イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
耳しいの耳
「 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」(マタイ13:12-13)
---
ほんじつは「貯金を切り崩して書こうか」、そう思って小ノートを開きはじめる。
たまたま「順番」が、冒頭の聖書箇所だった。
当時の私は、このノートに「注釈」を書き殴っている。
「『群衆』が求めているものは、いやしやパンの奇跡の様なマテリアルなもの(サタンの側のもの)であって「真理」(いのちのパン)ではない。
そしてこの『群衆』がイエスに向かって「十字架につけろ!」と叫んだ
ex ) マタイ27:15-25」
そのままを、書き写してみた
(それにしても、書き殴りとはこのことかと思う)。
一見、冒頭の聖句と何のつながりもない書き殴り…。
さしあたり思うことは、なぜゆえにイエスが「彼らにたとえで話す」のか、ということだ。
実に、冒頭の聖句通りだと思う。
聞く耳がない。
イエスは言う。「耳のある者は聞きなさい」と(例えばマタイ11:15)。
検索してみて、これは驚いたのだが、この「耳のあるものは……」は、ヨハネ黙示録2-3章に、突出して多い(7箇所)。
聞く耳がないがゆえに、「『十字架につけろ。』ろ叫び続け」(マタイ27:23)、挙げ句の果てに「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」とまで高揚する(同25節)。
マタイ27:25。
この取り扱いはきわめて注意が必要なのであるが、「ユダヤ人に聞く耳がなかった」などとは、私は全く思っていない。ユダヤ人がこの箇所にきわめてセンシティブなことを重々承知の上で、敢えて取り上げた。
「『群衆全体』に聞く耳がなかった」と思うからだ。
そして、こうとも思う。
実に私自身も、全く聞く耳がなく、高揚を抑えようともせず、そうしてイエスを(神を)十字架につけてしまったものだ、と。
このイエスは、黙して十字架についた。
最高刑としてのそれだ。
ここまで身をやつしてでも、「群衆」、彼らのうちの一人でも多くを「いのち」に与らせたっかったのだろう。
実にその意味で、「神は愛」だと、今は思う(1ヨハネ4:16)。ヨハネ伝3:16も、この捉え方で、私は読んでいる。以下に記そう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
預言者は言った。
「心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。」(イザヤ35:4-5)
まさしく、「そのとき、……耳しいた者の耳はあけられる」。
すると「その耳」は聞こえ「たとえ」を身で知り、そして持ち、さらにますます豊かになることだろう。
まさか十字架について書くことになり、自分なりに話のつじつままで合わせた(冒頭の聖句で結んだ)とは、これは全くのハプニングだ。
(全く違うこと、それを「書かせてくれなかった」ようだ。)
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」(マタイ13:12-13)
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ほんじつは「貯金を切り崩して書こうか」、そう思って小ノートを開きはじめる。
たまたま「順番」が、冒頭の聖書箇所だった。
当時の私は、このノートに「注釈」を書き殴っている。
「『群衆』が求めているものは、いやしやパンの奇跡の様なマテリアルなもの(サタンの側のもの)であって「真理」(いのちのパン)ではない。
そしてこの『群衆』がイエスに向かって「十字架につけろ!」と叫んだ
ex ) マタイ27:15-25」
そのままを、書き写してみた
(それにしても、書き殴りとはこのことかと思う)。
一見、冒頭の聖句と何のつながりもない書き殴り…。
さしあたり思うことは、なぜゆえにイエスが「彼らにたとえで話す」のか、ということだ。
実に、冒頭の聖句通りだと思う。
聞く耳がない。
イエスは言う。「耳のある者は聞きなさい」と(例えばマタイ11:15)。
検索してみて、これは驚いたのだが、この「耳のあるものは……」は、ヨハネ黙示録2-3章に、突出して多い(7箇所)。
聞く耳がないがゆえに、「『十字架につけろ。』ろ叫び続け」(マタイ27:23)、挙げ句の果てに「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」とまで高揚する(同25節)。
マタイ27:25。
