ほとんど誰でも知っているように、
我々の周囲、世界・宇宙にあまねく存在している物質は、
それを小さく分解・分析しつつ観察・観測してゆくと、分子・原子・電子・素粒子というふうに、どんどん小さくなってくる。
さらに陽子や中性子などの、素粒子をさらに小さくしてゆくと、
クオークなどとも呼ばれる最小?の素粒子となり、現在17種類のクオークがあるとされている。
そして、あらゆるすべての物質は、たったこの17種類のクオークの組み合わせと考えられている。
元をたどれば、シンプルになってゆくものだ。
物理学者さんたちは、1980年代あたりから、この17種類の最小?のクオークの成り立ちを研究し、
それらの物質の元になるクオークを「弦の振動」として考え、その振動パターンの違いが、異なるクオークとして現れていると想定したのだ。
これは「ひも理論」などとも呼ばれている。
例えば楽器の弦などは様々な音色を出すことが出来るが、
同じようにして、極微の弦(ひも)のその振動パターン(波長や振幅等)によって、色々なクオーク・素粒子が出来ている・・そういう考え方だ。
実に・・画期的ではないか。
ひもがブンブン振動するその波形パターンや振動数の違いが、素粒子の違いであるならば・・粒子も塊もなく・・ただ弦の振動だけがあるわけだ。
つまり、物質の元にある極微のクオークレベルでは、あるのは粒子ではなく振動・波動という話なのである。
簡単に言えば、物質の元であるクオークは、ひもが様々な方向(次元)に振動するパターンであり、その振動パターンが組み合わさって、様々な素粒子・原子・分子として顕在化しているということである。
さらに振動・波動は・・その振幅・周波数に応じたエネルギーを持っている。
従って例えば、「わたしは肉体だ」というのは、この面から見ても全く妥当な表現ではない。
これなど、日常の3次元的常識観念では通用しているが、
科学的に言っても、実にいい加減な表現である。
それを言うならば・・元を正せば、
わたしは・・「波動・振動・エネルギー」であるということになる。
ひも理論が登場する前は、
良く例に出される「電子のスリット実験」のように、
原子・電子のレベルでは・・粒子性と波動性があるとされていた。
粒子?波動?・・おいおい、どっちなんだ?・・というわけだが、・・
さらにもっと極微の素粒子・クオークのレベルでは、結局は単に弦の振動・「波動」に帰せられるということなのだ。
もっとも、大きい、重い、物質・塊・粒子・・というイメージは我々の日常の範囲、マクロでアバウトな認識レベルで抱くイメージであって、
極微で精妙なレベルでは、どんどん粒子性など無くなって、つまるところは「波動」ということになるのだ。
どちらが本質的かといえば、元を正したほう・源のほう・・・つまり”波動”であるということになる。
だから、物質は・・物・塊・粒子・・ではなく、元を正せば「波動」以外の”何物”でもない。
簡単に言えば、物質は・・物ではなく、
”エネルギー振動パターン” である考えられるということである。
これは、認識ギャップが大きすぎて、目がくらむようなぶっ飛んだスピリチュアルな概念でも何でもない。