経済が崩壊すると、金回りつまり物資の流通が滞り、人間の享受してきた安楽さや便利さが損なわれることになる。
経済はまだ崩壊していないということではなく、勝負は既に有ったわけで、それが誰にもわかる形で、あからさまに倒れていないと言うに過ぎない。
もう終わっているわけで、どういう形で終わるかという段階なのである。
これは気付いておくべきことである。
直線時間が進むうちに、便利さや安楽さ、それを当たり前として生活をしていた人々は、潮が引くような物質環境の急激な変化に、不安とためらい、不快感や憤りを感じることになるだろう。
それに閉じこもっていた物質環境で造られた「保身の城」が崩れ始めるならば、ウソでも安心出来ていた自己生存本能が強く刺激され、それが慌てて動き出すことになる。
そしてその自己保存意識がどういう形に出てくるのか、それが問われているわけだが、
即物主義的であれば、効率や功利性が優先すれば、物質環境を維持するために、富を他から略奪してくることが最も手っ取り早いということになる。
中近東、バルカン半島、ウクライナ、そして昨今火付けが強くなったアジア・・・今世界で起きている事はそういうことなのだ。
簡単に言えば、これから激しく流れるだろう潮流の一方は、
何らかの問題を世界で勝手に起こすことで、それを口実に、
紛争、戦争によって、勝った方が利を得るという、最期の争いへの流れである。
それを聖書の黙示録の記述で、アルマゲドンといっている。
今起きている、そして更に増幅して起きるだろう事象の1つの潮流は、
最後の爆発で終わりになるような、一大カタストロフィー現象を誘因する行為に走る者が出てくる、いや既に出ているということだ。
当然あからさまなことは避け、様々な枝葉情報をまき散らし、どこか何か自然発生的に起きた様子を醸し出しつつ、押っ取り刀でかけつけ、嫌々な振りして勝負を掛けるわけである。
これは近代以降、世界を侵食してきた欧米流の巧妙なやり方である。
明治以降、生きるために、これにはまってしまった古い日本が、70年前に終わったように、苦心して成り上がった、近隣の大きな国々も、それに刺激されて嫌々ながらも、自己保身の為に動き始めてしまったかのようである。
今世界では、既にそういう動きになっているのである。
・・・
尚更、合法的な競争社会のなかで餌づけされて、それに気付かない人々は。競争や争いの風潮に流されてゆくだろう。
子供の時から耳についた掛け声・・「頑張れ!栄冠を獲得するんだ。」
経営者の密かなボヤキ・・「戦争でも起きないことには景気が良くならない・・」
「自分が生きるためには多少の犠牲はつきものだ・・」
それらすべて、自分さえ良ければという、利己主義観念で終始共鳴を外せない者たち。
・・・
ここにカルマの増大と解消の分かれ道が用意されてある。
自分の為に、他を犠牲にしても良い・・・という観念を選ぶ人、
自分は後で大丈夫、まず他に回して・・・という観念を選ぶ人、
困難な時期に遭遇し、その主たる想いの発露がどちらにあるか?
結果的に、古い世界の人と、新たな世界の人の「振い分け」となるわけだ。
・・・
それぞれの意識が、自らで・・自らを選ぶ・・・仕組みに気付けるだろうか?
そんな話、抹香くさい、くどい薀蓄(うんちく)と教訓を醸し出すような、
単なる「おとぎ話」のように聞こえるかもしれないが、
真剣な土壇場で出てくるのが、人の真意であればこそ、
いつまでも気づかず知らずの、眠れる者たちへ用意された寝起きのクイズ、
この古い地球のフィナーレにおいての最期の卒業問題の提示場面、
そういう逃げの効かない、真意を問われる場面も用意されるということに、事前に気付ける人々は幸いであるといえよう。
いずれにしても、何があろうとなかろうと、物や体ではなく「こころ」を浄化しなければ決して超えることのない峠道にいるのである。
・・・
予知、預言の類を信奉するつもりは毛頭あるわけもないが、それらも情報で在ると捉え、事ここに及んで、捻じ曲げられて加工されたメディア情報を、出来るだけ迂回して世界を俯瞰するならば、
かつて人類の集合意識にポツリポツリと現れた「預言」なるものの中に、かなりな信憑性を窺がえるものがあることに気付くだろう。
想念や想い、信念、観念は、逐次描かれる設計図のようなものであり、それを読み取るならば未来という、今ある種(たね)の、育つ姿は予想可能なのである。
・・・・・・・
以下、ネット上にあるものをいくばくか勝手にリンクすると。
これらは大体20-30年前の預言・幻視・啓示ということだが、それが「嘘」でなければ、予言と捉えず、未来への確率予想としても、その確度は決して低いものではないことがわかるだろう。
これらはほぼ同じ内容を、別の言葉、別の人間が、それぞれ異なる切り口で言っているようでもある。
エノック預言
1980年代後半に降ろされたものだが、まるで現在を説明しているかのようだ。
人類意識が質的に変わらなければ、分流としてあり得ること。
自分はこの内容を1990年代に見た記憶があり、
昨今出されたものではないことを知っている。
サラ・ホフマンの幻視
臨死体験で見せられた幻影のようだが、いわゆる最終戦争の様子である。
モルモン教徒としての何かが味付けされているようだが、911も描かれている。
ネッド・ガガーティー・天使からの啓示
同じく、臨死体験での天使から啓示されたビジョンに基づくもの。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