この取り扱いはきわめて注意が必要なのであるが、「ユダヤ人に聞く耳がなかった」などとは、私は全く思っていない。ユダヤ人がこの箇所にきわめてセンシティブなことを重々承知の上で、敢えて取り上げた。
「『群衆全体』に聞く耳がなかった」と思うからだ。
そして、こうとも思う。
実に私自身も、全く聞く耳がなく、高揚を抑えようともせず、そうしてイエスを(神を)十字架につけてしまったものだ、と。
このイエスは、黙して十字架についた。
最高刑としてのそれだ。
ここまで身をやつしてでも、「群衆」、彼らのうちの一人でも多くを「いのち」に与らせたっかったのだろう。
実にその意味で、「神は愛」だと、今は思う(1ヨハネ4:16)。ヨハネ伝3:16も、この捉え方で、私は読んでいる。以下に記そう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
預言者は言った。
「心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。」(イザヤ35:4-5)
まさしく、「そのとき、……耳しいた者の耳はあけられる」。
すると「その耳」は聞こえ「たとえ」を身で知り、そして持ち、さらにますます豊かになることだろう。
まさか十字架について書くことになり、自分なりに話のつじつままで合わせた(冒頭の聖句で結んだ)とは、これは全くのハプニングだ。
(全く違うこと、それを「書かせてくれなかった」ようだ。)
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人々
「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい」。 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。
そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。
……
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」(ヨハネ伝6:11-15,飛んで26)
---
「ヨハネ伝6章」。
この tetm を、私は終生忘れないだろう。
99回読んで、「ヒステリックなイエス像」を頭の中に描いていた箇所だ。
100回目に、ひっくり返った。
このこと自体については、手を変え品を買え、何度も書いてきた。
今日の聖書箇所は、いわゆる「五千人の給食」の箇所。
四福音書のいずれにも取り上げられている。
だが、その取り上げ方について、ヨハネ伝は他のそれらとは相当異なるように思える。
特に、15節「イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、……」に接したときは、ある種の「新鮮さ」すら覚えた。
そう、「人々」とはまさしくそういう存在…。
そしてとどめ、26節…。
今日書きたいことは、やはり昔日書いたように覚えているので、ほんじつはは止めておこう。
この聖書箇所は、「取り上げるタイミング」を計っていたことを付記する。
そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。
……
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」(ヨハネ伝6:11-15,飛んで26)
---
「ヨハネ伝6章」。
この tetm を、私は終生忘れないだろう。
99回読んで、「ヒステリックなイエス像」を頭の中に描いていた箇所だ。
100回目に、ひっくり返った。
このこと自体については、手を変え品を買え、何度も書いてきた。
今日の聖書箇所は、いわゆる「五千人の給食」の箇所。
四福音書のいずれにも取り上げられている。
だが、その取り上げ方について、ヨハネ伝は他のそれらとは相当異なるように思える。
特に、15節「イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、……」に接したときは、ある種の「新鮮さ」すら覚えた。
そう、「人々」とはまさしくそういう存在…。
そしてとどめ、26節…。
今日書きたいことは、やはり昔日書いたように覚えているので、ほんじつはは止めておこう。
この聖書箇所は、「取り上げるタイミング」を計っていたことを付記する。
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" 15 minits speach "
「余はアメリカ滞在中いくたびの宗教的大集会に招かれ『十五分以内で』話しをすることを求められて(集会の主要演説者の或る大博士が大部分の時間を占めることになっていたから)、その席上でしばしば司会者(……)に尋ねたのである、あなたがたはわたくしから何をおききになりたいのですかと。
