気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

秋の言の葉祭り

2019-09-12 05:25:06 | 日記
昨日は夜半、かつて経験したことのないような激しい雷鳴が行き渡り、
今までにない大いなる変化の時を示しているかのようでした。
関東地域の一部にお住いの人々は轟く雷鳴の大きさに気付いたと思われます。
2万回も続けてエネルギーによる時空の浄化があったとも言えましょうか。

あきらかに増えてきた自然環境の異変と人心・欲望の混乱は、
気付ける人にとっては、
何らかの大いなる変化の”兆し”というよりは、
兆しを通り越して、あからさまな形として現れてきたと言えましょう。

何ごとも偶然でどんな意味も無いと思い込み、
ただただ昨日と同じことの繰り返しに我が身の安住を見いだしているならば、
魂・意識、生命の開花・進化という、
そこここ、かしこにも、どこにもある、
宇宙・大自然の美しき流れに気付かない状況にあると言えましょう。

あるいは、人によってはこの先に垣間見える、
あるべき意識とその展開に対する想定外のギャップという、
あからさまな諸現象に遭遇することで、ようやく気付くかもしれません。

でもまあ、正直なところ、この先なにも無いかもしれませんが・・
という言葉の有効性がかなり薄れてきたという実感があるのも事実です。

あなたはどう感じますか?
---

とは言え、残暑厳しき中にも、既にいつもの秋がそこここに来ています。
このサイトでは、季節ごとに「問答・コメント祭り」などと称するものを開催していますが、

読者の方で何か疑問や質問、問いかけその他、気付けることがあれば、
言葉をお聞かせ願えればと思います。

ちなみに、ここは別に商業ベースのサイトではないし、
十何年も細々と続けている、単なる自前の峠の茶屋なので、
他者や何かの批評・批判をする場でもないため、その旨ご了承ください。

しばらく客足が無ければ、さっさと店じまいしますが(笑)、

もし寄ってみようかと思う方は、ちょっと度胸が要るかもですが、
茶屋でちょっと一息・・そんな感じで気兼ねなく、どうぞ。








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10 コメント

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Unknown (kattenitanka)
2019-09-12 14:56:43
ものぐさです。

maccyoman さん
こんにちは。

台風凄かったですねー。
まだ、停電が続いてるところも
あるらしく、主人の知り合いの方も
困っているらしく、大変そうでした。

電気が止まってしまったら、生活の
身動きができないほど、人間は
依存して生きてるんだと身に沁みますね。

自然の中で生きていながら
自然からは縁遠い暮らしをしてることに
不便になって思い知らされ
便利が戻って、また忘れる。

世界の異常気象の常態化は
やっぱり怖いですが
自分に被害がないからと
『またか』と異常気象の発生に
慣れていく自分は、もっと怖いかもです。
返信する
自然に気付く (maccyomann)
2019-09-13 07:00:22
ものぐささん おはようございます。
 1昨日は千葉・東京方面はものすごい雷の連続でした。2万回も雷鳴が全天に轟いたそうです。家内の言では「そうとうに怒っている!感じ」とのことでした。(笑)

実際は笑い事ではないのですが、笑いが出るのは・・、
”自然に意識があって意図的表現がある?・・という事に関して、そんな事ってあるわけもない”・・という思考でしょう。

 一般常識的には、大自然(宇宙)にも意識や意図があるなどとは思われず、この地の人々は、本当に一時だけしか持続できない、自分の身の回りだけの平和と安全のみを願っていて、それ以外はどんな関心も持たないように”プログラム”して(されて)いるらでしょう。

なぜか、これからはそういうものが通用しませんよ・・と天が言っているかのようです。
あるいは「くどく申しておくぞ・・!」みたいな(笑)

今は人的・自然的出来事の振れ幅が増大していますが、振れ幅・変化の大きさは科学的に云えばエネルギーの増大を意味します。

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Unknown (メイ)
2019-09-14 07:33:42
お久しぶりです
昨夜は十五夜の夜ですが、大阪の空は曇っていて月が見えませんでした。
けれど、久しぶりに風が涼やかに吹く宵で
停電が続いていらっしゃるのなら、過ごしやすいとよいのですが…

異常気象という言葉も、30年に一度あるかどうかの現象を指す言葉だったようですが、一生に2.3度あるかないかの異常が、この20年余りに多いですね。
私が小学生の頃夏休みのお天気調べがありましたが、せいぜい30度から31度が最高気温だったように記憶しています。
ところが、8月上旬に実家に帰った時に自動車の気温計が41.5度を指しました。

私の地域でも、震度6以上の地震もこの30年に2度在宅時に遭遇し、台風でご近所の屋根が軒並みブルーシートになることも近年良くあります。
昨年の台風被害の修理がやっと最近終わるような感じでした【件数が多く業者の手が回らない】

