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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あなたは悟ったか?

2023-02-23 05:45:50 | 意識の科学(実践編)

そろそろこの世は、その成長の時期が過ぎて、

収穫・結果刈り取りのフェーズへとシフトしたようで、

このブログもお役御免という感じもするので、

勝手ながら、今のうちにここまでの想いを「呟いておこう」と思う。

・・・

もうこのブログを開始して足掛け20年弱になる。

ほぼ1週間に1記事程度の更新であるが、積もり積もってすでに記事数は数百本にもなるだろうか。

自分ながら、随分と続けられたものである。

 

不可思議な内面からの多くの霊的指導やらもあったのだが、

全て自費・自前で、自発的なものであり、誰彼に気を使う事もないものだった。

 

もちろん特定の者や組織を悪しざまに言うことや、証拠の希薄なうわさ話はことさら避けてきたつもりである。

内容からして、コメント欄が荒れるということも無く、

逆に少数の同じような気付きレベルの方々との共感を得ることが出来たことが、

最も大きな成果であったと感じている。

 

このブログをすぐに終えるというわけではないが、

今のうちに、共感して頂いた方々に、

心からの御礼を言わせていただきたい。

・・・・・・

 

しかしながら、この世は既に最終章に入っており、

何をどうやっても気づくことがない魂は、その意識・魂の二次的表現体である肉体の苦痛によって、目覚ましの刺激を受けることにもなるだろう。

肉体の苦痛がもっとも単純な動・反動、カルマの法則の実演である。

従って、魂の学習ステージの最終最後には、大勢の眠れる人々を苦痛を伴って揺すり上げる現象が起きて来ることにもなる。

大変動、気象変動、地殻変動、社会動乱、大きな戦乱、・・が

一気に噴き出してくる。

眠ってなんかいられない時代・・である!

 

それが艱難の時代である。

艱難の時代とは、肉体的、精神的な苦渋・苦痛に満ちた時代のことであり、

魂の学習の最終最後の試験問題の解答に、最後に集中せざるを得ない時期・・とも言えるのだ。

試験問題と言っても、思いと行為を使って、いかに艱難の時代を切り抜けてゆくかという、それぞれの魂による人生での実践行為である。

そう、最終章の艱難の時代は・・命掛けの時代なのである。

お金も物も役には立たない、誰かが代わりにやってくれるものでもない。

もちろん今までもそうだったが、何度も何度も逃げ回ってきた揚げ句に一気に圧縮され、

とうとうマジ、直視しなければならない時期に来たということだ。

・・・

直視する対象が、混乱した物理的現象世界であれば、

その現象世界の荒波の中に、再び自らを自己同化・没入させてしまうだろう。いわゆるディセンション。

いや逆に、

直視する対象が、自らの意識・マインドの世界であれば、

物理的現象世界の上を歩くことになり、その荒波・混乱から抜け出すことが出来るだろう。いわゆるアセンション。

もちろん、つらい課題を既に済ませた者たちは、艱難を艱難とことさらとらえる必要も無く、素直に通り抜けることになるだろう。

なぜならば、すでに当人の次元は異なって来ているからだ。

 

再度問いかけよう。

 

あなたとは何か?

はっきりしているのだろうか?

3次元世界の産物、単なる、死んだら終わりの肉体個人なのか?

あるいは、時空を超えた魂としての存在なのか?

 

一体全体・・どちらなのだろうか?

あなたは、もう悟ったのか?

・・・

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 


多次元世界に関する会話

2023-02-06 05:13:27 | 意識の科学(実践編)

今回の記事は、ある人とのメール文のやり取りの抜粋である。

人が死んだらどうなるのか?

あるいはいわゆる霊の話、この世界にオーバーラップした別世界、

あるいは別次元、

またはアストラル世界を彷彿とさせる内容が含まれている。

人間死んだら終わりだと・・信じ込んでいる、あるいは信じ込まされている場合は衝撃を受けるかもしれない。

 

とはいえ、ここをご覧の方々は、すでにそれを越えた認識の方々であろうと推察される。

したがって、意識の創造する無数の並行世界、あるいは別次元世界の存在のこと、

あるいはこの世界も、多次元宇宙における、小さな1つの次元世界に過ぎないという事をある程度理解されているだろう。

 

もちろんこの世界は多次元宇宙でも、

まれにみる「低次元な」世界、

本質の自己より遠く離れた辺境の振動領域、

激しく愚かなことを数限りなく経験できる世界であったと言えるだろう。

しかしながら、それは今はもう、

過ぎたるは及ばざるがごとし・・・という事である。

・・・

以下は、ある人との最近のメール文やり取りの抜粋である・・。

(〇〇はその相手の方、△△は私である。)

ちなみに、街中にいる(ヒロシさん)という霊の話が出ている。

通常、街中のさ迷える?霊たちは他の霊が見えないようであるが、

ヒロシさんは他の霊と会話が出来るとのことである。

 

 

ーーー

〇〇様

おはようございます。

珍しい寒波が来ましたね。

水道管なんか大丈夫だったでしょうか?

