時空間というのは、いわゆる我々の存在しているこの世界、宇宙のことであり、それは我々の外側にあると認識している。
学校教育では、そんなことは明確に教えてはいないものの、これは誰もが漠然とそう思っている・・・認識である。
我々の外側・・・に「世界」がある、ということだ。
言わばそれが常識なのだが、人間とは何かということの認識・観点によっては、外側世界はそのまま外側ということにはならない。
どういう意味かと言えば、
人間は単なる肉体である・・という、身体の3次元物理的、あるいは容積を元にした認識であれば、
肉体表皮が外と内部の境界で、外側が世界という風になるが、
人間は単なる物質・肉体ではないとなれば、世界は外側にあるとは言えない。
今までの一般常識では、
人間とは何か?・・それはこの身・この身体である。
3次元物理的自己、身長何cm、体重何kg、・・・。
身体の・・名前、年齢、経歴・・・etc、それが・・わたし。
ところで、
ここでは何度も提示している人間とは何かの説明で言えば、
人間とは、
意識⇒意図・想念⇒エネルギー⇒物質体(現象)
あるいは、
「魂・霊」と、「こころ・マインド」と、「身体」との複合体と言っても良いだろう。
その視点から言えば、
物質体「身体」としての人間は、その一部に過ぎないということになる。
これはある意味で「多次元的」な人間認識ということだ。
補足を言えば、エネルギー⇒物質体(現象)は、アインシュタインの公式、
E=mC^2 で理解可能だろう。
物質:エネルギーは測量可能な部分である。
・・・
人間とは、
意識⇒意図・想念⇒エネルギー⇒物質体(現象)
今気付けばこれは自明の理なのだが、
今までは唯物論真っ盛り、物質体だけが人間・・という話で文明が進んでしまっているわけで、
それもなぜかと言えば、計量、測量、計測できるものだけにリアリティー観じているということに尽きるだろう。
この計量、測量、計測できるものは、つまり3次元的、あるいは物質的な事物のことである。
この認識で言えば、あなたは単なる何kgの、組織立った有機物質体であるということになる。
「いやー、そんな単純なことでない・・」と言うに決まっているかもしれない。
それはなぜかと言えば、そう「思う」・・からである。
そう、「意図・想念」・・があるからだ。
これがロボットならば、それは組織立った有機物質体、あるいは無機物質体と言っておかしくないのだが、
人間の場合は「自意識」と「想い」があるわけで、単なる物質体ではあり得ない。
そうだろう?
人間とは・・・肉体・物質体・・・ではなく、
人間とは・・・『意識』⇒『意図・想念』⇒『エネルギー』⇒『物質体(現象)』
自明ではないか。
自明であるが、意識や想念のレベル、それが計測・計量できる「物」ではないために、ある意味無視されて来たということだ。
想念、思考、思い等、つまり精神・マインドは、全てひっくるめて「主観」とされ、
「客観」的な事物、物質体・肉体維持には、直接関係ない、役立たないものとしておざなりにされてきたわけだ。
「こころで飯は食えないよ」・・という類の話、聞かないだろうか?
「こころがどうしたって? 計算・記憶以外、何の役にたつの?」
「精神がなんぼじゃい?・・役に立つのは、銭・金・物や・・」・・等という雰囲気の世の中ではないだろうか?
世間一般常識的な観点では、そんな風だろう。
そしてその計量できない意識・想念レベルのことは、主観、心理学、様々な宗教のカテゴリーに分類されて、そこに放り込まれてきたということだ。
「主観」なので、お好きにどうぞ・・というわけだ。
科学・医学的に言えば、
わたしは肉体であり、こころは肉体内部、頭脳で作っているものである・・という見解。
つまり「精神」も、組織細胞・頭脳内部の「電気化学反応的なもの」であるというもの。
これも、人体の反応の話だけなのだが、
要は、あくまでも人間は肉体であるという信念の中での科学的な物言いにすぎないわけだ。
このような物質体だけを大切にするような人間認識が、いわゆる3次元的な自己認識である。
最も大きな問題は、
・・「意識」が物質体、つまり「肉体内部」に固定されてきたということにある。
簡単に言えば、あなたは何か?・・と問われて、
「えー?・・この体かな~・・」としか思えない・・こと。
つまり、意識・想いが、個々の体の中に閉じ込められているのである!
