前記事では臨死体験した人の多くがトンネルに入るか通過する経験をしていることを紹介したが、トンネルの向こう側には何があるのだろうか?
「臨死体験 9つの証拠」16頁より
●神秘的あるいは強烈な光に遭遇する
「トンネルの反対側に出ると白く輝く光があり、わたしは翼に包まれて、その一部になった」
「美しい光が私を引き寄せた。それを思い出すと、今でも畏敬の念に打たれ、すぐに涙が浮かんでしまう」
「はじめ、光は青かった。それから白く変わった。それは乳白色の柔らかな光で、ギラギラしてはおらず、明るいが眩しいほどではなく、白く純粋な明るさだった。”純粋”と言っても通常の意味とは違い、それまで見たこともなくて言葉では説明できないという意味だ。」
「壁を通り抜けると光の繭(まゆ)の中に直接入ったようだった。中央に大きく強い光があり、それとまったく同じだが、やや小さい光の繭がいくつか連なっていた。今考えると、ここの光の繭(まゆ)はわたしが入ったものと同様、人間の魂で、それが中央の神とつながっていたのだと思う。」
・・・このように、光は「何百万もの太陽が集まったように」明るいと描写されたりもするが、臨死体験者がそれを見て目を傷めることは皆無といって良い。
彼らは光への強い関心や、近づいて光とひとつになりたいという強烈な願いを、ドラマチックに表現する場合がある。「光を見ましたか?」という質問に、64.6%が「はい」と答えている。
以上、上記書籍16~18頁、抜粋
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これらの体験者の報告を見ることで色々なことがわかるだろう。
●魂の波動的側面
まず、我々・・いわゆる「魂」という肉体より高次の存在形は、多次元存在での最高レベルの波動・振動の繭(まゆ)、あるいは ”光の塊” としての側面があるということだ。
波動は様々な物事・物質・概念・想念などの元にあるものだ。すべては様々な波動で成り立っている。
わたしたちの肉体も、原子で出来ていて、それは微細な波動エネルギーで出来ている。また想念もダイナミックな情報、波動エネルギーである。
波動・光とは、いわば創造の原資・情報ともいえよう。
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●白い光・全一性
大きな白い光は波動のうちのすべての色・スペクトルの合わさった、全一的、中心的波動形態、あるいは私の魂の本来の中心・・真我とも言える。
自身を包み込む、大きな白いひかりとは、いわゆる真我・神我・あるいは指導霊などとも言われる、高次の自己そのものであるといえるだろう。したがって、無類の親しみや一体感があって当たり前なのである。
いわば、3次元レベルの私・・は、偽(にせ)あるいは一時の変な・・わたしである。
そしてその真我の領域では、偽や一時のわたしもすべて包み込む、すべて受け入れているのだ。そう、大きいも小さいも、緻密も粗いも、、、すべては無限の可能性の中にあるものだからだ。
●故郷への帰還
大いなる光との遭遇と一体化、つまり臨死体験は、元々私たちがいた次元領域にいったん戻ってしまう体験を指すともいえるのだ。
大いなる光とは、無限の叡智、愛、可能性に満ちた言わば魂の故郷ふるさとである。
とんでもない怖い臨死体験どころの話ではない。全くその逆である。
知らないとは実に恐ろしいことだ。
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わたしたちの本質・魂は、元々その根源に近い波動領域、高次元領域の存在であるが、
神の無限の自己認識・創造の使命を各方面で担うため、
体験を通して無限を学ぶため、
敢えてその全一なる根源領域から出て来て、
あらゆる各方面、各次元、各側面、無数の次元世界へと至り、
例えばこの地球のような次元世界に次元降下して入り込み、
その世界の荒い次元波動のおかげで、どんどん次元が降下し、
自己の何たるかをすべて忘れてしまい、
自分は死んだら終わりの偶然の肉体存在であるという、
本来なら到底あり得ないような、もうこれ以下はないような、
辺境世界的な信念形、極限近い自己卑下的自己認識までに至ったのだ。
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死をこわい怖いと信じ込んでいるこの世の信念体系、
実際は、怖いのは・・この世界の無知そのものである。
無知をベースに恐怖で囲われた世界、この3次元現実世界である。
あらゆることを知っているとされている人たち、人口知能等は、
この次元世界の無数に作られた概念を膨大に記憶しているかもしれないが、
この次元そのものを越えることは出来ない。
しかしながら、根源から分岐した魂としての私たちは・・
もともと次元を超えた存在である。
すなわち次元(無限の波動領域)を内に含んでいるため、
さまざまな次元で経験・体験をすることが出来るのだ。
だから、いまこの地球という3次元的世界でも、
わたし・・として存在しているのである。
今・・あなたとして・・存在しているのである。
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ところで、あなたとは何だろうか?
いまだにこの地で多くの人が漠然と信じ込んでいる、
死んだら終わりの肉体個人であるのだろうか?
仏画の曼荼羅は、仏さまが並んでいる絵という意味ではなく、「魂」の無数の繋がりを意味しており、大いなる光(波動)の中には無数の進化する魂の体系が示されていると理解できる。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。