prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」

2011年10月31日 | 映画
テクノロジーの進化により、特殊メイクで人間が猿に扮するのではなく、完全にCGで作った猿が演技するのが可能になった。
「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムやピーター・ジャクソン版「キング・コング」のコングなどのモーション・キャプチャー演技の第一人者アンディ・サーキスが演じているが、普通のチンパンジーと見分けがつかないところから、はっきり人間的な知性を感じる顔つきや物腰になるまで演じた振り幅は見もの。

サルをいったん完全に人間とは別の生き物として描くところから始められたので、それにより人間にしかできないと思われた領域にサルが踏み込んでくる瞬間を描けた。ショッキングでもあり一瞬こっけいとも思えたが、吹き替えだとここ、どう処理したのだろう。

日本はサル学発祥の地でもあるわけだが、モンキー博士として知られるサル学の世界的権威で元京都大学霊長類研究所所長の河合雅雄氏は戦争で人間の暴力性・残虐さを見て、人間とは何かを考える上でサルの研究を志したという。
ここでも暴力的なのは人間の方だし、サルたちは知能が高まるにつれて暴力革命に訴えるようになるわけで、「2001年宇宙の旅」がサルから人間への「進化」を武器を使った殺しに象徴させたのを思わせる。
余談だが、日本でサル学が発達したのはキリスト教文化圏ではないのでが進化論が抵抗なく受け入れられたせいだと思っていたが、河合氏によると先進国でサルが棲んでいるのは日本だけだったからだそうです。そういえばそうだ。

アフリカでチンパンジーたちが狩られるシーン、狩るのは黒人たちというのは現地人だから当然だが、言い方悪いが奴隷狩りで狩られる側だったのが狩る側にまわっているようにちょっと見える。主人公の拝金主義の上司を黒人にしたのも関係の逆転と思え、もともとこのシリーズが人間とサルとの関係を逆転させた衝撃から始まっているのをきちんと踏まえている。
原作者のピエール・ブールが猿と人間の逆転を第二次大戦の日本軍の捕虜だった経験(「戦場にかける橋」)を投影しているというのは、まあ有名な話。

シーザーが木を登るシーンが繰り返されるのが印象的だが、ここでの木は生物の進化を模式化した系統樹とも思え、進化の頂点に立つのが人間ではなくサルというあたりも、関係の逆転といえる。

脳の神経を修復するウィルスが先に人間(アルツハイマーを患っている主人公の父親)に使われ劇的な効果をあげるが、また再発してむしろもっと悪くなるのが、同じウィルスを使われたチンパンジーの運命を予測させるあたり、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」のモルモットと主人公チャーリーの関係を逆転させたものと思われる。

同じウィルスがサルには無害で知能を高めるのに、人間には致命的なものになるというのはエイズウィルスやエボラ出血熱が元はサルの体内にいたのが森を開発したため人間と接触して猛毒になったという説を踏まえてだろう。さまざまな知見を巧みにに織り込んで、続きを期待させるあたり、ストーリーがよくできている。

「猿ではなく、チンパンジーだ」という台詞がある(戸田奈津子訳)が、英語だとmonkeyではなくapeだとなる。
apeに入るのはチンパンジーとオランウータンとゴリラで(あとテナガザルの一種)、今の分類だと人間と同じヒト科で属が違うだけということになるらしい。
(☆☆☆★★★)

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「ツレがうつになりまして。」

2011年10月30日 | 映画
舞台を古びた平屋の一戸建てにして、実家をやはり古びた床屋に設定したのが成功、れっきとした今現在2011年の話で携帯もパソコンも使っているにも関わらず、時間の流れがゆっくりした感じになった。
ハルさんがつげ義春を読んでいるところも、隠遁趣味とまでいかなくても現代のやたらせかされているような勢いからちょっと外れるのと見合っている。

堺雅人のツレ、宮崎あおいのハルさんともにつらい状況でも割とふわっとしていて、うつでもあまりギスギスしないのはいい。
ところどころマンガの日記が入るのも雰囲気を和らげるのに効果的。

