prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「クレイジー・ハート」

2010年06月30日 | 映画
アル中のカントリー・シンガー役のジェフ・ブリッジスがこれでアカデミー主演男優賞を受賞しているわけだが、やはり元アル中のバーテン役で出演しているロバート・デュバルもやはりアル中のカントリー・シンガーを演じた「テンダー・マーシー」でアカデミー主演男優賞を受賞している。アル中役はオスカー好みということか。

とはいえ、両方割りと簡単に(でもないが)アル中を克服するのは映画だから仕方ないけれど、実際はもっと大変だろうなとは思う。
酔っ払っているうちに子供がどこかに行ってしまう怖さと、母親が目を三角にして絶縁するあたりはいかにもありそう。

歌と酒と女が揃って、役者はみんないいのだが、映画そのものはこちらの想像からはみ出るようなところはあまりなく、良くも悪くも予想通り。
(☆☆☆★)


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「マイ・ブラザー」

2010年06月29日 | 映画
ジム・シェリダン監督らしく演技のつけ方が細かい。大人たちの計算された芝居と子供たちの自然な反応を混交したアンサンブルがいい。
兄が小さな娘相手に爆発するシーンの風船の使い方など見事なもの。

アフガンゲリラの拷問は「ディア・ハンター」ばりだけれど、恐ろしいことに(どっちが)見るほうが慣れてしまっていて、異教徒の「野蛮さ」描写の手順通りに見える。

ラスト、奥さんと弟が不倫していたのではないかという疑心暗鬼が割りとあっさり解決(?)してしまうのはどうなのだろう。そうかんたんに戦争による心の傷は治らないだろうし。ちょっと中途半端なところで終わった観は否めない。
(☆☆☆★★)


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「アイアンマン2」

2010年06月27日 | 映画
ロバート・ダウニーjrの表向き傲慢不遜で裏に不安が張り付いた表現がメリハリがあってヒーローらしくなくて面白い。
亡き父親との関係のドラマの描き方がなかなか工夫している。

兵器産業がロボット化に突っ走っているのは事実なので、なんだか不気味。ただ、中に人間を入れない無人兵器が主体で、中に人が入っているアイアンマンはその分「人間的」とも言える。
たとえばイスラエルの無人爆撃機など、やられるパレスチナ側にしてみると相手がいない分ものすごく腹だたしいらしい。

キャラクターがぐっと増えて、華やかな分それぞれの見せ場は少し不足気味、これから先は続編ないしスピンオフをどうぞといった作り。

前作もそうだけれど、アクション・シーンであまり画面作りを悪く凝らないでシンプルに見せている(技術的にはとんでもなく凝っているのだろうが)のがいい。
(☆☆☆★★)


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「ザ・ウォーカー」

2010年06月26日 | 映画
原題The book of Eliで運んでいる本というのが聖書であることはすぐわかる。
だけど、聖書が大勢の人が死ぬ原因になったというのは実際にいくらもあったこととして、それがいったん破滅した世界で焚書になるっていうのはあまりにありそうにない、キリスト教的史観に閉じこもった被害妄想的な設定。
それがすべての人の指針になるはずというのもアホらしい。つきあっていられない。

運んでいた本の鍵を外したら実は、という意外性も中途半端。あの分量に聖書全部は絶対入らない。

アクションものかと思ったら、それほど分量多くないのにがっかり。
映像の画調や音楽・音響が凝っていて、モノクロに近い画調が荒廃した世界の感じをよく出したのでそれほど退屈はしないが、テンポがもったいぶりすぎ。
(☆☆★★★)


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「アマデウス」 ディレクターズ・カット版

2010年06月25日 | 映画
アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]

ワーナー・ホーム・ビデオ

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ディレクターズ・カット版というので復活したシーンで目立つのは、モーツアルトの妻コンスタンツェがサリエリを誘惑してスルーされる場面で、あ、サリエリって童貞なのねと改めてわからせる。
このシーンがあると、モーツアルトが死ぬ前にコンスタンツェがサリエリに対してひどく冷たい態度をとるところがすんなり腑に落ちる。

あと、女を前にして何もしない、できないという点で同じピーター・シェイファー作の「エクウス」で主人公の少年が「馬」の目を意識した途端に不能になるところにもつながってくる。
「エクウス」での馬、というのはキリスト教によって性的に抑圧される以前の世界の官能性の象徴とでもいったニーチェ的な意味があったわけだが、そう考えると「アマデウス」でモーツアルトが乱痴気騒ぎをするところで馬の仮面をつけているのに気付く。

