わたしとは何か?
その問いかけをしているのは、<誰>だろうか。
その<誰か>・・こそが、求めたい答えであるが、
実はこの答えを真摯に求めてゆくと、
わたしは肉体だ、いや思考だ、いや霊だ・・・高次元生命体だ、
またそれ以上だという風に認識が広がってゆく。
これは「意識の拡大」と言って良いものだ。
そうしてそれが無限大に極まると、反転し、1点に縮小することになる。
無限小の1点・・それは空(くう)であり、それはまた無限大の空(くう)だ。
あらゆる全て、・・それが空(くう)
3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、
言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で感じる以外にない。
色即是空、
空即是色、
3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、
言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で受ける以外にない。
ところで、実際に我々の身体は原子で作られているわけで、
その原子の構造と来たら、ほとんどが空間で、陽子や中性子、さらに電子などは、
ほとんど微細な運動エネルギー小片でしかなく、
つまり肉体そのものも、99.99・・9%は空(くう)なのである。
科学的な解釈から言っても、我々の身体はそのほとんど・・ほとんどが空(くう)なのである。
エネルギーや物質形態がある場合には、その物体の相対的な<間>が観測されるために、
それを<空間>といっているが、その間・・元は全て<空(くう)>なのだ。
始めに言霊(ことば)ありき。
充満せる空(くう)の中に、意識と意図の、微小な揺らぎが生じ、
渦を巻き、エネルギー、波動として多次元的森羅万象が映しだされる。
それらは大いなる「意識」と「意図」でおりなされる「宇宙」を創り上げている。
オー、マイ、ゴッド!
・・・
元に有るのは・・空(くう)、時間も空間も、次元もない空(くう)、
だからこそ、それは「無限」なのだ。
我々は、いや何もかも、全て空(くう)より生じ、空に帰す、
空(くう)に帰し、空(くう)より生ずる・・無限・・そのもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f9/fe279d59c532a2ebd0efa8edf0f1e646.jpg)
空(くう)には大きさもなく、時間もなく、エネルギーもなく、
また空(くう)であればこそ、エネルギーが生じ、空間、時間が生じるのである。
当然言葉説明でしかないが、
「わたしは何か?」と問いかけているのは、
そして、わたしは何だろう?・・えー、そういえば何だろうか?
なんでだろう~、なんでだろう~♪(笑)
と問いかけているのは、実際・・・空(くう)自体である。
つまり無限そのものが、わたしはあれだ、これだ、いやそれだと、
無限そのものを問いかけ、それを経験しているわけだ。
それが宇宙だ。
それが、あなたであり、
そして、わたしである。
・・・
身体は・わたしではない、
身体は空(くう)に浮かぶ、意識と意図というエネルギーでしかない。
思考も・わたしではない、
思考は空(くう)に浮かんではきえる雲のようなものだ。
翻って、人類にとって、大騒ぎで刺激的な、喧噪の世界はもう十分に過ぎた、
外側の細かな枝葉で遊ぶ時代は既に過ぎ、
逆に、静かに端坐して、自らの内面を観る時期にある。
ただ、在るがままのわたし・・無限を内蔵する、自らを観る時に至ったのだ。
今は、これからは、そういう時代。
すでに始業ベルは鳴っている。
様々な古い虚妄の観念をきれいに洗い流す時間のみが、
今少し、人類に残されている。
残された時間で清掃が終らなければ、
親愛なる地球の勇断で、それをきれいに洗い流す事になるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/19/467c9ce72cd581da95907b3e40fa04c1.jpg)
その問いかけをしているのは、<誰>だろうか。
その<誰か>・・こそが、求めたい答えであるが、
実はこの答えを真摯に求めてゆくと、
わたしは肉体だ、いや思考だ、いや霊だ・・・高次元生命体だ、
またそれ以上だという風に認識が広がってゆく。
これは「意識の拡大」と言って良いものだ。
そうしてそれが無限大に極まると、反転し、1点に縮小することになる。
無限小の1点・・それは空(くう)であり、それはまた無限大の空(くう)だ。
あらゆる全て、・・それが空(くう)
3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、
言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で感じる以外にない。
色即是空、
空即是色、
3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、
言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で受ける以外にない。
ところで、実際に我々の身体は原子で作られているわけで、
その原子の構造と来たら、ほとんどが空間で、陽子や中性子、さらに電子などは、
ほとんど微細な運動エネルギー小片でしかなく、
つまり肉体そのものも、99.99・・9%は空(くう)なのである。
科学的な解釈から言っても、我々の身体はそのほとんど・・ほとんどが空(くう)なのである。
エネルギーや物質形態がある場合には、その物体の相対的な<間>が観測されるために、
それを<空間>といっているが、その間・・元は全て<空(くう)>なのだ。
始めに言霊(ことば)ありき。
充満せる空(くう)の中に、意識と意図の、微小な揺らぎが生じ、
渦を巻き、エネルギー、波動として多次元的森羅万象が映しだされる。
それらは大いなる「意識」と「意図」でおりなされる「宇宙」を創り上げている。
オー、マイ、ゴッド!
・・・
元に有るのは・・空(くう)、時間も空間も、次元もない空(くう)、
だからこそ、それは「無限」なのだ。
我々は、いや何もかも、全て空(くう)より生じ、空に帰す、
空(くう)に帰し、空(くう)より生ずる・・無限・・そのもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f9/fe279d59c532a2ebd0efa8edf0f1e646.jpg)
空(くう)には大きさもなく、時間もなく、エネルギーもなく、
また空(くう)であればこそ、エネルギーが生じ、空間、時間が生じるのである。
当然言葉説明でしかないが、
「わたしは何か?」と問いかけているのは、
そして、わたしは何だろう?・・えー、そういえば何だろうか?
なんでだろう~、なんでだろう~♪(笑)
と問いかけているのは、実際・・・空(くう)自体である。
つまり無限そのものが、わたしはあれだ、これだ、いやそれだと、
無限そのものを問いかけ、それを経験しているわけだ。
それが宇宙だ。
それが、あなたであり、
そして、わたしである。
・・・
身体は・わたしではない、
身体は空(くう)に浮かぶ、意識と意図というエネルギーでしかない。
思考も・わたしではない、
思考は空(くう)に浮かんではきえる雲のようなものだ。
翻って、人類にとって、大騒ぎで刺激的な、喧噪の世界はもう十分に過ぎた、
外側の細かな枝葉で遊ぶ時代は既に過ぎ、
逆に、静かに端坐して、自らの内面を観る時期にある。
ただ、在るがままのわたし・・無限を内蔵する、自らを観る時に至ったのだ。
今は、これからは、そういう時代。
すでに始業ベルは鳴っている。
様々な古い虚妄の観念をきれいに洗い流す時間のみが、
今少し、人類に残されている。
残された時間で清掃が終らなければ、
親愛なる地球の勇断で、それをきれいに洗い流す事になるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/19/467c9ce72cd581da95907b3e40fa04c1.jpg)
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