気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あらゆるすべては波動(4)波動≡存在の反映

2017-01-21 06:58:00 | 宇宙時代の考え方


(水面に天から何かが降りてきて波紋を生じるという絵柄)

空(くう)に天の?意図が生じて、その空(くう)に揺らぎが起き、それが「波動」となる。
空(くう)はまた普遍的意識とも言われ、無際限の潜在波動で満ちているからこそ、
そこに様々な意図を織りなす波動が生まれているのだ。
波動に乗る意図・・それを情報ともいうが、物体も思考もそれ・・
そう思考も、もろに意図を乗せた波動、思い、想念である。

波動は振動、エネルギー・・つまり・・存在の反映のことである。
あらゆるものは波動現象となって、多次元宇宙を映し出す。
あなたは今・・そこにいる。

そして、それを目撃している・・あなたは何か?
というより、あなたはあなた自身の<反映>を目撃しているのである。
あなたが今生きている、あらゆる波動を感じている・・ということはそういう意味だ。

さて、
もとは何もない・・空(くう)に何が起きたのだろうか?
起きたのは波の動き、波動だが、もともと何も無くて起きるものはない。

ところで、「無」は・・無いことを意味するもので、
「無いものは・・無い・・」という概念のことだ。

無から有が生まれることはないだろうし、
また無とは人間の作りあげる概念以外の何物でもない。
無は・・文字通り・・無い。(笑)

だからあなたは決して「無」ではない。
あなたは今・・自分が<在る>ことを・・感じている・・。

体の触感、見ていること、聞いていること、それらの五感情報を受けていること、
かつまたそれらを思い巡らしていること。。
そして周囲の時空も、様々な物体も、五感で感じることも、そして思いさえも、
つまり<波動>なのだ。

波動・・それが存在の実感を創っているのである。
それを存在、在ること・・の「反映」と言っている。
どこか遠くにあるわけではなく・・今・・そこに、ここに「在る」。
存在を感じていること・・在ることに気付いていること・・
振動、波動、エネルギー・・で・・在る・・ことを感じているのだ。

つまり・・波動≡存在の反映・・なのである。

すべては・・今存在している・・わけで、その本質は消えることもなく、
またかつて・・過去に、生まれたこともないのである。

皮相な物質科学でさえも、物体はエネルギーであって、
エネルギーは保存されるということになっている。

エネルギーは消えない・・ということは、かつて生まれたという過去もない、
ということになるではないか。
伝わっているだろうか・・。

「えー?何それ!・・生まれたこともないって・・、それはないよ!
わたしゃ赤ん坊で生まれたんです!
そしてここまで生きてきたし、今は大人ですよ、
親が写してくれた赤ん坊のころの写真もあるし・・。」

と言うだろうが、それは「身体」の話である。
また次第に物心ついてきて自意識が芽生えて来たため、
「私はその時に生まれた・・」と思うもの。
そうではないか?
でもそれは、身体の細胞の成長と、体験と思いの記憶の蓄積による自我意識、個人意識。
意識の働きではあるが、肉体個人としての意識である。

しかしながら、今回生じたように見える、
その自我意識が生じるのは・・なぜだろう?

偶然なのか?・・・頭脳神経細胞が勝手に作っている?
脳細胞間のインパルス電気信号で?
もっともらしい回答だが、それら、まったく問題回避の答えである。

不滅の意識、魂が無くして個人意識は出現しない。

物質のエネルギーでさえもそれが保存される
・・波動・振動・エネルギー自体は保存される、つまり消えなく持続される。
あらゆるものが波動、振動、エネルギーであれば、
エネルギー自体は・・形を変えて存在・・する、つまり、
形は違えど、元のエネルギーは、
生まれたことも死んだこともないということだ。

その証拠に、いま・・わたしは在る・・!ではないか。

聖者、ニサルガダッタ・マハラジが、
「わたしは・・かつて生まれたことも死んだこともない!」と断言したのは、
まったく正しい・・大正解のコンコンチキだ。(大笑)

この世に母の体内から生まれるということは、
この世界を体験するために・・あなたが・・ここにやってきた、
あるいは参入してきた、または<自分を投入>してきた、
そのル-ト「設定」、1つの体験参入プロセスのこと。
別の意味では、自他で無条件の愛を感じるためのプロセスともいえよう。



「生まれる」ということはそれである。
また「死ぬ」ということは、単にその逆のプロセスなのである。

多くの魂たちは、この世の倣(なら)いというか、やむかたなく、
あるいは人のふり見て、それに倣い、
自分の身体・肉体に、自らの<意識>を釘付けにしているだけなのだ。

