我々全ては空(くう)そのものだ。
その空(くう)の中に充満する微細な波動エネルギーが、
全ての事物の姿かたちを描き出しているのである。
あなたの身体もそうだ。
ある意味で、カスミのようなものなのである。
VR(バーチャル・リアリティー)は何も、コンピュータCGの世界ではなく、
この世界、あなたやわたしたちの事・・”そのもの”なのであると・・知るべきである。
空(くう)の中に充満する微細な波動エネルギーが、
全ての事物の姿かたちを描き出しているのである。
我々の認識が3次元的であるからして、それは3次元的な描画となる。
言葉を換えれば、今此処においては、
3次元的な描画、創造を・・観察しているということだ。
目の前の世界・環境も、見あげて嘆息する天も、宇宙も・・それだ。
20世紀から物質形を探求する物理科学の結論は、
空間のエネルギー占有率は10-15乗程度のスカスカ状態だということだ。
これは原子核と電子の関係を調べれば誰でも理解可能である。
まさか、科学的な観察記録まで「フェイク」ではなかろう。(笑)
ディラックやボーム、アインシュタイン達がユダヤ系だろうがそうでなかろうが、
嘘の数式や観測報告、学術論文を一生掛けて提示したと思うのだろうか?
お金や名誉のために?
あなたがみかんを手に取り、皮をむいて食する・・、
体感や触感では実に物理的なものと感じているのだが、
それら物体、物質なるものは、
微細な波動・エネルギーの重合せる諸形態に過ぎない。
その物質同士が反発するために、手で物をつかみ、足は大地に立ち、
身体が椅子に座ることが出来るのである。
波動が波動に反発するために、あたかもそこに物質があると感じるし、
実際に物質と物質が反発しあっていることを観察している。
あなたは扇風機に手を突っ込んで痛い目にあったことはないか?
振動回転する物体に触れば反発するだろう。
また熱も分子の振動であり、ブーンという音はしないが(笑)、
分子レベルで振動が大きくなると”熱く”なるのだ。
電子レンジは直接にマイクロ波で、水の分子を振動させるものだ。
熱も振動・波動なのだ。
ミクロからマクロまで、
自然や生命は、全て様々な動きを行っているが、
それらの元に在るのは、微細な波動エネルギーの振動・波動、
渦を巻くような回転であると言えよう。
素粒子は、存在そのものが波動関数で説明されるし、
電子は原子核の周りをぐるぐる回転・振動し、自らも自転(スピン)している。
原子は結合し・分子となって振動している。
細胞は内部で諸機能が複雑に”活動”している。
人間や動物、植物そして鉱物さえも、つまりすべての「物質形」であるが、
それらは全て・・波動・振動・エネルギーなのである。
山川草木・国土悉皆・成仏・・、とは仏教的な物言いだが、
あらゆる全ては・・神仏・・根本的なエネルギーの自在表現である。
これは、何か違う世界や他人のことではなく、
それぞれの「わたし」の事である。
頭で想定する1つの架空理論や小説ではなく、「事実」の認識である。
わたしたちは、波動・エネルギーそのものである。
山川草木・・岩、土地、都会、ビル、すべての事物は、
1つとて同じものが無い、様々な姿形を現じているが、
それは・・・
波動・エネルギーの出現、形態化の多様性を示しており、
それは「意識」そして「意図」あるいは
「想念」という設計・情報が載っているということである。
単に空(くう)から生じる微細な波動・エネルギーが、
だらだら偶然に、勝手気ままにランダムに現象化するものではなく、
宇宙・大自然においても、人間の作る人工物においても、
大いなる意図、シナリオ、想い、想像、創意といいう、
いわば「情報」が重畳されているのである。
宇宙すべてに関したそれを「宇宙意識」といい、
人に関したそれを「意識」と呼ぶならば、
その中に含まれる人間社会、あるいはどんな宇宙文明と言えども、
それらを表現する意識の内容とでもいえる・・・想念があるという事だ。
あなたの人生も環境も、あなたの想念で形作られてきた。
意識があり・・意識の表現型たる「想念」がある!
空より生じ、空に帰す、無限のエネルギー・波動こそが、
存在諸世界の根源・ソースであり、
別の表現でいえば「根源的な気付き」である。
またそれらに気づき、
無限な多様性として表現するのが「意識」である。
高度な意識表現を行う存在、たとえば人の・・、意識上の意図・・が、
・・・想念であり、
その想念が、その意識存在の自己表現として世界展開する。
あなたの想念が・・最も重要なのである。
どういう世界にあるのか、どうするのか、
どう生れてどう死ぬこと、人生、仕事等という小さな事も含め、
来世や過去世という、魂の自己投入する時空間物語に関することも含め、
あなたの、想念、
あるいはこころ・マインドがそのシナリオライターである。
もちろん、想念、こころ・マインドを観ること、
そして自在にマインドにシナリオを書き込めるような
”意識”の視座に昇ることがさらに重要なことである。
そのために・・真の意味での「瞑想」、
自己内面への意識的探求、
騒ぐマインドの浄化と静寂への修練、・・
今此処で身体を持つ間、つまり今の人生の間にこそ、
それらは必須であると心得るべきでる。
頭での霊的?知識の見聞き、記憶だけでは不十分であろう。
騒ぎの増大するこの世界の終幕劇に、
”こころ奪われないように”しなくてはなるまい。
気付ける・・者だけが、それに気づける、
知る者だけが、それを知る・・、
そう言い方は理解可能だろうか?
それを意識の進化と言い、あるいはアセンションと言い、
今のこの世界という、集合・共同創造物語の終わりにあたっての、
根源から分化した魂・「意識」の卒業テーマである。
その空(くう)の中に充満する微細な波動エネルギーが、
全ての事物の姿かたちを描き出しているのである。
あなたの身体もそうだ。
ある意味で、カスミのようなものなのである。
VR(バーチャル・リアリティー)は何も、コンピュータCGの世界ではなく、
この世界、あなたやわたしたちの事・・”そのもの”なのであると・・知るべきである。
空(くう)の中に充満する微細な波動エネルギーが、
全ての事物の姿かたちを描き出しているのである。
我々の認識が3次元的であるからして、それは3次元的な描画となる。
言葉を換えれば、今此処においては、
3次元的な描画、創造を・・観察しているということだ。
目の前の世界・環境も、見あげて嘆息する天も、宇宙も・・それだ。
20世紀から物質形を探求する物理科学の結論は、
空間のエネルギー占有率は10-15乗程度のスカスカ状態だということだ。
これは原子核と電子の関係を調べれば誰でも理解可能である。
まさか、科学的な観察記録まで「フェイク」ではなかろう。(笑)
ディラックやボーム、アインシュタイン達がユダヤ系だろうがそうでなかろうが、
嘘の数式や観測報告、学術論文を一生掛けて提示したと思うのだろうか?
お金や名誉のために?
あなたがみかんを手に取り、皮をむいて食する・・、
体感や触感では実に物理的なものと感じているのだが、
それら物体、物質なるものは、
微細な波動・エネルギーの重合せる諸形態に過ぎない。
その物質同士が反発するために、手で物をつかみ、足は大地に立ち、
身体が椅子に座ることが出来るのである。
波動が波動に反発するために、あたかもそこに物質があると感じるし、
実際に物質と物質が反発しあっていることを観察している。
あなたは扇風機に手を突っ込んで痛い目にあったことはないか?
振動回転する物体に触れば反発するだろう。
また熱も分子の振動であり、ブーンという音はしないが(笑)、
分子レベルで振動が大きくなると”熱く”なるのだ。
電子レンジは直接にマイクロ波で、水の分子を振動させるものだ。
熱も振動・波動なのだ。
ミクロからマクロまで、
自然や生命は、全て様々な動きを行っているが、
それらの元に在るのは、微細な波動エネルギーの振動・波動、
渦を巻くような回転であると言えよう。
素粒子は、存在そのものが波動関数で説明されるし、
電子は原子核の周りをぐるぐる回転・振動し、自らも自転(スピン)している。
原子は結合し・分子となって振動している。
細胞は内部で諸機能が複雑に”活動”している。
人間や動物、植物そして鉱物さえも、つまりすべての「物質形」であるが、
それらは全て・・波動・振動・エネルギーなのである。
山川草木・国土悉皆・成仏・・、とは仏教的な物言いだが、
あらゆる全ては・・神仏・・根本的なエネルギーの自在表現である。
これは、何か違う世界や他人のことではなく、
それぞれの「わたし」の事である。
頭で想定する1つの架空理論や小説ではなく、「事実」の認識である。
わたしたちは、波動・エネルギーそのものである。
山川草木・・岩、土地、都会、ビル、すべての事物は、
1つとて同じものが無い、様々な姿形を現じているが、
それは・・・
波動・エネルギーの出現、形態化の多様性を示しており、
それは「意識」そして「意図」あるいは
「想念」という設計・情報が載っているということである。
単に空(くう)から生じる微細な波動・エネルギーが、
だらだら偶然に、勝手気ままにランダムに現象化するものではなく、
宇宙・大自然においても、人間の作る人工物においても、
大いなる意図、シナリオ、想い、想像、創意といいう、
いわば「情報」が重畳されているのである。
宇宙すべてに関したそれを「宇宙意識」といい、
人に関したそれを「意識」と呼ぶならば、
その中に含まれる人間社会、あるいはどんな宇宙文明と言えども、
それらを表現する意識の内容とでもいえる・・・想念があるという事だ。
あなたの人生も環境も、あなたの想念で形作られてきた。
意識があり・・意識の表現型たる「想念」がある!
空より生じ、空に帰す、無限のエネルギー・波動こそが、
存在諸世界の根源・ソースであり、
別の表現でいえば「根源的な気付き」である。
またそれらに気づき、
無限な多様性として表現するのが「意識」である。
高度な意識表現を行う存在、たとえば人の・・、意識上の意図・・が、
・・・想念であり、
その想念が、その意識存在の自己表現として世界展開する。
あなたの想念が・・最も重要なのである。
どういう世界にあるのか、どうするのか、
どう生れてどう死ぬこと、人生、仕事等という小さな事も含め、
来世や過去世という、魂の自己投入する時空間物語に関することも含め、
あなたの、想念、
あるいはこころ・マインドがそのシナリオライターである。
もちろん、想念、こころ・マインドを観ること、
そして自在にマインドにシナリオを書き込めるような
”意識”の視座に昇ることがさらに重要なことである。
そのために・・真の意味での「瞑想」、
自己内面への意識的探求、
騒ぐマインドの浄化と静寂への修練、・・
今此処で身体を持つ間、つまり今の人生の間にこそ、
それらは必須であると心得るべきでる。
頭での霊的?知識の見聞き、記憶だけでは不十分であろう。
騒ぎの増大するこの世界の終幕劇に、
”こころ奪われないように”しなくてはなるまい。
気付ける・・者だけが、それに気づける、
知る者だけが、それを知る・・、
そう言い方は理解可能だろうか?
それを意識の進化と言い、あるいはアセンションと言い、
今のこの世界という、集合・共同創造物語の終わりにあたっての、
根源から分化した魂・「意識」の卒業テーマである。