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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(25)波動と次元上昇

2021-05-02 07:40:07 | 意識の科学(総合編)

気づくことなく、その対象・事象は存在しない。

気づきが無くて対象物が独自に存在していることは実証不可能である。

 

量子論では、観測することで始めて未分化の波動(函数)が崩壊して、物質素粒子として観測される・・という表現をするが、

観測・観察とは・・人間の意識によって”気づく”ことであり、

気づくことが、そのもの・・対象物の存在証明なのである。

 

意識的存在であるわたしたちの在ること・・そのもの、

繰り返すが、これは深く熟考・吟味すべきことだ。

 

あなたが何かを見る・観るということは・・気づいているということだ。

意識と呼ばれるものは・・人間の精神とか思い、こころという意味を含んで使われるけれども、

その根本には・・気づき・・があるため、

意識とは・・気づきの・・総体であると言えるだろう。

 

ちなみに「精神」を「神の精」と書いて、人の見る聞く感じる、考えるなども含めて意識等と呼ばれるけれども、

・・・その根本には・・純粋な「気づき」がある。

「ふと思う・」・インスピレーション等の気づきではなく・・

当然それを含む、もっと根源的な、

あらゆるものに浸透している「気付き」・・それを神意識・宇宙意識という。

あらゆるものに気づいている・・根源的意識・神意識・宇宙意識は、

同時に・・あらゆるものになっているということだ。

 

科学的に言い換えるなら、気づいていること、

根源的な気付き = 究極の波動・・である。

全ての波動の元になる・・究極の波動・原初の波動・・神の息吹、

先端科学で言うところの・・すべての物質の根源的波動エネルギー、究極のクオークともいえよう。

・・・

われわれが周囲をよく見て観ると・・わかることは何かといえば、

つまり気づいているからこそ、その気づきの対象物があるということ。

古い唯物的信念体系がゆえに、なかなか理解しにくいのも確かだが、ここが意識進化の峠のようなものであろうか。

 

普通の観念では環境・物質がまず先行して存在していると考えているし、

それを成立させている意識のこと等、皆目気づいていないが、

しかしながら、そもそも存在とは・・意識的な知覚対象のことではないか!

 

気づきの総体である「意識」なく・・様々な物質・環境、世界・宇宙も存在しない

環境・物質が先にあって、その結果・・生命・意識が生まれたのではなく、

物質環境世界・宇宙の中に、偶然に・・意識が生まれたのではない。

元は根源の意識であり、それが波動を様々に変化・降下させつつ、個別の魂、意識、生命、事物・事象へと展開しているのである。

波動の塊形である物質が、どうして意識を生じることが出来ようか、

その真逆の、意識がすべての波動形態の元にあるものだ。

 

これを真に理解すれば・・・、唯物論的自己認識、物質世界観は・・完全崩壊するだろう。

つまりその人の今までの、時空・物質主体の、三(四)次元的世界観は終焉してしまうのだ。

崩壊・終焉といっても、知覚対象の集合体である世界がガラガラ崩れ、爆発炎上するとは限らず、

世界が・・わたし・・意識上に展開する多次元投影像に過ぎないことを悟るということだ。

その悟りの意識に相応する世界が展開することになるということだ。

・・

そして、この世界・地球という特殊な次元投影像の中にアリジゴクのようにはまり込んでいた状況から抜け出すことにもなるだろう。

昔から言う「解脱(げだつ)」は個々魂意識の次元上昇を意味している。

次元上昇は科学論理的にわかりやすく言えば、

四次元から五次元、六次元というように、低波動から高波動に上がるということであり、

それぞれの魂・意識の内在波動の振動数が上がるということだ。

 

あるいは物質への自己同化から、本来の魂・意識としての自己に引き上げる・引き戻すこと・・・ともいえようし、高次元への帰還・・ともいえよう。

次元と波動の関係が理解できるならば、

魂・意識の波動・振動数が、

究極の根源波動に向かって波動を上げてゆくことで、

自然に・・低次から高次へと次元上昇が起きるともいえるだろう。

 