モーツアルトのパトロンのヨーゼフ二世はマリー・アントワネットの実兄で、フランス革命が遠くで進行していることが宮廷でのやりとりで語られるのにも気付く。オペラがモーツアルトによって型にはまってお高くとまった神々や英雄から俗で平凡で猥雑な人間を扱うようになっていくのと、王侯貴族の支配から市民社会へと変遷していくのと軌を一にしているというわけだろう。


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アマデウス ディレクターズ・カット版(2002) - goo 映画
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「告白」

2010年06月24日 | 映画
オープニングのてんで勝手をしながらミルクを飲む学級崩壊した中学生たちの姿が、即大きな「赤ん坊」に見える。そのカオスの中で淡々と松たか子が「告白」を続けて、しかし周囲の荒れ方はまったく収まらない。さすがに舞台経験の多い人のせいか、声も姿も端正な調子が崩れず、混沌とマイペースな独白のコントラストと対照のブレンドが映像と音響の精密な設計とともにペースをほぼ乱さずに続くのがスリリング。
陰惨な内容を映像スタイルの完成度が中和している。

ただラスト近くなると、エイズの扱いなどいくら中学生でもあれほど無知かなとも思うし、クライマックスはイリュージョンだと思って見ていたが、現実だとしたらどうも荒唐無稽。「タクシードライバー」みたいに半ば幻想と受け取りたくなる。

通して見ると世の中なめきった、甘ったれた、少年法を盾に取った悪質なガキを教師がどう本気で「反省」させるのか、というフィクションでないと成り立ちそうにないお話になっている。一種の痛快さはあるけれど、現実離れしているとも思える。

脱線するけれど、明らかに「夜回り先生」をモデルにした教師が重要な役割で出てくるのだが、本物の「夜回り先生」と中学と大学で同級生だったという人から直接聞いたら、昔は「ニッポン無責任時代」の植木等みたいな口八丁の調子のいい男だったというからびっくり。どうやってそんなに変わったのだろう。
(☆☆☆★★)


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「処女の泉」

2010年06月23日 | 映画
処女の泉 [DVD]

ハピネット・ピクチャーズ

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オープニング、父親のわからない子供を孕んでいる女がかまどに息を吹き込んで炎を起こす、その時北欧神話の最高神オーディンの名を呼ぶ。

調べてみると、オーディンは海辺に落ちていたトリネコとニレの木の枝から人間の男女を作った神の1人だという。
復讐を心に決めた父親が一本の立木を押し倒して枝を払い、それで自分の体を叩くシーンとつながってくるわけだ。
この一家はキリスト教徒で体を叩くのはキリストの受難に自分を模するのに行ったりする行為でもあるが、この場合どうも土俗信仰の中で身を清める印象が強い。

倒れた木は娘が犯される場面で重要な役割を果たしていて、通せんぼするようにして逃げ場を塞ぎ、また枝の影が顔に映って「汚された」ニュアンスも出していた。

オーディンはフギン(思想)とムニン(記憶)2羽の大カラスと2匹の狼を連れていたといわれて、森に入る時に必ずカラスがアップで写るのも、ここからはキリスト教の世界ではないというサインなのだろう。

かまどの炎は召還された異教(キリスト教にとっての)の神の顕れで、クライマックスの殺される一人は炎に体が包まれる。短剣のデザインも土俗的なものだ。
これに対して水は清めと救済の印になっていて、クライマックスの泉の噴出はもちろん、森に入るところで川が流れているのは、「こちら」を「あちら」から守る結界の意味があるのだろう。

ベルイマン作品としては珍しく他人(ウラ・イザクソン)のシナリオによるもので、これだけキリスト教以前の信仰のニュアンスが入っているのはあまりない。
(☆☆☆☆)


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「パーマネント野ばら」

2010年06月22日 | 映画
しかし、ここに出てくる男どものどうしようもなさは、ちょっとうらやましいくらい。その分、女がたくましいかというとそれほど図式的ではなくて、それ相応にしょうもない。

むさい男どもの中でひとりだけイケメンの江口洋介が混ざっているのが、イケメンについてどう思うかといったセリフ、旅館で逢引するときの展開の微妙さなどとあいまって、なるほどと膝を叩かせる巧妙な語りとと構成美を見せる。

菅野美穂が「エコエコアザラク」の頃の怖い顔をちらっと見せる(それにはちゃんと意味がある)のだが、それをシーンの中のカットの位置づけによってきちんと撮り分けている。

最近の日本映画、貧乏生活の描写がまた復活してきたみたい。違うのは左翼くささがないのと、血縁関係が壊れてきていること。
(☆☆☆★★)


