普遍意識・・無限意識・宇宙意識・神・が・・”ある時空に”焦点を結んで、
まるで私個人として個別化したように見えるものが・・個別意識:わたしである。
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前回の「こころの所在?」で示したように、
こころは肉体・頭脳の中にあるわけではないことが理解可能だろうか?
簡単に言えば、思考やイメージ・マインド・こころは、そこでの発生ではなく・受信であるということだ。
通常「意識」というものは思考や感情を含めた人間の精神的な働きを意味するが、
それが ”こころ” と言うのならば・・・こころは、頭脳の中に在るのではないことがまず推測できるだろう。
馴染まないならば、まず、可能性としての推測を受け止めるだけでいい。
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頭脳や神経組織の無数の電気的パルスが、思考や感情を造っているように見えて、
実のところそれは、
普遍的・広大無辺な意識の 無数の”波動層”からの ダウンロード、あるいは受信波の観測結果のモニターに過ぎないということになる。
こころ(思考・感情)が頭脳で発生するわけではない・・・。
簡単に言えば・・それは受動・受信・再現であって、そこがオリジナルな発生源ではないことに気づくだろう。
それとも一切そんなことは無いと・・思うだろうか?
例えで言えば、
あなたのパソコンやスマホが、どこにもつながっていないスタンドアローン
どんな接続も何もない孤独な単独機械と信じ込んでいるようなものだ。
マインド・こころ・意識が肉体の中に在るように見えて、じつはそこに局在しているわけではないとするならば、
わたし意識の本体・・は、肉体の中にいる・・わけではないということになる。
ならば、・・・意識はどこにある?
「どこ」とか、「いつ」とか・・そういう時空間、肉体を超えたものだと気付くだろう。
時空を超えている・・とは、どこか遠くの彼処にあるのではなく、
ここそこ・どこにも偏在する・・・としか言いようがあるまい。
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「意識に先立って」(ニサルガダッタ・マハラジとの対話)ナチュラルスピリット刊 p18。
質問者:
問題は、全ての意識は同一という事実です。では、どうやって根源に行ったらいいのでしょうか?
マハラジ:
この意識は木であるが、しかし種があったのだ。だから種のところへ行くことだ。
あなたが今持っている意識は子供意識と同じだ。それにしがみつきなさい。それで充分だ。
意識がそこにあるかぎり、あらゆることはあなたにとってとても重要だ。しかし、もしそれが消滅してしまったら、あなたにとってこの全世界の価値はどこにあるのだろうか?
この種を知るものは誰なのか?
この「わたしは在るという性質」がどうやって現れてくるのか。
それに注意を払うことだ。
そうすればあなたは知ることだろう。
「あなたはこの顕現した純粋な意識であり、宇宙やあなたが見ているこの生命のまさに魂であり、今はただ肉体という衣装を着ているだけだ」
というアイデンティティだけをただ受け入れ、そこに注目するのだ。
あなたは人生で非常に多くの物事を娯楽のために注目している。だったら、これにも注目して何が起こるかを見てみたらどうだろうか?
月を眺めるとき、
あなたがそこに存在しているかぎりは月が存在することを知るなら、何が起きるか見てみなさい。
この壮大なる概念、この喜び、あなたは直接体験し、楽しむのだ。