リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

印象操作という常識

2017-07-01 11:50:01 | その他
 こんにちは。もう7月で。東京平地部は空梅雨ですが、それでもしけってて体調が悪い。身体を動かすのがめんどい。3ヶ月も通勤していない報いでしょうか。なんでも都合よくはいきません。
 
 本日のニュース、相変わらずろくなものなし。まずは、「大洗研被ばく 除染シャワー故障」。やつらのやることといったらこれだ。だから原発推進なんて恥ずかしくていえないんだよね、わたし。一から十までこれなんだから。原子炉が動いていること自体がおかしい。
 
 ついで、さっきyahooを見たら、なんでもアメリカではいよいよ「宇宙軍」を作るんだそうな。地上の殺し合いに飽き足らず、宇宙までも戦争かよ、と思えばロシアは昔から宇宙軍があるんだって? 分裂のどさくさなのにしっかりしたものだ。
 (しっかり=抜け目なく。近畿では使わないそうな)
 北朝鮮は、「我々の行為はほんとに子供の遊びだ」と感じ入るべきだね。
 
 ここんとこ朝日新聞神奈川版では県立横浜翠嵐高校の宣伝特集をやっていて、これは個人的になかなかよいニュース。旧制県立2中で名門だったのに高校紛争による公立のガタ落ちで2000年に東大合格者1人。それをガリ勉で34人まで伸ばしたんだって。わたしは神奈川県民なのでうれしい。公立だもの。わたしゃ怠け者なので行くのはごめんですが。今は生活保護で高校授業料もでるけど(つい最近からです)。東大を受けられる学力なら、中堅私大で授業料免除もオッケーじゃないだろうか。そうすると私立一貫校にいけなくても公立中学校でも子供が勉強するようになるし。もちろん高校まででいい人はそれでいいんですが、行きたい人は進学できる可能性が増える。
 だからいいとはいわないけどね。
 こういうどう転んでも全員がいい目に会うはずのないことは、わざわざいいというもんじゃございません。
 でもね、他人としては自分の中で希望にしても良い。自分が生き抜くわけじゃないからね。目の前に人間がいれば、その人間はなんとかより易く、なるべく苦労せずに生きていって欲しい。そう思わない人間はもう一度生き方を反省したほうが良い、というもの。

 3日前の朝日新聞にもよくわかった猫島のおばあさんがいて、エサをやる一方、避妊手術には何十匹も本土に捕まえて連れて行くんだけど、でもそうは捕まらない。それじゃ猫だらけになっちゃう。なのにそんなエサとかやっていいのか、って。
 「でも猫はあたしの目の前で生きてるんだからね。これはなんとかしなきゃいけないんだよ。あたしがいなくなったあとどうしていくか、それは他の人がどうするかそれは分からないけどね(趣旨)」
 おっしゃるとおり。そういうもんなんだよね、人間て。それだからようやく「人類でさえ生きていってよい」という資格が手に入る。
 夢多き中学生と野良猫って、オチが常識外れかね。
 おそらくいつものお客様には分かってくれるでしょう。

 さて、本題。将棋の藤井少年というのは世間一般の話題になったようで。公文式製、子供用の行き先を記した駒の将棋盤なんか9月まで予約いっぱいだそうで(ちょっと高いジジババのプレゼント用)。わたしなどあまり強さを信じてなかったですがこの連勝中にもどんどん強くなってるように見えます。ドラゴンボール現象ですね。明日も対局があって、相手は強いんだけど力のカラ回りタイプなので、リキ入り過ぎ、30連勝かな。子供がこんなに勝っちゃ夢がなくなってつまんないですね。他の人たちはなんのために一生かけて棋士になったのか。もっとも子供相手にやる気も起きないと思うんだけどなあ。報道陣的に完全アウェイだし。
 まあいずれにしても将棋なんて遊びだから、強いやつは2、3人いればいいんだけどね。
 世の中にはそれとは別に、強くなくとも良い人間という人たちがいればいい。負けた瀬川五段とか、師匠の杉本七段とか。その他若干名。将棋は我利主義者のやるものだから、そんなにいい人間はいないけどね。
 ともかく良いやつもいないなら、どんな強いやつがいようと、そんな世界は勝手に滅びるのが善いやね。将棋は強いやつの所有物ではなく、人民の貴重な遊びだからね。強いやつなどいなくとも後は素人のわれわれが末永く遊んで、インド以来の伝統を後世に伝えていくし。
 