余の受けたもっとも普通の答えはこれであった、『あなたは如何にして回心したか、それを話してもらいたい』と。
余はそういう要求にどうして応じたらよいかにいつも当惑した。
余が基督教に接触させられていらい余の霊魂を襲った恐ろしい変化を『十五分以内』で話すことは、余にはどうしてもできなかったからである。」
(「余は如何にして基督教徒となりし乎」、内村鑑三著、鈴木俊郎訳、岩波文庫、その「序」から)
---
やはり初心にもどってみよう、けさ手に取ったのは「余は如何にして基督教徒となりし乎」。
この本は、英文で書かれ、もっぱらアメリカでの発売をもくろんだものである(解説より)。
「異教の地日本」には梨嫌いの神様がおり、その神様に帰依した信者は「梨断ち」をする、そうすると結果論として歯の健康が保たれる、大略このように「神社の合理性」を紹介するくだりなどは、「向こうの目」を気にしている節が見受けられる。
(ちなみに、筆者は「梨断ち」を実際に行ったと書いている。)
さて冒頭の記述は、内村鑑三のアメリカ留学中でのエピソードかと思われる。
(ここは、まだ調べていない。)
「余の霊魂を襲った恐ろしい変化」。
この一句がリトマス試験紙だと思う。
分かるか/分からないか。
もうひとつ。
「分かったつもりでいるか」。
私が「この3種」のどこにカテゴライズされるのかは、自身が知りたいくらいだ。
しかし、「大博士」の講演の「前座」として、" 15 minits " で「回心体験談」を求めるというのは、当時のかの地での「宗教的大集会」のとんちんかんさといったらないなーくらいは思う。
「余にはどうしてもできなかった」。
当たり前だ。
アウグスティヌスの「告白」も、あれだけのボリュームの書物にならざるを得なくなる。
" 15 minits " で「回心体験」というのは、「象徴的」ですらある。
ヒルティは「これ」を以て「教会制度」と呼称する、そう勝手に結びつけようか。
訳者の附した解説によれば、どうしたことか本書は日本で1895年(明治28年)に(おそらく英文のままで)出版され、またまたどうしたことか、1904年、ドイツ語に訳されてシュツットガルト市の出版社から出版される。
瞬く間に欧州各国で出版されたようだ。
フランス語版のタイトルは、それを訳すと「一日本人の魂の危機」とのこと。
この文庫の一番最初に、欧州5カ国版、アメリカ版、そして日本版が並んだ写真が掲載されている。
日本語版は、著者の死後に出版されたとのこと。
アメリカ版についての言及は、見出せなかった。
(この経過の「物語」もまた面白い。)
冒頭に挙げたくだりは、適宜改行を施した上で引用したことをおことわりしておく。
余の受けたもっとも普通の答えはこれであった、『あなたは如何にして回心したか、それを話してもらいたい』と。
余はそういう要求にどうして応じたらよいかにいつも当惑した。
余が基督教に接触させられていらい余の霊魂を襲った恐ろしい変化を『十五分以内』で話すことは、余にはどうしてもできなかったからである。」
(「余は如何にして基督教徒となりし乎」、内村鑑三著、鈴木俊郎訳、岩波文庫、その「序」から)
---
やはり初心にもどってみよう、けさ手に取ったのは「余は如何にして基督教徒となりし乎」。
この本は、英文で書かれ、もっぱらアメリカでの発売をもくろんだものである(解説より)。
「異教の地日本」には梨嫌いの神様がおり、その神様に帰依した信者は「梨断ち」をする、そうすると結果論として歯の健康が保たれる、大略このように「神社の合理性」を紹介するくだりなどは、「向こうの目」を気にしている節が見受けられる。
(ちなみに、筆者は「梨断ち」を実際に行ったと書いている。)
さて冒頭の記述は、内村鑑三のアメリカ留学中でのエピソードかと思われる。
(ここは、まだ調べていない。)
「余の霊魂を襲った恐ろしい変化」。
この一句がリトマス試験紙だと思う。
分かるか/分からないか。
もうひとつ。
「分かったつもりでいるか」。
私が「この3種」のどこにカテゴライズされるのかは、自身が知りたいくらいだ。
しかし、「大博士」の講演の「前座」として、" 15 minits " で「回心体験談」を求めるというのは、当時のかの地での「宗教的大集会」のとんちんかんさといったらないなーくらいは思う。
「余にはどうしてもできなかった」。
当たり前だ。
アウグスティヌスの「告白」も、あれだけのボリュームの書物にならざるを得なくなる。
" 15 minits " で「回心体験」というのは、「象徴的」ですらある。
ヒルティは「これ」を以て「教会制度」と呼称する、そう勝手に結びつけようか。
