気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしとは何か(4)今・・永遠に・・在る者

2015-09-19 13:47:55 | 新たなる地平線
人間とは何かと言えば、

魂・意識、②こころ・精神、③身体で構成されている、意識生命体であるといえよう。

わたしたちは、決して単なる「肉体」ではない。

大なり小なり、自己観察が進んだ人には、うなずけるだろう。

体脱体験や臨死体験を経験している人々、

あるいはそれを知り、理解している人々、

前世や過去生というものを意識できる人々、

想念や行為の昇華の必要性を認識している人々には、

当然ながら、うなずけるはずである。

・・・

何度も掲示するが、

意識 ⇒ 意図・想念 ⇒ エネルギー ⇒物質・肉体


人には誰にも、こころ、精神:「マインド」の働きがあり、

それに気づいている「意識」があるのが・・わかるはずだ。


「意識」は、自らへの気付き、他者への気付きであり、

「こころや精神」は、そのベースバンドから生じる高次元レベルでの波紋、波動。

あなたの頭を去来するイメージや想念は、空虚なものでは毛頭あるはずもなく、

引き寄せの法則とか、想いが顕現すると言われるように、

その波紋・波動が、その周波数を減じて、物質次元レベルに顕現している。

短絡した表現だが「想念は物だ」と・・聞いたことがないだろうか?

・・・

物質は粒子性と同時に波動性を持つとされ、

さらに細かい素粒子レベルでの説明の1つにはひも理論等があるように、

物質は究極で、まさに弦(ひも)の振動のようなものとされている。


振動、波動で造られる様々な世界、

達観した人は、それをバーチャル世界とも幻想世界とも言っているが、

それは多次元宇宙の中の様々な生命表現世界という意味でもあり、

何もいい加減で、ぼんやり霞んだおぼろの世界というわけでもない。

どういう世界であっても、バーチャルなリアリティ体験世界であり、

それぞれの神なる者たちの信念が映し出される、意識映像世界とも言えるだろう。

この世界もそういう世界なのだ。

生まれて死ぬるという事は、そういう意識映像世界への「参入」と「離脱」を意味する。

同じような舞台での生まれ変わりが、縁にも関連する輪廻転生であり、

誰でも少なからずの回数、この世界の異なった「時間・空間」を設定して、

地球においても、あるいは時代、地域とでも言おうか、そういう転生体験があるわけだ。


ここをご覧の方は、ご覧頂いているという事実そのものから言って、

こう言う方はほとんどいないであろうが、

「証拠はあるのか」

「一体何の証拠があって、そういうの?」という物的証拠探しも

実は3次元的思考の癖、実際にもう誰でもアクセス可能であって、

すでに多くの生まれ変わりの調査や転生記録の証拠などが、

全世界あちらこちらで報告され、書物や情報となって出てきているわけで、時代検証や物的証拠もたくさんあるのだ。

メジャーなメディアで与えられる情報、TVや新聞などばかり見ていては、

残念ながら、ほとんど触れる機会もない。

ちょっとした報道も、興味本位か、どこか恐怖を与えるようなものが多く、

気付けば何十年も、何も・・わかっていない状況を繰り返している。

公的と言われるものそれ自体が、古い支配の枠組み・・・、意識進化をはばむ仕組みとも言えよう。

・・・

逆に、ネットでも書籍でも、公的以外の情報、有志たちの情報等、自分で探せばいくらでもある時代になっている。


そう、肝心なのは、自己で探究するという意識的姿勢である。

この自らの意識的姿勢こそが、あらゆる事の中で、

そして今のこの時代のこの時において、

最も緊急かつ重要な事なのだ。

目覚めるためには・・・。


さらに、

・・・

在るのは全て・・・・・・、それを本質的に悟った人々感じるはずだ、

在るのは、常に「今」・・・。

変化し続ける「今」、

歴史の記録や教科書記述、その物的記録の中ではなく、

あるいは、若かった過去の自分の記憶、回想の中ではなく、

あるのは、常に「今」だった・・・ということに気付けるだろうか。

意識する・・われ・・に気付いている者からみれば、


在るのは、そして在ったのは、常に「今」だということだ。

在るのは永遠に・・今・・である。


」、わたし・・・という意識、気づきがある・・ことが、

過去も、未来も・・わたし・・という意識が在ることの霊的証拠である!

肝心なのは、「今」・・・そのまんま・・を、意識体でまるごと、まじ感じることだ。

<あなた>が失われるとか、死んだら終わりだとか、そんな話は全くの嘘、デマゴーグでしかなく、

それに気づかないのは、自分が肉体でしかないという観念に、気付かず知らず幽閉されていたからなのである。

嗚呼、人によってはそれも既に終わったことである。





日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。