・・・

そうなんですね。

意識が波動エネルギーを素粒子化・駆動しますので、

当然、その集約した「想念」によって姿を具象化できるでしょう。

「龍」を象徴する意識体、主に自由度の高いより波動域の実体?も、

より低い波動域(素粒子レベル)である物理領域へと具象化可能と思います。

 

哲学的に言えば、

覚者達が言うように、

わたしとは・わたしである・・という気付き・意識である。

元は何でもない者であり、そうであるがゆえに、

何にでも成ることが出来る存在である・・と言えます。

 

地球次元に落ち込んで、

その中の肉体を持った人間という物語の中に入り込み、

そしてその地球次元での経験の基本にある、

忘却の川(次元の境界)を越え、

わたし・・を忘れてしまう・・経験も出来るわけでしょう。

我を忘れた場合には、還る道をも忘れますので、

その地で輪廻転生が行われますね。

・・・

アブダクションは遺伝子情報の中に重複されている、

魂レベルの記憶の「調査」もあり得ると思います。

当該者と調査する者との縁戚・因縁などは色々あるかもしれません。

おっしゃるように、何でもランダム、偶然とは限らず、

カルマ的な因縁や、あるいは魂の経験レベルでの縁戚もあるでしょう。

・・・

低級とはいわゆる個人の我欲の強い波動、

高級とは、我欲より宇宙意識的波動の色濃いもの・・

簡単すぎますが、そんな風に思います。

 

その地域場に付帯する設備のような?(笑)低級霊などは、

多分過去?の人間の想念、記憶の波動域の情報を、

生きた人間で活性化・おぼろに具象化したものではないかとも思えます。

その体験当人の・・意識(信念状況)でのバイアスがありましょう。

いわゆる・・実体のないホログラムのようなもの。

実体としての・・誰かの「我」・・魂がそこに呪縛されている・・

そういうものではないとは思いますが、どうなんでしょうか。

・・・

△△様

 

おはようございます。

低級霊に関しては私も心霊現象にあまり関心のないころは同様に残留思念だろうと思っていたのですが詳しく様々な事例を見てみると明らかにそれ自体が意識を持って存在してるとしか思えない事例が非常に多くありました。

 

逆に心霊に詳しい人たちの間では残留思念というのは半数以上がそうであろうというバランスの取れた見解があります

 

UFO やスピリチュアルの人たちとは違って怪談マニアの人達は思想哲学というよりも実例をもとに観察してるのである意味ではより正確な感じがします

 

ーーー

補足となりますが

よく飛び込み自殺をした人間の霊が繰り返し飛び込みをしてるという目撃例がありますがそれらは私は残留思念だと思っていました

 

ところが生物学的に見て女性の方が男性よりも精神力が強いケースが多いので女性の場合は自分が激突で死ぬまでを覚えていますが男性の場合は途中で気絶する場合がほとんどだと言います

 

そして飛び込みを繰り返す霊のほとんどが男性であるという事例があります。

つまり自分が死んだという記憶がないために何度も死ぬ行為を繰り返してしまうということです。

 

さらに言えば飛び込み自殺を選ぶのは女性が大半であり男性は首吊りを選ぶ人が多いといいます。

それはおそらく首吊りの方が無様な死体となり女性には好まれず飛び込み自殺の方は激痛を男性が恐れているからだと思われます

 

 

残留思念がその正体であれば自殺を繰り返す霊は女性として目撃されるのが大半であるはずのところが男性の方が圧倒的に多いというのは残留思念との矛盾した結果となっている感じです

 

ーーー

〇〇様

 

今日は昼間も冷え込みますね。

弾丸低気圧でなんでしょうか(笑)

線状降雨帯なんかも最近の気象の特徴ですが、

人工気象改変影響も含め、地球の気象が明らかに以前と違いますね。

 

そうですね、残留思念・・ですが、それをあえて定義というか、

なんだろうか・・ですが、

思念、強い感情を伴った情報と考えられます。

 

精神的な情報、単なる記憶のようなものであっても、

例えば複雑なアルゴリズムでプログラミングされた

昨今の人型ロボット同じように、

あたかも人格があるかのように反応し、振舞うならば、

そこに実体があるように、観察されるでしょうか・・。

・・

ロボットが人間の言葉に対して人格的な反応すると、

そこに人間の人格的なものを・・・「観察者が知覚する」・・。

そうすると、そこに実体があるように感じる・・と思います。

つまり、残留思念も「こちらの思念に反応する」

・・やり取りをするならば、そこに実体(魂)があるように感じる。

そういう可能性があると思いますがいかがでしょうか。

 

量子論の原則で言えば、

観察がなければ、波動も素粒子化しない。を適用すると・・・、

 

あくまでも、観察者としての当該者(真のわたし)だけが存在し、

その知覚対象は・・すべて、たとえ物理的人間でも、

ロボットでも、仮に幽霊だとしても・・。

意識主体・気づく者の投影、つまり波動が素粒子化したもの、

ということですが・・。

 

