●地球の意識との乖離
身の回りの小さな世界の中だけで生きている人々も、世界で生起し始めている様々な異常現象に少しづつ気付いてきただろう。
全ての人たちのそれぞれの固有の意識世界、時空間、あるいはそれぞれの生活環境と言えばわかりやすいだろうが、
その人間達の都合のよい世界観と・・・今、地球意識が生じせしめているダイナミックな変化の間の、エネルギーのギャップが現れてきているとも言えるだろう。
つまり、
地球という、我々の存在基盤である地上世界が、今大きく変化しているということと、
それに全く気付かない、常識観念の枠内に安住しつつ、様々な変化にも気づけない人々との、その意識「ギャップ」が大きくなってきているということだ。
直観に従う小動物達は災害に合いにくいのは知っているだろう。
既成概念で安住するか、内からの直観に気付くかの違いとも言える。
●今の時期、無理に頑張ってはいけない
地球は変化のただ中に入りつつあり、生態系も大いなる変化の真っ最中であって、人類だけが合いも変わらず旧態依然たる思い込みを、無意識のうちに固持しようとしているようだ。
皮肉にも、頑な現状維持の楔(くさび)・縛りになっているのが、実に、今までの物質繁栄をもたらした資本主義的唯物観念なのである。
生活環境を豊かにするためと称する、そして、誰でも頷きやすかった欧米的物質繁栄思想が、今では逆に、それを越える新たなる新世界転換の足止めとなって、文明のなかの民衆の足枷(かせ)手かせとなっている。
古い世界で良しとされていた経済社会での頑張りは、いまはもう不要であるばかりか、早めにさっさと手放さなければならないのである。
Let it be.
●汚濁にまみれた泥の中で目覚める者はどれくらいか
今在ること、気付けば身近にある何でもないことに感謝をすべき時である。
それに十分時間と意識を振り向けよう。
外ではなく、内である。
あるがまま、・・の真の意味がわかるだろう。
外側世界の虚栄や騙しが、その身を表わした今の混迷の時代こそ、
一体なにが大切なのかが・・・否応なく解る時代でもあるのだ!
幸せは、何十年ローンで得られる家屋財産でも、組織的上の地位や見映えでもない。
そのことに、気付ける時代になったと言えるのだ。
そうではないか?
・・・
●日本の戦後70年は終わりを告げた
日本でも、教科書で習った、戦後の立派な?民主政治が、見事に実り、そしてそのまま腐敗してしまった現状に気付けるだろうか。
当然ながら、何事でも、熟しきって腐敗した果実は、じきに地に落ちることになる。
誰がどうしようと、古いものに執着しようと、何をしようと・・自然の摂理や法則には抗えない。
1200兆円の政府負債残高、原発再稼働、集団軍事条約への急激な動きは、明らかに新たなる希望ではなく、爆発と崩落への無意識の動きである。
・・・
「国家負債がどうしたって?・・・今、昇進するかどうかの瀬戸際なんだよ!」
「公的場所で拡声器使い嘘を言うなって?・・・ウソでも何でも、飯食わなきゃなんないんだよ」
「原発が危険だって?・・・あれから地震も津波もないじゃないか、それに皆が嫌がる放射性廃棄物で金稼いで何が悪いんよ!」
「集団自衛権が憲法違反だって?・・かつて憲法作らせた国がやれと言ってんだよ!」
「真実を報道しろって?・・・そんな金、民衆からもらってないよ、スポンサーは政府や企業なんだよ、わかってるだろ!」
・・・
こういう噂話が嘘とは思えないような状況を窺がえば、すでに戦後の支配の構図が明確に堕落してしまったこと、そしてそれが今、苦しくも炙り出されていることに気付けるだろうか。
そう戦後の支配構造は実質的に終わったのだ。隠されたものが露わになったということだが、頭隠して尻隠さずの必死な演技が行われている。
いやいや、そこまでネガティブに考える必要はなかろう・・もっと希望を持ったほうがいいのでは?というのは、今までのことである。
現実を観察しえない、把握しえない、漠然としたお花畑的な希望は、無知の証拠ではないかと考えた方がよい。
●未だ物質環境に閉じこもった人々
世界の大地のあちこちに地殻変動が起きていても、公的ニュースが流れなければ全く気付かない状況に安住しているようだし、