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「アウトレイジ」

2010年06月21日 | 映画
昔、北野武が「あの夏いちばん静かな海」をシナリオを作らないで、A4二枚分のシーンの柱を書いただけのところから作ったのを、ベテラン脚本家の笠原和夫が激怒して「シナリオ骨法十か条」というのを勢いに任せて書き上げたことがあったのが話題になったことがある。古典的なシナリオ構成の法則をまとめてこれ以上の教えはない。(笠原は後になって「ああいう(北野式の)自由な作り方もいいかな」と考えを変えたともいう)

笠原自身の作品では「博奕打ち 総長賭博」が最もそのセオリーを貫徹して「ギリシャ悲劇的」(三島由紀夫)なまでな高みに到達した逸品だが、実は笠原自身そこから逸脱して古典的構成をかなぐりすてた「仁義なき戦い」シリーズを書いている。

特に第三作「代理戦争」は、親分子分だの兄弟分だの敵味方だのといった人間関係がまるでガチャガチャどっちがどっちなのかわからないアモルフ(不定形)な状態が続き、いつ火がついてもおかしくないスクランブルが続くのについに火がつかないで終わってしまうという特異な構成の作品だったわけだが、実はこの「アウトレイジ」がこれに近い。誰かに感情移入したり勝ったり負けたりでカタルシスを誘う、ということがおよそない。交換可能なのっぺらぼうな人間関係がそれ自体の論理と力学だけで動いている。

いったん殺し合いの火がついたら、あちこちに飛び火するのが勢いに任せてではなく、法則と力学にのっとって展開する、そこに一種の酩酊感も伴っていて、「仁義なき戦い」では営業用の理由で一つの事件をムリに二本にわけていた四作目の意味のない殺しの連続だった「頂上作戦」も一緒に描いたようなものだ。

別に意識してそうしたわけもないだろうが、いったん不定形な構成をくぐりぬけて新たな構成美を獲得するというのは自然な流れで、一つの到達にして出発点になったのは確か。と、同時にそういう作り方がこれまでのヤクザ映画になかったというと、それは少し違うと思う。「仁義なき戦い」とは情緒面で両極端のようで論理的構成という点ではぐるっとまわって同じところに来たようなところがある。

世界相手に配給できる余裕からか、画面がゴージャス。衣装から車から神経が行き渡っている。

三浦友和や加瀬亮のあまりヤクザくさくない顔を入れておく計算が確か。
大使館員の治外法権を利用するあたり、コメディタッチだがなんだか実際にやっていそう。
(☆☆☆★★★)


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「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」

2010年06月20日 | 映画
なんだか、アメリカン・ニューシネマのよう。二人の男がバイクで日本を縦断するのは「イージー・ライダー」、まったく愛されていない(かもしれない)男に愛を求めてしまうブスでバカな女は「ファイブ・イージー・ピーセス」のカレン・ブラックを思わせる、というのはウソで、見ている時は気付かなかった。それだけ借り物でなく身についているということだろう。

何より今の閉塞状況と排除されている若者たちに正面から向き合っているリアリズムが力強い。「格差社会」だのといった大文字の言葉ではない、稠密で重心の低い叙述は痛ましいとともに詩的で、監督の大森立嗣が麿赤児の息子というのがどの程度関係あるのかわからないけれど、明らかにここで描かれた生活を肌で知っているタッチ。

主人公たちがビルの撤去作業でコンクリートの壁を破壊しても、ドリルの振動が返ってきて手が真っ白になってしまうという職業病の描写が、何かを破壊しても結局何も変わらず傷つくのは自分という寓意を自然に形にしている。

最近「イージーライダー」を見て意外と古くなっていない、と思ったのだが、音楽や映画の作り方の新しさに隠れて見えなかったのだが今にして思うとあれは閉塞状況のアメリカでのたうちまわっていた若者たちを見つめた映画で、いってみれば日本があれに「追いついた」のだ。

60年代は網走刑務所がある種のロマンチズムとともに語られた時代でもあったろうけれど、ここでの網走刑務所は閉塞そのものだ。
なまじの希望や救いを持ち出さず厳しいタッチを通しているのが、いっそすがすがしい。
(☆☆☆★★★)


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「孤高のメス」

2010年06月19日 | 映画
手術シーンの堤真一ほか俳優たちの手つきがいちいちびっくりするくらいリアル。
ヒューマニズムや理想主義を振りかざすのではなく、手術というのはとにかく「編み物を編むように」ひとつひとつの工程をえんえんと丹念に疎漏なく積み重ねていく気が遠くなるような感じがよく出た。

脳死肝移植を人の命を救うためにおもいきって実行するのがクライマックスだが、それで世間的には出てこられなくなるのと交換というのは、リアルに考えたら批判されるべき。だってそれで将来彼が手術して救える多くの命が救えなくなるのだから。
ただし、助手をつとめた看護婦の息子が母親の手紙を読むという形式からして、一種の伝説的な語りになっていて、必ずしもリアルに考える問題ではないのかもと思わせる。しかしダーティハリーが法を蹴飛ばしても気にならないが、医者がやるとさすがに気になる。