これはスピリチュアルで言うところの「ワンネス」

ひとつの意識、真我、根源のみが実在する・・に通じましょう。

ーーー

△△様、

こんばんは

 

おっしゃるように、同じ残留思念でも、それが揺れる炎に見える人もいれば、怒りの形相の赤鬼に見える人もいますので

あたかも人格をもっているかのように、観察者の脳で演出されている場合も多々あるように思います。

 

残留思念は、一般には感情や視覚映像など、短時間内のエネルギーが残るというのが定義されていますが

そこに本人しか知りえない情報(へそくりの隠し場所、幼少時の別名など)があった場合は

反応のやり取りだけで人格のように振舞って見えるという解釈は成立せず、そのような事例が多くあります。

 

だからといって、そこに成仏できない浮遊霊がいると言い切れるのかというと、私個人は別の見方もあり、

残留思念は、異世界もしくは転生している本人の意識と、つながっている可能性もあると思います。

つまり、残留思念とその本人は、二つに分かれているわけではないという見方をすれば

残留思念を入口として、別の場所にいる本人の記憶にアクセスすることも可能かもしれません。

 

それと似た例が、残留思念よりも遥かに強いといわれる生霊という現象で、

多くの場合、生霊は無意識に飛ばしているように、顕在意識では自覚できていなくても、つながっているわけです。

以下は元警察官の談話です

生霊の例

 

よく「感情のないロボット」という表現がありますが、私は地球人のいう喜怒哀楽は、機械の異常音のような人工的なものと感じています。

金星人は、地球人から見れば、無表情で感情がないように見えるという話を昔に聞きましたが

私がそれらしき人物から感じたのは、表面的にはクールでも、その奥に穏やかで、深い情緒が感じられました。

宇宙の意識と調和した感情というのは、阿弥陀仏の表情のような、静かなものではないかという気がします。

 

宇宙の意識が実はその静かな情緒=感情であるとすれば、私たちの魂そのものが思念もしくは電気であり、

切り離すことは不可能(だれもが電気的につながっている)というワンネスの感覚にもつながると思います。

 

ただ、そこで個性自体も融合してひとつになる(スピリチュアリズムによる類魂説など)というのは、

カルマも共有となりますし、それは私にはしっくりこない感覚です。個のというのは、すべてとつながっていても、残る意識のように感じます

 

ーーー

〇〇様

おはようございます。

確かに、以下はまったくその通りだと思います。

 

「だからといって、そこに成仏できない浮遊霊がいると言い切れるのかというと、私個人は別の見方もあり、残留思念は、異世界もしくは転生している本人の意識と、つながっている可能性もあると思います。」

 

ヘミシンクで頻繁に体験されることは、

身体を離れた意識は、この世界の普通の街中に観察視点があるときには、

通常の人々の行きかう街中に、肉体のない存在がいることを発見するようです。

彼らは死んでから間もない人々のようです。

自分が死んでしまったことを認識できない、肉体を持っていた人です。

「人」といって良いのか(笑)

旧人格を未だに持っていると認識している意識体・・が良いでしょうか。

でもその存在は、普通に考え,、知覚し、反応しています。

ただ、肉体の接触レベルが機能せず、つまりすり抜けるのか・・

周囲の通常の物質と、その身体(と思っている)ボディの、

振動パターンが違うために共鳴・交差を起さないために、

触ることが出来ず、混乱しているということです。

・・・

こういう場合は、その地場に残留している記憶情報体とは言えないでしょう。

 

いわゆるアストラルボディ?(と言うのか)になってしまったので、

この地上の普通の次元との接点が「離れだしている」と考えられます。

振動パターンが外れだしていて、

上位の次元に自然と移行・シフトするのでしょうが、

思念が・・強くそれを拒否するような場合、

その思念は次元移行を妨げるパワーになるでしょう。

・・・

ヘミシンクの活動では、そのような残留思念・実体を伴ったような、

いわゆる魂の救出を行っているとされています。

 

もちろん、本質の魂は・・最高次元というのか、

創造の根源に起源・起点がありますので、

例えば、それは実体と観えようとも。

まるで、魂の「手の先」のようなものと言えるでしょう。

 

ーーー

△△様

 

おはようございます。

 

へミシンク体験者の報告は、巷の霊感のある人たちが体験している日常的な光景です。

興味深いのは、死者の意識どうしは、なかなか互いが見えないことが多いようで

霊感のある人が話しかけても、会話が成立しないことが多いらしいです。

「どうやって亡くなったのですか?」「はい、オムライスが好きです」といった感じで

意識がはっきりしている存在は、自分を感知できる人を見つけると、救いを求めて近づいてくるそうす

 

ヘミシンクの救助活動は、坂本さんの例もあるので、証拠が何一つ確認できないこともあり

私には作り話と同レベルに思えますが、本当にその能力があるのなら

加害者が不明の被害者(死者)に犯人を教えてもらうことも可能なはずですが、

残念ながらそういう実績は聞いた事がありません

 

私の場合は、現実レベルでの実績や証拠を残せているかどうかが判断基準になります

 

