気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(11)内面∝外面なり

2017-07-13 07:37:58 | 真我実現シリーズ
人の内面は、すなわち外面である。
内面∝外面、普通 ∝は比例という意味だが、
ここではメビウスの輪のように繋がっているということだ。

内面とは、こころとか精神とか言われるそれだ。

ところで、
こころ、「想念」は意識内面から波動として立ち上がる。

多次元宇宙も、私たちも全く同じである。
この画像は、それを象徴している。




全ては波動である。
中心から立ち上がる波紋は想念、マインドだ。
波紋・波動は、普遍的な意識の上に描き出される。
それら波紋、波動が交差しつつ様々な世界を描き出している。

物質なるものも、想念波動のある帯域の振動エネルギーである。
粒子、粒子というのもその局在化した波動である。
光も電磁波であり、光子、フォトンという名のように、
粒子性を持っている。

宇宙は神という名の、サムシンググレートの描き出す想念。
それはまた無限の叡智という情報を根本に含んでいる。

想念とは、ちょっとした人間の想いだけにとどまらず、
創造の根源から発する神の想念、宇宙マインドのことだ。
人間の想念は、その中の部分を構成している。

想念は、意識内面に湧き出す「創意波動」ともいえよう。

あなたの内面とは、意識とは、いったいどこにあるのか?というと、
どの場所でもない、
いつあるのかというと、この時だけとも言えない。
常に今ということがわかるが、
時間と空間のどこかには特定できない。

人によっては体の中にあるとか、目の奥にあるとか、
いや頭脳の中にあるとか、
そんなイメージだが、
どこにあるのか特定できるものではない。

それとも、あなたの頭や顔の周囲内部にある?
どこにある?
鉛筆の先はこれだ・・というように特定はできない。

わたしという意識は、
時間とか空間に制約されない、重さも体積もない、
いかなるディメンジョン(次元)もない。


しかしながら、あなたは今・・自分が在る・・!と感じている。

”自分自身の存在”を知っている、感じている、知覚している。

「わたしは・・在る・・・」感覚、知覚、気づきだ。

これが、”わたしの世界”のすべての根本にある「意識」である。

”自らを明らかに意識している”・・こと。
これは「魂」ともいわれるし、意識ともいわれる。
そしてそれは、
目に見える対象物ではなく、それを観る者、気づく者・・だ。

意識・・が、
わたしの世界の、すべての存在の原点であることに気づけるはずだ。
世界に「気づく」ことなく、世界は「存在」しない。

しびれる様な身体的刺激も、誰かに褒められる嬉しさもないが、
これは1つの悟りである。

概念や知識を頭に記憶するのではなく、
人生の、生の経験から、完全に腑に落ちるならば・・・だ。

内面があって外面がある。
気づきがあって、その対象物が存在する。
わたし意識があって、その知覚世界が存在する。

多くの人は、
宇宙があるから私は在る・・と「思って」いるが、
わたしが在るからこそ、
そういう思いが可能だと覚るべきである。

あなたが生まれる前は、宇宙があったと証明できるか?
あなたが寝ている時に、世界が在るとその時・・証明できるか?

いいや、出来はしない。

あなたが生まれてから、物心つき、成長し、
歴史家や学者や、誰かがそう言っていることを知るとしても、
あなたがそこに「在る」からこそだ。

これは非常に単純だが、まったく見逃されてきた。

気づき、意識がなければ、何も存在できないこと、
とんでもない事実が、
当たり前のように見逃されてきた。

そして今はもう、気づいているだろう。
内面は即ち外面として投影されていることを。


それでも、あなたは言うかも知れない。

「えー、何言ってんの?」
わたしゃ、かつて、
こんな宇宙を夢見たことが無い、思ったことが無いと・・、
こんな人生望んでなかった・・と、そうだそうだ・・と、
そう、想っているかもしれない。

しかしながら、

今見ていることが、過去世をも含む膨大な想念(内側)の外面に他ならない。

なぜなら、存在には、『今』しかないわけで、

今観ている、見ている、世界、宇宙、人生・・それが・・・、

常に、わたしの”想念の集大成”なのである。

人間とは、

よくここまで意識進化してきた存在形であると言えるのである。

そして、地球という重いマトリクス世界を、よく超えたものだと・・・

そう想うべきである!


OH! MY GOD!!