いつもそうであるが、当然ながら注意すべきは、

次元上昇などと言われる事象も、あなたや私に無関係に、勝手に環境世界が変わるのではないことは明らかであるということだ。

 

 

宇宙・生命・物質・時空間・あらゆる知覚・認識対象は・・

本源の ”気付き”・・それらの総体である意識によって、

多次元的に投影されている姿・像であるということ。

 

物理学のひも理論で提起されたように、多次元的というのは、

超微細な素粒子・クオークの振動パターンや振動数の違いということになる。

つまり、次元の違いは・・振動の違いということであって、

これらはあくまでも、意識上の 多次元的知覚対象世界ということだ。

 

そして、それらの元には・・気づいている・・ことがある。

神の眼差し・・、全ての根源・・ソース・・宇宙意識・・

今ここで、そこで・・どこにもある・・すべてが気付き・意識である。

誰も皆、なにもすべてそこから、決して分離も隔離もされてはいない・・。

 

 


(24)意識と次元

2021-04-27 04:28:19 | 意識の科学(総合編)

かいつまん科学的な「次元」の考え方を紹介したが、ここで思い出さねばならないことは、あれらこれらすべて・・意識の働き・・であるということだ。

どういうことかといえば、

物質の微小要素であるクオークの振動パターンの組み合わせによって、物質やあるいはそれらを包含する次元が存在するという難しい理論も、

人間が観測・観察に基づいて、様々な思考を巡らしている範囲の話であるということだ。

 

例えば、理論や予想の実証実験が行われた・・証明された・・、法則が発見された・・と言っても、それは人間の意識の働きの上でのことなのである。

実験が実験で勝手に行われ、法則が勝手に自分自身を発見するわけではない。

全ては「意識」の働きの上に行われることに気づかなければならない。

 

・・・

物質や、観察や思考が、私たちと別個に一人歩きは出来ないのである。

世界・宇宙が意識を抜きに、それそのものが勝手に存在しているわけではないということである。

気づくこと、意識することなく・・その対象物は存在し得ない。

低次元・高次元といえども、意識と無関係に別個にあるわけではないということだ。

高次元世界?・・ここではなく、どっか別の時空世界?という風に考えるだろうが、そうではない。

いやそれが存在するパラレルワールドであるとしても、それよりも低次元にいては、そこと交差することはない。

 

現在の世界認識である四次元より超えた、高次の五次元も、

今ここ、ただいま・・在るけれど、それが顕在化していないだけなのである。

意識内に顕在化しないものは、その知覚・対象世界には投影できないのだ。

仮に、一気にあなたが高次元に入ったとして?・・低次元のあなたはどうなってしまうのか?

自分にとって何か都合の良い環境・物が与えられると考えるのは、実に3次元的な肉体自我的発想であることに気づけるだろうか・・・・。

 

何度も繰り返さなければならない肝心なところは、ここのところだ。

様々な事象、現実とされるものは・・”意識”の・・・知覚・認識対象だということだ。

わたしの世界とは・わたしの意識の展開する世界のことであり、世界・宇宙といえどもそれは・・わたしの観ている、気づいている、意識的な対象世界なのだ。

しかしながら、勘違いすべきではないだろう。

わたしの意識が、わたしの気づいている・観察している世界として投影されているといっても、

わたしの手が、あの山河を造ったわけではない、私の念であの惑星が出来上がったわけではない、

わたしのその時々の「思い」通りに世界が動いていると言う意味でもない。

・・そうではなく、

わたしたちの気づいている・意識している・観察・観測している世界・宇宙が・・そのまま、あるがまま・・投影され・知覚されているという事実なのだ。

意識がなくして、その意識の対象はあり得ない。

すなわち・・意識は・・世界そのものなのである。

生きているとはそういうことだ。

既に実に壮大なことが起きているのである!

