福音は神の力

 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。
 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
 というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」(ローマ1:16-21)

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 「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されている」。
 神の怒り。
 神を神と認めない者への神の怒りは、大きい。
 一方で、信じて神が和解して下さり、この神との間で平和を保っている人々もいる。
 ロマ書5章に、以下のようにあるとおりだ。

 「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:1,10)

 では、怒りと平和、この差は何がもたらしたのだろうか。
 「福音」だ。
 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」、福音は神の力。
 神は私たち怒りの子と和解するために、福音という神の力をまんべんなくお与え下さった。
 この「福音」とは、イエスがキリスト(救い主)であるということの知らせ。
 神はひとり子イエスを、その愛の故にこの世に遣わされた(ヨハネ3:16-17)。
 きょうイエスは、お生まれになった。
 そのイエスは、自分がキリストであることを数多くのわざと知恵によって顕した後、私たちの罪を赦す十字架に架かって、そして復活された。

 この福音を信じて受け入れるとき、神のほほえみが見えてくる。

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