大気の雲の様子が。かつてない姿や早い動きを生じていても、すぐそこにある空(そら)などほとんど見あげることもない都会生活で、何か高度な文明生活を送っているかのように、アクセクしている人々も多い。
電車の中で、10人のうち9人までが、ほぼ同じ姿勢でスマホに見入っている、その「量産化された自分達」の姿を別に変だとも思わない人々・・、
日本政府の借金総額が1200兆円に膨れ上がっても、その意味を全く説明しないメディアや、あるいは知らない、解らない、自分とは無関係と思い込んでいる大衆の姿も、また人的世界の異変の一部に相違ない。
日本を含む世界各地の火山が連動しているかのような噴火を始めていても、楽しいはずの観光旅行や経済活動の足止めで迷惑しているだけの感覚でいる人々も多いだろう。
「おー怖い・・、せっかく休みと金を捻出した観光旅行なのに・・あー損した・・」
どこか自然の異変を肌で感じることは出来るとしても、出る感想はそのようなものかもしれない。
●嘘が本当に正々堂々していた時代
福島の原発事故が終了したかのような、公的メディアの沈黙、無報道も、アンダーコントロール下にある等という、情報煙幕を張ったような状況、証明しづらい現状を計算したような大嘘も、
ほんの数年も続かない類のものであり、このような国家国民の安全と生存を代表するべき、代弁しているはずの行政府の、都合の悪いところを隠す姿や形も、全くの異常現象なのである。
そのうち負債も嘘も、全てが相殺、爆発して終わりになればいい・・かのような無責任行為であると言えよう。
欧米対中ロという世界の2極化の流れで、どちらかにつかねば生き残れないなどという強迫で動いているはずの、集団的自衛権なる一見普通の国では当たり前そうな集団軍事条約への無理くりの移行も、
逆に、これから本格化する世界的混乱に巻き込まれる、参加予約切符を買わされたようなものである。
旧態依然とした武器やジェット機、空母等では、小競り合いの喧嘩以外、一体全体何が出来るというのだろうか。
いまはそんなもの全く役に立たない、はるかに壊滅的な武器や兵器、殺傷手段が数多く隠されているのである。
●戦争による経済需要の時代ではない
それでも、何か獲得できるものがあるかも知れない・・等という、かつての朝鮮戦争特需やベトナム戦争景気の様な経済効果・戦争利得への欲得観念は全くの見当違い。
目先の経済停滞を打破するために戦争の片棒を担ぐことは、結局かつて70前の敗戦時のように、全てが塵埃に帰すことになるだろう。
そして民主主義という建前であれば、不都合な現実に遭遇した場合は、善良で無知なる国民が選んだのと言い張るだろう。
その時が来るならば責任を追及しようにも、戦争への動きに加担した政治屋たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っているはずである。
もっとも、そのような国家環境が残っていればの話であるが・・・。
国破れて・・山河あり・・は、人間が何をやろうとも自然は侵すことが出来ず、それがそのまま残されていた昔の話である。
●さらばアメリカ・・愛しき霊的幼児たちの最期の競演
今は、地球の中の物理層「時空間」そのものが、10分もかからず廃墟になる時代なのだ。
ここ1.2年で第3次世界大戦だとかいうイメージが世界に出てきたのはなぜだろうか。
アメリカとロシアや中国との対決姿勢が明確になってきたようだが、
それを待ちに待ったような者たちもいるようである。
貨幣世界の崩壊を察知して、別の似たような支配構造を画策している者たち。
古い世界の終わり方を全く理解していない霊的に幼き者たち、
帝国の富よ夢よもう一度という、支配欲に固まった者たち、
物質的爆発の威力しか、パワーというものを知らない者たち、
自らの内面の浄化でなく、他民族を浄化と称して抹殺して平気な極低レベルの者たち、
カルマの解消どころか、更にそに中での苦渋の体験が未だ十分でない者たち、
これから多分数年は、そういう者たちに与えられた最後のお遊戯舞台演技に相違ない。
しかしながら、
その最後の舞台演技で、舞台そのものを核で無茶苦茶にして終わりというのは、今回は全くの話の外であろう。