一生のうちに遭遇するかどうかのことが、他人事ではなく起こっていますね。
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お元気ですか (マッチョマン)
2019-09-14 16:30:59
メイさん お久しぶりですね。
お元気されてますでしょうか?
お声かけて頂き、有難うございます。

最近は関西・西日本にも色々ありますね。

たしかに明らかに今までとは違う様相になってしまいましたね。昔は良かった・・だけではない意味で、
自分も含め年配の方々はその変遷を明らかに感じとれます。

気象変動は地球規模ですので、そのスケールでの変化・浄化が起きていると判断できます。
大きく言えば人類も、そのスケールで変化を促されているのはもはや明確でしょう。

単に自然環境を汚染させない状況にもっていくという事ではすまない段階でしょうし、また一部の心ある人々の汚染させない環境をつくる努力すらも、現状の経済一辺倒の大勢の動きのなかは難しかろうと思われます。
今そういう段階に来ているようです。

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話は変わりますが、メイさんとは実に長くお付き合い頂き、コメントやメールで何度もお話しさせていただきました。ほんとうに心より感謝いたします。

以前言われた”ぶれない”ブログ?で十数年来ですので、ちょっとした同窓会?的な感じで嬉しいです。

どうぞ、・・昔と同じ玄米茶ですが・・(笑)

あれから、どうされてましたか、
あたらしいブログや、音楽はまだ続けておられますか?

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Unknown (メイ)
2019-09-15 07:31:51
玄米茶いただきます

あれから丁度10年になります
マッチョマンさんは10年先輩になりますので、あの頃のマッチョマンさんと同じ年齢になったことになります。

これまでを大雑把に言うと、子どもや家族、仕事、健康問題【大病をしました】
生活での葛藤の中で精神の研鑽をさせて頂きました。
大げさに言うなら精神の進化期だったでしょうか。

現在は、子育てもそろそろ終わり【娘は結婚、息子は家を離れ大学生になり】
主に介護とボランティアの日々ですが、
これまで同様、他者との関かわりの中で
行動において「愛に生きること」の難しさも感じつつも
今日も元気に生きていること
誰かと寄り添い自分をいかせることが嬉しい
つまり、幸せを感じるハードルはかなり下がりました。
欲も減り【美味しいものを食べたいし、温泉は行きたいですが】
感情も静まり揺らぎも少なくなった気がします。
精神の変容期とも言えますでしょうか

さて、ここからまた続きますが
先輩マッチョマンさんのこの10年は如何でしたか?
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振り返れば (マッチョマン)
2019-09-15 11:42:33
メイさん こんにちわ
 結構大変な、良き10年を過ごされましたね。

自分の方はと言えば、仕事の晩年期をようやく過ぎ越し、家に居る時間が多くなりました。とはいえ、地元のシルバー人材でアルバイトなどをやっています。
 子供たちも皆30代になって、それぞれ苦労しながらも元気にやっています。元気なのが有り難いですね。
 家内もやはり病を出したのですが、今はそれを越えて元気です。
こういう言い方も何ですが、自分とその周囲には、かなり気付きの深化がありました。

たしかに、何は無くとも・・今自分は幸せといえます。
言葉で言うのはナカナカですし誤解を生むのは仕方がないですが、
このタイプの世界には、もう思い残すことはないです。

家の龍神猫は、2年前に実に綺麗に去ってゆきました。12歳でしたが、人間に換算するとちょうど当時の自分の年に当たります。(ひょっとして自分は助けられたか?笑)

家族みんなに愛された、実に賢く、愛深いねこでした。
---
 多くの人には、幾年月の間の想いの歪というのがあって、それがゼンマイ仕掛けの人形のように、何らかの形になって、消えてゆきます。
歪が現象や想いとして形に現れるときは、
ただもう執着せずにそれを流すしかありません。

無意識にしまい込み、逃げていた感情・想いのの歪から、逃げずにそれを認めざるを得ない状況に追い込まれる・・とでも言いましょうか。
これをカルマの解消とでも言いましょうか。今はそういう最終試験?のような時期ですね。

”流す”過程のなかで、不可思議にも色々なものが解けてきます。溶けてくるとも言っていいでしょう。
多くの人がそれを通り越してゆくか、地団駄踏んでごね通すか・・人的世界では、それが起きていることなのでしょう。

以前、Pさんも転職後の介護の仕事の壮絶さを語っていましたが、介護ボランティアの仕事をされているのでしょうか?
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Unknown (メイ)
2019-09-15 23:50:36
よかったですしあわせで
龍之介さんのことは以前のお祭りコメントで存じ上げていました。
我が家も昨年の大晦日に、18年ともに過ごしたわんこが元来た場所に帰りました。

今日は、娘にせがまれて、飛行神社というところに行ってきました。
本殿正面に丸い神鏡がありました。
日本の神社はなかなか奥が深い
鏡に映った自分が見えるなんて面白いですね
鏡がなくとも、自分のありようが、内なるものが
他者や周り世界にあらわれたりするのでしょうか。

