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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(9)意識の拡大・進化

2021-02-11 11:36:28 | 意識の科学(総合編)

 

水面に上から落ちた一点のトリガーにより、波紋が全方向に波動として伝搬する。

広がってゆく過程で、自然と波動の輪が拡大してゆくだろう。

同じように、

それぞれの魂・意識は宇宙意識(全体・全方位)に向かって進化してゆく。

これは全く・・自然なことなのだ。

 

あなたやわたしたちである、個々の魂・意識は

進化、拡大の途上にあると言われるが、

自然・・法則にしたがった当たり前の方向にあるということだ。

 

個別である・・魂・意識は・・宇宙意識(神・根源)そのものではあるが、

あえてその宇宙意識の中で自らを成長させて、子供が大人になる喜びを味わうがごとく、

再び宇宙意識に・・・成る・融合するような働きをするのだ。

あなたが人の親であれば、愛深き親心は知っているはずである。

 

ある意味で、・・

この世界が何を言おうと、どうあろうと、

あなたが・・今存在している・・ことは、

宇宙的で普遍的な愛で保障されているのである。

 

それぞれの魂・意識は宇宙意識(全体・全方位)に向かって進化してゆく。

これは全く・・自然なことなのだ。

それを魂、意識の進化という。

意識的存在・・すべてが進んでいる道・・のことだ。

 

しかしながらこの地球へ出現したの多くの魂たちは、

この世界の閉鎖性や無知によって、あるいは波動の粗さによってそれを忘れてしまう。

誰でも生まれてからこの世界の色に染まるのである。

そうではなかったか?

わたしは誰?・・ここはどこ?・・でも取りあえず生きなければ・・。

誰も皆、何も見えない無明の中での、手探りの生き方ではなかったか?

 

しかしながら、今は光が差し、様々なことが見え始めてきただろう。

無明が光明に変化し始めただろうか。

自己自身にはっきりと気づき始めて来ただろうか。

世界や世間や、外の世界、外の人々ではなく・・、

時空間のスクリーンに投影される姿像のほうではなく、

それを観ている・・・意識・魂・・、光源のほう・・

わたしとは何か?・・・問いかけ始めただろうか?

 

I AM THAT I AM.

わたしは・・わたしである・・ところのものだ。

自らが自らによって定立できる・・自己創造原理・・そのもの。

わたしは・・あれであり、これであり・・、

しかしながら、あれでもない、これでもない・・者である。

 

 

魂・意識は・・自らが”何か”に成りきることで、その”何か”を体験をする。

自己を投入して・・人間という肉体を持った意識体として存在することが出来るということだ。

意識を焦点化して、様々な「物語」に自らを意識投入するのだ。

宇宙意識が・・無数の個別の意識に焦点化することで、

・・無数の意識のダイナミックな生命顕現形、生物・人間が存在するのだ。

 

全ては・・意識である・・あれにもこれにも成っている意識、

すなわち、存在宇宙には、

さまざまな生命のカテゴリーや進化の度合いの違う生命系が存在するのである。

この銀河系の中だけでも、2000憶以上の星がある。星は恒星・惑星・衛星と言われているが、それは個々の壮大な意識の波動集合系であり、その中には様々な時空物語がある。この地球だけ・・という常識?そのものが激しい「無明」を表している。

 

 

魂は・・意識を焦点化して、様々な「物語」に自らを投入する。

「物語」とは、無限の宇宙の中の具象化世界ストーリー、

具体的に言えば恒星、惑星という波動の集合世界、またその中の地域・国家・社会のこと、歴史という流れの中にある人間社会でもある。

 

