" 15 minits speach "

 「余はアメリカ滞在中いくたびの宗教的大集会に招かれ『十五分以内で』話しをすることを求められて(集会の主要演説者の或る大博士が大部分の時間を占めることになっていたから)、その席上でしばしば司会者(……)に尋ねたのである、あなたがたはわたくしから何をおききになりたいのですかと。
 余の受けたもっとも普通の答えはこれであった、『あなたは如何にして回心したか、それを話してもらいたい』と。
 余はそういう要求にどうして応じたらよいかにいつも当惑した。
 余が基督教に接触させられていらい余の霊魂を襲った恐ろしい変化を『十五分以内』で話すことは、余にはどうしてもできなかったからである。」
(「余は如何にして基督教徒となりし乎」、内村鑑三著、鈴木俊郎訳、岩波文庫、その「序」から)

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 やはり初心にもどってみよう、けさ手に取ったのは「余は如何にして基督教徒となりし乎」。
 この本は、英文で書かれ、もっぱらアメリカでの発売をもくろんだものである(解説より)。
 「異教の地日本」には梨嫌いの神様がおり、その神様に帰依した信者は「梨断ち」をする、そうすると結果論として歯の健康が保たれる、大略このように「神社の合理性」を紹介するくだりなどは、「向こうの目」を気にしている節が見受けられる。
(ちなみに、筆者は「梨断ち」を実際に行ったと書いている。)

 さて冒頭の記述は、内村鑑三のアメリカ留学中でのエピソードかと思われる。
(ここは、まだ調べていない。)
 「余の霊魂を襲った恐ろしい変化」。
 この一句がリトマス試験紙だと思う。
 分かるか/分からないか。
 もうひとつ。
 「分かったつもりでいるか」。

 私が「この3種」のどこにカテゴライズされるのかは、自身が知りたいくらいだ。
 しかし、「大博士」の講演の「前座」として、" 15 minits " で「回心体験談」を求めるというのは、当時のかの地での「宗教的大集会」のとんちんかんさといったらないなーくらいは思う。

 「余にはどうしてもできなかった」。
 当たり前だ。
 アウグスティヌスの「告白」も、あれだけのボリュームの書物にならざるを得なくなる。
 " 15 minits " で「回心体験」というのは、「象徴的」ですらある。
 ヒルティは「これ」を以て「教会制度」と呼称する、そう勝手に結びつけようか。

 訳者の附した解説によれば、どうしたことか本書は日本で1895年(明治28年)に(おそらく英文のままで)出版され、またまたどうしたことか、1904年、ドイツ語に訳されてシュツットガルト市の出版社から出版される。
 瞬く間に欧州各国で出版されたようだ。
 フランス語版のタイトルは、それを訳すと「一日本人の魂の危機」とのこと。
 この文庫の一番最初に、欧州5カ国版、アメリカ版、そして日本版が並んだ写真が掲載されている。
 日本語版は、著者の死後に出版されたとのこと。
 アメリカ版についての言及は、見出せなかった。
(この経過の「物語」もまた面白い。)

 冒頭に挙げたくだりは、適宜改行を施した上で引用したことをおことわりしておく。
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