訳者の附した解説によれば、どうしたことか本書は日本で1895年(明治28年)に(おそらく英文のままで)出版され、またまたどうしたことか、1904年、ドイツ語に訳されてシュツットガルト市の出版社から出版される。
瞬く間に欧州各国で出版されたようだ。
フランス語版のタイトルは、それを訳すと「一日本人の魂の危機」とのこと。
この文庫の一番最初に、欧州5カ国版、アメリカ版、そして日本版が並んだ写真が掲載されている。
日本語版は、著者の死後に出版されたとのこと。
アメリカ版についての言及は、見出せなかった。
(この経過の「物語」もまた面白い。)
冒頭に挙げたくだりは、適宜改行を施した上で引用したことをおことわりしておく。
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初めはいくぶん
「この生活は、初めはいくぶん押しきって試みることも必要であるが、進むにつれてそうではなくなる。むしろ、それは狭くともごく平坦な道であって、そこには多くの憩いの場や開かれた門があるものだ。」
(ヒルティ、「眠られぬ夜のために 第一部」(草間・大和訳、岩波文庫)、1月6日の項より。)
---
上げ膳据え膳で育った私が台所に立ったのは、…3年ほど前であろうか。
まだ恐怖や不安が強かった頃のことだ。
ネットでレシピを探してゆくと、「ほうれん草とベーコンのソテー」があり、「小学で初めて習った懐かしの味」と書かれていた。
そうか、一番始めに「習う」料理…。あるいは「これ」なら、できるかも知れない……。
「いくぶん」どころか、「清水の舞台」でスーパーに向かう。
買ったものが「小松菜」だったことは、食後に指摘された。
取りあえず、できればよい。
(「シュウ酸がどうだか」ということすら、念頭になかったと思う。)
そのように、日々料理を作っていた時期があった。
トマト煮(何を煮たのか覚えていない)、和食の煮物も時間を掛けてやってみた(大根と何かだったと思う)。
鳥の照り焼きは、三度目の正直叶わず三度とも失敗してしまい、降参。
そして最近は、豚肉炒めるくらいならば、まったくてきとう。
(話はそれるが、「肉」が食べられるようになったこともまた、うれしいことだ。)
ほんじつ冒頭にて引用したヒルティの言を、昼間思い出した。
なにごともそうだと思う。
「初めはいくぶん押しきって試みること」。
閉じた戸を開くときには、力を要するものだ。動き出してしまえばしめたもの。
タンスを動かすときもそうだ。
動かすときには力が要る。いったん動けばあとはスムーズ。
今日は夕方、さくじつクリーニング屋に出したワイシャツを取りに行った。
スーパーまで徒歩で買い出しに行く。
(もっぱら、田園風景の写真を撮りたいからなのだが。)
「3年前まで上げ膳据え膳の男」、彼の今の姿だ。
掃除はまだ、敷居が高い。トラウマに責任転嫁してしまおう。
全くの思いつきでしかないのだが、「上げ膳据え膳を止めることこそ、ボケ防止、足腰の衰え防止の第一歩」論。
自分で考え、自分で出歩き、自分でやる。
「ボケ」というのは、つい最近になって、大きく取り上げられた。
「介護保険」が導入されたのは、橋本首相の頃だ。
実に昔は、おおかた「自分で……」だった、それが種々あって「一億総上げ膳据え膳」になった、その所産なのかも知れない。
(言い過ぎを自覚している。)
中国製コピーが出回っているというゲーム機の中に「閉じこもって」もなあ…。
ところでボクシングジム翌日、腰に張りを覚えたのだが、お師匠さんは言ってくれた。「あれは、次の日は立てない人が多いんですよ」。
1年半前だろうか、半日掛けて「散歩」していた期間、この賜物だろう。
これも、当初は「20分の散歩」から、おそるおそる始めてみたものだ。
さあ、「初めはいくぶん押しきって試み」よう。なんでも。
(ヒルティ、「眠られぬ夜のために 第一部」(草間・大和訳、岩波文庫)、1月6日の項より。)
---
上げ膳据え膳で育った私が台所に立ったのは、…3年ほど前であろうか。
まだ恐怖や不安が強かった頃のことだ。
ネットでレシピを探してゆくと、「ほうれん草とベーコンのソテー」があり、「小学で初めて習った懐かしの味」と書かれていた。
そうか、一番始めに「習う」料理…。あるいは「これ」なら、できるかも知れない……。
「いくぶん」どころか、「清水の舞台」でスーパーに向かう。
買ったものが「小松菜」だったことは、食後に指摘された。
取りあえず、できればよい。
(「シュウ酸がどうだか」ということすら、念頭になかったと思う。)
そのように、日々料理を作っていた時期があった。
トマト煮(何を煮たのか覚えていない)、和食の煮物も時間を掛けてやってみた(大根と何かだったと思う)。
