イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
これはひどいことばだ
「これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:58-63)
---
「これはひどいことばだ」。
かつての私もまた、このヨハネ6章をそう思って読んでいた。
イエスのおことばというのは、説明や説得といったものとは全く異なる。
「説明や説得」というのは、努力という肉の行為にすぎない。
イエスのおことばは霊、またいのちである。
だから、聞く方(読む方)としても、納得して分かるという類のものではおよそない。
去っていった弟子たちは全く分からなかったので、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」と言う。
しかしこの去っていった弟子たちは、こらえ性がないと思う。
その「ひどいことば」を聞き続けてゆくうちに、ある一点で、はらりと膜がめくれるように全部が分かってくるはずだからだ。
「このパンを食べる者は永遠に生き」る、ということを説明、説得によって理解させることは、できない。
だがあるとき、このいのちのことばがその人のうちに入ったならば、その人は誰に教わるわけでもなく、理屈を越えて分かるようになる。
それが「霊であり、またいのち」というイエスのおことばの特性である。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。
そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:58-63)
---
「これはひどいことばだ」。
かつての私もまた、このヨハネ6章をそう思って読んでいた。
イエスのおことばというのは、説明や説得といったものとは全く異なる。
「説明や説得」というのは、努力という肉の行為にすぎない。
イエスのおことばは霊、またいのちである。
だから、聞く方(読む方)としても、納得して分かるという類のものではおよそない。
去っていった弟子たちは全く分からなかったので、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」と言う。
しかしこの去っていった弟子たちは、こらえ性がないと思う。
その「ひどいことば」を聞き続けてゆくうちに、ある一点で、はらりと膜がめくれるように全部が分かってくるはずだからだ。
「このパンを食べる者は永遠に生き」る、ということを説明、説得によって理解させることは、できない。
だがあるとき、このいのちのことばがその人のうちに入ったならば、その人は誰に教わるわけでもなく、理屈を越えて分かるようになる。
それが「霊であり、またいのち」というイエスのおことばの特性である。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )