気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

空(くう)の話 その3 次元創生

2018-01-07 08:28:40 | 真我実現シリーズ
空(くう)は我々そのものである。
身体は原子で作られ、その原子はスカスカどころか、
ほとんど存在しないかのようなエネルギー振動なのである。


絵では大きいが、実際は極めて小さい、なんとなくこんな感じの微細エネルギーの振動が全ての事物を映し出している。この幻想世界、いわば3次元立体映画の最小画素のようなものだろう。




空(くう)の中に揺らぎが起き、振動エネルギーとなる。
その振動エネルギーが重合・離散、共鳴・反発という「踊り」を繰り返し、
微細なものから粗大なものものまで、その表現型を出現させている。

原子核、分子、細胞あるいは結晶など、山、川、草、木、大地、惑星、恒星、
銀河、銀河団、超銀河団・・、人が知覚するあらゆるものが・・
空(くう)から生じ、空(くう)に帰すことを繰り返している。
あらゆる知覚現象は、いわば、存在と非存在を点滅して繰り返しながら、
その姿を現出させているのである。



どこかほかのことではなく、
あなたの身体も・・そうして出現しているのである。
そして、空(くう)には次元がない・・!
あるいは無限に次元を蔵するともいえるのだ。
どこもかしこも空(くう)、
どこの空(くう)も、かしこの空(くう)も同じ・・ひとつなのだ。

そこに波動が生じ、エネルギーの事象が生じれば、距離や時間が生じる。
つまりそこに、1つの周波数帯域ともいえる、
ある個性ある”時空”が生じるのである。

地球という惑星も、エネルギー波動の重合せるものであり、
そこに”意識”が参入するによって、つまり人間によって、
物質・運動・時間という”時空間認識”が生まれるということである。

あるいは地球という意識・マインドの波動の中に、
新たに意識生命体が参入することで、共同創造するともいえる。



ちょっとそれるかもしれないが、
宇宙人がいるとか、何とか・・これも実は当たり前の話であるが、
どうしても3次元的な宇宙観が先走るため、
今までの地球の常識観念で物を見てしまう。つまり、
地球の国々や、人々の間の争いや、軋轢、確執の、
おどろおどろしさの延長になり、これまた恐怖の色合いが濃くなってしまう。

(私事ながら、宇宙人という呼び名も変だが、この地球世界の者ではない存在?・・に何度か遭遇したことがある。しかしながら空からヒューと円盤で降りてきたり、「ワ、ワタシハ・・ウチュウカラ・・」等とは言わない・・(大笑))


1m数十センチの肉体としての私個人は、宇宙の中の1小部分以下の存在だが、
それを知覚認識している、気づいている「意識」「きづき」のわたしは、
宇宙をその意識の内に・・包含しているのである。

そういうレベルの自己認識に至れば、
宇宙人とか何とかの話も、当然地球人とか同国人とか、人類とか、
それらもすべて・・大いなるひとつの・・わたし・・の中にあることを知るだろう。

肉体個人の無知同士の間では、自我生存のため、
敵対も和解もある段階があるものの、
真我、神我、あるいは根源・ソースに気づけるならば、
ひとつの・・わたしには・・
わたしに敵対する・・別のわたしなどいないことがわかるはずだ。

すべてはひとつ、・・1個2個の・・ひとつではない。
意識はひとつ、私、貴方、彼氏・・それぞれの個別意識は、
無限意識の表層の無数の表面波である。


何度も言うが、時空間があり・・そして、肉体を有す人類が生じた・・ではなく、
意識が目覚め・・知覚し、認識するからこそ、その認識世界が造られるのだ。

「わたしは単に肉体である」・・という自己認識と、
「わたしはそれを可能とする”魂・意識”である」という自己認識の違いは、
まったく「次元」の違いということなのだ。

心すべきことは、次元はどこかの世界のことではなく、
今・・在る・・ことだ。
ここ、そこ、いつか・・過去、未来・・

それを外した、今・・のことだ。
無限の可能性・・それは・・空(くう)でもある。



この図は、空間から微細なエネルギーが出現消滅していることを示す。中性な空(くう)に”ひずみ”が生じ、正と負、粒子・反粒子、電子・陽電子などとなって分極しつつ、また空(くう)に帰すことを繰り返している


空(くう)に帰すことを”消滅”や”死ぬこと”・・などと言って嫌うのは、
あまりにも物質だけを重視する”世俗的観念”が故であり、
その場合は、出現消滅を繰り返しつつ続くところの、
永遠不滅の自己連続性に気づくことができない。

そこ、ここに・・現れている事物や自称に執着し、
いわゆる3次元的時空間とその出現事象に
その意識を釘づけにしている間は、
それをそう有らしめている”法則”自体になかなか気づかない。、

しかしながら、今はもう、
人類は、原子やクオークの在り方をうかがい知る段階にあり、
人が後生大事にしている、財産や食物、土地や、そして身体までも、
ただただ、微細な振動エネルギーの点滅のようなものだと気づいたからには、
そう、それらに”気づく”わたしとは何なのか?
うかがい知ることができるはずなのである。

あらゆる事象、事物・・つまりそれは”知覚”対象物であり、
わたしが・・知覚しているからこそ、そこに在る・・のである。

壮大すぎてそれが実在だと・・騙されてしまう宇宙でさえも、知覚対象でしかない。

まず、
この単純な、そして重大な事実に、真に気づくべきである。

それぞれの・・わたしが在るからこそ・・その知覚世界が展開する。

その逆ではなかったのである。



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