あなたが今この惑星地球に・・存在している・・のは、

偶然でもなんでもなく、魂・意識(根源から派生した意識)が、

この世界へ自己投入・いわばダイビングしたからである。

宇宙の中の、太陽系の中の・・地球という惑星の中の物語の中へ。

そして、

何かに成りきる体験の数々が・・魂の成長・意識の拡大につながるのである。

次第に拡大し、波動が広く、高く、緻密で微細になることで、

より自由で自在で、自他一体への拡大した領域へと移行してゆく。

様々な体験・経験をしつつ、あらゆる知覚を味わいつつ、

子供から大人へ成長することを自覚し楽しむのが・・

様々な形、生態、生き物、人、神の子、神々たちである。

すべてはひとつの、

大いなる意識・意図の・・無数の表れに他ならない。

 


(8)魂と記憶

2021-02-09 15:03:18 | 意識の科学(総合編)

魂とは何か?という事になると、それは何だろうか。

この肉体とは違う、もっと「本質的な自己」のことを示すはずだし、

さらに、肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、

魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・とも言えるだろう。

 

魂それは、今あなたが自認している、今の「肉体個人」のことではない。

もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、

さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・わたしである。

 

様々な時空世界における、その都度の個人我を無数に内包しつつも、

決してその時々の私ではない・・

より普遍的永続的な・・わたし・・・・である。

永続的というのは、長く時間が続くという意味ではなく、

その都度起きては消えてゆく、時間や空間を超えている・・という意味である。

普遍的というのは、局所的、ローカル、個々ではなく、それらをすべて含む高次の、全体にわたるという意味である。

 

したがって、より普遍的永続的自己・魂には、

様々な時空間での体験の無数の「記憶」が含まれている。

つまり魂には・・無数の前世の記憶、他生の記憶があるのである。

 

そして、その記憶はどこにあるのだろうか?

主に頭脳細胞の記憶部位の中というのが普通の考えだろうが、

頭脳は、今の肉体自己と全体自己・・普遍的自己、あるいは魂との接合点、アクセスポイント、送受信器のようなものであり、そこの特定の細胞に、前世のすべてが記憶されているのではあるまい。

普遍的な自己とは、いわば宇宙意識であり、全宇宙(全体意識)にわたって記憶があるというのが本当のところではなかろうか。

我々の作り使用しているコンピュータネットワークは、世界規模でつながっているが、魂の場合は実に無限の遠方にまで広がっていると考えられるだろう。

しかしながら、どんな記憶であっても、

アクセスしなければ記憶は再現されないわけで、

そのアクセスは・・意識による以外に不可能という事である。

これには、思い出す・意図・意識的行為が必要という事である。

 

パラドクス的な表現に聞こえるが、

それを想い出さなければ・・思い出せないのである。

 

記憶があるはずだと思い至り、意識内部をアクセスするのである。

外の世界のいつ、どこは関係なく、

自己自身の・・意識内部を・・見つめて(意識の焦点を合わせ)、

出てくるイメージをキャッチ(内面知覚)するのだ。

もちろん意識レベルが上昇、拡大して、

前世や過去生の記憶などが当然のことになった場合には、

往々にして頻繁にその記憶が蘇る事象に出くわすことにもなるだろう。

膨大な記憶が蘇るということは、多くの知識や能力が開花し、

いわゆる賢者・天才などと言われる人たちに近づくということでもある。

 

 

たびたび記事で繰り返しているが、

意識で・・気づかなければ・・どんな対象も存立し得ない!のである。

これは実に重大な「意識の法則」といっても過言ではない。

意識・気づくことなくして‥その対象や世界は存在しない。

気づき・意識なくして知覚はなく、

知覚が無ければ世界はないということだ。

創造主なくしてその創造世界は生まれない・・のである。

 

実際にあなたの毎日を注意してみるべきである。

あなたが眠りに陥った時、その時に世界も何もありはしない、

肉体も、時間も空間も、ましてや星も宇宙もない・・

もし仮に、永遠にそのままだったら・・いつ・・時間や空間、

この世界や宇宙が出現するのだろう?