やや疑問に思ったのは自殺未遂のくだりで、原作だとちょっとしたことで喧嘩してしまい、夫が風呂場で首を吊りかけているのを知らないで妻はDVだDVだとメールを打っていて、後になって日記で知ってすごいショックを受けるのだが、実際に未遂の場に立ち会ったら、そのあとそうのんきにはしていられないだろう。

うつの人が病院仲間、出版社の編集者、実家に来る青年と他に三人もいて、いくらうつが増えている、あるいは公表するのに抵抗が減っているといってもちょっと多いが、うつのさまざまな面を見せるのには役立つ。

クライマックスが結婚式場の同窓会と原作本の出版後の講演と、二つに分かれているのはちょっと屋上屋を重ねた感じで、同窓会だと夫婦愛とか家族愛といった普遍的な話につながるが、うつの体験を本にするとなるとかなり特殊なケースなので幅が狭まったような気がする。
原作本が出たところでぱっと切ってよかったのではないか。
(☆☆☆★★)

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主演 宮崎あおい 堺雅人
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「悪夢探偵2」

2011年10月29日 | 映画
前作に比べて松田龍平扮する探偵自身の少年期の体験が大幅に織り込まれており、他人の悪夢に入り込むという荒唐無稽な展開のウェイトが下がって自分の内部を探るようになった分、ふつうの精神分析的な展開に近づいた。
代わりにぶっとんだ味わいはやや薄れ、音響デザインもやや常識的なものになっている。

悪夢の怖さ、というのは眠らないわけにはいかないから逃れるわけにもいかず、かといって自分ではコントロールできず、他人が理解も介入もできないところからきているので、他人が入り込めた段階でかなりすでに治ってしまうのではないかという気もする。

精神分析で問題になっている部分を摘出し言語化・客体化できたら、その段階で肉体同様精神にも自然治癒力が働き出すともいいますからね。
(☆☆☆)

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10月29日のつぶやき

2011年10月29日 | Weblog

有楽町マリオンのまわりでバカに人だかりしているので何かと思って通りすぎ(知らない間に列に並んでしまった)、帰ってきてオープンした「ルミネ有楽町店」に詰めかけた列だと知る。無関心な人間には本当になんだかわからないのです。


posted at 17:56:47


【本棚登録】『豪さんのポッド 吉田豪のサブカル交遊録』吉田 豪,照山 紅葉 http://bit.ly/t0V2N3


posted at 16:22:02


【本棚登録】『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書)』八代 嘉美 http://bit.ly/u53IOx


posted at 16:21:02


【本棚登録】『私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)』武田 徹 http://bit.ly/vvgGaK


posted at 16:20:05


【本棚登録】『死を処方する』ジャック キヴォーキアン http://bit.ly/sSMyEp


posted at 16:20:04


見えない「敵」と闘う母 http://www.aera-net.jp/summary/110619_002443.html via @AERAnetjp 黒澤明の「生きものの記録」(1955)が現実化しています。


posted at 11:26:46


もはや透明マントも夢ではない! 瞬時に「蜃気楼」を発生させる装置がすごい – ロケットニュース24(β) http://rocketnews24.com/2011/10/29/146225/ via @RocketNews24 「ゴルゴ13」に見えない軍隊の話があったけれど、当然現実でも考えているでしょうね。


posted at 10:36:53


スティーブ・ジョブスって、ウォルト・ディズニーに似ているような気がする。自分で作るのではなく、人の作ったものの組み合わせのデザインとブランド化で世界を変えたという意味で。


posted at 09:54:37


「悪夢探偵2」 http://dlvr.it/sjNdl


posted at 09:28:02




「レッドバロン(1971)」

2011年10月28日 | 映画
ロジャー・コーマン製作・監督作としては最大級の大作だろう。とはいえ空中撮影は専門の別班が撮り、上流階級のパーティの場面などは節約モード。

複葉機による戦いというのは近代戦と騎士道的(とされる)戦いの間に位置していて、時代とともに手段を選ばない非戦闘員を巻き込んだ大量殺戮に移行して騎士道は滅んでいく、という図式の上に作られることが多いけれど、これはその典型。