ーーー

〇〇様

おはようございます。

面白いですね。

 

自分の考えは、いわゆる「意識」は波動であるというものです。

もちろんかなり振動・周波数の高い、緻密なレベルですが。

 

あらゆる存在物のベース、バックグランドなっている「波動」。

その場合、意識による直接知覚が行われるでしょう。

肉体器官における五感感覚、頭脳・神経細胞での知覚機能は、

この意識の直接知覚の・・2次的派生機能とでも言いましょうか。

肉体五感はこの次元世界に同調するための機能ともいえましょう。

 

意識体になった人間は、肉体器官がないため、

コミュニケーションは思念(波動)で行う事になりましょう。

いわゆるテレパシーの似ている、意識での直接相互疎通。

この感覚に慣れていない、

つまりテレパシーなどを認識していない意識体は、

相互疎通において、うまくつながらないのではないかと思います。

 

ただ、今までの物理的知覚認識だけが可能なのかもしれません。

その場合、この次元の事物は見えるが、

同じような意識体の存在に関しては、

当該する意識体の認識度、意識レベルというものが、

相互に同調するものでなければ見えにくい・・、

あるいは意識レベルが高いほうだけが他の意識体が見える、

そんなことかもしれません。

波動レベルのサンプリングでは、

一般に、周波数が高いものは低いものをサンプル(情報取得)できるが、

低い周波数は、高い周波数をサンプル出来ないようになっています。

 

ーーー

△△様

 

おはようございます。

おしゃるように、意識レベルや周波数の高低で考えれば全て説明がつくのですが

実際の事例では、矛盾が発生してしまっています。

幼少時から霊が見える女性が、数少ない「会話の成立する霊」から聞いたところ、

相手は生前は霊など全く信じていない俗人だったので、死後に自分の意識があることに驚いたそうです。

 

またあるとき、彼女が公園で高齢者の霊が、一人で誰かに話しかけているのを見て、認知症の霊かと思ったそうですが

横にいる(会話の成立する)霊から、「君には、あの老人が犬の霊をあやしているのが見えないのか?」と聞かれたそうです。

彼女はなぜか動物霊だけは一度も見たことがないそうです。

 

上記の霊から推察されるのは、意識レベルの高低ではなく、死後の意識混濁からの回復具合が霊的な視覚に影響しており

それとは別に、動物と人間では、波長の高低ではなく、種類の差が識別感覚に影響しているのではないかという点です

 

一般に、生霊は死霊よりも鮮明に見えるというのは、そこに意識混濁の差があるからかもしれません

生きている人間の場合も、苦手な集まり等で、なるべく目立たないようにしていると、「いるかいないか分からない存在」になりますので

 

ーーー

○○様

おはようございます。

「意識レベルの高低ではなく、死後の意識混濁からの回復具合が霊的な視覚に影響しており

それとは別に、動物と人間では、波長の高低ではなく、種類の差が識別感覚に影響しているのではないか」

なるほど、意識混濁による霊的視覚の違い・・ですね。

意識の周波数(振動)の他に、そこに重畳する変調パターンが、

他の意識体との波動共鳴(知覚、コミュニケーション)に影響する・・

そんな感じでしょうか。

 

ここで意識混濁で表現される状態は、

その意識体の信念体系によるものでしょうか。

こうあるはずだ・・という意識上の潜在的「偏向」要素が介入して、

ある存在からみればAという現象も、

A‘、あるいはBというものとして知覚される。

あるいはまったく知覚できない・・場合もある。

・・・

動物の場合は肉体の時に思考機能が少ないせいで、

想念、信念(これも定在波動とも解せますが)という要素がほとんどないでしょう。

 

ちなみに、物理学上の先端理論である、超ひも理論では、

素粒子の中には、11次元の振動形態(周波数・パターン)が畳み込まれている。

我々の今の次元は、そのうちの1つである・・と言っています。

こうなると、次元、世界とは、

微細なる波動域の振動数、そして振動パターンの違いという事でしょうか。

ここでの振動パターンの違い・・が、

意識混濁という現象と関係しているのかもしれません。

簡単に言えば、余計な信念などが振動パターンの違いとなって、

同じような意識体の意識レベル(振動数)であっても、

全く知覚できないというようなことが起きるといような。

・・・

 

△△様

 

お返事ありがとうございます。

ひとつ言い忘れましたが、「会話が通用する霊」(ヒロシさん)は、街を行きかう他の霊たちの姿も見えているといいます。

ただ、自身が最後に病院のベッドにいたことまでしか記憶になく、気付いたら生前暮らしていた街にいたそうです。

つまり、死の間際や死の直後の記憶が欠落しています。

 

またヒロシさんは、死後の世界など信じない俗人でありながらも、非常に倫理観が強く、他の霊が銭湯の女風呂をのぞきにいくのを叱るなど

リーダー的な役をしているそうです。ただし、他の霊が銭湯に行くのは、いやらしい意図ではなく、消えてしまった性欲を思い出したかったからだそうです。

ただ、彼もときどき意識が混濁するそうで、特に時間の経過がわからず、この世界の時計で1日が経過しても、本人は30分ほどの感覚だそうです。

 