仮に、永遠にそのままであれば、

あなたにとっても、他人も何も・・ありゃしないではないか。

人はそれを死ぬこと等と言っているわけだが、

実際に、意識が眠っている間は、

事物も死も生も、何もかもがない・・という事も有りも無いもない・・?。

それを無意識、あるいは空(くう)と言っているわけだが、

その無意識の時は・・何を体験しようもない。

しかしながら、

わたしたちは毎日その状態(非顕現)を通り越して、意識が次第に目覚め、

毎朝同じような新たな世界を再現しているのだ。

 

ここに生きている間は、その無意識、空(くう)・非顕現と、

現実という色のついた世界・顕現の世界が変化しつつ繰り返される。

それはまさに、色即是空、空即是色、色不異空・空不異色である。

 

肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、

魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・と言える。

また永続的、普遍的自己とは、単次元に制約されない多次元的意識ともいえるのである。

 

今多くの人が自認しているところの、今の「肉体個人」の私ではない。

もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、

さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・自己である。

そう、わたしとは、

単なる偶然の時空内生成物、死んだら終わりの肉体なんかではない。

意識・・色即是空、空即是色・・そのものだ。

 


(7)意識の焦点

2021-01-31 04:28:52 | 意識の科学(総合編)

普遍意識・・無限意識・宇宙意識・神・が・・”ある時空に”焦点を結んで

まるで私個人として個別化したように見えるものが・・個別意識:わたしである。

 

個々のわたしとは・・無限そのものが・・無数の有限へと焦点を結んだ者である。

有限とは‥限りあるかたち・形・像・現象・・を意味している。

限りあるかたちの世界・・形は変化し、流転し、現れては消える現象世界。

 

無数に展開する現象世界・宇宙を、そのただ中で観ている者は誰か?

 

神だ・・。

 

有限の視点から・・無限へと眼差しを投げかける者、

観ている・感じている・経験・体感していることを通じて、

無数の有限世界に自己投入したものたちのことを「神々」という。

あなたはそれだ‥と言っているのである。

 

人間とは、

なじみの言葉で言い換えると・・

無限意識(根源)が・・・人の形に焦点を結んだ「像」のようなものだ。

 

 

人とは、普遍意識・無限意識がフォーカスして個々の意識として結像したもの。例えば今あなたは、特定の個人であると意識しているように。    

 

そして・・それぞれ・わたしとは・・

それに気づいている者・・自己自身を意識している者である。

神が自己自身の存在に‥気づいているということである。

 

いまあなたは・・自分が在る・・ことに気づいている・・。

 

深く・広く十分に気づいているかどうか・・?

鉱物・植物・動物・・人間へと気づきの総体・意識の集合体によって、

そのレベルや階層、展開は無数にあるものの、

意識の進化・深化・・こそが、潜在・顕在宇宙の大いなる流れである。

 

人はなぜ、今ここで生きているのだろうか?

そして、何度も違う時空間設定で生死を繰り返し、

違う人格として生まれて死んでゆくのだろうか?

 

 

なぜならば、あなたは・・いつか?かつて?

無限なるものから有限なる者へと焦点を結んだからだ。

 

有限なるもの・・個としての意識・・・へとフォーカスしたわけだ。

だから・・今、そこ、ここで 人間をやっているのである。

そして、誰も皆・・そこからの大いなる帰還の道にあるのである。

 

真の自分自身であろうとすることこそが、自然の流れ。

それを魂・意識の進化などと言う。

ある意味で、無条件の愛、温かい、懐かしき家へと帰る道にある、

それこそが・・楽しく、面白く、興味津々、ワクワクの道である。

 

形に現れたもの・・儚い物理的幻影を必死に追いかけ回し、

満たされぬ欲望、一時だけの事象、現(うつつ)に支配され、

苦難と苦渋の感情を歪ませながら、

わざわざ、小さく、限られて、狭く、暗く・・

無価値で卑賎な状況に我が身をやつし、

この地球という幼い意識集合体の中で嫌というほどまでもまれ、

心で泣きながら、エゴの波動をそぎ落とすまでそぎ落とし、

意識のレンズをきれいに洗濯するまで・・耐えた「魂」達よ・・!