ラスト、どこへともなく旅立っていくあたり、イーストウッドみたいになるのかと思っていたが、この「どこへともなく」というニュアンスが不足で、ラストシーンで息子の前にまた出てくるのではないかと誤解しかけた。

学閥のメンツばかり気にしている医者たちの薄っぺらいキャラクターは、実際そんなものではないか。

舞台になる病院が内外ともにえらく古びている。本物の病院ですよねえ、あれ。

不摂生をきわめた柄本明市長の肝臓が、なにやら一皮かむったアルマジロみたいにごつごつして黒っぽいけれど、考証的に正確なのでしょうね。
(☆☆☆★★)


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2010年06月18日 | 映画
呪いの心霊感染 わたしはとり憑かれた ~24歳OL由希の場合~ [DVD]

エースデュース

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私のシナリオによるホラービデオが18日に出ます。
元のシナリオはこちら。原題「屋上」。実質、別物です。


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「イージー・ライダー」

2010年06月17日 | 映画
イージー★ライダー [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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デニス・ホッパー追悼放映でBS-hiで見た。一つの時代を画した映画だけれど、意外なくらい古くなっていない。むしろ前に見た時の方が古めかしく見えた。

一つには、こっちのプリントの方が綺麗だったから。夕陽のモニュメント・バレーを捉えたカット(撮影・ラズロ・コヴァックス)など、ストレートに西部劇に連想が飛び、全編アメリカの広大さを実感させるうち、なんで主人公二人がワイアット(・アープ)とビリー(・ザ・キッド)になんて名前がついていたのか、なぜアメリカ国旗をしょってるのか、などがすんなりつながる。

このアメリカ映画に革命をもたらしたカメラマン、ラズロ・コヴァックスが、亡命ハンガリー人というのがおもしろい。アメリカ映画の風景というのは、常に「新参者」によって発見されてきたともいえる。

それと、出てくる街がどれも田舎で、40年経っても都会部みたいな激変はあまりしていないのも意外と古くならない理由だろう。

「南部の目」の非寛容性、というのはそんなに変わっていないし、よそ者をリンチするというのは、よその地に出て行って今でもやっている。
また、今だったらドラッグを正当化しているという批判は、もっと強く受けると思う。ホッパー自身が死に掛けましたからね。

ホッパーは日本のCMでペンギンの着ぐるみを着てたりして、本当かどうか知らないけれどマネージャーがミスター・ホッパーにこんな格好させるなんてと怒ったのを当人は平然たるものだったとか。


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イージー・ライダー(1969) - goo 映画
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「グリーン・ゾーン」

2010年06月15日 | 映画
あと大量破壊兵器がなかったことはすでに現実において明らかなので、結末は最初から割れている。
大量破壊兵器を捜索する役目の軍人が、一向に見つからないのでその裏にある工作を調べて上層部やマスコミにまで至る陰謀の真相に至る、偽の真実から本物の真実へ、真相そのものを単純に信奉してアピールするより、それに至るまでのプロセスの微妙なのが、ハードボイルドの探偵ものの手触りだと思っていたら、脚色が「LAコンフィデンシャル」「ミスティック・リバー」のブライアン・ヘルゲランド。納得。

あとポール・グリーングラス監督得意の手持ちカメラの多用も、クライマックスが夜間で画面を荒らしたりしているので、どうも見ずらい。
(☆☆☆★)


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グリーン・ゾーン - goo 映画
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「座頭市 THE LAST」

2010年06月09日 | 映画
これから酷評を書く。読みたくない人は、読まないように。

勝新の頃からすでにそうだったが、「座頭市」っていうのが作り手のエゴと思いつきの入れ物になってないか。

よく言えば即興的な型にはまらない良さということになるのか知らないが、ワンカットワンカットがその場限りのぶつ切れ状態で、流れもリズムもあったものではない。見る側が基本的に予備知識がないか、あっても白紙になって見るというのを忘れて作り手と同じスタンスになるのを強要しているようで、見ていてイライラする。

差別問題に及び腰かシカトしてしか描けないのに「ド盲」を主人公にしたドラマ作ろうっていう方がムリなのです。

アクションシーン決まるべきところを外しっぱなしでまともにカタルシスを感じさせるところがゼロ。思うのだが、阪本順治監督って、アクションシーンの演出がうまいようなイメージあるけど、下手ですね。少なくとも、ここ数作では。
(☆☆★★★)


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座頭市 THE LAST - goo 映画
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