動物霊は本能が純粋で、煩悩が少ないので、もしかしたら生きている人間の感覚が研ぎ澄まされていないと見えないのかもしれません

 

そうやって考えてみると、信念という立派なものよりも、本質的な素の人格が、意識の混濁を少なくして、波動を共鳴しやすくする要素かもしれません。

高尚な信念を持っている精神世界の偉人よりも、日雇い労働の素朴なおじさんのほうが、ピュアな波動を持っているのかもしれません。

 

ちなみに、ヒロシさんは、生前は売れない舞台役者だったそうです

 

ーーー

〇〇様

こんにちは

この方面も色々ご存じなんですね。

 

そうなんですね。

ヘミシンク以外にも、体脱経験をした人の話を聞いたり読んだりすると、

事故や急病などで、急に肉体を失うといった場合には、

自分がいわゆる死んだとい状況認識が難しく、

そのまま今までの時空環境にいるつもりのようですね。

 

なんとなく、人間死んだら終わりだとどこか信じていて、

その人が、死んだ・・という認識が抜け落ちている場合、

自分は未だ生きている・・という想いだけが生きている

そんな言い方もできましょうか。

 

この世的な倫理観が強いかどうかは問題でなく、

自分が何者か?という自己認識の求道・成長がなされない場合、

肉体を失ってからの自己の存在知覚・認識の変化がなければ、

その思念によって、肉体を伴わずに、

馴染んだ時空周辺にい続けるということでしょう。

 

そうであれば、地球は結構な人口?ではないかと思われますね。

 

もちろん、高次の意識体になったわけですから、

既に、この3(4)次元的、肉体的時間経過の縛られていないため、

時間経過があやふやになるということでしょう。

培った信念によって、無理くり時空にい続ける・・

そういう事も出来るという事でしょう。

 

また確かに、何かの強い信念形よりも、

何でも気づけるような、静やかな意識状態、

おっしゃるところの「素」の意識状態・・こそが、

いわゆる死後のスムースな意識転移にとっても、

また、その他の意識体とのコミュニケーションにとっても、

大切であるという事だと思います。

 

さらにまた、いわゆるお迎え、

拡大した意識レベルでのガイダンス、

あるいは自己の別側面である、魂のガイドからの導きも

スムースになるという事かもしれません。

ーーー

 

△△様

 

おはようございます。

 

ヘミシング以外にも、「今日も大量の迷える魂を救出してきた」と武勇伝を語って

多くの信者を持っている詐欺師的な自称能力者たちがいます。地震や災害をも未然に防いでいるとか。

 

成仏しない=未熟というわけでもないようで

生きている人々をサポートするためにあえて地上に残っていたり

アニメオタクなどは、続編を映画館で見るまでは成仏しないと決めている人もいるそうです

 

また、霊は壁をすり抜けられると分かっていても、壁の中に閉じ込められたらどうしようという恐怖心から

扉などの薄いものしかすり抜けない霊もいたり、住み慣れた町から遠出をするのが不安で、とどまっている霊もいるようです

 

霊の本体が電気的なものであることは、多くの事例が推察されていて、

そのために電気系統への働きかけはできるようですが

その他の物理的な現象は、霊の力というのは見せかけだけで

実際は生きている人間を操っていることが多いそうです。

 

それらは周囲に目撃者がいることで判明するようで

本人に記憶はなくても、無意識に自分でモノを移動させたり、

自分自身でしゃべったりしながら、勝手にものが動いたとか、霊の声を聴いたと言っているという例が多々あります

 

あとは、霊も人間と同じで、暗く淋しい人に同調する場合よりも

楽しそうな人や場所に、より多くの霊が集まってくるので

霊の見える人は、コンサートやパーティでは、霊が邪魔で苦労するそうです

 

ーーー

○○様

 

こんばんは

 

してみると、肉体を持っていないだけで、

意識がある、思考も出来るし感情もある・・

ということでしょうね。

だとするならば、ただ単純に頭脳で思考するとか感情が起きるとか、

そういうものではない、ということにもなるでしょう。

・・・

ハワード・メンジャーがコンタクトした金星の長老は、

メンジャーへのメッセージの中で、

人は死んでも思考が出来る存在である・・

というようなものがありました。

・・・

例で出されたような地上にいる霊たちの存在形式は、

いわゆるアストラル次元の存在形式ということになるでしょうか。

あるいは意識的な五感機能だけがあり、

その周囲に身体を持っているということなのでしょうか。

 

・・・・

以上、ある人とのメールやり取りの抜粋終了・・。

・・・・

街中の雑踏に中にも、急に肉体を失った意識体・霊がしばらくの間この世界にオーバーラップして存在しているようだ。

彼らは通常、自分の置かれた状況を認識し始めると、やがてこの世界から外れてゆく。

 

もちろん、あらゆる世界・物語も・意識の観る「夢」のようなものである。

世界や宇宙、物語が・・意識に先行して実在・存在しているものではない。

膨大な数の人間、文化、文明があったとしても、

如何に感覚が激しく緻密で現実的であったとしても、

それらはあなた(魂・意識)の観る夢の中の物語なのである。

 

この世界も意識の観る・形づくる「夢」である。

そしてあなた主体の周囲世界も・あなただけが観る「夢」以外の何物でもない。

それをもういい加減、造り変えるべき時なのではないか?