多次元的な自己・・
『意識』⇒『意図・想念』⇒『エネルギー』⇒『物質体(現象)』
「意識」それが・・・、最右端の「物質体」だけに・・入り込んでいるとも言えようか。
あるいは高次元的存在が、物質的3次元に落ち込んでいるとも言えよう。
ここに肉体を通じて生れ出るということは、物質3次元レベルへ次元降下すると言ってもよい。
なぜならば、ごく一部を除いて、地上の大勢の人間達のその意識が、
物質的3次元のみを観てそれを信じ込む、それもある意味ではゲームをしていたからだ。
魂・意識の3次元物質レベルへの降下、次元降下であるが、
今回、多分それは直線時間にして1万数千年のことだったろうか。
そして・・今の時代、
その次元降下が終わり、上昇サイクルへと急変していることに、
あなたは気付いているだろうか。
(つづく)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
学校教育では、そんなことは明確に教えてはいないものの、これは誰もが漠然とそう思っている・・・認識である。
我々の外側・・・に「世界」がある、ということだ。
言わばそれが常識なのだが、人間とは何かということの認識・観点によっては、外側世界はそのまま外側ということにはならない。
どういう意味かと言えば、
人間は単なる肉体である・・という、身体の3次元物理的、あるいは容積を元にした認識であれば、
肉体表皮が外と内部の境界で、外側が世界という風になるが、
人間は単なる物質・肉体ではないとなれば、世界は外側にあるとは言えない。
今までの一般常識では、
人間とは何か?・・それはこの身・この身体である。
3次元物理的自己、身長何cm、体重何kg、・・・。
身体の・・名前、年齢、経歴・・・etc、それが・・わたし。
ところで、
ここでは何度も提示している人間とは何かの説明で言えば、
人間とは、
意識⇒意図・想念⇒エネルギー⇒物質体(現象)
あるいは、
「魂・霊」と、「こころ・マインド」と、「身体」との複合体と言っても良いだろう。
その視点から言えば、
物質体「身体」としての人間は、その一部に過ぎないということになる。
これはある意味で「多次元的」な人間認識ということだ。
補足を言えば、エネルギー⇒物質体(現象)は、アインシュタインの公式、
E=mC^2 で理解可能だろう。
物質:エネルギーは測量可能な部分である。
・・・
人間とは、
意識⇒意図・想念⇒エネルギー⇒物質体(現象)
今気付けばこれは自明の理なのだが、
今までは唯物論真っ盛り、物質体だけが人間・・という話で文明が進んでしまっているわけで、
それもなぜかと言えば、計量、測量、計測できるものだけにリアリティー観じているということに尽きるだろう。
この計量、測量、計測できるものは、つまり3次元的、あるいは物質的な事物のことである。
この認識で言えば、あなたは単なる何kgの、組織立った有機物質体であるということになる。
「いやー、そんな単純なことでない・・」と言うに決まっているかもしれない。
それはなぜかと言えば、そう「思う」・・からである。
そう、「意図・想念」・・があるからだ。
これがロボットならば、それは組織立った有機物質体、あるいは無機物質体と言っておかしくないのだが、
人間の場合は「自意識」と「想い」があるわけで、単なる物質体ではあり得ない。
そうだろう?
人間とは・・・肉体・物質体・・・ではなく、
人間とは・・・『意識』⇒『意図・想念』⇒『エネルギー』⇒『物質体(現象)』
自明ではないか。
自明であるが、意識や想念のレベル、それが計測・計量できる「物」ではないために、ある意味無視されて来たということだ。
想念、思考、思い等、つまり精神・マインドは、全てひっくるめて「主観」とされ、
「客観」的な事物、物質体・肉体維持には、直接関係ない、役立たないものとしておざなりにされてきたわけだ。
「こころで飯は食えないよ」・・という類の話、聞かないだろうか?
「こころがどうしたって? 計算・記憶以外、何の役にたつの?」
「精神がなんぼじゃい?・・役に立つのは、銭・金・物や・・」・・等という雰囲気の世の中ではないだろうか?
世間一般常識的な観点では、そんな風だろう。
そしてその計量できない意識・想念レベルのことは、主観、心理学、様々な宗教のカテゴリーに分類されて、そこに放り込まれてきたということだ。
「主観」なので、お好きにどうぞ・・というわけだ。
科学・医学的に言えば、
わたしは肉体であり、こころは肉体内部、頭脳で作っているものである・・という見解。
つまり「精神」も、組織細胞・頭脳内部の「電気化学反応的なもの」であるというもの。
これも、人体の反応の話だけなのだが、
要は、あくまでも人間は肉体であるという信念の中での科学的な物言いにすぎないわけだ。
このような物質体だけを大切にするような人間認識が、いわゆる3次元的な自己認識である。
最も大きな問題は、
・・「意識」が物質体、つまり「肉体内部」に固定されてきたということにある。
簡単に言えば、あなたは何か?・・と問われて、
「えー?・・この体かな~・・」としか思えない・・こと。
つまり、意識・想いが、個々の体の中に閉じ込められているのである!
多次元的な自己・・
『意識』⇒『意図・想念』⇒『エネルギー』⇒『物質体(現象)』
「意識」それが・・・、最右端の「物質体」だけに・・入り込んでいるとも言えようか。
あるいは高次元的存在が、物質的3次元に落ち込んでいるとも言えよう。
ここに肉体を通じて生れ出るということは、物質3次元レベルへ次元降下すると言ってもよい。
なぜならば、ごく一部を除いて、地上の大勢の人間達のその意識が、
物質的3次元のみを観てそれを信じ込む、それもある意味ではゲームをしていたからだ。
魂・意識の3次元物質レベルへの降下、次元降下であるが、
今回、多分それは直線時間にして1万数千年のことだったろうか。
そして・・今の時代、
その次元降下が終わり、上昇サイクルへと急変していることに、
あなたは気付いているだろうか。
(つづく)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。