 

ーーー

全てを弦の振動パターンで説明しようとするひも理論によれば、3次元・4次元を超える五次元も、・・実は、

今ここ(素粒子・クオークの振動パターン)に内在していて、それが未顕現であるだけ・・と言っているわけだ。

さらに、様々な振動パターンの集合形であるユニバース、宇宙も多次元構造であり、振動パターンの違い、あるいは多次元的な振動周波数帯域によって、たくさんの並行宇宙、並行世界、パラレルワールドも存在していると考えられているのだ。

並行世界、並行宇宙、パラレルワールドも・・その無限に展開する意識に対応して現れる世界である。

 

わたしたちは、原初のエネルギー振動で作られる、多次元世界の中で遊んでいるようなものではなかろうか。

ーーー

理論というのは人の思考の体系であることに変わりはなく、科学的現実とされるものは、実際に検証した物事とされるけれど、

それらも意識上の知覚・認識に過ぎないということである。

3次元、4次元、5次元といってもあくまでも思考上の観念体系であって、知覚・観測する世界によって検証・確認をしているのが、いわゆる科学といわれるものだ。

それは別に物理科学だけのものではない。

 

人が必ず経験を積んで成長するように、

意識は必然たる進化・拡大のプロセスを行っていて、

気づき(意識)⇒対象(世界)・・

さらに⇒気づき(意識)⇒対象(世界)と変化・進展・拡大している。

そして、

その意識進化するプロセスが「次元」の違いとなって現れているのである。

 

 


(22)すべては波動に帰す

2021-04-22 06:37:18 | 意識の科学(総合編)

物理学の先端では、あらゆる物質は、数学的なひもの振動パターンで説明できると考えられている。

日常のマクロな世界では硬い重い物質も、

その原子の中身はスカスカであり、その原子を造っている微小な素粒子は、

さらに微細な、”多次元(11次元までの)エネルギー振動パターン”のようなものということである。

つまり、振動パターンの違いが・・・次元の違いということにもなるだろう。

存在としての物質の超微細な領域では、全てが波動であるということになり、

その微細な波動が・・波の性質である重合・干渉・反発しながら、

ミクロからマクロまでの事物・事象を形づくっているということなのである。

あなたが見ている、触っているあらゆるものは・・物・・ではなく、

超微細な波動・振動エネルギーの集合形なのである。

 

高次元・低次元というのは、知覚対象世界の振動(数)の違いと解釈できよう。

例えばそれは我々が観て楽しむ、同じ電波振動によってつくられる無数のTV・ビデオのようなものであり、

たんに周波数チャネル・周波数帯域の違いによって異なる番組・物語が作られているようなものである。

そしてそれは同じ空(間)の中に存在する波動的事象(出来事)なのだ。

 

そして、・・それは・・

知覚・観察・認識する働きである”意識”によって存立しているものである

ことが理解できるであろう。

 

気づき・意識が無ければ・・どんな物質も世界も存在し得ない・・。

意識なくして・・世界や宇宙もない。

これは創造主無くして、宇宙創造はないという事と同じである。

 

象徴的、宗教的な言い方になってしまうが、

意識ある存在・人間は・・創造主の子、神人ということになる。

 

あなたが意識しているこの世界・宇宙は、その意識の投影事象であること、

つまり・・すでに創造していること、

・・すでにそうである・・ことに気づくだろうか?

生きていることとは・・それである。

 

こう聞くと、創造していると聞くと、すぐに、

それを使って何か威力を増したいと思うだろうか?

生活を改善し、富を獲得したいと思うだろうか?

足りない何かを得ようとするだろうか?

 

しかしながら、そう思う事によって・・

その肉体自我レベルの低次のマインドによって、

その真実を打ち消すことになってしまう事に気づかなければならない。

 

すでに・・そうである・・ことに静かに気づき、

あれやこれやのこの世的欲望に惑わされず、

自身が・・いわば神の子・神人である自覚意識に深くとどまり

自己存在の・・奇跡的な壮大な在り方を・・深く深く理解し、さらに感謝すること・・、

その自覚の深さ・大きさの度合いによって、

あるがまま、その神人たる自らの身の上が・・

自ずから・・・、

それにふさわしい事象の顕現に浴することになるのである。

 

いわば既に神人たる自己としての、

深い深い・・確固たる自覚の意識・気づきが・・

純粋で歪なき微細な根源近きエネルギー波動を動かし、

その意識に相応する世界を・・知覚・対象化する・・ことになる。

 

さらなる魂・意識の、言わば進化があるならば・・

魂の進化が、つまり、次元上昇ということである。

それは、すでに気づけるように、精緻・精妙なかたちで振動が上がることなのだ。

あらゆるものは波動であり、振動パターンや周波数の高まりに応じて、次元展開がかわるからである!