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


意識の法則(魂に形なし)

2023-01-29 06:58:26 | 意識の科学(実践編)

この世界で人間をやっているということは、

広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、

ある特定の意識的個人として集顕しているということ。

 

あらゆる事物も、広大無辺な意識が、時空間内部に個別化したものである。

人間もまたしかり、無限の意識の1つの表現形ということだ。

無限の意識が自身をデフォルメして、個別の人間になっているということだ。

わたしもあなたも、もとは無限の意識なのである。

 

何度も繰り返すが、物質とはそれ自体で勝手に存在出来るものではない。

物質とは、気付き、観察されて初めて、波動が素粒子化したもの。

簡単に言えば、観察を通して意識が物質化しているのである。

気付いている意識の働きが、様々な形となっている。

 

わたしたちの本質は、

広大無辺な宇宙をも生じせしめている「宇宙意識」根源意識でありながら、

わたし・・は在る・・という、個を示唆する意識によって、個別に波動集約している存在であるともいえよう。

 

この世界の科学的表現で言えば、

今まで何度も掲載した「二重スリット実験」での検証で明確だろう。

つまり、

あらゆるものは、観察するまでは位置や場所を特定できない「波動」であり、

観察した瞬間に、気づいた瞬間に物質形態を示現するのだ。

別の表現では、

無限の意識の波動内において、神の「我あり!」・・という自己への気付きによって、無数の”私個人”という人間形態として出現・存在しているのだ。

我あり・・わたしは在る・・自己を認識する働きが、人間という個別化した存在として集約・出現しているということだ。

あなたもわたしも・・それでいま、ここに存在している。

すべての存在の元・・根源意識・宇宙意識から派生・出現したものであるということだ。

 

人間は誰も皆・・自分自身に・・気づいているはずである。

その意味は、かように重大極まりない事実を内包しているのである。

 

わたしは・・在る・・という気付き、

この世界では、その感覚を随分忘れている人々が多いが、

それは生まれてから延々と肉体人間としての存在様式だけを教え込まれてきたからである。

肉体維持、保身、成長、獲得・・すべては家、家族、集団の肉体の生存保全のために注がれてきた。

刹那的な肉体存在としての一所懸命の生き方ではあったが、

そういう生き方、信念体系の世界では、

いつまでも繰り返し、輪廻、カルマの輪にはまり続けることになったのだ。

 

仮に、肉体人間の信念のままで人生を終えれば、

また肉体人間の信念のまま、そういう世界に生まれ変わる。

世界とは、魂・意識の・意識レベルに相応の・・「観察対象」世界なのだ。

 

そういう自己認識であれば、そういう自己を客体化・現象化する。

つまり、

I AM that ”I am”  である。

言わば、どこまで行っても、神の自己創造ということだ。

 

ところで、

あなたの肉体は、あなたの母親が造ったと思っているはずだが、

その母親の受胎・出産も、この地球という時空間の中で、一定の時系列プロセスで自動的に行われている。

その時系列上の出産プロセスは、母親の体内であろうと、自然界の仕組みによって自動的に行われるものである。

つまり肉体の生成も、宇宙(意識)の活動の中で行われているのだ。

 

そして、魂が肉体に宿る‥といわれるように、

その宇宙意識の創り出す肉体出産プロセスに「交差して」

あなたやわたしという、個別化した宇宙意識(魂・意識)が「宿る」のだ。

・・・

高次の自己認識においては、

「わたしはこの肉体である・・」は大間違いである。

わたしは・・わたしである・・者である、

自分に気付いている者である・・

気づく、観察することで対象物を無限にも創造する者である・・

わたしとは無限の意識の個別化・個性化したものである。

そういう事になるのだ。

 

魂・意識は「時間・空間」の制約などない。

意識が波動を物質化して、その動きに満ちた「時空間」を生み出すのであって、その逆ではない。

従来のように、

時空間の中に・その中の肉体に・・魂が宿る・・というのは3次元的世界観での言い方である。

従って、魂・意識の本質から言えば、こうなるはずである。

 

魂の本質は、個性化した・・宇宙意識・根源意識・太源・・である。

根源・ソース・大元・宇宙意識・・・には特定の形は無い。

ただ、無数の形を無限に現し続ける・・それ。

無数に現れた本源の個別化した者・・・それがあなたやわたしたちである。

 

この世界で人間をやっているということは、

広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、ある特定の意識的個人として集顕しているということなのである。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


意識の法則(自己認識)

2023-01-21 05:54:25 | 意識の科学(実践編)