介護は両親ですが、通いながらお世話させてもらってます。
ボランティアは3つ
親子の活動の保育のお手伝いと、親子の里山体験のお手伝いと、ディサービスでご飯を作ったり、大先輩たち【高齢者】と遊ぶお手伝いです
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映し鏡 (マッチョマン)
2019-09-16 13:02:26
メイさん こんにちわ

ぶっちゃけ言いますと、メイさんの波動が以前と違いますね(笑)
歳をとったとか、一寸構えているとかではない、言葉から受ける波動?が、以前と少し違って感じられますので、おっしゃるように内面の大きな変化があったようですね。

---、
 そうですね、神社にはご神体がありません。
柏手をうつ、何様かおわしますその先には、
”自分を映す鏡”がある・・こういう仕組みは、世界の他には多分ありません。
各神社が建てられた年代や経緯、歴史に関しては、
色々ありますし、時代の民は様変わりしても、中心理念は保っているようです。これはすごいと思います。

どこにいっても、”これしかない”。
神の社は・・神体は・・”わたし”です。
どの神社に行っても・・わたし・・がいる。
どういう時空にあっても・・わたし・・がいる。

飛行神社というのは面白いですね。
新しい名前のようにも感じますが、例えば、
近畿地方や三重県等には”羽根”、”羽・・”等と云うという地名が多いと思いますが、
以前言われたかもしれない、超古代に降りて来た空飛ぶ存在?、ニゴハヤヒに関連しているでしょうか。

天から降りて、この地で転生を開始した存在や、大きな歴史上の出来事など、かなり変形しているようですが、神話などでは垣間見えますね。

---
長いお付き合い、
この際ですので、ここら辺までかな~のレベルまで、
問いかけなどあれば何でもどうぞ・・。
返信する
Unknown (メイ)
2019-09-17 10:49:03
言葉足らずをところを
いつもながら、汲み取って下さるのでありがたいです。

病気以降ですが、毎日がこの地上の肉体を持つ物質世界で過ごす
贈り物のような日々のような気がしているんです。
そして、人は死を意識した時
どんな思い【想い】や願いを持つのかを考えたりしましたよ
マッチョマンさんはどんなおもいを持たれるかしら

羽は、私の実家のある地域の地名にも含まれます。
意図せず縁があることって案外あるものです。
飛行神社はやはり意図せず饒速日でした笑
あの日マッチョマンさんのお返事でカルマの解消…という言葉に引っかかったら、ここに行くことになったような笑
鏡を見て やっぱりねと思いました。
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「想い」 (マッチョマン)
2019-09-17 16:18:15
メイさん こんにちわ
 そうですね。人によって経験は異なるわけですが、
自分の場合、常に危険と背中合わせに生きてきた・・というわけではないですが、
普段、生や死のことなど、重要なことを何も考えず、世間の流れのまま、ただそれだけで生きてきたわけではないし、何度かもうだめかもという感情・想いは経験しています。

そのとき起きるのは、驚き・恐れ・そして執着。
・・それをどうしようもないと悟れば、覚悟ができます。

自己(我)・の力の無力さや、執着という思いの歪の苦痛・苦悩を、いやというほど実感せねば、それらを手放す覚悟はできません。

覚悟する・・腹をくくる・・などとも言いますが、
昔々はさらしを腹に巻いて(くくって)戦に臨んだことからきているようでが・・?本当は、腹をくくって、一か八かの戦に臨むのではなく、戦を捨てるというのが・・まっとうな覚悟ですね。
深い意味ですが・・戦わない・・こと。

世間では軟弱・非力・弱気等と言いますが、そういう想念で煽られるのため重たくなるものです。

この世界はなんでも戦ってきたゆえに、その咎としてのカルマが蓄積されます。
戦い癖、想いの癖・・その魂での記憶が「カルマ」でしょう。
癖なので幾多の転生で繰り返しますので、もういいかがんやめた!・・とするのがカルマの解消ですかね。

「毎日がこの地上の肉体を持つ物質世界で過ごす
贈り物のような日々」
・・生かされている・・という実感ですね。
肉体はこの世界で、一過性の”表現媒体”ですが、
実に優れたものだと思います。
---
家族以外誰も親身ではない、多くの分離した人々の作る世間の中で生きていますし・・無条件に愛を感じる人々はほぼ皆無かもしれませんが、
それは全く本質ではなく、大事なのは・・そう・・・・そういう現象・現実を見て、
何をどう思うか、わたしたちの・・『想い』・・です。

想いを”軽く””架空”な何かと考えている場合が多いですが、想いをまず観てみなければならないでしょう。
この内的努力は・・実に大変ですが、
時空などはるかに越えた実りをもたらします。
すべては・・もともと・・大いなる意識ですから。

---
すいません、上から目線と言われそうな・・
こんな応答になりました。

ちなみに、
饒速日(にぎはやひ)のイメージは何処から来ているでしょうか?

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