気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

空(くう)は遍満する意識  (9)次元降下の転換点

2014-04-19 14:34:01 | 見えないものから見えるものへ

 

 

我々全ては、もともとこの世界というか、この時空に存在していなかった。

 

それはそうだろう。

 

あなたもわたし達も、「オギャー」と生まれるというプロセスを経て、ここに「生まれてきた」のだ。

 

・・・・そう、元々・・・ここ、そこに居なかったのである。

 

しかしながら、今は在る・・・・そういうことだ。

 

不思議ではないか?

  

人は皆例外なく、

 

オギャーの後に、すぐにも意識が活動を始め、

 

嫌も応もなく、生まれ落ちた環境で、経験、知識を獲得していきながら、

 

「わたし」という自意識を育ててゆく。

 

そうではないか。

 

そしてそれぞれの「私」という<自意識>が育つわけだが、

 

皆誰でも有しているその、「私」という・・・認識体系は、

 

主に肉体の五感にもとずく情報と、それに対する思考や感情によって形成されてゆくわけだし、

  

これが常識だという観念に適応しながら、子供から大人になり、また子供を産み育て、老いてゆくプロセスの中にあり、

 

あれが良いとか悪いとか、銭が足りないとか、何かが起きるとか、起きないとか思いながら、

 

そうやって・・・今この瞬間、人生をやっているのである。

 

 

・・・・ところで、誰でも・・いつかどこかで感じる疑問があるはずである、

  

例えば、

 

わたしが・・・今・・・在るという事。

 

・・・・それは単なる偶然か?

 

単なる偶然で・・・・今の私は・・・ここにいるのか?

 

なぜ、なぜ、どうして?

 

そんな強い感覚が、多分幼少時、青年時代にはあるかもしれない。

 

でもまたすぐに忘れてしまうものだが、

 

ふとまた思い出してはまた忘れつつ、世間の中で泳いで行きながら、

 

力尽きて沈んでいかない・・・間(はざま)があった・・・としたら、

 

いつかどこかで自己の存在自体に面と向かう時がくる。

 

自己という意識的な・・・意識に気付くときがくるわけである。

 

それまで何十回も行きつ戻りつ、この世界で生きてきたかもしれないということだ。

 

そう、すでに気付いているかも知れないが、

 

この世界は自己を忘れてまた、自己を思い出すというカリキュラムがあるようである。

 

その発端は、

 

わたしは誰?ここはどこ?・・的感覚、

 

あるいは、また

 

後ろの正面だーれ・・・・のようなもの。

 

そうして、何事にも偶然はあり得ないことに「ふと」強烈に気づける段階にきたならば、

 

そこから、それぞれの<わたし>・・・・自己自身に関する探究が始まることになる。

 

探究というのか、再発掘というのか、進化というのか、意識の拡大というのか、

 

そういう現状の自己感覚以外の、より拡大された自己への気付きというもの。

 

当初は、

  

宇宙はどうなっているとか、過去の文明はどうだったかとか、世界の影の構図はどうなっているかとか、

 

そういう「常識外」のことに気付きだすことにもなるだろう。

 

そうやって当初は知的なレベルの拡大をするにつれて、

  

意識レベルの拡大が漸進的にもたらされ、いわゆる霊的といわれるレベルに気付くようになるのは自然なことである。

  

少なくとも、

 

自分は<肉体だけの存在だ>という、生きてゆく間に培った、漠然とした信念体系が崩れること、

 

こういう意識的飛躍のステップが来るものである。

 

汚濁にまみれた世界を体験するということは、実際そういうプロセスのためなのだ。

 

何も意味なく汚れているわけもない。

  

この世界の有様と、自己の内面からの執拗な違和感を感じさせるように仕向けられているとも言えようか。

 

そうして、何かがおかしいと気付きだし、ある生では世界を変えなければならないと走り回り、

 

あげくは疲れ果て、自分が取り残されたように感じ、

 

そのエゴ的失意の底に在る・・・、唯一残るところの・・・・わたし・・・に気付かざるを得なくなる。

 

人生の主体は・・・・外の世界でなく、世間でもなく・・・<わたし>という存在であること、

 

今、わたしは・・・在る・・・・こと

 

その唯一自己に・・・残された<わたし>とは何か?

 

それがテーマとなる時が来るのだ。

  

ようやく、外側の身についた「観念の垢」を、まず 洗い落とす 段階が来るのである。

 

 

それは次元降下して自らを忘れた魂の、次元降下の先での、あるいは底での転換点とも言えよう。

 

嗚呼、兄弟たちよ、

 

これ以上はないところまで、よくやったものではないか。

 

今のあなたやわたし達の潜在意識の、ほんの数パーセントしかない今の顕在意識、

 

それがその意味である。

 

これ以下は縮小できず、あとは拡大するのみの転換点である。 

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。