これが、波動を上げよ、と言われる所以である。

 


(21)多次元認識

2021-04-19 07:42:37 | 意識の科学(総合編)

かいつまんで言うと、

存在としての物質の究極を探求してゆくにつれ、

科学の分野で4次元であると認識されていたこの世界・宇宙は、

超弦(ひも)理論の登場によって、顕現していない7次元を含めて、実は11次元構造であると考えられるようになったというわけだ。

つまり、

ひも理論、超ひも理論、M理論などと呼ばれる分野から言えば、

世界・宇宙は4次元ではなく、さらにもっと高い次元があって、素粒子・クオークのさらに微細なレベルにおいて、未顕現の状態で潜在している・・という理論であるといえよう。

ここで気づくべきは、

我々の存在しているこの世界・宇宙そのものがすでに「多次元構造」であるという考え方だ。

パラレルワールドの話も同じようなものと考えられる。

・・・

今までの我々の世界は、まず3次元(XYZ軸)で設定される無限に遠くまでの立体空間宇宙があって、そこに様々な物質・山川草木、岩・大気・惑星・星々・・が変化しつつ動き回っている・・と認識されている。

変化しつつ動き回っていることが・・時間(time)という尺度で説明され、空間(3次元)と時間(t)を合わせて・・四次元ということなのである。

これが20世紀初頭のアインシュタインの相対性理論以降に出てきた四次元時空と呼ばれるものだ。

 

ところで、この次元という考え方は、言わば人間の世界認識から出てきた「概念」である。

例えば、4次元が空間(xyz方向)と時間(変化t)の尺度で説明するように、

次元とは、・・我々の認識している・・宇宙・世界を説明するための独立した尺度・・というように考えられるだろう。

従って、世界や宇宙の存在の認識の仕方が進化すれば、今までの「空間・時間」という4つの尺度以外の、新しい「尺度」が出て来てもおかしくないということになるはずだ。

我々が・・・気づいていない・・新たなる尺度・・新しい次元認識の、その先に新たな次元が展開されてくることになる。

例えば、

時々スピリチュアル世界で5次元・6次元等という概念が出てくるが、

それが一体全体何なのかの説明もなく話されているところの・・

その5次元以上の世界とはなんだろうか?

 

普通の科学的な考え方で、我々の四次元までの認識はどうかといえば、

まず、1次元(線)は0次元(点)の連続集合体である。

また3次元(立体・空間)は2次元(平面)の連続体である。

さらに4次元(空間+時間)は3次元(立体)の(時間的)連続体であるといえよう。

 

とするならば、五次元とは、

何らかの新たな尺度による・四次元時空の・・その連続体であると考えられよう。

 

(宇宙という四次元時空の、その連続体がその上の五次元宇宙)

 

例えば、我々の認識しているこの四次元時空・宇宙の・・さらに無数の連続体としての五次元世界・宇宙があると想定もできるだろう。

それは、1つの宇宙ではなく、複数の「宇宙」を包含している多次元世界・宇宙ともいえるのだ。

言い換えるならば、

無数にある四次元宇宙の1つ1つが、それぞれ並行宇宙・パラレルワールドであり、それらすべての連続体としての1つ上の次元が5次元世界とも言えるだろう。

これらは我々の(認識の)四次元世界・宇宙とは無関係に存在しているわけではなく、これを含むさらに大きい尺度から見た拡大された宇宙間・世界観ともいえるものだ。

 

しかしながら、ここがいつも肝心かなめなところなのだが、

物質・環境・世界・宇宙であっても、

それは意識の知覚対象として存在するのであるならば、

3次元だろうが、4次元だろうが5次元だろうが、

それを知覚・認識する働き・・・「意識」無くして、

勝手に単独に存在しているわけではないことに気づけるだろうか。

逆に

意識」とは、様々な事象・事物を・・存在として対象化する働き・・であるならば、

 

意識の進化・拡大そのものが、

多次元世界の展開にも大きく関わるものであるという・・、

意識と世界の重要極まりない関係性が理解されてしかるべきなのである。

 

 


(20)クオークの多次元構造

2021-04-16 07:46:32 | 意識の科学(総合編)

真我とは何か?

