リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

スープな続き

2014-05-24 21:26:30 | その他
 こんばんは。仕事をやめて2週間、図書館にも行かず(本も買わず)、ハイキングもせず、ただひたすら次回配本に向き合う、向き合うだけだけど、向き合ってはいる座禅坊主。でもご飯作るよ。
 なかなか想定どおり。
 仕事とか都会の買い物とかあると意志が弱いもので、どうしても能率低下。
 昨日今日などはプリンターがいかれちまって、例のpx-201。叩いてもひっぱたいても直らねえ、って比喩じゃないところが昭和古代人だねえ。
 で、治らないといまどきだから数千円で買えはするんだけれど、私のパソコンwindows2000で、もうすでに対応プリンターってないのね(300機種中2機種あるけど無線不可)、というわけでそれを知りあれを悩みで2日パーさ。といってももう非対応で買ったけどね。そんなことに2日以上かけられやしないさ、非対応だってさ。
 ってことはパソコン買い換え。そんなこんなで、世の中消費者にカネを使わせるのね。
 わたしとこのお客さんだと左翼なれど9割は中流階級、なんて想定ですけどね、そういう方たちはその手前で流行的に自主購入するから分からないでしょうが、ほんと、カネなんてほかにどうしようもなくて飛んで出ていくんですよ。
 そうやって進歩する、ってそれはうそ。
 ホームユースじゃあ me が絶対ベスト。みんな知らないのね。知る知識があるやつは玄人だからあんな素人のOSは嫌いなのね。セキュリティがどうたらこうたら(インターネットセキュリティじゃなくて)。ホームユースに関係ねえよ。

 
 さて、前回の引き続き。人の考える時間なんて極端に短いって。
 私など昔、「精神分裂って頭の回転が速すぎてショートしちゃうんですよね」 って習いましたが、どうも違う気が。
 頭って誰でもかれでも動きは早いと思うんだな、0.1秒。まあそれが0.001秒でも意味はだいたい同じなんだけど。
 そんなもんが、行動の前提の当初の答えとして、1秒の間に10通りとか1000通りとかつまっている。それらの中で、人の頭は、出てきた当初の答えではなく、2次的に答えを選ぶ。
 初めの答えはおおかた行動の答えとして妥当なんだけど、それを検討するのに100通りとか10000通りとかが検討される、それで初めてこれが答えだよと行為者は頭脳に教えてもらえる。
 そういうもんじゃないか、と。
 これなんか、将棋だと「3手の読み」といって、ド素人のレベルだけどね。ま、そんなもんと思うよ。
 なんだけど、人間の次の瞬間の行為って、10000通りも読んでる? ふつう読まないよね。横断歩道をどう渡るか、それってせいぜい10通り。それ以上方途はしらないもん。
 というわけで、考えって、本当は0.05秒でまず第1次で、0.1秒で派生する出来事を考えて、オッケーなら言語情報部門に渡す。言語情報部門はそれ以外の、「道路、赤で渡りたいけど誰かみてないかな」 とか、羞恥心とか、「かっこつけよう」とかの回路を通して、行為が実現される。
 さて、前に戻って、精神分裂症などか、この過程でそのままでは回路をめぐらさない。このため、強制的に一段落の考慮に繋げるため、あるいはよっぽどでなければ行為に移さないために、薬品を与えて、第1段階の回路に化け学上の抑制を与える。
 
 こうゆうんじゃないかなあ、、、これすべて想像ですけどね。そうとしか思えない。
 わたしなどの洞察力は、はったりマルクスの10倍あるから。エンゲルス並み。

 
 またさて。本日のテーマではないけれど、本当の個人的発見。
 わたしなど、小説風理論書でウサ晴らししてきたけれど、そういう感動を求めて、、ていうルートは別に小説風である必要はないんじゃないか、って。もちろん、アカデミズム形式の論文にはないけれどね。
 今回作の本は、もともと普通の人用なので、引用がどうやら脚注がどうやらとは関係ないし (って前の『行為の集成』だってアカデミズムに関係なくてもよかったんだけど。まあ、間先生への義理かね)、だいたいもとからマルクス主義者以外の理論なんか、何の意義も覚えてないし。
 というわけで、ちょっと「小説ではない形式文での小説系結果の伝達とはどういうものか」 、、、変か。を、考えて実現させようかと思っております。が、これが実は困難。当たり前か。もともとそんな発想、聞いたことがない(評論だとよくあるな) 。ほんと、ひまはあらまほしきかな。
 
コメント
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