歪んだ感情と爆縮する想念の渦から、勇躍浮かび上がる時が来たのだ。

 

わたしとは何か?・・・これは・・神自身の自己回帰への問いかけだ。

あなたはその自覚があるか?

なぜ・・意識が・・あるのか、自覚があるか?

世界や宇宙を投影・結実しているその意識・・の無限性に気づいたか?

 

普遍意識・・無限意識・宇宙意識・神・が・・

”ある時空に”焦点を結んで

まるで私個人として個別化したように見えるものが

・・個別意識:わたしである。

 

有限の視点から・・無限へと眼差しを投げかける者、

観ている・感じている・経験・体感していることを通じて、

無数の有限世界に自己投入(フォーカス)している者たちのことを

古めかしい言葉で言えば・・

「神々」という。

そう・・

今の、それぞれの・・・・わたしとは・・まさにそれだ。

 

 


(5)意識は気づきの総体

2021-01-16 06:22:21 | 意識の科学(総合編)

意識・・とは、気づいていることの総体である。

何かに気づくことで、その対象が存在しているということがわかる。

つまり、気づくこと・意識なくしてその対象は存在しない。

しかしながら通常は、

対象が存在しているから・⇒・それに気づくのだと・・誤解している。

全く逆なのである!

物質やその多彩な変化、諸現象が先にあるのではない。

まずこれを真に理解しなければならない。

実に単純なことだが、ここが重要な認識転換だ。

 

簡単に言えば、

物が先か、意識が先か・・ともいえるだろう。

どちらが先か?といえば、時間の後先を連想するが、そうではなく、

物質が意識を作るのか?意識が物質を作るのか?ともいえるだろう。

 

どっちだろう?

あなたが図画工作をするときに、図画工作が先にあったのだろうか?

もちろん、わたし(意識)が先だ。

それは図画工作をするプロセスを知っているからである。

手で加工し、それを仕上げることを知って記憶しているからだ。

 

これは一種の創造であるが、世界や宇宙という話になると、

自分の思考や肉体の手足で造るものではないため、

わたし(意識)が世界や宇宙より先であるわけはないと思う。

 

もちろん、

世界や宇宙はそれぞれ私個人の思考・設計・手加工で造られたわけではない。

わたし=思索する肉体個人・・という信念であれば、

世界やましてや宇宙は、私個人の創作なんかではないため、

わたしの見る世界や宇宙は、わたし由来のものではないと思うのが当然だ。

世界や宇宙が、厳然と先に存在していて・・後でわたし個人が生まれた。

これはもう絶対的な事実だと・・そう思うのである。

「思うって?あんた、だってそうじゃない」である。

 

わたしとは・・何か?・・の理解の先・・・、

ここに次元の違いがあるようなものだ。

 

あくまでも、人間は多分サルから進化した肉体個人であるという自己認識であれば、その進化した猿がどうあがいても世界や宇宙など比肩しようもないという話になる。

小さな現象形態(肉体個人)が、より広大な現象形態(世界)を創り出しようもない。

 

しかしながら、その・・わたしとは何か?の認識が違ってくると、その謎のベールが薄くなってくる。

 

わたしとは、知覚対象としての肉体や思考、物質環境のほうではなく、

その背後のすべてに完全に一体化しているところの・・

気づきの総体=意識である・・ことを理解すべきなのだ

 

気づくこと、意識なくして、その意識にとっての対象は顕現しない。

 

普通は・・、

様々な物が存在しているから・・後で・・、

それに気づくのだと思っているということだが、

物質が現実として・・先に存在しているから、・・それに気づく・・のではなく、

気づくことが無ければ・・物質は存在し得ない!・・ということである。

 

