気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(12)転生メカニズム

2017-07-17 07:05:06 | 真我実現シリーズ
転生とは「生まれ変わり」のことだ。
例えばここの記事を見ている人は、だれでもその概念を知っている。
それは学校では教わらないし、日常の会話にもほとんど出ない。

今の世、巷に出るのは大なり小なり、お金に関する話だけである(笑)。
現生の生活のための資源としてのお金が、まず最も大切なものというわけだ。
しかしながら、そのおかげで、まるで漁師のように、
毎日の稼ぎのために、浮遊意識の群れという海の中に漕ぎ出さなければならない。

「生まれ変わり」のことは、
比較的まともな宗教だけが、その話をすることはあるが、
せいぜい「善い行いをしたら天国に行ける・・」そんなところまでではないか。
どういうメカニズムなのかは、追及することもない。

この世は、生だけを強調しつつ、死を忌み嫌うことで、
生と死という「生命のサイクル」まで気づかない世界であった。
いや気づかせない・・意図があったかもしれない。

生と死のサイクルは、存在の側面でしかないのだが、
「生きている」・・肉体感覚だけを後生大事にするおかげで、
その肉体維持、苦痛と快楽だけに意識を集中し続け、
必ずその方向を追及する者たちもいて、
そのために、資源や環境、あるいは人の肉体までも
奪い合う争いが絶えない状況だったということだ。

人間は、知的機能を持った「肉体」であるという想念である。

余談だが、その方面の話をするならば、

昨今は、今や人工知能のほうが優れている・・などという、
人間劣等化のための、最後の戦い?が起きている。

肉体は、たとえそれが複雑な組織であろうと、要は物質に過ぎないという、
思想、想念形で理論武装しているわけだ。
そういう者たちを、おどろしく闇の勢力などと言っている。
元気はいいし、行為は陰湿かつ派手だし、自己尊大化が得意なので、
組織のトップになりやすいというわけだ。
政治や経済で頑張っている者たち、その上澄みである。
良いも悪いもなく、
とうとう、とことん来たのでお役は御免ということだ。

今その数千年にわたった物質偏重の想念形が、
ガラガラ・ピキピキと音を立てて崩れ落ちている。

・・・
生まれ変わりについて、
あなたは実際、どう思っている?

要は”死んだ後”の話であり、それはつまり”生まれる前”の話も含んでいる。
これは次元を超える話なのだ。
またこの”粗大な次元世界を超えた・・わたし”に帰還する話でもある。

それは魂の進化とか意識進化と呼ばれているが、
真我、神我への帰還体験プロセスともいえようか。
あるいは放蕩息子の帰還のようなものだろうか。

ずーっと出ずっぱりでは疲れるだろう?
暗くなるまで遊んで疲れたら、一旦暖かい家に帰るようなものである。
そうではないか?

また、かならず1日のサイクルで熟睡があるようなもの。
パーティーで騒いだら隣の部屋で一時休むようなもの。
6日働いたら1日休むようなもの。
その有難さに気づかないのも、また、
全宇宙にとっての可愛い子供がゆえなのだ。
・・・
話はそれるが、
宮崎駿(はやお)作の「千と千尋の神隠し」は、
この世界のことを面白おかしく描き出している。
トンネルを通って出たところに、湯谷という館があった。


自らを忘れた者たちが「かえる」などになって、
忙しく異形のお大臣様達に奉仕している、湯屋の館。
今までの物質文明の話である。

自らを隠す・・つまり「神隠し」である。

これは今までの地球文明という館のこと。

わたしとは肉体であるという、いつの間にか固まった「想念形」
その想念形が、死んだら終わりだという、気にも付かない信念となり、
実際にこの世で・・死んだら・・終わりを演出する・・、

どういうことかといえば、

真我、神我、普遍意識は・・不滅でありながら、
その表層である「顕在意識」・・人間としての「今の意識」が・・、
つまり・・今の・・私たちのことだが、

「わたしは肉体で、死んだら終わりだ」という想念を固辞するため、
真我である・・わたしは、それも是非もなし・・として、
その側面自我を創造・体験するのである。

簡単に言えば、
そう想えば、そう成る・・メカニズム・・である。
実によくできた・・というのも変だが、
それはすなわち・・神隠し、自己忘却だ。
最も粗大な館、肉体の中という設定で、
またそういう世界に転生する、
そしてその粗大さがゆえの、カルマという
感情・歪エネルギーによる輪廻転生。

今その設定が、終わったともいえようか。
そして、それに気づくとき・・が来たということだ。
それが故のスピリチュアルな情報の氾濫でもある。
また古い観念の一大楼閣の崩壊である。

打ち上げ花火も何もないが、そういうことだ。
でも・・そこまで言って委員会?もあるだろう(笑)

・・・

本来死んだら終わりでない者が、
死んだら終わり・・・を体験する。

これ、どういう風になるだろうか?

すべてを忘れた・・自分として、生まれ変わるのだ。
わたし・・自意識という・・真我をそのまま含んでいながら、
わたしの側面・・つまり前世とか多次元生とか言われる、
あるいはハイアーセルフとか、類魂とか、自己の多次元的側面とか、
そういう風に言われている、真我の側面、魂の諸相・・
わたしの膨大な側面、記憶の”すべて”を忘れて・・生まれ変わる・・のだ。

あなたも、わたしも、多分そうだったろう?