最近も同じタイトルの新作があったけれど、CGを使うか使わないかの違いはあっても、図式そのものはあまり変わらない。
しかし空中戦は、やはり実際に空を飛んで撮った方がいいな。
(☆☆☆)

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「秋深き」

2011年10月27日 | 映画
織田作之助(1913~1947)の短編から「秋深き」(1942)と「競馬」(1946)を混ぜている。
前者からは肺を悪くして湯治に行った主人公が妙な男女に会い、男から肺病には石油を飲むといいというアドバイスを受けて本当に飲む羽目になり、腹を壊すというくだりが使われ、後者からは「お寺さん」とあだ名される地味な教師が交詢社というクラブのNo.1と結婚するが、ガンで妻を失い、一代という名前にちなんで競馬で一番を執拗に買い続けるくだり他が使われている。
おおざっぱに言ってタイトルは前者から、内容は後者から主に採用されていて、妻とのなれそめから結婚生活の部分を膨らませて主筋にしている。

作之助自身、1944年に結婚前は酒場勤めだった妻の一枝を亡くしているわけで、かなり私小説な内容とも思われ、だらしのない男としっかりした女との組み合わせは「夫婦善哉」あたりともつながる。八嶋智人と佐藤江梨子の組み合わせは、背の高さの差だけでそういう感じが出た。

余談だけれど、原作にはラジウムによるガンの放射線治療が出てくるので、そんな前からあったのかと思ったら昭和九年に三井財閥が5g100万円(現在の価格で3億8,400万円)で輸入してがん研究会病院に寄贈したのが最初だという。それから十年くらいあとというと、まだ珍しかったのではないだろうか。

映画の方は、今年一月に入水自殺した池田敏春監督の遺作になってしまったわけで、(長いこと、それこそ学生時代から欝病を患っていたらしい)撮ったときかなり体調良くなかったのではないかと思えて正直、画面に力が感じられない。
トレードマークのような夜の雨や、血まみれ泥まみれになって肉体と精神とがともに苦痛にまみれる感じも見られず、大阪の街らしい人間くささもあまり出ていない。
ある時期、ビデオ作品を含めて欠かさず見ていた監督で、綾辻行人の「時計館の殺人」を撮ったらどうだろうと夢想したりもした。残念。
(☆☆★★★)

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10月27日のつぶやき

2011年10月27日 | Weblog

近くの寺にハロウィンの子供たちが集合。まことに日本的な光景。


posted at 16:48:06


生放送中から妙に荒れてたんですけどね。


posted at 11:33:29


小島慶子キラキラaccount_kkojimaにツイートしたらえらい怒った返信があってびっくり。「私はあなたとは夫婦でも友達でもないから、番組さえ聴かなければ安心して暮らせますよ!」とのこと。また怒りに油を注ぐと怖いから、言い返すのはやめます。 


posted at 10:46:11


「秋深き」 http://dlvr.it/sPjyf


posted at 09:48:03




「白夜行」

2011年10月26日 | 映画
原作は主人公二人が強い絆で結ばれているのにも関わらず一緒に出てくるシーンがなく、ラストで同じ場所に居合わせても女は見向きもしない、という描き方をしているので映像化はものすごく難しい、と思われ、実際難しさがもろに出た。

ブリッジ役に船越栄一郎の刑事をもってきているのだれど、この人でつなげるというのはいささかムリがありましたね。他に事件抱えてないわけでもあるまいし。
受け手の想像に任される「裂け目」の部分を出来事の推移のなぞりで埋めてしまっているものだから、どうも散漫。

原作では時代の推移をコンピューターの記憶媒体が音楽テープからフロッピー・ディスクの5インチから3.5インチに、さらに今使われているようなハードディスクなどの大容量媒体にと移っていくのに象徴させているわけだが、単純に字幕で昭和何年と出してしまう。原作であえて避けているやり方なのに。
大道具小道具などの時代色はよく出ていたと思うけれど、積み重なった「時間」の重みは必ずしも出ていない。

堀北真希はふつうに可愛い役を避けて暗い役が多い感じがするけれど、そうムリしなくてもいいと思う。
(☆☆☆)

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「僕たちは世界を変えることができない。 But, we wanna build a school in Cambodia.」

