予告編でしきりと「アイデア」という言葉が強調されていたので、産業スパイが狙う新製品のアイデアか何かかと思ったら、これはプラトン哲学でいう「イデア」のことと考えた方がいいのではないか。エレン・ペイジの役名がアリアドネだったりするものね。
魂の目心の目で見たものごとの真の姿とでもいう意味で、夢の中のとりとめのないようで一貫したイメージと通じている。
キー・イメージが独楽というのが絶えず動き続けているけれど一見して静止している姿として、シンボリック。
三つの夢が層をなしていて、複数のキャラクターが互いの夢を行き来するという設定なのだが、夢と現実といった図式が外されていて、これがいわゆる現実ですよというシーンというのがない。代わりに自分が夢の中にいるという認識はずっと保持している。
夢の中だからどんな荒唐無稽なイメージを展開させてもいいのだが、イメージの展開より言葉のロジックによる認識論とでもいった色合いが濃く、認識の優位性・アドバンテージの奪い合い、ゲームの規則そのものの編みなおし競争とでもいったゲームが展開することになる。このあたり、クリストファー・ノーランの出世作「メメント」とテーマがつながっている。
他人の夢に入り込んでいるのか自分のそれなのか、といった違いはホームかアウェイかという違いにはなっても、基本的に互いに対等な立場でゲームが繰り広げられることに変わりはない。
「マトリックス」に似てはいても、夢の中でも死んだらゲームオーバーになるルールが保持されているのはいい。ミスター・スミスみたいに何度殺されてもリセットが効くというのは白けます。
すごい製作費をかけての一種の実験映画、という点では「2001年宇宙の旅」以来、そう何本もないうちの一つになる。
ディカプリオは「シャッター・アイランド」に続いて心内劇をやっているわけだが、複数の人間の心の中を行き来する分、負担が減ってのびのびできているみたい。
(☆☆☆★★)
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