”自分自身に気付いていること”が、意識の始まりである。

そこから自己認識が生じる。

純粋に・・気付いている・・・ことから、

次に・・「何に」気付いている?・・が起きるのだ。

その「何?」の対象化が無数に起きることで、その何か・・様々なことが具象化されるのだ。

そのさまざまな「何?」は、様々な意識上の派生、波紋であり、

宇宙の意識に生じる想い、言わば神の思い巡らしよって、その思い巡らしがそのまま具象化しているのだ。

 

意識的存在である人間においては「想念」である。

その想念は、その質に応じて・・時空間に具象化されるのだが、

今までのような唯物論的信念であれば、その具象化に3次元的な制約、あるいは一定の時間経過を伴うことになる。

人が何かを希望しても、なかなかそれが実現しない、それはそういうわけである。

宇宙意識的な純粋さ、当たり前の信念、余計な疑いなどあり得ぬ状態の想念であればあるほど、容易にその何か・・が具象化するのだ。

次元が低いほど、信念体系が宇宙意識と離れればそれだけ、

創造の展開速度は遅くなる。

つまり長い時間を要することになるというわけだ。

・・

この宇宙は空間という広大なスペースの中に様々な天体があり、星々があるわけだが、

我々と無関係に、それは既にそこにあるもの・・ではなく、

それを知覚し、認識しているからこそ、我々が知覚する対象として「存在」しているのである。

・・

宇宙意識と言われるものが、宇宙を意識しているからかそ、「宇宙」があるのだということだ。

自分の人生を生きている・・ということは、

自分の意識があるからこそ・・人生があるという事だ。

同じく、

人生では人間関係や環境、見聞きする無数の事象で満ちているし、

周辺を拡大すれば、社会があり国家があり、世界があるわけだが、

圧倒的に見える・・それらは・・・

わたしの・・意識・・気づいている意識があるからこそ、

わたしを取り巻く環境として存在している。

 

この事実・真実に気づくことが「目覚め」である。

自分自身こそが・・自分を取り巻く人間関係・環境・世界・宇宙の中心なのだ。

これは「利己主義」という超絶愚かなことを言うのではない。

自分を取り巻く世界、宇宙の中心・根源は・・

それぞれ・・わたし・・だという意味である。

 

 

何度も何度もここでは言っているが、

あなたの世界はあなたによって”具象化”しているということ。

目覚めるとは、それを悟るという事だ。

 

他人が言うからではない、教育で教わるからではない。

自分自身で・・・気づくという事だ。

自らに気付いている・・意識・・、

宇宙大においては・・全宇宙を顕現している宇宙意識であり、

あるいは多次元世界、多次元宇宙を顕現している根源的意識であり、

同じく、あなたやわたしたちが顕現している人生の元にある意識である。

 

すべての元は・・空(くう)であり、

その空(くう)の中の無限の可能性から、

空たる自己自身の・・・自己認識が生じる。

その自己認識は、なにもない空(くう)であるからこそ、

なんにでもなることが可能であり、

その、「あれや、これや」という無限の自己認識作用によって、

あらゆるすべてが生まれて来るのである。

 

元は、自己自身に気付く・・意識・・によって生じる。

それは、あなたやわたしという意識でも同じである。

 

さらには、自らに気付くその無限の多彩さ、

自己認識は・・その根源から発する「想い」によって様々に色付けされている。

宇宙は・・宇宙意識(神)の「思い巡らし」によって多彩な宇宙を物理的にも展開しているのだ。

同じく、

人間においても「想い」「想念」「信念」が人生展開のベクトル、シナリヲなのである。

人はその「想い」に意識的になり、宇宙意識と同じように「思い巡らし」ながら、その時空間を創り上げてゆく定めにある。

今までは、意識によって生じる「想い」「信念」が無価値なものとされ、あるいは単なる抽象的な思考でしかないとされ、

その絶大なる創造の法則を知らされないようにされてきたのである。

 

すべては自業自得、自己認識によって、自分が自分を創り上げているのだ。

意識、そしてそこから生じる自己認識、それから方向づけられた「信念」・・の創造力に気付かなかったということだ。

まったく創造力=想像力とも言われる所以である。

 

一般に言われる「想像」は単なる一過性のイメージであるが、それが信念にまで繰り返され、方向づけられると・・創造力となって具象化の流れが起きるのである。

この世も、無数の物質で出来上がっているように見えているが、それは根本的には想念・信念によって具象化されているのだ。

嗚呼、もう、いい加減に目覚めなければなるまい。

 

あなたはいつも何を考えている?

何に信念を置いている?

どんな自己認識であるのか?

