気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしとは・・何か(23)回答集

2017-05-19 06:24:33 | 意識の拡大
以前、ユーチューブに出されている「ラマナ・マハルシとの対話」を紹介した。
誰かが朗読をUPしているというわけなのだが、
何ということか!
それは「わたしとは何か?」という命題の、
回答集のようなものであることがわかる。

すでに回答が与えられ(てい)たということである。

回答集といっても、
「あーそうだったか・・わかったぞ・・へへん・・」とか、
そんな数学の問題集の巻末にある回答編を覗くこととは違い、
(昔、よくやったな~笑)
そこに集約された内容を、
今在る・・人生を通じて、真剣に熟考、追試、感読すべき、
実に重要な指針であることがわかるのである。

ヒンヅー文化独特の言葉や言い回しはあるものの、
そんな枝葉にとらわれなければ、
そこには、実に偉大な・・という表現も色あせるぐらいの、

真実というか、本質というか、それに触れるような、
共感、共振する意識を感じないではいられない。

実は、
このサイト記事、「わたしとは何か」のテーマの記事を続けるうち、
自分もひょんなことからそれを知り、
「なんだかな~?・・」という思いが邪魔をしつつも、
通勤途上の電車の中で、何度も何度も繰り返して試聴した。、
今でもそうだが・・。

ここ、なんだか個人的な体験の話となっているが、
まるで「赤ペン先生?」(通信教育かよ!笑)のような事象が、
ここ一連の記事を続けるうちに現れた・・ということである。
これも、それ自体に・・気づくか、気づかないか・・?なのだが・・。

ラマナ・マハルシの語った言葉とされるもの、
肉声でもなく、単に日本語に変換された朗読内容なのだが、
ただ聞くだけでも、そこに含まれる、
「ほんとうの・・わたし」、真我といわれるそれの、
今は遠く離れてしまった、あるいは、忘れてしまっていた「根源」からの、
その「原初の想い」が感得されるのである。
そう、いつも変わらずあったそれとして。

これら言葉、思いは波動である。
またそれは根源からの精緻・精妙な波動であり、
自己内面という空(くう)によってその共感・共振され、
不完全な歪を有しながらも、そこに再現されるということだ!

不完全な歪(ひずみ)、マインド、こころの傾向によって、
人によって異なることは仕方がない。
また、全然感知しないことも、また仕方がないことである。
あるがまま、・・。

かつて、そしていつの時にも、
神なるそれ、<真のわたし>を思い出すために、
それを教えるための師というべき存在が、
この地球という生存カテゴリー内に様々な形で下生して去っている事実、
霊的知識のある人たちは知っているだろう。

そうではないか?

イエス、マホメット、仏陀、クリシュナ、サン・ジェルマン、・・・
あるいはエマーソン、バグワン・シュリ・ラジニーシ、ニサルガダッタ・マハラジ
その他大勢の師たち、あなたも幾人か知っているだろうか。



そして、シュリー・バガバーン・ラマナ・マハルシもそうだ。

19世紀から20世紀中期までの古い時代の人とはいえるが、
現代までに至る霊的胎動の先駆けとなった、師の中の師・・ともいえる、
実に偉大な存在であると言えるだろう。

うかつにも単にヒンヅーの裸の聖者等としか見ていなかった。
「裸でふんどしの人なのか・・」(笑)そこで、もう引っかかっていた。

さらに、文字が小さく難しそうという理由で、
ラマナマハルシに関する書籍を「BOOK-OF◇」に売却したことがあるが、
高い値段が付いたので驚いたものである。(大笑)


余計なお世話だが、あなたも出来れば、
ユーチューブにUPされている朗読を聞いてもらいたいものだ。

忙しくて、そんな暇は無いというかも知れないし、
目で情報を検索しているだけの人ならば、
まったくその気になれないかもしれない。

目で見ること、あるいは読書もいいが、
左右の耳で、つまり右・左の脳という感覚器官を通じて、
その波動を内面意識で知覚することは、
実に大きな目覚めの作用を促すかもしれない・・。

当初は違和感を禁じえず、「なんだかな~?」という思いが付随するのは、
いわゆる3次元的世界の特徴である「小さく分離した自己」から沸き起こる、
そのいつもながらの世俗的な「想念」によるものであることがわかる。

そう、輪廻転生でのその時々の人格を造る、
一時の生起現象であるマインド・こころは、
本来の自己、無限のわたしのことを理解しがたいからなのである。

限られた体積を持つ茶碗は、
無限の空間の中にこそあれ、
無限そのものを入れることはかなわない。

まさに、そんなものである。


  (天目茶碗)

例えば、人は、
物体化した茶碗が自己だと思っているが、
その茶碗は、無限の空間があってこそ、
有限の小さな茶碗として存在することができる。
どちらが本物だろうか?
現れては消える、一時の茶碗のほうか、
茶碗を含む無限の空間だろうか?

何時も、どこでも、そのただ中に生きて在る・・のに、
それに気づかない・・・

その、わたしとは何か・・。
あなたはもう気付いただろうか?

あなたはどこからきて、どこにいくのか?
何者であるのか?

・・・

題して、「わたしとは何か、回答集」

バガバーン・ラマナ・マハルシの教え






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様々な形で、そこ、ここに、あちらこちら、
そして全てにおいて現れている・・真のわたし、
またそれを指し示す師たちに、
そしてこれをご覧いただいているあなたにも、
こころから感謝いたします。



わたしとは何か・・・了