あるいは、

気づく過程において・・その様々な対象物が存在していることが認識されるということ、

気づくプロセスの内容・進行に応じて、様々な対象(物)現象が順次出てくるように認識されるということだ。

つまり、

気づきのプロセスが無ければ・・物的対象・事象の出現プロセスも無い。

意識の働きが無ければ・・物的事象・万象の変化の動きもない。

 

真実は常に・・今ここにあるというが、

毎日の眠りと目覚め、この世の生活のサイクルで教えられていることに気づく必要がある。

人類は、毎日毎日、意識が目覚め・眠りのサイクルを繰り返しているが、朝目覚めてから以降の、現実という感覚生活だけに注意を払ってしまっているために、なかなか事の重大さに気づかない。

 

世界という知覚対象物の動きの激しさには気づいているが、それを成立させている仕組み、意識のほうに気づかなければならないという事だ。

 

意識は熟睡・目覚めという、非顕現と顕現のサイクルを繰り返していること、

あるいは無意識と意識のはざま、潜在意識と顕在意識のはざまを揺れ動いているということに気づかなければならない。

それを例えるに、広大な海が「潜在意識」で、その表面の波立ちが「顕在」意識であるということだ。

そして、個別に見えるわたし・・とは、その潜在意識が・・表面に出現した1つの波立ちともいえよう。

広大な海には無数の波立ちがあるように、

この世界、あの世界、宇宙の無数の世界も、その無数の顕現意識、意識的存在で満ちている。

 

 

わたし・・1つの波立ち・・は、海に生じる1つの個別の顕現・意識波動であり、

膨大な海、潜在意識の働きによって起きるものでありながら、

もとは膨大な海そのもの、潜在意識そのものである。

そして、わたし・・1つの波立ちの周囲には無数の波紋が生じるように、

1つの顕現意識からは無数の現象世界・宇宙が生じるのである。

人はそれぞれ、小さいながらも、眠りと目覚め、生活、思考・感情・・見聞きする範囲、目に見える遥かの彼方に発散しているかにみえる宇宙も含め、

それぞれ意識が気づいているからこそ、存在しているのである。

 

元はひとつの無限の海、宇宙意識、絶対無限の意識・・である。

 

 

わたしたちが様々な事物を目視できるのは、

放射される「光」(電磁波動)によって事物への反射像が見えるからだが、

それと同じように、

気づき・・意識は、光よりもさらに微細な根源からの波動であり、気づくという意識的働きによって、様々な事象が知覚対象として浮かび上がるのだ。

意識はすべての・・背後に完全に一体になっているため、

どこまで行っても、常にそれ自身であり、

何か別の、特別の具体的対象としては現れないために、

具象化した現象ばかりを観ている限り、いつも見逃すことになる。

 

したがって、

あなたは根源の意識、真我、常にそれ自身である・・

どこを探す必要もない・・というのである。


(4)唯一者

2021-01-08 06:49:07 | 意識の科学(総合編)

●気づきの総体・わたし意識

<わたし>とは ”気づいていること”の総体であるともいえよう。

わたしたちは・・単なる岩とは違う、

意識している、気づいている存在ということだ。

 

毎日の日常生活のすべて、

見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触れることを通じて、

その世界に”気づいている”・・存在であるということだ。

また、

そこから生じる様々な感情や想いにも”気づいている”存在ということだ。

 

●意識なくば世界は無い

つまり、わたしとは、意識存在であり・・

世界・環境・身体・・周囲に気づいている・知覚している・存在である。

自己をそれと思いやすい「肉体」も・・もちろん気づきの対象であり、

それはまた環境・世界との間の波動共鳴フィールドともいえるだろう。

 

何かへの気づきが無ければ・・どんな対象も知覚できない。

あなたが眠っているときには、

あなた自身の知覚するどんな世界もないはずだ。

熟睡中は、どんな何も無い・・ことすらも知らない。

その時には、

「あなたは眠っているだけで、しっかり世界はあるよ」

と教えてくれるどんな他者さえもいない。

 

●自身に気づいている・・根源意識

わたしとは・・様々なものに「気づいて」いる存在であり、

また・・その当の・・自分自身に「気づいて」いる存在でもある。

 

重要なことは・・意識、

気づきの総体を・・わたし・意識というならば、

自他に気づいている・意識・わたし・・は、宇宙すべての中で・・・

わたし・・しかいない・・ということだ!

