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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(14)魂の転移

2021-03-25 07:36:15 | 意識の科学(総合編)

 

意識・気づきが無くて・・その知覚対象・世界・時空間は生じない。

あるいは世界・時空間は・・魂の・・・表現展開場フィールドともいえるのである。

魂は時空を超え、時空間を転移・創造する本質であるということ。

これが理解できることが重要だ。

 

わたしは・・わたしだと気付いていること・・意識は、

I AM という自己創造原理であり、

気づきの総体・・魂・・の基本であり、現象や時空をはるかに超えている。

時空を超えているからこそ、

つまり、様々な時空間(世界)の中での転生、

あるいは時空間(世界)から別の時空間(他世界)へと転生するのだ。

 

時空内で、時空の相互で、転移・転生するのは・・魂という本質であり、

それは無数のエネルギー・情報・記憶を蔵している。

またその情報の一部は、

降下次元先での経験母体・体内のDNAにも転写されているはずだ。

そう、

あなたが転生して、今人間として今ここにいる・・のがその証拠である。

人体の設計図である遺伝子のなかのジャンクDNAという膨大な未知の領域は、

いまだ気づかぬ・・わたし・・魂の・・無数の情報が転写されているとも言われている。

 

物理的な法則で言っても、物体の運動ですらエネルギー保存則というのがあって、そのエネルギー・情報は消え去ることなく別の物体運動に転化するのだ。

 

意識・気づきのことなど単なる思考のようにあしらい、

わたしとは・・時空間・世界の中に偶然生まれた、

一過性の肉体個人単体であると信じ込む。

そういう意識体を・・3次元世界の住人という。

 

そこの住人たちは、肉体が自己であると信じ込んでいて、

死んだらすべて終わりという事からくる「恐れ」を持て余し、

それを何かの代償で誤魔化しながら

とりあえずの肉体主体の自己保身・利己主義に明け暮れることになる。

 

未だ、より高次の・・意識(魂)に気づいていない状況であれば、

刹那的な生存の中での、肉体の生き残りだけが主要テーマになる。

そのための様々な組織であり、現代の資本主義であり、過当競争であり、

そして奪い合いであり、闘争に他ならない、

 

これが今までのいわゆる3次元的世界であった。

過酷で粗い世界であって、決してお花畑的世界ではない。

あなたは良く知っているだろう。

 

この世界は3次元あるいは時間を入れて4次元とも言われるが、

そこには「意識」という最重要ファクターが抜け落ちていて、

ただ単に、空間の中で様々な物質が動いているだけというような、

3次元的世界観の中で生きていたということだ。

 

その中では物質的な富や権力が幅を利かせるのも仕方がない。

なにせ、肉体レベルの安楽と保持・保身のための富や物量権力以外に頼るべき何物もないと信じるからである。

 

いままでは、

一体誰が・・3次元とか物質とか・・それを認識しているのか?・・・

意識・あるいは心・この重要なファクターが計量、測定できないからといって、

役に立たないものとして無視され、欠落させていたということだ。

精神やこころが・・なんの役に立つ?

役に立つのは・・銭や金や権力だ・・と、

物質レベルの肉体を攻撃しての支配が重要だということにもなる。

 

結局その信念体系では、死んだら終わりなのに・・である。

それが何の役に立つ?・・・・何の役にたつわけもない。

権力や支配、・・実際のところ、お笑い草ではないか?

気づけば、随分と程度の低いだまし(フェイク)ではないか?

 

全ては・・「自分は肉体である」という低い自己認識が原因なのだ。

難しい枝葉の諸理論は・・伐採すれば露と消えゆく枯枝葉でしかない。

 

この世界は3次元あるいは時間を入れて4次元とも言われるが、

そこには「意識」という最重要ファクターが抜け落ちていて、

ただ単に、空間の中で様々な物質が動いているだけ・・、

また、人間は考えることが出来るタイプの、

その物体の中の肉体動物であるという、

3次元的世界認識の中で生きていたということだ。

これはつまり・・、

文字通り・・3次元的時空間やそのなかにある物質の中に、

ある意味で・・・、

・・意識(魂)が閉じ込められていたのである。

 

