初めはいくぶん

 「この生活は、初めはいくぶん押しきって試みることも必要であるが、進むにつれてそうではなくなる。むしろ、それは狭くともごく平坦な道であって、そこには多くの憩いの場や開かれた門があるものだ。」
(ヒルティ、「眠られぬ夜のために 第一部」(草間・大和訳、岩波文庫)、1月6日の項より。)

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 上げ膳据え膳で育った私が台所に立ったのは、…3年ほど前であろうか。
 まだ恐怖や不安が強かった頃のことだ。
 ネットでレシピを探してゆくと、「ほうれん草とベーコンのソテー」があり、「小学で初めて習った懐かしの味」と書かれていた。
 そうか、一番始めに「習う」料理…。あるいは「これ」なら、できるかも知れない……。
 「いくぶん」どころか、「清水の舞台」でスーパーに向かう。
 買ったものが「小松菜」だったことは、食後に指摘された。
 取りあえず、できればよい。
(「シュウ酸がどうだか」ということすら、念頭になかったと思う。)

 そのように、日々料理を作っていた時期があった。
 トマト煮(何を煮たのか覚えていない)、和食の煮物も時間を掛けてやってみた(大根と何かだったと思う)。
 鳥の照り焼きは、三度目の正直叶わず三度とも失敗してしまい、降参。
 そして最近は、豚肉炒めるくらいならば、まったくてきとう。
(話はそれるが、「肉」が食べられるようになったこともまた、うれしいことだ。)

 ほんじつ冒頭にて引用したヒルティの言を、昼間思い出した。
 なにごともそうだと思う。
 「初めはいくぶん押しきって試みること」。
 閉じた戸を開くときには、力を要するものだ。動き出してしまえばしめたもの。
 タンスを動かすときもそうだ。
 動かすときには力が要る。いったん動けばあとはスムーズ。

 今日は夕方、さくじつクリーニング屋に出したワイシャツを取りに行った。
 スーパーまで徒歩で買い出しに行く。
(もっぱら、田園風景の写真を撮りたいからなのだが。)
 「3年前まで上げ膳据え膳の男」、彼の今の姿だ。
 掃除はまだ、敷居が高い。トラウマに責任転嫁してしまおう。

 全くの思いつきでしかないのだが、「上げ膳据え膳を止めることこそ、ボケ防止、足腰の衰え防止の第一歩」論。
 自分で考え、自分で出歩き、自分でやる。
 「ボケ」というのは、つい最近になって、大きく取り上げられた。
 「介護保険」が導入されたのは、橋本首相の頃だ。
 実に昔は、おおかた「自分で……」だった、それが種々あって「一億総上げ膳据え膳」になった、その所産なのかも知れない。
(言い過ぎを自覚している。)
 中国製コピーが出回っているというゲーム機の中に「閉じこもって」もなあ…。
 ところでボクシングジム翌日、腰に張りを覚えたのだが、お師匠さんは言ってくれた。「あれは、次の日は立てない人が多いんですよ」。
 1年半前だろうか、半日掛けて「散歩」していた期間、この賜物だろう。
 これも、当初は「20分の散歩」から、おそるおそる始めてみたものだ。

 さあ、「初めはいくぶん押しきって試み」よう。なんでも。
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