2011年10月25日 | 映画
150万円というと、まがりなりにも事業をする金額とするとあまり大したことないように聞こえるが、いざ若者たちが集めるとなると決して楽ではないのを描きこんでいるのがいい。
ただ、医大に通っているくらいだから家は裕福な方だと思われ、それも含めて家族の描写がまったくないのは少し気になった。

前半はチャラチャラ遊んでばかりだったり、デリヘル嬢を買ったりする場面を置いたりして(セックスはしないが)、若者たちをあまり立派に描きすぎないように気を配っている。

カンボジアのポル・ポト政権の虐殺の跡の描写がかなり長く、半ば若者たちと同化して見るので、知識として知っていたのとは別のショックを覚える。
現地の出演者たちがみんな驚くほど自然な芝居で引き込まれる。

それにしても長いタイトル。日本映画のタイトルとしては「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」が長いこと最長かと思ったら、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」とか、バカに長いのが続く。
(☆☆☆★)

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「一命」

2011年10月23日 | 映画
橋本忍脚本・小林正樹監督・仲代達矢(当時29歳!)主演の1962年作「切腹」のリメイクではなく、同じ滝口康彦原作「異聞浪人記」の再映画化、ということになっているが、「切腹」自体が基本的な設定・構成を原作に全面的に依っているわけで、比較するなというのは無理です。

「切腹」では冒頭、井伊家の古文書が朗読されるところから始まるように、基本的に井伊家城代家老・斉藤勘解由の視点で、来訪した浪人・津雲半四郎の素性と意図を外側から順々に描いていく。
半四郎の台詞を使番が途中から受け継いでそのまま家老に伝える、といった語り口からも、簡単には半四郎の正体と策略を明かさず、何枚もの殻がかぶっているのを一枚づつ剥していくような語り口で、極端に言うと、半四郎の意図というのは最後まで見ても必ずしもはっきりしない、少なくとも簡単に割り切れるものではない。
家老の言っていることの方が筋が通っているではないか、という批評が公開当時からあった。
実際、庭先を借りて切腹をしたいという言い分は、クッションを置かずにいきなりじかに聞くとずいぶん身勝手に聞こえ、その上で感情移入させようという組み立てには無理がある。

「切腹」が押さえていてリメイクからすっぽ抜けているものの一つは、半四郎が大阪の陣以前の「実戦」をくぐり抜けてきた侍だという点だ。
だから仇と狙う井伊家の三人の家臣をそれぞれ一人でいる時を狙って襲うのだし、「刀は切るだけでなく、突くこと、いや敵の刀を叩き折ることもできる」とうそぶき、井伊家が称する赤備えの武勇など「所詮は畳の上の水練」と嘲笑もする。
何が実戦的かという視点を外したため、リメイクのクライマックスの立ち回りは信じられないくらいリアリティを欠いた、バカげたものになった。

実際に戦ってきた侍が、形骸化した武士道の権威を押し戴く井伊家を撃つのに使ったのは、「家族」を大切にするヒューマニズムであるより(それでは明らかに勝ち目はない)、実戦上の技術であり、策略だというアイロニーが、「切腹」にはある。 
一方で、半四郎自身がもっともふさわしい「死に場所」を井伊家に押し付けて、死に花を咲かす自己演出をしたのではないか、といった解釈の余地も残す、一種デモニッシュなキャラクターになっている。
そこから逆に、家老の方も武士道の虚妄など承知の上でそれでも守らなくてはならない、といったニヒリズムの陰影が出た。

今回の家老は役所広司なので前作の三國連太郎のような悪役・仇役という印象は薄れ、自ら介錯するような武士の情けを持つ役になっているが、代わりに竹光で腹を切らせるという残酷な趣向を青木崇高扮する沢潟彦九郎(「切腹」では丹波哲郎、異様な迫力)の個人的なサディスティックな性向に求めてしまっているので、「武士道」の理不尽さとは別物になってしまっている。

武士道批判、というのは1962年ならば大和魂を標榜して泥沼の戦争に突入した日本人の非論理的・悪しき精神主義的体質とダブルイメージで意味を持っただろうが、今だったら官僚主義の弊害の方に近いだろう。
いずれにせよ、ここで描かれるような単純なヒューマニズムで対抗できる相手とは思えない。