多くの人が地球以外に出ることが出来ない現象、

あるいはこの中での輪廻転生もその具象化なのである。

科学技術がどうのということではない。

 

知覚の対象、想いの投影である世界や肉体の方ではなく、

魂・本質としてのわたし・・意識、

それに明確に気づくことが・・目覚める・・ということだ。

物質肉体ではなく・・意識・・としての自己に戻ることが、

次元上昇である。

 

繰り返して言えば

意識によって世界が知覚認識されるのであって、

世界が勝手にそこにあるのではない。

 

簡単に言えば・・意識が先・・なのだ。

意識が世界のもとにあるもの・・。

これに深く、深く、大きく・・気づくことが、意識の大転換であり、

意識の大転換が起きれば、当然ながら・・

その存在たちの認識世界がそれ相応に激変するのである。

 

 

ところで、原子や素粒子の知識があればわかるように、

物質とは・・形が粗く粗大に仕上がった ”波動の集合形”に他ならない。

 

つまり随分と粗大で粗い波動の中に閉じ込められ、動き回りながら、

その中の輪廻転生すらも気づかない・記憶喪失の中で過ごしてきたといえよう。

それがもう、終わりかけていることに気づいているだろうか?

ーーーー

 

昨今は宇宙レベルでの魂の系譜・経歴の話がユーチューブでも出ているようだ。

どこまでほんとうかどうか?

嘘や騙しはあるのだろうか?

信じられるかどうかはあなた(の意識開花レベル)次第ということになるが、

少なくとも、

知覚投影されたこの世界の混乱がどうなるとかいうことよりも、

壮大な自分自身(魂)の本来の可能性の方に、

いまこそ意識を向けるべきだろう。

 

それに、・・過ぎたるは及ばざるがごとし、

いずれは誰も皆、この世界を去る時が来るのだ。

塗り固められた狭い常識の世界を味わうのは、

もう十分すぎるほど尽くしたのではなかろうか?

魂の壮大な物語

 

 


(13)気付きと存在

2021-03-12 04:28:09 | 意識の科学(総合編)

これは数十年前に、実際に米国で行われたとされている話だが、

大勢の人が集まる、あるパーティー会場で催眠術のショーがあった。

日本で言うドッキリカメラのような、催眠術の面白さを示すTV番組かなにかの催しだったようである。

 

・・・

催眠術師が、ある人(A)に「これからこの会場に来るある男の人(B)だけが見えません」・・という催眠を掛けた。

その遅れてくるBという人は、もちろん被験者(A)の顔見知りであった。

 

・・

催眠を受けた後、それ自体も忘れるように暗示を掛けられた被験者(A)は、その後飲み食いしながら、次々とパーティー会場に現れる顔見知りの人たちと談笑していた。

そしてついにBが会場に入ってきたのだが、被験者(A)は彼が自分の近くや目の前を通り過ぎても全く気付いていない様子であった。

つまり催眠術師による、「これからこの会場に来るある男の人(B)だけが見えません」という催眠暗示どおり、Bという人物だけを知覚・認識していないらしいのである。

 

つまり、催眠成功!・・という事なのだが、

・・・

ここで注意すべきことは、

本当に被験者(A)は催眠に掛かっていたのか?

被験者が真面目に催眠に掛かっているかどうかは、第三者の厳しい観察による以外は証明しようがないが、

相当な名優でもない限り、そういう演技など無理だというような素人が使われていることで、その信憑性は高いとはいえる。

昨今ではあらゆるところに嘘・騙し(フェイク)があるため、この番組自体もすべてが「やらせ」である可能性もあるが、実際に催眠術を目撃した人ならば、全てが自作自演のトリックだとは思わないはずである。

ある意味、

催眠・暗示・マインドコントロール自体が・・フェイクそのもの・幻想を創り出すということだ。

・・・

話は戻って、

Bが被験者(A)の近くで喋っても、目の前を通り過ぎても全く気付かないということは、視覚映像は頭脳中枢で受けているはずなのだが・・その存在認識が起きていないということだ。

催眠暗示どおり・・

見えても、見えず・・、眼で見ていても、存在として知覚しない・・ということだ。

催眠によって、意識内がプログラムされてしまい、特定の人物(B)だけを意識中枢で無視することが起きたということだ。

 

これは催眠の不思議というテーマの特番のようなものではあるが、

似たようなことは普段でも頻繁にあることに気づけるだろうか?

