魂とは何か?という事になると、それは何だろうか。
この肉体とは違う、もっと「本質的な自己」のことを示すはずだし、
さらに、肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、
魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・とも言えるだろう。
魂それは、今あなたが自認している、今の「肉体個人」のことではない。
もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、
さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・わたしである。
様々な時空世界における、その都度の個人我を無数に内包しつつも、
決してその時々の私ではない・・
より普遍的永続的な・・わたし・・・・である。
永続的というのは、長く時間が続くという意味ではなく、
その都度起きては消えてゆく、時間や空間を超えている・・という意味である。
普遍的というのは、局所的、ローカル、個々ではなく、それらをすべて含む高次の、全体にわたるという意味である。
したがって、より普遍的永続的自己・魂には、
様々な時空間での体験の無数の「記憶」が含まれている。
つまり魂には・・無数の前世の記憶、他生の記憶があるのである。
そして、その記憶はどこにあるのだろうか?
主に頭脳細胞の記憶部位の中というのが普通の考えだろうが、
頭脳は、今の肉体自己と全体自己・・普遍的自己、あるいは魂との接合点、アクセスポイント、送受信器のようなものであり、そこの特定の細胞に、前世のすべてが記憶されているのではあるまい。
普遍的な自己とは、いわば宇宙意識であり、全宇宙(全体意識)にわたって記憶があるというのが本当のところではなかろうか。
我々の作り使用しているコンピュータネットワークは、世界規模でつながっているが、魂の場合は実に無限の遠方にまで広がっていると考えられるだろう。
しかしながら、どんな記憶であっても、
アクセスしなければ記憶は再現されないわけで、
そのアクセスは・・意識による以外に不可能という事である。
これには、思い出す・意図・意識的行為が必要という事である。
パラドクス的な表現に聞こえるが、
それを想い出さなければ・・思い出せないのである。
記憶があるはずだと思い至り、意識内部をアクセスするのである。
外の世界のいつ、どこは関係なく、
自己自身の・・意識内部を・・見つめて(意識の焦点を合わせ)、
出てくるイメージをキャッチ(内面知覚)するのだ。
もちろん意識レベルが上昇、拡大して、
前世や過去生の記憶などが当然のことになった場合には、
往々にして頻繁にその記憶が蘇る事象に出くわすことにもなるだろう。
膨大な記憶が蘇るということは、多くの知識や能力が開花し、
いわゆる賢者・天才などと言われる人たちに近づくということでもある。
たびたび記事で繰り返しているが、
意識で・・気づかなければ・・どんな対象も存立し得ない!のである。
これは実に重大な「意識の法則」といっても過言ではない。
意識・気づくことなくして‥その対象や世界は存在しない。
気づき・意識なくして知覚はなく、
知覚が無ければ世界はないということだ。
創造主なくしてその創造世界は生まれない・・のである。
実際にあなたの毎日を注意してみるべきである。
あなたが眠りに陥った時、その時に世界も何もありはしない、
肉体も、時間も空間も、ましてや星も宇宙もない・・
もし仮に、永遠にそのままだったら・・いつ・・時間や空間、
この世界や宇宙が出現するのだろう?
仮に、永遠にそのままであれば、
あなたにとっても、他人も何も・・ありゃしないではないか。
人はそれを死ぬこと等と言っているわけだが、
実際に、意識が眠っている間は、
事物も死も生も、何もかもがない・・という事も有りも無いもない・・?。
それを無意識、あるいは空(くう)と言っているわけだが、
その無意識の時は・・何を体験しようもない。
しかしながら、
わたしたちは毎日その状態(非顕現)を通り越して、意識が次第に目覚め、
毎朝同じような新たな世界を再現しているのだ。
ここに生きている間は、その無意識、空(くう)・非顕現と、
現実という色のついた世界・顕現の世界が変化しつつ繰り返される。
それはまさに、色即是空、空即是色、色不異空・空不異色である。
肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、
魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・と言える。
また永続的、普遍的自己とは、単次元に制約されない多次元的意識ともいえるのである。
今多くの人が自認しているところの、今の「肉体個人」の私ではない。
もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、
さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・自己である。
そう、わたしとは、
単なる偶然の時空内生成物、死んだら終わりの肉体なんかではない。
意識・・色即是空、空即是色・・そのものだ。