わたしたちにとって最も重要なことは、

他人でもない、社会でもない、常識でもない、世界等でもない、

・・・

最も大事なのは・・それなのだ。

あなたの主たる信念を造り替え、

自らの内面からほとばしり出る純なる想いを自らで掲げ、

あなたの人生の前面に押し出さねばならないのだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


意識の法則(魂の不滅性)

2023-01-08 05:51:08 | 意識の科学(実践編)

ここでいう「意識の法則」を再度まとめることにする。

素粒子という物質世界の元にあるものと、我々の意識との関係性を解き明かしたこれらの実証実験と、それから帰結される法則に関しては、

何をさておいても決して忘れてはならない事柄である。

この実証された原則を元に、今までの唯物的世界とは異なる、新しい現実認識、生存世界が生じて来るのである。

 

法則1)二重スリット実験の帰結

素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子(物質の元)に変わってしまうということ。人間の観察がなければ、波は波のままであるということ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証2)ホイーラーの選択実験の帰結

観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は人間の観察以前には存在しない・・ということが実証された。

 

実証3)トレンブレイとラディンの実験

意識・集中した想いが、素粒子の挙動に影響を与えることがわかった。

・・・・

これらの実験は、意識によって素粒子の物質化が行われていることを示している。言い換えれば意識によって世界が現象化しているということだ。

観察とは・・意識の働きである。

意識とは何かに・・気づく、気づいていることだ。

 

かのラマナ・マハルシは「あなたが熟睡しているときには世界は存在していない」と言った。

確かに、それは科学によっても実証されたということである。

・・

我々の言う「物質」とは、素粒子(波動エネルギー)の集合した物に他ならない。そして観察によって波動エネルギーが局在化・集中して粒子形状になっているのだ。

身の回りにあるすべての物、人間、世界もすべてそうである。

事実は小説よりも奇なり・・である。

 

象徴的に示せば、下記の絵のように、観察すると粒子・原子になり、観察しないと波動のままということである。

  原子化した粒子  ⇔   空間に満ちる波動

・・

 

これは信じるか、信じないかではなく、

法則をまともに「知るか知らないか」である。

とはいえ、頭だけの情報収集のレベルではない。

真に知れば、それは想い・行為・表現に転換してゆくはずである。

・・・

これらのことに、あなたが今一ピンとこない場合は、未だに自分を肉体として自己認識している深い習慣があるからだ。さらには周囲の同調圧力、集団での認識の威圧に支配されているからである。

このような幾重にも張られた3次元的観念マトリクスに絡まれたままでは、すぐに3次元的、物質偏重の常識世界に引き戻されることになるのだ。

 

つまり、

表面知識は真実を理解しても、努力して自身で実体験しながら、それが深く信念にまでならなければ、この新たな次元認識の定着は容易ではないのも事実である。

しかしながら、成熟した意識人は誰でも、目的地への方向が見えた場合には、その道を確実に進むはずである。

人間の本性として、いつまでも不都合だらけの小さな窮屈な3次元的唯物世界にはいないであろうからだ。

唯物論よさらば!である。

 

たとえば、魂の不滅性も当たり前となる。

我々の観察している物質世界がまず現実として存在していて、我々はその中に生まれて、やがては死んでゆく肉体人間である・・という、いままでの当たり前の唯物的観念は、完全に間違っているということだ。

まず意識があり、それによって物質世界が生じているからには、物質世界がどう変わろうと、たとえ消滅しようとも、意識が影響を受けることはないことが理解できるだろう。

これは昔から「魂は不滅」などと言う概念で知られてきたことである。これは、嘘でも、願いでも、希望的観測でもなく・・事実あるいは法則なのである。

 

あなたの肉体人生が始まって、そして終わろうとも「意識」自体は影響がないことがわかるだろう。

意識は3次元世界的な時間の制約がない。

なぜならば、時間とは物質の連続した動きの流れのことであり、

その物質やその運動、その時系列・時間さえも・・

意識の・・観察対象に他ならないからである。

 

つまり、時間や空間も・・意識によって生じているのである。

どうして意識が客体である時間の制約を受けるのか?

じつに愚かしいではないか。

 

生まれて死ぬというのは「時間」の中での制約にほかならず、意識はその時間の制約などあるわけもない。

始まって、終わったら・・ハイ終了・・実に馬鹿な話である。

 

これらのことに、あなたが今一、ピンとこない場合は、未だに自分を肉体として自己認識している深い性癖があるからだ。

その中には・・肉体(物質)が意識を創っている。意識は頭脳でつくられている・・というもっともらしい常識観念もある。

 

素粒子・物質・もちろん肉体などの観察対象、

観察されたすべての客体は、意識によって・・

時空間内に客体化しているのである。

いや、

意識によって客体化・現象化した集合のことを「世界」と言っているのである。

個々の意識の周囲の世界も、人類の集合意識の世界も全く同じ法則上にあるのだ。

・・

これらの驚天動地の事実に関しても、結局は、

表面知識は真実を理解しても、それが深く信念にまでならなければ、この新たな次元認識の定着は容易ではないのも事実である。

・・

この世界という信念体系から、いまここですぐに「解脱する」ということは生易しいことでもない。

私は・・単なる肉体個人だ・・という今までのこの世界の常識観念を、

わたしは・・肉体や世界に先行する意識である・・という認識へとシフトするのはそう簡単でもない。

しかしながら、人は誰でも目的地への方向が見えた場合には、その道を確実に進むはずである。

より自由度が高く、幸福度が大きく、より叡智に満ちた存在としての魂・意識の在り方へと進化・進展するだろう。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。