 

仕事や勉強中、鉛筆を耳に挟んでいて、「あれ?鉛筆がない」と騒いだり、

鍵・キー・財布等を無くして、あちらこちら探し回ったあげく、最初に入念に見たはずのポケットに入っていたとか、

考え事に没頭していて、人に呼ばれていることに全く気づかなかったとか・・・、

意識しなければ・気づかなければ、その対象たる存在物が無いという良くある例である。

 

つまり、

意識しなければ・・対象物が知覚できないということは分かるだろう。

さらに、

対象物が知覚・認識できていないときに・・その対象物は・・あるのだろうか?

その対象物は・・気づいていないだけで、存在はしているのだろうか?

きっと、

知覚・認識がないけれども・・対象物は存在しているのだ・・と思うだろう。

存在しているけれども・・たまたまその時に気づいていないだけだと・・。

 

気づいていないけれども、対象は存在している・・と考えるが、

そもそも、気づいている・知覚・認識しているからこその対象物である。

対象物が・・勝手にそこにある・・って、どうよ?・・なのである。

気づいていないのに、それが存在するって・・憶測でしかないのだ。

 

大勢の人が居て、あなたが気づいていないときも、

他の誰かが気づいていれば、その旨を、後であなたに伝えることで、

あー、ずっとその物は存在していたんだ・・と憶測するしかない。

 

今の瞬間・・・、在るのは永遠に・変化し続ける・今という瞬間であり、

それを理解している人ならばわかるだろう。

しかし・・その時・・・気づいてないとき、

その対象物は・・あなたにとって・・存在していない

 

ここは実に重要なところ。

 

気づくことで、初めて対象を認識できる。

気づくという働きが無ければ、その対象世界はあり得ない。

意識は・・気づきの総体・また魂であり、

意識なくば・・その対象たる世界も存在しない。

 

覚醒の巨人などと言われた、ニサルガダッタ・マハラジは常にこう言い続けた。

「あなたは至高の実在である。

それを知るために、

”わたしは在る”・・に深く入っていきなさい。」・・と。

 

これは、現象投影の元である・・光源・・のほう、

自らの無限の意識に深く気づいてゆくということである。

当然ながら、気づいてゆく深さ・大きさが、

すなわち、その知覚世界の拡大と味わいに繋がっている。

そのプロセスが、魂の進化、意識進化と言われているものだ。

 


(12)次元認識

2021-03-07 06:14:35 | 意識の科学(総合編)

自分の肉体の中に意識があると思っているのは、実は大きな間違いである。

視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚などの五感感覚が肉体に装備されているため、

この知覚中枢としての肉体・頭脳の中に「意識」があると思ってしまう。

いや、そんなレベルではなく、もうこれが当たり前だと思いこんでいるため、その考えが絶対のようになっている。

信念になっているため、改めて掘り起こそうとはしない。

 

つまるところ、

”意識”が肉体の中にあると信じ込んでいるために、

自分は肉体であるという、

極めて重い無意識的想念形・信念になっているわけなのだ。

 

いま、あなたの状況を見てみよう。

「でもそれって・・どういうこと?」・・となるだろう。

私は自分の手を動かし、パソコンやスマホを操作し、今この記事を見ている。

「私は・・この肉体を使って何かをしているからは、

この肉体に相違ない・・」と思っているだろう?

 

でもあなたは肉体なのか?・・いや肉体を使っているのか

まず、そのどちらだろうか?・・と考えてみるといい。

 

あれをしようと意図して・・体を動かす、

これをしようと考えて・・何かの行為をする。

つまり体でもあり、体を動かす「こころ」マインド・でもある。

なので、私は単なる肉体ではあるまい。・・これはわかる。

次に、

さらにそのこころ、思考や感情、行為の元になるマインドは、肉体の頭脳で出来ていると「考えて」・・

こころ、マインドも肉体・頭脳の働きであれば、

なんだかんだと言っても・・わたしとはこの肉体に相違ないと・・考える。

結局・・頭脳、細胞などの・・何かの物質的な形をよりどころとしているからだ。

しかしながら・・

これらすべて・・観察した結果を認識する思考に過ぎないのである。

〇〇は、△△・・あれはこうだ・・と「考える」ことだ。

 

「わたしは肉体である・・」という思考・認識があるのである。

ーーー

これらを客観視してみるならば、起きていることは、こういうことになる。

 

「肉体やその行為」に気づいていて、また「思考やイメージ」に気づいている・・だ。

理解可能だろうか?

