は殺される デラックス版 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント

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スタン・ウィンストンの最後のプロデュース作品、遺作になるらしい。

同じ男が何度も殺される悪夢のような場面が繰り返される。それも夢ではなく「現実に」繰り返し殺されるというあたりは面白いのだが、エンドレスな繰り返しではすぐ展開が行き詰ってしまうわけで、殺される恐怖を喰らい続ける魔族というのを設定するあたり、強引な感じは否めない。
しかも主人公が実はその魔族の中でもとびきり強者だったという展開となると、なんだかスベった「デビルマン」みたい。

黒い霧に包まれてカマキリのような尖った触手を振り回す魔族のデザインはなかなか印象的。
(☆☆★★★)

今日も僕は殺される@映画生活


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「南極料理人」

2009年09月13日 | 映画
雪に閉じ込められてずっと同じむさくるしい男ばかりと顔を合わせているという、「シャイニング」みたいに暴発してもおかしくない(やや近くなるところもある)状況で、食べるという生きていく上で一番基本的なところでいろいろ工夫をこらして乗り切っていく、淡々とした中の切実なユーモアが面白い。

生きていく上での基本を押さえている分、水が大事といってどうやって作るのか(雪を切り出すところで満足して、どう融かすのかわからない)、どうやって溜めておくのか、廃水はどう処理しているのか、ゴミはどう処分しているのかといった生活の上の基本的な描写が抜けているのは気になる。

堺雅人が相手が娘と知らないままテレビ電話で話すあたり、南極側からは日本の相手が見えていない描写がすっぽ抜けている。基本が面白い分、細かいところの詰めがやや甘い。
かわいい動物がいないと不満そうな男の子の後ろでペンギンのリアルな模型がけっこう不気味なあたりは巧まざるユーモアが出ていた。

基地の棚に並んでいるのはVHSばかりで、インターネットもIP電話もないあたり、1996年というそれほど昔ではないのにずいぶん大昔の感じ。
(☆☆☆★★)


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「サブウェイ123 激突」

2009年09月12日 | 映画
「サブウェイ・パニック」のリメイクだが、基本設定だけ同じであとはほとんど別物。
旧作では変な日本人たちが管制室に来てやたらと感心していたが、こっちでは日本から地下鉄の車輌を優秀だからと輸入している。同じ日本絡みでもずいぶん違う扱いになったもの。

悪役をジョン・トラボルタがやっているのだが、旧作のロバート・ショーの元傭兵のリーダー(仮名を“ブルー”という、他の犯人も全員色の名前で呼び合う)のクールさ、怜悧さと比べることはないけれど、いくらなんでも暑苦しい芝居。演出が手綱を取らず、放し飼いにしているみたい。

トニー・スコットの演出は相変わらず悪く映像的に凝り過ぎ。特に不必要なコマ伸ばしの多用は見ずらいしスピード感を殺すし、何のつもりでやっているのかわからない。
ストーリーはいろいろ手を尽くしてるけれど、脚本ブライアン・ヘルゲランド(「L.A.コンフィデンシャル」「ミスティック・リバー」)が目当てで見に行ったにしては物足りない。
(☆☆☆★)


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サブウェイ123 激突 - goo 映画

「おいしいコーヒーの真実」

2009年09月11日 | 映画

コーヒーの価格を決めるのはニューヨークの取引所で、産地も消費者も関われるわけではない。市場至上主義の最も見やすい現われだろう。
コーヒー発祥の地エチオピアでコーヒー農家が価格が極度に下に貼り付けられて貧困から抜け出せない歪な仕組みの上に、それと戦い中間マージン(業者が六段階はさまるという)なしに直接消費地の先進国に自慢のコーヒー豆を送り届けようとするアフリカ代表ダデッケ・メスケラの奮闘ぶりと、コーヒーのものものしいテイスティング大会、アフリカの貧困、それに伴い現金収入を求めて先進国では違法になっている作物の栽培に走る農家などを交錯させて描く。

わかりやすい構成で、アフリカ代表の行動に「何をすればいいか」という答えを出しすぎていて図式的あるいは宣伝くさい印象もあるけれど、その分風通しが良い印象も一方にある。