経済はまだ崩壊していないということではなく、勝負は既に有ったわけで、それが誰にもわかる形で、あからさまに倒れていないと言うに過ぎない。
もう終わっているわけで、どういう形で終わるかという段階なのである。
これは気付いておくべきことである。
直線時間が進むうちに、便利さや安楽さ、それを当たり前として生活をしていた人々は、潮が引くような物質環境の急激な変化に、不安とためらい、不快感や憤りを感じることになるだろう。
それに閉じこもっていた物質環境で造られた「保身の城」が崩れ始めるならば、ウソでも安心出来ていた自己生存本能が強く刺激され、それが慌てて動き出すことになる。
そしてその自己保存意識がどういう形に出てくるのか、それが問われているわけだが、
即物主義的であれば、効率や功利性が優先すれば、物質環境を維持するために、富を他から略奪してくることが最も手っ取り早いということになる。
中近東、バルカン半島、ウクライナ、そして昨今火付けが強くなったアジア・・・今世界で起きている事はそういうことなのだ。
簡単に言えば、これから激しく流れるだろう潮流の一方は、
何らかの問題を世界で勝手に起こすことで、それを口実に、
紛争、戦争によって、勝った方が利を得るという、最期の争いへの流れである。
それを聖書の黙示録の記述で、アルマゲドンといっている。
今起きている、そして更に増幅して起きるだろう事象の1つの潮流は、
最後の爆発で終わりになるような、一大カタストロフィー現象を誘因する行為に走る者が出てくる、いや既に出ているということだ。
当然あからさまなことは避け、様々な枝葉情報をまき散らし、どこか何か自然発生的に起きた様子を醸し出しつつ、押っ取り刀でかけつけ、嫌々な振りして勝負を掛けるわけである。
これは近代以降、世界を侵食してきた欧米流の巧妙なやり方である。
明治以降、生きるために、これにはまってしまった古い日本が、70年前に終わったように、苦心して成り上がった、近隣の大きな国々も、それに刺激されて嫌々ながらも、自己保身の為に動き始めてしまったかのようである。
今世界では、既にそういう動きになっているのである。
・・・
尚更、合法的な競争社会のなかで餌づけされて、それに気付かない人々は。競争や争いの風潮に流されてゆくだろう。
子供の時から耳についた掛け声・・「頑張れ!栄冠を獲得するんだ。」
経営者の密かなボヤキ・・「戦争でも起きないことには景気が良くならない・・」
「自分が生きるためには多少の犠牲はつきものだ・・」
それらすべて、自分さえ良ければという、利己主義観念で終始共鳴を外せない者たち。
・・・
ここにカルマの増大と解消の分かれ道が用意されてある。
自分の為に、他を犠牲にしても良い・・・という観念を選ぶ人、
自分は後で大丈夫、まず他に回して・・・という観念を選ぶ人、
困難な時期に遭遇し、その主たる想いの発露がどちらにあるか?
結果的に、古い世界の人と、新たな世界の人の「振い分け」となるわけだ。
・・・
それぞれの意識が、自らで・・自らを選ぶ・・・仕組みに気付けるだろうか?
そんな話、抹香くさい、くどい薀蓄(うんちく)と教訓を醸し出すような、
単なる「おとぎ話」のように聞こえるかもしれないが、
真剣な土壇場で出てくるのが、人の真意であればこそ、
いつまでも気づかず知らずの、眠れる者たちへ用意された寝起きのクイズ、
この古い地球のフィナーレにおいての最期の卒業問題の提示場面、
そういう逃げの効かない、真意を問われる場面も用意されるということに、事前に気付ける人々は幸いであるといえよう。
いずれにしても、何があろうとなかろうと、物や体ではなく「こころ」を浄化しなければ決して超えることのない峠道にいるのである。
・・・
予知、預言の類を信奉するつもりは毛頭あるわけもないが、それらも情報で在ると捉え、事ここに及んで、捻じ曲げられて加工されたメディア情報を、出来るだけ迂回して世界を俯瞰するならば、
かつて人類の集合意識にポツリポツリと現れた「預言」なるものの中に、かなりな信憑性を窺がえるものがあることに気付くだろう。
想念や想い、信念、観念は、逐次描かれる設計図のようなものであり、それを読み取るならば未来という、今ある種(たね)の、育つ姿は予想可能なのである。
・・・・・・・
以下、ネット上にあるものをいくばくか勝手にリンクすると。
これらは大体20-30年前の預言・幻視・啓示ということだが、それが「嘘」でなければ、予言と捉えず、未来への確率予想としても、その確度は決して低いものではないことがわかるだろう。
これらはほぼ同じ内容を、別の言葉、別の人間が、それぞれ異なる切り口で言っているようでもある。
エノック預言
1980年代後半に降ろされたものだが、まるで現在を説明しているかのようだ。
人類意識が質的に変わらなければ、分流としてあり得ること。
自分はこの内容を1990年代に見た記憶があり、
昨今出されたものではないことを知っている。
サラ・ホフマンの幻視
臨死体験で見せられた幻影のようだが、いわゆる最終戦争の様子である。
モルモン教徒としての何かが味付けされているようだが、911も描かれている。
ネッド・ガガーティー・天使からの啓示
同じく、臨死体験での天使から啓示されたビジョンに基づくもの。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。