なるほど黙示録の時代、とうとう、ここまで来てしまったということだし、
仏法で言う末法の世、聖書で言う預言成就の時代であるが、
それもまた、それぞれの魂の選択なのである。
実に・・・ここが肝心なのだが、人はメダカやレミングの群れではないということ。
宇宙の、そして地上の何者であっても、魂・意識に何事かを強要することなど出来る話ではないという事を知らねばならない。
ご理解可能であろうか。
●外を変えるのではなく、自らの意識内面を変えること
世界最終戦争やら何やら、・・そんなもの、面白くも何んともなく、わくわくも、ドキドキもあるわけもない、
どうしてもという、それも自由意思なのであれば、そう、アルマゲドンは・・・
すぐにでも消滅する間際の段階の、役割の終わった古い物質偏重的時空間で演じることだ。
そんなもの参加者は少ないほどいいが、
何かありそうで優しそうな笛吹男に無意識についてゆく、善良で他者依存の無意識的存在達もまた、この世界に経験のために来ているのも事実であれば、なるほど良いとか悪いとかの話でもない。
そう確かに、魂レベルでは、全て窮極で・・・選択自由なのだ。
あなたは神なるものではなかったのか?
今・・無条件に・・・在ることで・・・気付けないか?
何でも頑張るという事であれば、
そう、これからは特に、身とこころを浄化しつつ、
穏やかにあることに専念すべき時である。
「今在る」奇跡の瞬間・・今この時・・に注視し、感謝をすることである。
他者の姿態や、外の鏡像の喋ることに惑わされることなく、
例えどのような時、どのような世界であっても、
わたし・・という<内>にあることが、<外>に展開することを忘れないことだ。
世界がどうあるべきか・・等では毛頭なく、
わたしは・・どう在るか・・・常にそれが問題なのだ。
意識は、意図や想いを通じて、時間空間・物質となり、それ自らを展開するのであり、
決してその逆ではない。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
身の回りの小さな世界の中だけで生きている人々も、世界で生起し始めている様々な異常現象に少しづつ気付いてきただろう。
全ての人たちのそれぞれの固有の意識世界、時空間、あるいはそれぞれの生活環境と言えばわかりやすいだろうが、
その人間達の都合のよい世界観と・・・今、地球意識が生じせしめているダイナミックな変化の間の、エネルギーのギャップが現れてきているとも言えるだろう。
つまり、
地球という、我々の存在基盤である地上世界が、今大きく変化しているということと、
それに全く気付かない、常識観念の枠内に安住しつつ、様々な変化にも気づけない人々との、その意識「ギャップ」が大きくなってきているということだ。
直観に従う小動物達は災害に合いにくいのは知っているだろう。
既成概念で安住するか、内からの直観に気付くかの違いとも言える。
●今の時期、無理に頑張ってはいけない
地球は変化のただ中に入りつつあり、生態系も大いなる変化の真っ最中であって、人類だけが合いも変わらず旧態依然たる思い込みを、無意識のうちに固持しようとしているようだ。
皮肉にも、頑な現状維持の楔(くさび)・縛りになっているのが、実に、今までの物質繁栄をもたらした資本主義的唯物観念なのである。
生活環境を豊かにするためと称する、そして、誰でも頷きやすかった欧米的物質繁栄思想が、今では逆に、それを越える新たなる新世界転換の足止めとなって、文明のなかの民衆の足枷(かせ)手かせとなっている。
古い世界で良しとされていた経済社会での頑張りは、いまはもう不要であるばかりか、早めにさっさと手放さなければならないのである。
Let it be.
●汚濁にまみれた泥の中で目覚める者はどれくらいか
今在ること、気付けば身近にある何でもないことに感謝をすべき時である。
それに十分時間と意識を振り向けよう。
外ではなく、内である。
あるがまま、・・の真の意味がわかるだろう。
外側世界の虚栄や騙しが、その身を表わした今の混迷の時代こそ、
一体なにが大切なのかが・・・否応なく解る時代でもあるのだ!