表現でいうと明らかに後退しているのをいちいち挙げればきりがないが、「切腹」で半四郎の娘婿の千々岩求女が着替えを求められ見ると用意されているのは死に装束、あるいは用意された脇差を見ると自分のもの(つまり竹光)、という、見せてわからせるという工夫を忘れてもっぱら台詞で言ってしまっている。

食べ物の描写がいろいろと付け加えられているのはいいとして、家に届けられた求女のなきがらから井伊家で出された菓子が出てくるのはムリがある。だいたい菓子を出すいわれはないし、もらったあと風呂に入って二度も着替えをしている。菓子が入りっぱなしなのは不自然。

「切腹」はカンヌで審査員特別賞を受賞している。
それとの関連を等閑にし、そのくせカンヌで上映されたことを宣伝材料とするというのは、今の客は昔の映画など見ちゃいないだろといった驕りを感じる。

橋本忍による構成美の極地といっていい脚本、武満徹作曲の薩摩琵琶の響きと拮抗する仲代以下の朗々たる台詞と場面転換のリズム、美術・撮影の造形美と、「切腹」ほど総体としての映画の力に漲った映画は稀だ。
なぜそれをリメイクするのか見る前もわからなかったし、見たあともわからない。

井伊家の壁の剥げかけた赤色に形骸化した赤備えの武勇を象徴させた表現をはじめ、美術の質感の表現はすぐれたもの。
(☆☆☆)

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「親愛なるきみへ」

2011年10月22日 | 映画
岡枝慎二の「映画スラング 表現辞典」でDear John letterというと、女から男に出す別れの手紙のことだと聞いていたので、原題を聞いてある程度どう展開するかはすぐわかったし、オープニングでもいくらか明かしてしまっている。
(余談だが、「博士の異常な愛情」では核爆弾に不謹慎にもDear Johnと落書きしてあった)
ただ、そこで終わりでなく続きはあるのだが、どうも構成的にバランスが悪い。

片側が一セント、もう片側が五セントになっているエラーコインが象徴的に出てくるのだけれど、何の象徴なのか今ひとつわからない。
(☆☆☆)

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「スクリーム4 ネクスト・ジェネレーション」

2011年10月21日 | 映画
なんか、この映画の世界ではホラー映画しか存在していないみたい。
学生が見るビデオはホラーオンリー、学校や書店の話題はホラー絡みばかり、おかげで日常と殺人鬼が襲ってくる場面との落差があまりなく、殺人鬼が跳梁しても、あまりみんなびっくりしない。

自己言及的というのか、ホラー映画の中でホラー映画を扱う、約束事を意識的になぞったり裏切ったりする、というのがこのシリーズのキモらしく、一作目しか見ていないし、それも内容も出演者もまるで覚えておらず、辛うじて「『13日の金曜日』一作目の犯人は誰か」といった殺人鬼が出す問題を覚えているくらいなのだが、その手がまた盛大に繰り返される。

今回は時代に応じてスマートフォンや小型ビデオカメラが至る所で使われ、要するにメディアが第二の現実になっている状況で、コピーにコピーが、お約束にお約束が重ねられ、ますます「現実感」が希薄になる。
そういうメディア状況自体が殺しを呼ぶわけだが、そういう理屈はちょっぴりで、どうもこれ、アメリカではホラーというよりお約束承知の上で騒ぐコメディあるいはパーティ・ムービーとして受け取られているのではないかという気もする。

殺し場がナイフでぶっ刺すか、ピストルでバンと撃って終わりのどっちかで、あまり工夫がないのが物足りない。
(☆☆★★★)

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ゴースト・フェイスが写ャメに気軽に応じてました。


「電人ザボーガー」

2011年10月20日 | 映画
なんか妙に疲れた。
もともとチャチなので有名(失礼)な特撮ヒーローものを、そのチャチなところを生かしながら再生するという作業自体、相当にややこしくて、前半をオリジナルの概要をなぞり、後半、ヒーローが中年になってその子供たちがドラマ(というのか)に絡んでくる二段構えなので、けっこう長いし、見る側が中年であっても中年になったヒーローに同化するわけでもなく(できる人もいるのかもしれないが)、なんだかまわりくどい。