鳥の照り焼きは、三度目の正直叶わず三度とも失敗してしまい、降参。
そして最近は、豚肉炒めるくらいならば、まったくてきとう。
(話はそれるが、「肉」が食べられるようになったこともまた、うれしいことだ。)
ほんじつ冒頭にて引用したヒルティの言を、昼間思い出した。
なにごともそうだと思う。
「初めはいくぶん押しきって試みること」。
閉じた戸を開くときには、力を要するものだ。動き出してしまえばしめたもの。
タンスを動かすときもそうだ。
動かすときには力が要る。いったん動けばあとはスムーズ。
今日は夕方、さくじつクリーニング屋に出したワイシャツを取りに行った。
スーパーまで徒歩で買い出しに行く。
(もっぱら、田園風景の写真を撮りたいからなのだが。)
「3年前まで上げ膳据え膳の男」、彼の今の姿だ。
掃除はまだ、敷居が高い。トラウマに責任転嫁してしまおう。
全くの思いつきでしかないのだが、「上げ膳据え膳を止めることこそ、ボケ防止、足腰の衰え防止の第一歩」論。
自分で考え、自分で出歩き、自分でやる。
「ボケ」というのは、つい最近になって、大きく取り上げられた。
「介護保険」が導入されたのは、橋本首相の頃だ。
実に昔は、おおかた「自分で……」だった、それが種々あって「一億総上げ膳据え膳」になった、その所産なのかも知れない。
(言い過ぎを自覚している。)
中国製コピーが出回っているというゲーム機の中に「閉じこもって」もなあ…。
ところでボクシングジム翌日、腰に張りを覚えたのだが、お師匠さんは言ってくれた。「あれは、次の日は立てない人が多いんですよ」。
1年半前だろうか、半日掛けて「散歩」していた期間、この賜物だろう。
これも、当初は「20分の散歩」から、おそるおそる始めてみたものだ。
さあ、「初めはいくぶん押しきって試み」よう。なんでも。
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詩篇のなぐさめ
「記念のためのダビデの賛歌
主よ。あなたの大きな怒りで
私を責めないでください。
あなたの激しい憤りで
私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私の中に突き刺さり、
あなたの手が私の上に激しく下って来ました。
あなたの憤りのため、
私の肉には完全なところがなく、
私の罪のため
私の骨には健全なところがありません。
私の咎が、私の頭を越え、
重荷のように、私には重すぎるからです。
私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。
それは私の愚かしさのためです。
私はかがみ、深くうなだれ、
一日中、嘆いて歩いています。
私の腰はやけどでおおい尽くされ、
私の肉には完全なところがありません。
私はしびれ、砕き尽くされ、
心の乱れのためにうめいています。
主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。」
(詩38枕-9)
---
さくじつ晩は、ひとりしずかに詩篇をひもとく。
ふと冒頭の38篇に目が留まった。
何度も何度も、繰り返し眺める。
これにまさるなぐさめは、ないと思う。
新改訳聖書第二版をお持ちのお方は、手元のその聖書と冒頭の引用をご比較されたい。
すると、「意図的に」9節を冒頭に入れていることをお分かり頂けると思う。
「明と暗」に分けるとするなら、この38篇は、この9節と15節だけが「明」、ほかは「暗」、ひたすら暗く、そして重い。
その重みの中に「9節」があるから、「明」がいっそうきらめく。
写真でも絵画でもいいと思うが、その類の「美術(?)」に多い「表現手法(?)」のように思える。
ちなみに詩篇には、「明一色」の詩も多数ある(例えば100篇)。
これはこれでよいとも思う。
だが、さくばんは「38篇の気分」、いいかえれば「ほぼ、暗」が欲しかった。
さまざまな立場の、さまざまな情況にいる人々を、あるときはなぐさめ、あるときは励まし、あるときは叱咤する…。
もし受け入れるならば、150の詩を集めたこの詩篇は、そのような「常備薬」として備えておきたい。
主よ。あなたの大きな怒りで
私を責めないでください。
あなたの激しい憤りで
私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私の中に突き刺さり、
あなたの手が私の上に激しく下って来ました。
あなたの憤りのため、
私の肉には完全なところがなく、
私の罪のため
私の骨には健全なところがありません。
私の咎が、私の頭を越え、
重荷のように、私には重すぎるからです。
私の傷は、悪臭を放ち、ただれました。
それは私の愚かしさのためです。