幸せは、何十年ローンで得られる家屋財産でも、組織的上の地位や見映えでもない。
そのことに、気付ける時代になったと言えるのだ。
そうではないか?
・・・
●日本の戦後70年は終わりを告げた
日本でも、教科書で習った、戦後の立派な?民主政治が、見事に実り、そしてそのまま腐敗してしまった現状に気付けるだろうか。
当然ながら、何事でも、熟しきって腐敗した果実は、じきに地に落ちることになる。
誰がどうしようと、古いものに執着しようと、何をしようと・・自然の摂理や法則には抗えない。
1200兆円の政府負債残高、原発再稼働、集団軍事条約への急激な動きは、明らかに新たなる希望ではなく、爆発と崩落への無意識の動きである。
・・・
「国家負債がどうしたって?・・・今、昇進するかどうかの瀬戸際なんだよ!」
「公的場所で拡声器使い嘘を言うなって?・・・ウソでも何でも、飯食わなきゃなんないんだよ」
「原発が危険だって?・・・あれから地震も津波もないじゃないか、それに皆が嫌がる放射性廃棄物で金稼いで何が悪いんよ!」
「集団自衛権が憲法違反だって?・・かつて憲法作らせた国がやれと言ってんだよ!」
「真実を報道しろって?・・・そんな金、民衆からもらってないよ、スポンサーは政府や企業なんだよ、わかってるだろ!」
・・・
こういう噂話が嘘とは思えないような状況を窺がえば、すでに戦後の支配の構図が明確に堕落してしまったこと、そしてそれが今、苦しくも炙り出されていることに気付けるだろうか。
そう戦後の支配構造は実質的に終わったのだ。隠されたものが露わになったということだが、頭隠して尻隠さずの必死な演技が行われている。
いやいや、そこまでネガティブに考える必要はなかろう・・もっと希望を持ったほうがいいのでは?というのは、今までのことである。
現実を観察しえない、把握しえない、漠然としたお花畑的な希望は、無知の証拠ではないかと考えた方がよい。
●未だ物質環境に閉じこもった人々
世界の大地のあちこちに地殻変動が起きていても、公的ニュースが流れなければ全く気付かない状況に安住しているようだし、
大気の雲の様子が。かつてない姿や早い動きを生じていても、すぐそこにある空(そら)などほとんど見あげることもない都会生活で、何か高度な文明生活を送っているかのように、アクセクしている人々も多い。
電車の中で、10人のうち9人までが、ほぼ同じ姿勢でスマホに見入っている、その「量産化された自分達」の姿を別に変だとも思わない人々・・、
日本政府の借金総額が1200兆円に膨れ上がっても、その意味を全く説明しないメディアや、あるいは知らない、解らない、自分とは無関係と思い込んでいる大衆の姿も、また人的世界の異変の一部に相違ない。
日本を含む世界各地の火山が連動しているかのような噴火を始めていても、楽しいはずの観光旅行や経済活動の足止めで迷惑しているだけの感覚でいる人々も多いだろう。
「おー怖い・・、せっかく休みと金を捻出した観光旅行なのに・・あー損した・・」
どこか自然の異変を肌で感じることは出来るとしても、出る感想はそのようなものかもしれない。
●嘘が本当に正々堂々していた時代
福島の原発事故が終了したかのような、公的メディアの沈黙、無報道も、アンダーコントロール下にある等という、情報煙幕を張ったような状況、証明しづらい現状を計算したような大嘘も、
ほんの数年も続かない類のものであり、このような国家国民の安全と生存を代表するべき、代弁しているはずの行政府の、都合の悪いところを隠す姿や形も、全くの異常現象なのである。
そのうち負債も嘘も、全てが相殺、爆発して終わりになればいい・・かのような無責任行為であると言えよう。
欧米対中ロという世界の2極化の流れで、どちらかにつかねば生き残れないなどという強迫で動いているはずの、集団的自衛権なる一見普通の国では当たり前そうな集団軍事条約への無理くりの移行も、
逆に、これから本格化する世界的混乱に巻き込まれる、参加予約切符を買わされたようなものである。
旧態依然とした武器やジェット機、空母等では、小競り合いの喧嘩以外、一体全体何が出来るというのだろうか。