もし理解可能ならば、その人はいわゆる3次元的世界から足抜け可能な人だと言えよう。

そう、これは個の意識の次元上昇といわれるものに相違ないだろう。

 

例えば、

映画に見入っている人は、その映画の中にいつに間にか感情移入してしまい、映画の中でくんずほぐれつ、ハラハラドキドキ、右往左往することを疑似体験している。

しかしながら、どこか余裕をもって映画鑑賞が出来るのは・・

それは ”あなた” はあくまでも観客席にいて、映画の中にはいないと知っているからである。

 

 

もしあなたが観客席にいる自己を完全に忘れて、

その映画の中に完全に意識を投入してしまえば・・

あなたの周りはすべて映画の中の世界そのものという事になり、

その世界が楽しいものであればまだしも、悪意や無知のふんだんに含まれた物語であるならば、それはもう大変な事態となるだろう。

 

でも、普通はそうはならないのはなぜなのか?と言えば、

わたしの本体が・・映画のスクリーンの中には存在せず、

それを鑑賞している、観察している・・こちら側にいると・・知っているからである。

つまり、

あなたは2次元平面上の物語の中ではなく、3次元的立体空間側にいることを知っているからだ。

鑑賞者、観察者は・・映画スクリーン(2次元)より高次元(3次元)にいる‥ともいえよう。

 

同じように、

今の現実世界、毎日の生活や仕事、大勢の人々でごった返している3次元的世界の、ただなかに生きているわけだが、

それが3次元的なスクリーン世界であると気付くこともできるだろう。

 

スクリーンと言っても2次元平面ではなく、無限の3次元空間というスクリーンであり、その中の1つの波動集約領域である地球という惑星世界、

その中では見る聞く感じる五感感覚の中枢媒体として最適な肉体という衣服があり、

それによって地球という波動世界が体験できるのだ。

 

意識(魂)はその出自が創造の根源(神・宇宙意識・・)であるため、

どんなことにも自己投入・創造することが出来るのは火を見るより明らかである。

 

母体の産道という次元通路を通じてこの世界にオギャーと出現した

あなたの周りには、気づく範囲だけ、ミクロからマクロ、

はるか宇宙の果てまでも含む世界が展開していることが、

その証拠である!

 

我々の世界があり、ミクロからマクロまで無限につながるコスモス・宇宙があるのは、それを映し出す光源・・意識・・によるのだ。

意識は・・肉体の中のどこかにあるわけではなく、

それらをも含む・・すべての中にある。

 

山川草木、国土悉皆成仏。

 

そう・・全ては・・(宇宙)意識の現れであり、元は意識でないものはなく、

意識は分割し得ないため、元はひとつ、

またあらゆる時空、展開する次元に行き渡っている。

 

あなたもわたしも、多くの人々も・・その肉体形態・マインドの深さ大きさにかかわらず、意識の現れ以外にないということだ。

 

またさらに、人間は小宇宙であるとも言えるだろう。

メビウスの輪の向こう側は・・こちら側と一体であるように、

そう、

わたし(意識)は私の肉体の中だけにあるわけではなく、

そうではなく、

わたしが見る世界のすべてが・・実は・・わたし(意識)なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 


(11)意識は時空を超えている

2021-02-28 06:34:26 | 意識の科学(総合編)

普遍意識・・無限意識・宇宙意識・神・が・・”ある時空に”焦点を結んで、

まるで私個人として個別化したように見えるものが・・個別意識:わたしである。

・・・

前回の「こころの所在?」で示したように、

こころは肉体・頭脳の中にあるわけではないことが理解可能だろうか?