こちらは特にオタクってわけでもないし、かといって丸っきり無関心でもなく、中途半端に変なものが好きなので見に行ったけれだが、どの立場で見ればいいのか、いろいろギアチェンジしているうちになんか疲れた。何にも考えずに「普通」に見るのが逆に難しいのだね。

ウォーホルのキャンベル・スープやマリリン・モンローではないが、なぞりなおすという行為だけで十分別の意味づけがなされるわけで、マジメに見たら脱力するしかないものを、なぞって一定の距離を置くことではっきり笑えるものとして提出できているので、ちょっと屋上屋を重ねた感じ。
とはいえ、特にオリジナルに興味のなかった人間が見てもわかるし、かなり楽しめるようにできている。

それにしても、日本のヒーローものって、「敵」を身内に設定する方に傾きますね。
古原靖久が二の線でマジメにやっていて可笑しい。
(☆☆☆)
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「モテキ」

2011年10月18日 | 映画
麻生久美子が吉野屋の牛丼を食べるところは、近来もっともおいしそうな食事シーン。牛丼そのものはほとんど写らないでほっぺたに米粒がついているだけ、周囲がびっくりしているところを見るとすごくたくさん食べているのだろうが、重なった丼とか見せない。おいしそうなのは変な風に「見せない」せいか。
撮影の時は、わざわざ吉野屋の腕のいい店長がみごとにきちっと盛り付けてくれたと監督の大根仁がTBSラジオのDigで話していた。ちなみに監督は自称・吉野屋原理主義者。学生時代は盛り付けが悪いと店を出たという。

なんだかふだんラジオやポッドキャストなどで聞いている連中の出演多し。吉田豪、杉作J太郎、ピエール滝などなど。ラジオにレギュラー出演している監督の人脈か。

画面がそのままカラオケビデオ調になったり、ミュージカルシーンになったりするあたりに音楽センスを見せる。
森山未来はもう見ていられないくらいイタい役なわけだが、突然身を翻したり踊りだしたりするところで身体能力を見せる。考えてみると冴えない男が幻想のミュージカルナンバーで颯爽としたところを見せるのは昔からの定番なのだね。(後註 五歳の時から踊っているそうです。うまいわけだ)

会社の上司・先輩たちが主人公のツィッターを見て大笑いしているというのはいいけれど、パスワード知らなくたって、本名でやっているツイッターをフォローするのに支障ないでしょ。というか、誰が見ているかわからないのに、無用心すぎ。

美女が四人そろい踏みというので見に行ったようなものだが、実質は長澤まさみが主で麻生久美子が従、あとの二人はおつきあい程度。四人揃うのはタイトルバックだけだし。
真木よう子は男でもいい役(なのを美人にやらせてるから、なおさらイタいわけだが)。仲里依沙に子持ちの役をふったのは工夫だけれど、出てなくても筋は通ります。

現代風の意匠をまとっていても、最終的にオーソドックスというか古典的な恋愛コメディに収まる。そのせいかキスシーンに力が入っている。
(☆☆☆★)

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「ザ・タウン」

2011年10月17日 | 映画
限られた地域に、犯罪者もそこから出て行く上昇志向者も顔を突き合せるくらい接近して住んでいるものすごく狭い世界の感じが良く出ている。
狭い道を生かしたカーチェイスなどアクションはあまり多くないが、ぴりっとしている。

花屋のオヤジが一番の悪だったりする不思議なヒラエルキーはおもしろいけれど、残念ながら演じるピート・ポスルスウェイトがかなり身体が弱っているようで(これが遺作。今年の1月2日にガンで死去。64歳)、「父の祈りを」あたりの冴えは見られない。贔屓だっただけに残念。

代わりに主演のベン・アフレックの幼馴染役のジェレミー・レナーをはじめ、脇がみんないい。キャスティングに監督アフレックは腕を見せる。盟友マット・デイモンも監督デビューするらしい。
(☆☆☆★)

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