そろそろこの世は、その成長の時期が過ぎて、
収穫・結果刈り取りのフェーズへとシフトしたようで、
このブログもお役御免という感じもするので、
勝手ながら、今のうちにここまでの想いを「呟いておこう」と思う。
・・・
もうこのブログを開始して足掛け20年弱になる。
ほぼ1週間に1記事程度の更新であるが、積もり積もってすでに記事数は数百本にもなるだろうか。
自分ながら、随分と続けられたものである。
不可思議な内面からの多くの霊的指導やらもあったのだが、
全て自費・自前で、自発的なものであり、誰彼に気を使う事もないものだった。
もちろん特定の者や組織を悪しざまに言うことや、証拠の希薄なうわさ話はことさら避けてきたつもりである。
内容からして、コメント欄が荒れるということも無く、
逆に少数の同じような気付きレベルの方々との共感を得ることが出来たことが、
最も大きな成果であったと感じている。
このブログをすぐに終えるというわけではないが、
今のうちに、共感して頂いた方々に、
心からの御礼を言わせていただきたい。
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しかしながら、この世は既に最終章に入っており、
何をどうやっても気づくことがない魂は、その意識・魂の二次的表現体である肉体の苦痛によって、目覚ましの刺激を受けることにもなるだろう。
肉体の苦痛がもっとも単純な動・反動、カルマの法則の実演である。
従って、魂の学習ステージの最終最後には、大勢の眠れる人々を苦痛を伴って揺すり上げる現象が起きて来ることにもなる。
大変動、気象変動、地殻変動、社会動乱、大きな戦乱、・・が
一気に噴き出してくる。
眠ってなんかいられない時代・・である!
それが艱難の時代である。
艱難の時代とは、肉体的、精神的な苦渋・苦痛に満ちた時代のことであり、
魂の学習の最終最後の試験問題の解答に、最後に集中せざるを得ない時期・・とも言えるのだ。
試験問題と言っても、思いと行為を使って、いかに艱難の時代を切り抜けてゆくかという、それぞれの魂による人生での実践行為である。
そう、最終章の艱難の時代は・・命掛けの時代なのである。
お金も物も役には立たない、誰かが代わりにやってくれるものでもない。
もちろん今までもそうだったが、何度も何度も逃げ回ってきた揚げ句に一気に圧縮され、
とうとうマジ、直視しなければならない時期に来たということだ。
・・・
直視する対象が、混乱した物理的現象世界であれば、
その現象世界の荒波の中に、再び自らを自己同化・没入させてしまうだろう。いわゆるディセンション。
いや逆に、
直視する対象が、自らの意識・マインドの世界であれば、
物理的現象世界の上を歩くことになり、その荒波・混乱から抜け出すことが出来るだろう。いわゆるアセンション。
もちろん、つらい課題を既に済ませた者たちは、艱難を艱難とことさらとらえる必要も無く、素直に通り抜けることになるだろう。
なぜならば、すでに当人の次元は異なって来ているからだ。
再度問いかけよう。
あなたとは何か?
はっきりしているのだろうか?
3次元世界の産物、単なる、死んだら終わりの肉体個人なのか?
あるいは、時空を超えた魂としての存在なのか?
一体全体・・どちらなのだろうか?
あなたは、もう悟ったのか?
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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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