 

簡単に言えば、思考やイメージ・マインド・こころは、そこでの発生ではなく・受信であるということだ。

 

通常「意識」というものは思考や感情を含めた人間の精神的な働きを意味するが、

それが ”こころ” と言うのならば・・・こころは、頭脳の中に在るのではないことがまず推測できるだろう。

馴染まないならば、まず、可能性としての推測を受け止めるだけでいい。

・・・

頭脳や神経組織の無数の電気的パルスが、思考や感情を造っているように見えて

実のところそれは、

普遍的・広大無辺な意識の 無数の”波動層”からの ダウンロード、あるいは受信波の観測結果のモニターに過ぎないということになる。

 

こころ(思考・感情)が頭脳で発生するわけではない・・・。

簡単に言えば・・それは受動・受信・再現であって、そこがオリジナルな発生源ではないことに気づくだろう。

それとも一切そんなことは無いと・・思うだろうか?

例えで言えば、

あなたのパソコンやスマホが、どこにもつながっていないスタンドアローン

どんな接続も何もない孤独な単独機械と信じ込んでいるようなものだ。

 

マインド・こころ・意識が肉体の中に在るように見えて、じつはそこに局在しているわけではないとするならば、

わたし意識の本体・・は、肉体の中にいる・・わけではないということになる。

 

ならば、・・・意識はどこにある?

「どこ」とか、「いつ」とか・・そういう時空間、肉体を超えたものだと気付くだろう。

時空を超えている・・とは、どこか遠くの彼処にあるのではなく、

ここそこ・どこにも偏在する・・・としか言いようがあるまい。

・・・・

 

 

「意識に先立って」(ニサルガダッタ・マハラジとの対話)ナチュラルスピリット刊 p18。

 

質問者:

問題は、全ての意識は同一という事実です。では、どうやって根源に行ったらいいのでしょうか?

マハラジ:

この意識は木であるが、しかし種があったのだ。だから種のところへ行くことだ。

あなたが今持っている意識は子供意識と同じだ。それにしがみつきなさい。それで充分だ。

意識がそこにあるかぎり、あらゆることはあなたにとってとても重要だ。しかし、もしそれが消滅してしまったら、あなたにとってこの全世界の価値はどこにあるのだろうか?

この種を知るものは誰なのか?

この「わたしは在るという性質」がどうやって現れてくるのか。

それに注意を払うことだ。

そうすればあなたは知ることだろう。

あなたはこの顕現した純粋な意識であり、宇宙やあなたが見ているこの生命のまさに魂であり、今はただ肉体という衣装を着ているだけだ

というアイデンティティだけをただ受け入れ、そこに注目するのだ。

あなたは人生で非常に多くの物事を娯楽のために注目している。だったら、これにも注目して何が起こるかを見てみたらどうだろうか?

月を眺めるとき、

あなたがそこに存在しているかぎりは月が存在することを知るなら、何が起きるか見てみなさい。

この壮大なる概念、この喜び、あなたは直接体験し、楽しむのだ。

 

 

 


(10)こころの所在?

2021-02-23 06:30:14 | 意識の科学(総合編)

それぞれの・・わたし・・は、肉体と、こころと、の複合体と言える。

 

●肉体

肉体は・・・

五感で誰でもすぐに知覚できる・・わたしの体・・のことだ。

五感の感覚による自我感覚である。

私が歩き、手を上げ、飯を食い、放尿し、しゃべる・・それらの感覚と記憶の総体のことを・・肉体自我と言おう。

このレベルでは、「自分とは・・この肉体である」という感覚が育つ。

あなたが鏡を見た時に映る姿は・・その「肉体」を映し出す。

これも五感の知覚で構築される自己像であり、肉体自我を構成している。

 

●マインド・こころ・思考

次に、

こころ、マインドは・・・精神・思考・感情などのことで、五感の感覚では知覚できない・・・。

あなたの思考は・・どこにある?と聞かれても

・・どこかにある物ではないことがわかるはずだ。

思考は頭の中にある・・なども、見当違いである。

思考は、物体のように・・時間や空間の中で特定できない・・代物だ。

 

では、聞こう?・・・・

あなたの思考は、その総体であるこころは・・どこにあるのか

 

頭脳が・・その思考を造っているから、頭脳の中にあるのだろうか?