それは、例えて言われるように、
映画を見始めてだんだんと周囲状況に慣れてきて、
その物語になじんで行きつつ、面白みや苦痛を・・真剣に感じてくる、
・・・あれだ。

もっとも、世間というか世界の常識というか、物質としての自分を、
それを小さい頃から、これでもかというぐらいに教え込まれ、また、
肉親からの方向違いの愛?をも受けつつ、がんばれがんばれと励まされ、
その時々の社会の支配構造への組み込みが行われるわけなのだ。

なんだか、ばらばらになった様々な事実を、ばらばらに教科別に食べて成長する、
何か養鶏場の、ニワトリのようではないか?
ちょっとシュールが過ぎるだろうか・・・(笑)

そうして、集合意識の流れのなかで、安住するべく、
必死になって・・歯車の中のネズミのように生き、
そのうち歯車を回すのに疲れてくれば、優し気に・・お払い箱に移される・・
「あなた認知症ですね・・」
「うちのとおさん、ボケが始まってねー、困ったもんなの・・」(笑)

毎日毎日、メディアで盛んに宣伝するのはそういう生き方であると気づけるだろうか。
あれがおいしい、これがナウい、金稼いでどんどん使え・・回して使って税を増やせ・・?、
さらには、様々な病気を次から次へと親切に教えてもらいながら、
次々におびえて過ごす人も多いかもしれない。
「こわい・・こわい・・!」

そのような世界は楽しかったろうか?
気づける人には笑える話なのだろうが、それもかなりシュール(皮肉)な笑いかもしれない。

そういう歪んだものが五万と出てきたこの世界、汚れた波動で満ちてしまったこの世界、
とうとう地球が疲れ果てて、その病を癒すべく、大いなるシフトに移行せざるを得ず、
結果として、その上に乗って騒いでいた爛熟機械文明は、とうとうその実が地に落ちる時節が到来したようである。

すぐにどうなるでもないが、気づけばあっという間となるだろう。

いやしかし、驚天動地の事象に出くわさない限り、
気づかぬ人が未だ多くいる・・ということ自体が、
3次元劇場ならではの、とんでもなく奇跡的な事なのかもしれない。
・・・

なるほど、
今までの設定のような、3次元と言われる時空世界では、
自らが、その人生において何が真実なのか・・を探求しなければ、
ばらばらの世界の中の、ばらばらの中の1つの小片の存在として終わってしまうことにもなるわけだ。
分離した肉体個人としての自覚で終わってしまい、またぞろ、再チャレンジで同じ時空に生まれてくる。
輪廻転生という、そういう仕組みといえば、仕組みであったわけなのだ。

すでに気づいていた?

あなたが自分は肉体だ・・と「思っている」あるいは信じているならば、
死んだら終わりなので、生まれ変わっても、これが初めてだと・・いつも思うかもしれない。
今回、誰でも最初はそう思っていたのではないか?

人によって、いわゆるスピリチュアルな世界に触れるということは、
そういう無意識に回し続ける輪廻に飽きた、あるいは解脱可能な魂波動までに高まった存在であり、
そういう人達は、もっと違う自分の側面に気づく、つまり過去生や前世のことをも意識するようになり、
例えば私はこうだった・・かも?と思うようになることは、
その過去生や前世の具体的な内容の、事細かな真偽のほどは別として、
少なくとも、より大きなわたし・・意識の波動に、次第に共鳴するようになった証なのである。

この世界の波動も大きく変わろうとしていることと合わせ、
その世界に、交差・参入した魂たちの波動も大きく変わっているのが現状である。
より大きなわたしへの帰還ともいえようか。

その・大きなわたし、本当のわたし、真我ともいえるそれ
・・究極は、

・・・・実は何でもないものだ。
そう・・、マジに・・なんでもないものだ。(笑)

相対的次元から見た空(くう)は何もなく見えるが、
そうであるからこそ、無限なのである。
・・・伝わっているだろうか?

何でもないから、・・・何にでもなるわけで、
それはまた、元は・・何でもない空(くう)であるからこそ、
逆に、
あらゆるものが充満している完全無欠のそれであるがゆえに、
言い換えれば、無限の可能性、叡智、愛、生命であるがゆえに、
様々な波動を生じさせることができるのである。


「わたしは、かつて生まれたことも死んだこともない」
・・ニサルガダッタ・マハラジ。


あなたはどう思い、どう感じる?