臨死体験者の多くが次元の境界のようなものに遭遇している。
日本では三途の川とか言われてきた、あちらとこちらの境界。
あるいは、魂が違った体験世界へと行き来する出口と入口のようなもの。
意識による知覚対象として、魂に次元の境界が明示されるともいえよう。
そこでどうするのか?・・誰かが勝手に決めるわけではない。
すべて・・それぞれの「わたし」の選択なのである。
何度も何度も言うけれど、わたしたち・・真我は・・
”神”から派生している魂であり、また神そのものである。
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臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)26ページ
「境界線があり、その手前側では時間がゆっくり進んでいるようだった。向こう側ではもっと早く進んでいた。」
「目の前のドアの向こうから音楽が聞こえ、心からの喜びのこもった祝福の声が届いた。そこが我が家なのだと私にはわかった。そのドアを一旦通り抜けたら、もう二度と戻れないことも。」
「生へと引き返すか、そのまま死へと向かうのか、選択しなければならない地点に到達したのだと悟った。そこには2年前にがんで死んだ親友がいて、これ以上進んだら戻れなくなると教えてくれた。
『境界線まで来たのよ、あなたが来ていいのはここまでなの』と彼女は言った。『さあ、ここから戻って人生を精一杯恐れずにいきなさい』と・・・」
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このように、、「境界線、あるいは物理的に限界点を示すようなもの構造物に到達しましたか?」という質問に、31.0%が「はい」と答えている。
以上、抜粋。
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この世界の常識のように、死を忌避しそれを恐れている限り、生そのものが歪んだものになる。
怖いがゆえに保身ばかりに走り、やがてやってくる死に対して無駄に逃避を繰り返すことにもなる。
死とは何か?を知らなければ・・まともな生が送れないという「パラドクス」「矛盾」に気付く必要があるのだ。
また、死とは何か?を知るという事は・・わたしとは何か?を探求する過程で悟れるものである。
ただただ怖い怖いで、それが安全と勘違いして集団の中に埋没してしまえば、何百回人生を経たとしても、それすら覚えていない意識レベルに落ち込んでしまうのである。
その意識レベルでは、無意識的に何度も輪廻転生を繰り返すことになる。
多くの人(魂)たちはそうやって"今回も"生まれて来たのだが、例えばあなたはこの人類ヒストリーにおける大団円の時代に目覚められるのだろうか?
それとも、今までと同じだろうか?
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。