いまはそんなもの全く役に立たない、はるかに壊滅的な武器や兵器、殺傷手段が数多く隠されているのである。
●戦争による経済需要の時代ではない
それでも、何か獲得できるものがあるかも知れない・・等という、かつての朝鮮戦争特需やベトナム戦争景気の様な経済効果・戦争利得への欲得観念は全くの見当違い。
目先の経済停滞を打破するために戦争の片棒を担ぐことは、結局かつて70前の敗戦時のように、全てが塵埃に帰すことになるだろう。
そして民主主義という建前であれば、不都合な現実に遭遇した場合は、善良で無知なる国民が選んだのと言い張るだろう。
その時が来るならば責任を追及しようにも、戦争への動きに加担した政治屋たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っているはずである。
もっとも、そのような国家環境が残っていればの話であるが・・・。
国破れて・・山河あり・・は、人間が何をやろうとも自然は侵すことが出来ず、それがそのまま残されていた昔の話である。
●さらばアメリカ・・愛しき霊的幼児たちの最期の競演
今は、地球の中の物理層「時空間」そのものが、10分もかからず廃墟になる時代なのだ。
ここ1.2年で第3次世界大戦だとかいうイメージが世界に出てきたのはなぜだろうか。
アメリカとロシアや中国との対決姿勢が明確になってきたようだが、
それを待ちに待ったような者たちもいるようである。
貨幣世界の崩壊を察知して、別の似たような支配構造を画策している者たち。
古い世界の終わり方を全く理解していない霊的に幼き者たち、
帝国の富よ夢よもう一度という、支配欲に固まった者たち、
物質的爆発の威力しか、パワーというものを知らない者たち、
自らの内面の浄化でなく、他民族を浄化と称して抹殺して平気な極低レベルの者たち、
カルマの解消どころか、更にそに中での苦渋の体験が未だ十分でない者たち、
これから多分数年は、そういう者たちに与えられた最後のお遊戯舞台演技に相違ない。
しかしながら、
その最後の舞台演技で、舞台そのものを核で無茶苦茶にして終わりというのは、今回は全くの話の外であろう。
なるほど黙示録の時代、とうとう、ここまで来てしまったということだし、
仏法で言う末法の世、聖書で言う預言成就の時代であるが、
それもまた、それぞれの魂の選択なのである。
実に・・・ここが肝心なのだが、人はメダカやレミングの群れではないということ。
宇宙の、そして地上の何者であっても、魂・意識に何事かを強要することなど出来る話ではないという事を知らねばならない。
ご理解可能であろうか。
●外を変えるのではなく、自らの意識内面を変えること
世界最終戦争やら何やら、・・そんなもの、面白くも何んともなく、わくわくも、ドキドキもあるわけもない、
どうしてもという、それも自由意思なのであれば、そう、アルマゲドンは・・・
すぐにでも消滅する間際の段階の、役割の終わった古い物質偏重的時空間で演じることだ。
そんなもの参加者は少ないほどいいが、
何かありそうで優しそうな笛吹男に無意識についてゆく、善良で他者依存の無意識的存在達もまた、この世界に経験のために来ているのも事実であれば、なるほど良いとか悪いとかの話でもない。
そう確かに、魂レベルでは、全て窮極で・・・選択自由なのだ。
あなたは神なるものではなかったのか?
今・・無条件に・・・在ることで・・・気付けないか?
何でも頑張るという事であれば、
そう、これからは特に、身とこころを浄化しつつ、
穏やかにあることに専念すべき時である。
「今在る」奇跡の瞬間・・今この時・・に注視し、感謝をすることである。
他者の姿態や、外の鏡像の喋ることに惑わされることなく、
例えどのような時、どのような世界であっても、
わたし・・という<内>にあることが、<外>に展開することを忘れないことだ。
世界がどうあるべきか・・等では毛頭なく、
わたしは・・どう在るか・・・常にそれが問題なのだ。
意識は、意図や想いを通じて、時間空間・物質となり、それ自らを展開するのであり、
決してその逆ではない。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。