 つい長くなって。どこが本題なんだ。
 そうじゃなくて本題があって、藤井少年の解説番組で将棋の久保王将が「少年がこんな良い手を出しました」とただの飛車と金の両取りの手を。ちょっと将棋を知ってりゃ誰でも考える上に、両取り回避も可能な手。
 「印象操作」だよね。(注:「印象操作」って、アベが自分へのマスコミの批判は不当だといって、身の程知らずに発した言葉です。「それは印象操作だ」。へっ。)
 両取りの手なら知らない人は「おお」と思うし。将棋を知ってる人は「まあ知らない人用の解説だから」と思うし。
 この後段。みんな仕事でやってるよね。
 素人なんてほんとのこと言ったってわかんないんだもんね。なんとか誰でも分かる、ように思える、しかし意味のない話題をマスコミ等に出す。
 でさ、若人の諸君。印象操作には約束があって、玄人用に、実質同じだけの驚きが隠されてんだよね。だから専門家同士でも「驚きの研究成果だって? くだらないニュース発表しやがって。まあトーシローにはわかんないからしょうがない。しかし、この裏の仕様にはほんとにびっくりだ。うちの社も何とかしないと」 と思うわけ。
 結局素人さんは味噌っかすのいわゆる「お客さん」。すべては、どう、素人を騙さずに、うそに近い情報によってほんとに近い結果情報を与えられるか、という問題。
 これを「印象操作だ」とか言い出すのは、その暗黙の取り決めを破ったやぶれかぶれの仕儀。アベの話です。ネットのガキなんか右も左も知らないから「そりゃそうだ」とか思うが、世の中表面の論理なんかでは決して進んでいない。
 与党政治家なんざどんなやつだって官僚ならだれでも便宜を図ってるでしょ。そんなこたあ世間じゃ常識。ただ苦々しく思うばかり。そこに隙がありゃあ百倍返しも当然の仕儀。後ろめたくないやつだけが文句を言え。あ、そんな感性とうに捨てたか。

 と思えば、昨日の朝日新聞、絵本の紹介。
 『お空に帰った赤ちゃんは、お母さんに会いたくて来たんだよ。だから自分を責めないで――。長崎県の薬店で生まれた絵本に共感が広がっている。流産で悲しむ人に寄り添うストーリーで、題名は「ちいさな天使のものがたり」。』
『天使が神様に「あのお母さんのところに行きたい」とせがむ。神様は「あのお母さんはがんばり屋さんだから、ちからを使いきってしまうかも」と心配し、「お母さんのちからがなくならないだけの時間をあげよう」と送り出す。天使はおなかで幸せな時間を過ごし、約束の時間に空へ帰る。お母さんが「来てくれてありがとう」と空に向かって言うと、天使は笑ってうなずく――。』
 これも印象操作。ほんとうのテーマは赤ちゃんがそう思ったかどうか、ではない。自分にあった出来事を自分の人生にどう組み込んでゆくか、という問題。そのお手伝いがこうした絵本。人間の世界は観念的なものです。このとき「みんな」は家族になれる。
 これはクリスチャンだけど、中絶であれば以前聞いた真言宗のおばあさん説教師のコトバを思い出しますね。『若くても年寄りでも、人間、仏さんが「もういいよ、こっちおいで」、というときに死ぬんだよ。仏さんはみんな見てらっしゃるから何も心配いらない。』
 なかなかですね。これも問題はなぜ死んだかではなく、出来事を組み込む手助けの操作。無信仰者にはウソかもしれないが、宗教者が伝えたいことはそういうことではない。
 自分の人生は自分で組んでいかなくてはなりません。悲しんでるだけなら人がなんのために死んだか分からない。あるいは自分がなんのために生きているか分からない。自分の人生をなかったことにしてはいけない。
  
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