仕返しの自制

 「 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
 求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。」(マタイ5:38-42)

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 「目」や「歯」を食らわしたやつは、そのことのゆえに「悪い者」なのだ。
(ただ、故意と過失とを見分けることは大前提だ。)
 そして、イエスは仰る。
 「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」。

  『目には目で、歯には歯で。』は、律法の中のひとつ。出エジプト21:24,レビ24:20そして申命記19:21にある。
 イエスはこの律法を、ここでも更に厳格にされた。
 仕返しが許されるのであれば(「目には目を」)、まだ鬱憤も晴らせるかも知れない。
 しかしそれでは、仕返しをする自分は、相手と同様に、悪い者となってしまう。
 相手と同じレベルに堕ちてしまう。
 逆に、仕返しをしないことによって、相手の悪がはっきりと浮かび上がる。
 「目」や「歯」を食らわしたやつは、単にそのことのゆえに「悪い者」なのだ。
 この善悪の判断は、人々が勝手にしていることではなく、絶対的な存在としてのイエスであり神である。
 言い換えると、何もしないことこそ最大の仕返しであるとも言えるかもしれない。相手の絶対的な悪を、いよいよはっきりさせるのだから。
 相手にはこのことが、ジャブのように効いてくる。
 そう考えると、イエスの仰る事というのは、「目」や「歯」をやった人間に対する免責もあわれみも皆無であることからして、やはり律法を厳格解釈したものだと言えよう。
(というより、さらに厳格化した。)

 左の頬を向ける余力はなくていい。
 2ミリオンも行く体力が残ってなくともいい。
 「目」や「歯」といった悪に、立ち向かって仕返ししようとはしないこと。
 「悪い者に手向かってはいけません」。

 このとき、主の祈りでの中の「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(マタイ6:13)は、強力な祈りとして働いてくれるだろう。

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