存在意義(レゾンデートル)

(1)
 「知れ。主こそ神。
 主が、私たちを造られた。
 私たちは主のもの、主の民、
 その牧場の羊である。」(詩100:3)

(2)
 「実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。
 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。」(1コリント1:11-13)

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 「主が、私たちを造られた」、ここにこそ、我の存在理由(「レゾンデートル」)を見いだす。(1)
 ところが集団になると、「話つぃはパウロにつく」、「私はアポロに」……をやってしまう。(2)
 これは実に、単に主を自らのために利用したいからであって、これを指してご利益宗教という。

 繰り返すが、「主が、私たちを造られた」。
 ただ主のみがある(そしてそれは、厳格極まりない「全き聖なる律法」の所以でもある)。
 すると、パウロもアポロも、何もない。
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