思考するときに、頭脳の一部に電気信号(波動情報)が発生しているから、

頭脳の中に発生する信号波形である・・と言うことになる。

 

その信号波形・脳波なども機械で観測できるから間違いない・・

だから思考・こころ・感情などは頭脳の中にある(発生する)と考える。

思考・イメージつまり心は、頭脳でつくられると考えるのだ。

従って、心というものも、肉体の一部に属するものだという話になる。

 

そうではないか?

知的な人は、これで納得するものである。

 

思考・イメージなどのマインド、こころは「頭脳」で発生すると考える。

だから、こころも肉体の働き、あるいは頭脳である・・と考えるため、

従って、あくまでも「わたしとは・・この肉体である」と考えるのだ。

 

ごく普通には、ここまで突き詰めることはなく、

漠然とながら、「自分とは肉体である」と言う強い感覚で生きているのである。

あなたはどうだろうか?

ーーー

しかしながら、思考・イメージが頭脳(という場所)で”起きている”という証拠はない。

 

どういうことかと言えば、

単にその時に脳波測定や、その他の観測機器によって、そこで・・波動が観測されているという事に過ぎないのである。

つまり、頭脳・・、

それは単に受信器であって、オリジナルな発生器ではないと言う可能性もあるはずだ。

 

例えばラジオは波動を受信しているが、そこでは信号は発生はさせていない。

空間に伝播している電磁波に同調し、それを受信しているのである。

ラジオや端末機器は、画像や音声デ-タをダウンロードするが、その波動情報はその機器・ボディの中で必ずしも発生しているわけではない。

明確に言えば、そこで波動・振動が起きている・・としか言えないのである。

 

 

例えば、あなたがスマホやパソコンの画面を見る場合に、その情報がパソコンの中にあるもの・・とは限らない。

進化した機器は、その多くが別のサーバーからダウンロードされるものであり、個々のスマホやパソコンは、主に受信するための端末機器であって、情報がそこでオリジナルに発生するものではないはずだ。

 

 

 

このように類推しても、

情報(思考)はどこにある?と聞かれて、

端末機器(頭脳)に中にあると断言するのは早計、または見当違いと考えられよう。

脳波や神経に元づく電気的信号が観測が可能であると言えるだけだ。

ーーー

思考・イメージ・マインド総体は、空間に遍満する波動(いわば想念情報)

を個々人の頭脳によって同調・受信しているというのが正しい解釈である。

波動は必ず伝搬する・・それが波動である・・からだ。

そうであれば、

わたしが肉体である・・と思い込んでいる・・自己認識は・・そういう想いであって、いわば想念形であるが、その想念はその肉体の中にある・・わけではない・・。

という話になってくる。

 

思考・イメージ・想い・・”こころの総体”、あるいは想念は・・肉体の中にはない・・・と考えても・・何の不思議もない。

そういう事なのである。

 

百歩譲って、あなたのこころ・・・は、肉体・頭脳の中にあると断言することはできないことは確かである。

そこでは電気的に観測可能な信号・振動・波動が起きている・・としか言えないのである。

 

あなたのマインド、思考、イメージは・・閉じられた頭脳の中での出来事であると言う断定は・・無効であるということだ。

思考・イメージ・想い、つまり心の総体が・・頭脳の中にだけある・・というのは単なる思い込みであるということだ。

その仕組み自体が完全に明らかにはなっていないものの、想念・思考が肉体内での閉じられた事象であるという信念は、少なくとも早計な判断である。

 

●波動・情報は空間を伝搬している

波動は・・伝搬するのがその基本性質である。

さらに、もう何十年も、テレパシー実験などによって想念やイメージ、思考は・・時間や空間を超えて伝搬することが確認されている。

遠く離れた空間において、素粒子の情報が瞬間的に伝わる量子もつれの現象も実際に確認されていることである。

また臨死体験者の話も数多く報告されており、その時、自己の意識が肉体内でなく、外の空間に位置していて、そこから自分の肉体を見ていたと証言しているのである。

これらすべてが、脳内妄想だと決めつける人がいるが、

それは、脳波などの電気信号の元が、そこで発生している・・というオリジナル発生説(これも想念形)に閉じこもっているといえよう。