もしあなたが拡張したいと思うなら、

全世界がその顕現だ

同時にそれは非常に小さい

それは種の存在性

言わば一個の原子、「私は在るという性質」の一刺しなのだ。

(シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ)

 

ーーー

あらゆる物質を細分化してゆくと、どんどん微細になってゆき、細胞、分子、原子、電子、素粒子、クオークという単位になっているとされている。

そして微細になればなるほど、粒子ではなくエネルギー・波動という事がわかってきた。

 

物質の究極の要素は、超・超微細な弦(ひも)の振動で説明できるとするのが「弦(ひも)理論」である。

物理数学者は、クオークの様々な性質をこの「振動」の違いと考えたのだ。

簡単に言えば、ブンブンあらゆる方向に振動しているエネルギーなのだ。

あなたの体も周囲の事物も・・振動エネルギーに帰せられるわけだ。

なお振動・波動には「周波数」がつきものであり、また振動する方向やパターンも重要になる。

 

ひもの振動パターンのあれやこれやは、まるで子供の頃に遊んだ・あやとりのようなものだ。我々の身体や周囲にある素粒子は様々なエネルギー・振動のダイナミックな集合形ということだ。

さらに、それも11次元までの多次元構造をしていると考えられるわけである。

 

振動する方向やパターンを考えた場合、どうしても数学的な多次元構造を導入しなければ、17種類のクオークが説明できないということになったようである。

つまり、クオークは数学的に「多次元構造体」という考えなのである。

そして、ひも理論の進化した「超ひも理論」では、全部で11次元と想定されている。

その多次元構造には、もちろん我々の認識・知覚可能な4次元(空間と時間で四次元)が入っている。

つまり、我々の知っている4次元の他に、さらに6次元以上の次元があると考えられるということだ。

もちろん我々の知覚・認識している4次元を超えた5次元以上は、当然目に見ることも触ることもできない。

 

五次元以上の世界?それは一体どこにあるのか?ということになるし、

見ることも触ることもできないならば、一体どんな意味があるのか?という話にもなるのだが、

ひも理論、超ひも理論によれば、

五次元以上は、どこか無限遠?遥か彼方の次元の外??ではなく・・・我々の世界である4次元振動パターン、クオークである弦の振動のさらに微細な?ところに「畳みこまれて」いると考えている。

つまり、見えないけれど・・今・・ここにある・・ということだ。

 

ここで一般に畳みこむ・・とは・・

観えない(小さい)領域に畳み込む・・という意味であり、

存在しているが・・顕在化していないと言う意味でもある。

顕在化していない・・・は、つまり潜在であり、

顕在化していない・・は人間が知覚・認識していない・・という意味である。

以上のことをまとめて、簡単に言えば、

現在物理科学上の最先端とされる「ひも理論」「超ひも理論」によれば、

物質なるものは、微細なクオークで出来ていて、そのクオークは弦の振動のようなものに例えられる。

その弦の振動パターンは、現在の我々の4次元構造を含む、11次元までの多次元構造と考えられる。

 

・・ということになる。

こういう先端科学の理論のお話から言えることは、

スピリチュアルで言われる、いわゆる多次元、五次元といわれる世界も、

他人事、どこかの違う世界の話ということではなく、いまここにある?ということなのである。

 

世界とは・・人間の知覚・認識する対象物の集合体である以上、多次元世界も、人の意識に無関係に、勝手にそれが存在しているわけではなく、

気づく・意識する・認識する先に・・知覚対象として出現するものであることに気づけるだろうか?

周囲のあらゆる事物、そしてあなたの身体も含め、我々の認識している空間と時間の四次元、さらに高い11次元までが畳み込まれているともいえるのである。

Oh! MY GOD!!