人間社会の出来事の全ては、なんで出来ているかと言えば、
それは「こころ」の働きである。
「こころ」がどこに在るのか?・・そういう人がいるだろうが、
ここ、そこ、あそこ、あらゆる造物が・・こころの表現物であることに気付かなければならない。
ビルや道路、家屋や調度品さえも、誰かの「こころ」を顕したものなのだ。
「この品物はお金で買った、結構値段高いんだ・・」等と言うところで終っているだろうが、
あなたが買って、所有しているすべての商品、製品などもすべて、
誰かが考案、設計、イメージしてできたものなのである。
人間社会の中構造物の、100%全て・・・人の「こころ」の生成物なのである。
物質、分子、原子等はどんな形にもなるも材料であって、
それをどんな形や機能にするかというのは、すべて「こころ」によっている。
宇宙は、無限の空(くう)の中に、意識と意図で描き出された多次元絵画のようなもの、
それと全く同じことなのである。
意識と意図、それは人間においては、目に見えない「思考」、
イメージ、感情、意欲等と言う形で現れている。
思考は、私の頭脳が作っている・・と、あなたは「考えて」いるかもしれない。
あなたの目の奥の頭蓋骨の中の脳細胞が、
ピキピキ・・と神経細胞間の電気信号を発生しているからだと、そう「思って」いるのではなかろうか。
この、・・頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。
そもそも、「思考」無くして、こういう仕組みを想定することもできないのだ。
ここで、おいおい!という感じがあればしめたもの、でも実際・・そうなのだ。
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
さらに、常に頭の中に?・・沸き起こる「思考」が、
そこでオリジナルに生成されているという証拠はない。
神経細胞の電気化学的な反応は観測されるが、
それが、その細胞の独自な生成信号と言う証拠はないのである。
あなたがお持ちのスマホやパソコンは、いまほとんどが、
機器の外からダウンロードされるものであることは知っているかもしれない。
昨今進化したコンピュータ、端末システムは、
実際には人間のそういう仕組みの応用なのだと・・気付けるだろうか?
・・・
そう、思考は頭脳・・そこで発生するわけではない。
誤解を招きそうな謂い方だが、頭脳細胞で「思考」を受信しているのだ。
思考は自己の生成ではなく、言わば受信したものなのだ。
・・・
受信するという事は、発信源があるという事になり、
それじゃ、発信源はどこか?となるが、
「思考」の発信源は・・・電波塔、中枢のサーバーではなく、(笑)
宇宙に遍満する意識と意図、ざっくばらんに言えば「神の思考」、
創造主の自己観想波動とも言えよう。
今は誤解の実に多い宗教的な言い方になるが、
あなたの思考は、神の無限の思考の、その一端を受信しているのである。
小さなものから、大きなものまで、闇の底から光の範囲まで、
清潔なものから汚泥に満ちたものまで、
様々な周波数帯域の全てを通して、
あらゆる創造の波動が生み出されているわけで、
そのどれに波長を合わせているかが・・・肝心なのである。
どの思考に波長を合わせるかは、「魂の振動波長」によるもの。
意識が高まれば、それだけ思考や想念が純化、拡大、深化することになる。
悩みという悩みの・・そのすべては「思考」である。
物の過多でも環境の善悪でもない・・・自分のかどうかは別として、
それは単に・・「思考」なのだ!・・という事に気付かなければならい。
・・・
人々の思考は、無限にわたって瞬間に伝搬している神の想念、
その一端を受けて、あたかも自己で造ったものだと「思考」しているのだ。
・・・
頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
その思考は、どこから来ているのかと言えば、
創造の本源・・文字通り・・根元・ソースから来ている。
だから思考の働きを有する人間は「神の子」と言われる。
人は皆、神の子だというのは最も真髄に近い表現であり、
なるほど、子供だから泥遊びも喧嘩もするように、
様々なくだらない思考にもこだわり、その為に何世にも渡ってカルマを繰り返し、
あー、これは違う、あれも違うと・・・真に「魂で体得」するまで、
様々な世界で遊ぶことが出来るのである。
そうやって、多次元波動の全てを含む、
本質たる「魂」・神の子が大人(神)になるプロセスを歩いている。
・・・
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
人間が勝手に単独に、頭脳で思考を作っているわけではない。
あなたのこころは、ここに在らず、物質肉体内部に在らず、
それは、あらゆる全てのすべての・・神の思考の・・ほんの一部なのである。
思考自体を、それを観察対象としなければ、これを真に体得することはないだろう。
それまでは、世間・世界に網を張っていいるマトリクスにハマってしまい、
自分を単独別箇の個人という「思考」から抜け出し難いかもしれない。
どこでも、誰でも、いつでも可能な事、・・実に地味な在り方なのだが、
自分の「思考」を、自分以外のそれとして観ることだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
それは「こころ」の働きである。
「こころ」がどこに在るのか?・・そういう人がいるだろうが、