 

●気づきの働き・・意識は全部で・・ひとつ

私のような多くの人間がいるから、宇宙にわたし一人なんかあり得ない・・と思うだろうが、

わたし・・自身に気づいている・・わたしは・・ここにいるだけだ。

 

わたしの世界に・・主体たるオリジナルな意識は・・わたししかない・・

他に多くの人がいる・・ことを気付くのも・・この・・意識である。

 

理解可能だろうか?

深く吟味すべきことだと思うがどうだろうか?

しかしながら、

いまのあなた・・そのものなのだと気付くだけ、

様々な幻影を映し出す・・その・・光源のことである。

 

わたしの観察・体験・知覚する世界の・・根源・光源は・・ひとつである。

ひとつだから・・光源・根源なのである。

その・・ひとつから放射される投影像の中に

大勢の他者という幻影も含まれているが、

それは自己の幻影を万華鏡のように映し出すものであり、

それらも・・ただひとつの光源・根源の現れであることが理解できるだろう。

 

●他者とは、万華鏡に映し出された”わたし”の姿

大勢の他者とは・・ひとつの根源・・真我(真のわたし)・・が、

こちらとは違う・・向こう側から・・

無数に・・出現している姿なのである。

 

もちろん意識は無限であるため、

その姿形、想いや考え、価値観や信念などは様々であることは、

それに気づいた者として理解しなければならないはずだ。

 

分離の世界、極まれり

この世界は、その真逆の体験場、地球という分離の世界、監獄世界、

魂意識が、我さきに、我勝ちに・・分離と分割の極致へと分け入り、

いつか物質的幻影のなかで、その中に入り込んだ当の自分(魂・意識)すら、

忘れてしまう集合体験世界であったといえよう。

 

それが今終わりを迎え、意識である”わたし”たちへと帰還を開始したのだ。

今はもう、知覚する事象、意識するものごと、想いの質が・・急激に変化する過程のただ中にあり、

どこか、古き懐かしき暗雲の下から上へと

嵐のような激動の中を突き抜け、

大いなる目覚めの輝く、意識の上空に戻らんとする途上にある。

 

●天上天下・唯我独尊

言うまでもないことだが、ここで”唯我独尊”とは、

私個人だけ尊い・・等という愚かな解釈ではなく、

唯一尊い我とは・・真我・・あらゆるすべての根源意識のことである。

 

あらゆるすべては・・ひとつの根源の放つ・・意識の諸形態であり、

その幻影、先映えであるマインド・肉体・環境の物語が創出されているのだ。

 

自己自身に内部から気づいている・・わたし・・は、

わたしの気づく範囲の世界・宇宙すべての中で・・・

わたし・・しかいない・・ということだ!

 

 

世界・宇宙とは・・

わたしの知覚する様々な事物・物質・現象のことを言う。

そして、

その世界に気づいている・・者は・・

唯一者である・・わたし・・という事になる。

 

意識である・・わたしとは、

わたしの気づく範囲の世界、果ては宇宙まで含む世界・・

つまり見る・聞く・感じる、考え・想像する、

あらゆる事象・物事に満ちた世界における、

・・唯一者・・であるということだ。

 

これは・・それぞれ・・意識としてのわたし・・が、

ただ在ることの無限性、至高の存在であることを意味しており、

意識レベルによって、おうおうにして付帯しやすいところの、

利己主義も傲慢も全く関係がないことを知る必要があるのだ。

 

天上天下、唯我独尊・・

謙虚に受け取るべき真実ではないだろうか。