気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

愛すべき故郷

2012-01-01 10:41:31 | 覚醒意識

人は皆、無限の意識の1つの表現形態である。

 

あなたもわたしも皆そうである。

 

あらゆる全ての存在は、その自覚の程度を楽しみながらも、

 

いわゆる進化の道を歩くことを楽しみながらも、

 

大いなる「ひとつ」から生じ、それぞれが大いなる「多」を実現している魂意識なのである。

 

大勢の人間達、大勢の動物たち、大勢の植物たち、大勢の鉱物たち、

 

無限の空(くう)に存在している惑星たち、恒星たち、銀河たち、銀河団たち・・・

 

それはすべて奇跡ともいえる「ひとつ」から出て来ているのだ。

 

様々な物質顕現を通じ、

 

様々な種類を通じ、

 

様々な形態を通じ、

 

様々な生命を通じ、

 

様々な個別意識を通じ、

 

様々な集合意識を通じ、

 

無限の方向、無限の角度、無限の層を通じて、

 

その自らの奇跡の喜びを表現しているのだ。

 

・・・

 

ある高名な哲学者は 「なぜ、無ではなく、有なのか?」 と思ったそうだ。

 

何もなければ、苦も楽も・・・何も無かったはずだし・・

 

何もなければ、無知も愚かさも・・・何も体験しないでよかったはずだし、

 

何もなければ、善も悪も、そこから生じる辛い感情もなかったはずだが、

  

・・・なぜ、全てが有るのか、我々がなぜ在るのか?

 

・・・なぜ今ここに人々はいるのか?

 

そう、

 

高名な哲学者でなくとも、あなたもわたし達もいつか考え、感じたことがあるだろう。

 

・・・・

 

なぜ、私は有るのか、大勢のあなたは有るのか?

 

それは、

 

なぜなら、

 

たった<ひとつ>として生じて在るもの、

 

<わたし>という自己認識を生じるもの、

 

自らに自らで気づいているもの、

 

根源とも神とも、全てのすべてといわれるもの、あるいは究極の一なるものは、

  

自らの<愛>に気づいているからだ

 

それはあたかも、

 

無限たる自らの姿をどうしても見たいという想いであり、

 

その美しさ、姿、形、を様々に表現したいという想いであり、

 

その根底にあるのは、自らを<愛>しているという、

 

自らが<愛>であるという真実なのだ。

 

それはまた、あたかも人の仕草と同じでようであるともいえるだろうか。

 

嫌いな自分は、鏡に映さないはずではないか。

 

自分が惨めだと思えば、姿かたちなど見たいとも思わないだろう。

 

・・・・

 

しかしながら、

 

それを単なる自己愛と言うなかれ。

 

一なるものが自らを愛するということは、

 

全てが全てを愛するということである。

 

その愛によってこそ、 

 

今我々は・・、自らの意識を有する大勢のわたし達は、

 

ここに、あそこに、どこにも存在しているではないか。

 

あらゆる物質顕現、非物質顕現、

 

たとえ、その全てが「変化」をその旨とするバーチャルな姿であろうとも、

 

マクロの無限大、ミクロの無限小であろうとも、

 

世界として、それは知覚され、認識され、体験され続けている。

 

人間とは、それを感じ、悟り、見極めることが出来る存在のことである。

 

あなたもわたし達もその仲間たちであるということだ。

 

この次元のあらゆるものを観て聴いて感じる存在、

 

更に高次の次元の波動である様々な「想い」を抱くことが出来る存在、

 

その知覚も自覚も、そして意識の広がる過程も、

 

様々なプロセスや成長を体験することが出来る存在、

 

それが人間である。

 

それがわたしであり、

 

そしてあなたである。

 

我々は、今ここに身を置いていることを体験していたとしても、

 

たとえこの世界が正と邪の観念に犯されていたとしても、

 

たとえこの世界が無知と不浄に染まっていたとしても、

 

それこそは一時のほんのあだ花であることを知っているのだ。

 

それすらも許されることこそは、

 

愛とは全てを許し、全てを愛(め)で、全てを慈しんでいるということであり、

 

それに気づくことこそ、<愛>の賜物なのである。

 

全てを愛でる・・意識、

 

これでもかというほどの多くの人間たちの<意識>による想いや行為を、

 

たとえ小さくとも、時には忘却に眠っていようとも、

 

いつか、そして<今>こそ・・それに気づき、

 

それを嬉しさと、信念と、勇気と、我慢強さを合わせながら、

 

顕してゆくこと、

 

それが人間の役目である。

 

それが出来るフィールドこそが世界であり、地球生命圏であり、宇宙である。

 

そしてこの世界を含む大いなる宇宙とは、大いなる我々の故郷なのである。

 

全てのものは、どこにいても何をしていても、

 

常に<愛>を感じているはずである。

 

存在していること自体が、その証拠ではないのか。

 

たとえ身近にあるちっちゃなことでも、無限に大きいものであっても、

 

全てが愛であることには変わりがない。

 

あなたやわたし達の行うべきことは、

 

こころを静謐に置くように心がけ、

 

様々な雑多な想念を超え、

 

今の意識の及ぶ範囲から、ほんとうに・・みじかな所からでも、

 

実は偏在しているところの<愛>を、

 

自らで発見してゆくことではないだろうか。

 

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

2012年  元旦