ここ、そこ、あそこ、あらゆる造物が・・こころの表現物であることに気付かなければならない。
ビルや道路、家屋や調度品さえも、誰かの「こころ」を顕したものなのだ。
「この品物はお金で買った、結構値段高いんだ・・」等と言うところで終っているだろうが、
あなたが買って、所有しているすべての商品、製品などもすべて、
誰かが考案、設計、イメージしてできたものなのである。
人間社会の中構造物の、100%全て・・・人の「こころ」の生成物なのである。
物質、分子、原子等はどんな形にもなるも材料であって、
それをどんな形や機能にするかというのは、すべて「こころ」によっている。
宇宙は、無限の空(くう)の中に、意識と意図で描き出された多次元絵画のようなもの、
それと全く同じことなのである。
意識と意図、それは人間においては、目に見えない「思考」、
イメージ、感情、意欲等と言う形で現れている。
思考は、私の頭脳が作っている・・と、あなたは「考えて」いるかもしれない。
あなたの目の奥の頭蓋骨の中の脳細胞が、
ピキピキ・・と神経細胞間の電気信号を発生しているからだと、そう「思って」いるのではなかろうか。
この、・・頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。
そもそも、「思考」無くして、こういう仕組みを想定することもできないのだ。
ここで、おいおい!という感じがあればしめたもの、でも実際・・そうなのだ。
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
さらに、常に頭の中に?・・沸き起こる「思考」が、
そこでオリジナルに生成されているという証拠はない。
神経細胞の電気化学的な反応は観測されるが、
それが、その細胞の独自な生成信号と言う証拠はないのである。
あなたがお持ちのスマホやパソコンは、いまほとんどが、
機器の外からダウンロードされるものであることは知っているかもしれない。
昨今進化したコンピュータ、端末システムは、
実際には人間のそういう仕組みの応用なのだと・・気付けるだろうか?
・・・
そう、思考は頭脳・・そこで発生するわけではない。
誤解を招きそうな謂い方だが、頭脳細胞で「思考」を受信しているのだ。
思考は自己の生成ではなく、言わば受信したものなのだ。
・・・
受信するという事は、発信源があるという事になり、
それじゃ、発信源はどこか?となるが、
「思考」の発信源は・・・電波塔、中枢のサーバーではなく、(笑)
宇宙に遍満する意識と意図、ざっくばらんに言えば「神の思考」、
創造主の自己観想波動とも言えよう。
今は誤解の実に多い宗教的な言い方になるが、
あなたの思考は、神の無限の思考の、その一端を受信しているのである。
小さなものから、大きなものまで、闇の底から光の範囲まで、
清潔なものから汚泥に満ちたものまで、
様々な周波数帯域の全てを通して、
あらゆる創造の波動が生み出されているわけで、
そのどれに波長を合わせているかが・・・肝心なのである。
どの思考に波長を合わせるかは、「魂の振動波長」によるもの。
意識が高まれば、それだけ思考や想念が純化、拡大、深化することになる。
悩みという悩みの・・そのすべては「思考」である。
物の過多でも環境の善悪でもない・・・自分のかどうかは別として、
それは単に・・「思考」なのだ!・・という事に気付かなければならい。
・・・
人々の思考は、無限にわたって瞬間に伝搬している神の想念、
その一端を受けて、あたかも自己で造ったものだと「思考」しているのだ。
・・・
頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
その思考は、どこから来ているのかと言えば、
創造の本源・・文字通り・・根元・ソースから来ている。
だから思考の働きを有する人間は「神の子」と言われる。
人は皆、神の子だというのは最も真髄に近い表現であり、
なるほど、子供だから泥遊びも喧嘩もするように、
様々なくだらない思考にもこだわり、その為に何世にも渡ってカルマを繰り返し、
あー、これは違う、あれも違うと・・・真に「魂で体得」するまで、
様々な世界で遊ぶことが出来るのである。
そうやって、多次元波動の全てを含む、
本質たる「魂」・神の子が大人(神)になるプロセスを歩いている。
・・・
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、
人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、
それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?
人間が勝手に単独に、頭脳で思考を作っているわけではない。
あなたのこころは、ここに在らず、物質肉体内部に在らず、
それは、あらゆる全てのすべての・・神の思考の・・ほんの一部なのである。
思考自体を、それを観察対象としなければ、これを真に体得することはないだろう。
それまでは、世間・世界に網を張っていいるマトリクスにハマってしまい、
自分を単独別箇の個人という「思考」から抜け出し難いかもしれない。
どこでも、誰でも、いつでも可能な事、・・実に地味な在り方なのだが、
自分の「思考」を、自分以外のそれとして観ることだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。