私はかがみ、深くうなだれ、
一日中、嘆いて歩いています。
私の腰はやけどでおおい尽くされ、
私の肉には完全なところがありません。
私はしびれ、砕き尽くされ、
心の乱れのためにうめいています。
主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません。」
(詩38枕-9)
---
さくじつ晩は、ひとりしずかに詩篇をひもとく。
ふと冒頭の38篇に目が留まった。
何度も何度も、繰り返し眺める。
これにまさるなぐさめは、ないと思う。
新改訳聖書第二版をお持ちのお方は、手元のその聖書と冒頭の引用をご比較されたい。
すると、「意図的に」9節を冒頭に入れていることをお分かり頂けると思う。
「明と暗」に分けるとするなら、この38篇は、この9節と15節だけが「明」、ほかは「暗」、ひたすら暗く、そして重い。
その重みの中に「9節」があるから、「明」がいっそうきらめく。
写真でも絵画でもいいと思うが、その類の「美術(?)」に多い「表現手法(?)」のように思える。
ちなみに詩篇には、「明一色」の詩も多数ある(例えば100篇)。
これはこれでよいとも思う。
だが、さくばんは「38篇の気分」、いいかえれば「ほぼ、暗」が欲しかった。
さまざまな立場の、さまざまな情況にいる人々を、あるときはなぐさめ、あるときは励まし、あるときは叱咤する…。
もし受け入れるならば、150の詩を集めたこの詩篇は、そのような「常備薬」として備えておきたい。
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自らの内に潜む戦い
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」(ヤコブ4:1)
---
昨日、「少し前にヤコブ書を開いた」ことを書いた。
もっぱら上の聖句を探したかったからだ。
しかし、この4:1にしても、前後の脈絡がまるでないことには戸惑いを覚える。
全体に、それは言える。
そしてこの4:1も、「問題提起」でおしまいだ。
「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、いや、確かにそうだと思うが、ならどうせよというのか…。
それは4:2以降をご参照いただければ、ヤコブさんの「筆運びぶり」をご確認いただけると思う。
そして思う。
この書きぶりがヤコブさんの芸なのか、と。
この芸風に付き合うのは、今の私には難しい。
「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」と、ぽーんと投げて、あとは考えさせる。
ドイツ流儀の教科書を想起した。1冊だけ使った(使わされた、か)。
あれはやりづらい。
そう、ヤコブさんは「ドイツ流儀教科書」なのだろう(順番は逆だろうが)。
そう、全くもって、「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、仰せの通りだ。
「戦う欲望」、「それが原因」。
そこに気付けば、まずはそれでよし……ヤコブさんはあるいはそう言いたいのか、そのように好意的に解釈してみる。
---
昨日、「少し前にヤコブ書を開いた」ことを書いた。
もっぱら上の聖句を探したかったからだ。
しかし、この4:1にしても、前後の脈絡がまるでないことには戸惑いを覚える。
全体に、それは言える。
そしてこの4:1も、「問題提起」でおしまいだ。
「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、いや、確かにそうだと思うが、ならどうせよというのか…。
それは4:2以降をご参照いただければ、ヤコブさんの「筆運びぶり」をご確認いただけると思う。
そして思う。
この書きぶりがヤコブさんの芸なのか、と。
この芸風に付き合うのは、今の私には難しい。
「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」と、ぽーんと投げて、あとは考えさせる。
ドイツ流儀の教科書を想起した。1冊だけ使った(使わされた、か)。
あれはやりづらい。
そう、ヤコブさんは「ドイツ流儀教科書」なのだろう(順番は逆だろうが)。
そう、全くもって、「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、仰せの通りだ。
「戦う欲望」、「それが原因」。
そこに気付けば、まずはそれでよし……ヤコブさんはあるいはそう言いたいのか、そのように好意的に解釈してみる。
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