自らの内に潜む戦い

 「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」(ヤコブ4:1)

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 昨日、「少し前にヤコブ書を開いた」ことを書いた。
 もっぱら上の聖句を探したかったからだ。
 しかし、この4:1にしても、前後の脈絡がまるでないことには戸惑いを覚える。
 全体に、それは言える。
 そしてこの4:1も、「問題提起」でおしまいだ。
 「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、いや、確かにそうだと思うが、ならどうせよというのか…。
 それは4:2以降をご参照いただければ、ヤコブさんの「筆運びぶり」をご確認いただけると思う。
 そして思う。
 この書きぶりがヤコブさんの芸なのか、と。
 この芸風に付き合うのは、今の私には難しい。
 「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」と、ぽーんと投げて、あとは考えさせる。
 ドイツ流儀の教科書を想起した。1冊だけ使った(使わされた、か)。
 あれはやりづらい。
 そう、ヤコブさんは「ドイツ流儀教科書」なのだろう(順番は逆だろうが)。

 そう、全くもって、「あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」、仰せの通りだ。
 「戦う欲望」、「それが原因」。
 そこに気付けば、まずはそれでよし……ヤコブさんはあるいはそう言いたいのか、そのように好意的に解釈してみる。
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